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第二章 魔女とタバコを吸う少年
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「……」
バスが目的地に着く直前で目が覚めた。思えばこの場所に来るのも三日連続か。それで体が乗車時間を覚えてしまったのかもしれない。まぁ乗り過ごした所で終点間際だしそこまで大きな問題にはならないけれど。
懐かしい夢を見ていた気がする。とても懐かしい悪夢を。叶う事なら二度と思い出したくないような苦い経験を。
あれだけの出来事があってもなお、俺は再びこの地に足を踏み入れた。目的は妹を救う為に……なんて、そんな大それた大義名分はない。この目的が果たされれば結果的にアキを救う事にはなるだろうけれど、メインはそっちじゃなくて。
昨日の夜、見知らぬ番号から何度も電話がかかって来た。直感が俺に伝える。決してその電話に出てはいけないと。事実、十回にも及ぶ着信の後には『電話出ろよ。住所割れてんだぞ』なんてメッセージが届いたわけだし。
昨日、スマホを取られた時に色々な情報を見られてしまった。体のあちこちが震え、気が気ではなかった。あいつの頭のネジの緩さは、他でもない俺自身がよく知っている。俺の頭で想像出来うる限りの難事が脳裏を過った。またあの親父に支配されながら万引きを続ける自分の姿、あの親父の命令で今の家から金目の物を盗み取る自分の姿、あの親父が今の家に乗り込んで来る姿。その他諸々。
だから俺はここに来たんだ。ただただ自分の身を守る為に来た。あの親父はきっと、今日も子供を使って万引きを実行するだろう。今日実行されなくとも、実行されるまで何日でも通い詰めてやるつもりだし、運が良ければアキへの虐待現場を押さえる事も出来るだろう。その現場をスマホで盗撮出来次第、俺は警察に駆け込む。
バレたら間違いなくただじゃ済まないだろうな。……でも、やるしかねえじゃねえか。折角七年もの間、平和と向き合いながら生きられるようになったんだ。この平和を手放してたまるかよ。
バスが減速し、そしてバス停の前で完全に停止する。昨日や一昨日とは違い、今日は互いに無駄口を叩く事なく俺と有生はバスを降りた。
有生がこの場に居るのはただの偶然だ。たまたま目的地が同じなだけの偶然。無駄口どころか俺達は今日、たったの一度も口を利いちゃいない。昨日のあの後で、どんな会話が出来るんだって話だ。
目は何度か合った。教室に入った時、休み時間の時、掃除の時、授業中にプリントを配っていた時。でも、それだけだ。有生は俺と目が合うと、怒りも悲しみも微塵も感じ取れない表情で俺から視線を逸らした。
俺はそんな有生の視線に懐かしささえ覚えてしまう。まるで二年前の転校して来たばかりの有生のようだった。有生の中で、俺という存在が嫌いなクラスメイトから無関心なクラスメイトに成り果てたのがわかった。
帰りの会が終わって、俺はすぐに学校を出た。万引きに行くアキと親父を待ち伏せて、二人を尾行する為に。そんな俺と行動を共にするように、有生も俺の後をついて来た。……いや、ついて来た訳じゃないか。目的地が同じなだけだ。
俺達は視線も合わさず、会話も交わさず、しかし昨日の行動を再現するようにコインロッカーに鞄を預けて同じバスに乗り込んだ。
「今ならまだSwitchを取り戻せるとか思ってる?」
バスを降りて、有生に問いかけた。
「昨日のあれは全部嘘で、アキの家に行けばまだ自分のSwitchがあるかもとか。そう思ってる?」
案の定、有生は何も答えない。俺を無視しているのか、そもそも俺の言葉が耳に届いていないのか、ひたすら無言を貫いてゴソゴソと自分のポケットを探っていた。
「諦めろバーカ。そもそもどうやってアキんち探すわけ? 俺に頼るか? ……って」
そして俺は絶句した。有生が取り出したのは二本のL字型の金属棒だったからだ。
「お前それあれじゃね? 水源とか温泉とか油田とかをダウジングするやつ。それでアキんち探す気?」
「……」
「またお決まりの私なら出来んだよって奴か? 馬鹿じゃねえの?」
「……」
有生は相変わらず何も答えない。俺の言葉には耳も傾けず、早速歩き出したもんだから俺は溜息を吐くしかなかった。溜息を吐いて、文字通りの意味で有生の後ろ髪を引っ張った。
「いっでぇ⁉︎」
それが今日、初めて聞いた有生の声だ。俺は有生の髪から手を離して言葉を続ける。
「こっち」
無気力だった有生の表情に、ほんの僅かな驚きが宿った。
「信じるなら勝手について来い。信じないなら勝手に探してろ。その代わりついて来るなら俺の邪魔だけはすんな」
有生がどっちの選択をしたのかは、俺の背後からついてくる小さな足音が教えてくれた。
俺達は足を進める。アキの家はバス停からそう離れてはいない。バス停まで徒歩十分という距離だ。昔と同じなら親父が万引きに行くのは客数の増える夕方頃。時間的にはまだ余裕があると思うけど、だからと言ってのんびり歩いた結果二人は出発済みでしたじゃ話にならない。俺は歩幅を広げ、早足気味に移動する。
少しして、背後の足音が慌ただしくなるのが聞こえた。また、黒い車やそのサイドミラーに映る有生の顔に汗粒が浮かんでいるのも見えた。そりゃそうか。身長も足の長さも圧倒的に長い俺の早歩きに、百四十センチにも満たないちんまりとした体でついて来ようとしてるわけだし。
俺は歩行のスピードを落とす。別に有生を思っての事じゃない。俺の近くでドタバタ足音を立てられて、親父達に見つかったらたまったもんじゃないからだ。陽の照りつける歩道ど真ん中を避け、建物の影になる道を選んで歩くようにしたのも、ただ単に俺が暑かっただけだった。俺は一旦足を止め、額に浮かぶ数滴の雫を拭い取る。目的地までの目印である、曲がり角に設置されたサイドミラーに目を向け、そして。
「バッ⁉︎ んん⁉︎ んーっ‼︎」
(うっせえ! 静かにしろ‼︎)
俺は背後の有生を抱き抱え、そして一番近くの自販機の影に隠れた。有生が下手に騒がないよう、その口も手で塞ぎながら。
流石に急過ぎたか。有生は体をジタバタ捻りながら俺の拘束から抜け出よう抵抗を試みる。俺はそんな有生を抑え込みながら顎でカーブミラーの方を指した。
「……」
カーブミラーに映る親父とアキの姿を見て、有生は大人しくなる。
カーブミラーには、いかにも同情を誘えそうな見窄らしい姿をした親父と、小学校の通学リュックを背負ったアキの姿が映っている。アキは学校帰りだろうか? 確か週に一回は通っていて、今日は学校に行くかもとか言ってたな。
なんにせよ、そんな二人の姿を視認した事で有生も俺の行動の意図を察したようだ。こいつ、やっぱり頭か勘か、もしくはその両方が人より優れているんだな。有生は俺の親父を知らない。イオンで一度会ってはいるものの、それは親父ではなく演技をした親父の姿だ。だから本当なら、有生は俺に付き合ってこそこそ息を潜める必要がない。堂々と二人の前に出て行って、Switchを返せと怒鳴りつければいいだけなんだ。
けれども有生はそうはしなかった。俺の雰囲気で察したのか、カーブミラーに映る暗い表情のアキと明るい表情の親父に違和感を覚えたのか、有生は俺に合わせて息を潜める選択をしてくれた。
「悪い。案内出来るのはここまでっぽい。昨日の今日で頼めた義理じゃねえのはわかるけど、俺今から大事な用があんだよ。邪魔しないでくれ」
有生の口と体から手を離して拘束を解いた。
カーブミラーに映る二人が曲がり角まで差し掛かった。どうやらここで一つの運試しが始まるらしい。俺達が隠れているのは自販機の裏。もしあの二人が曲がり角を曲がってこっち側に進んで来たら、全てが終わる。自販機の裏に隠れる身長差凸凹コンビとか目立つにも程あるわ。
しかしそんな心配事は杞憂に終わる。運試しの結果は、見事女神様が俺達に微笑んでくれた。二人が曲がった先は俺達とは正反対の道。俺は安堵の溜息を吐いて二人の尾行を続けた。……いや。
(何でついて来てんだよ)
尾行を続けたのは俺ではなく俺達か。俺は有生に問いかけるも、有生からの返答はなし。あくまで無視を貫くつもりらしい。この足手纏いをなんとかしたい所だけど、ここで下手に争って目立つのが一番最悪な選択なのは分かりきっているしな……。
(バレたら殺すぞ)
仕方がないので俺はそれだけ言って尾行を再開した。
これを幸運と言うのはどうかと思うけど、幸運な事に二人の目的地はカーブミラーの場所から十五分程で到着したスーパーだった。と言うことは今日のメインは転売品の確保じゃなくて食料品の調達か。大型ショッピングモールに行く時は電車やバスの移動になるだろうし、そんな密室に入られたら尾行はその場で終わりだったな。近場のスーパーを選んでくれてよかったよ。
二人が静かに入店するのを確認し、俺はスマホのカメラを起動する。
「……」
でも、どうだろう。イオンのような大型ショッピングモールならまだしも、一般的な狭いスーパーでスマホを構えて店内を彷徨くのは流石に目立つよな。スマホを動画撮影状態のまま胸ポケットに入れるって手段もあるけど、それだと上手く撮影出来る保証がない。それに胸ポケットに入れたまま撮影するには、否が応でもアキや親父と一直線上の位置関係になるよう立つ必要がある。
何より一番の問題は親父だ。七年前、親父は盗みを俺とアキに一任して、自分は遠くから店員や万引きGメンの存在を警戒しつつ、場合によっては自分が肉壁となる事で万引きを実行する俺達の姿を隠したりしていた。抜け目がないんだよ、あいつ。
俺みたいなデカい体の子供が、あの狭い通路の中で親父やアキの視線を掻い潜りながら犯行現場を撮影出来るのか? ただでさえ俺の顔は強烈に親父の印象に残っているだろうに……。
「有生」
「……」
だから俺は有生に呼びかけた。有生は相変わらず無視の姿勢を決め込むが、構わず言葉を漏らし続ける。
「今からアキと親父はあそこで万引きをする。その様子を撮って来て欲しいって頼んだら、協力してくれるか?」
有生の表情に変化が現れた。驚いたような顔を俺に向ける。……が、すぐにその眉間には皺が寄り、間抜けな表情は攻撃的な表情へと切り替わった。
「てめえ、昨日私に何したか覚えてるよな?」
そしてようやく有生の重たい口が開いた。
「あぁ。覚えてる」
「私に物を頼める立場だと思うか?」
「思わない」
「大体そんなもん撮って何する気だよ?」
「警察に突き出す」
「……」
「親父を牢屋に入れる。あいつは……、社会に出ていい人間じゃねえから」
有生の顔に迷いが生まれる。俺の事を疑っているのは明白だ。有生は親父の本性は知らないが、俺の本性は知っている。腰の低い娘想いな父と、自分を散々な目に合わせたクラスメイトの主張。怪しいのはどう考えても俺の方だ。
「でも俺だとどうしても目立つ。通路でばったり鉢合わせでもしたらそれで終わりだ。だから」
パシんと。手のひら同士を叩きつけるように。俺の言葉を遮るように。有生は俺からスマホを奪い取った。
「腰落とせ」
そして俺にそんな指示を出した。時間もないので俺は有生の指示を素直に聞き入れ、その場で中腰になる。中腰になったその瞬間、有生の右ストレートが俺の鼻と衝突した。
「……」
こんな非力で小さな女のパンチでも、真正面から直撃すると鼻血は出るらしい。ってかそこは普通ビンタとかじゃねえの? 本当男よりも男らしい。
俺の顔にパンチを決めると、有生はすぐさまスーパーの方を向く。やってくれるって事でいいんだろう。
「言っとくけど俺の親父、キレたら何するかわかんねえぞ。人を殺した事があるって言われても驚かねえし」
なのにどうして俺はそんな余計な一言を付け加えてしまったんだろう。有生の気が変わっで一番不都合なのは俺だって言うのに。……まぁ。
「あ、そ」
有生は俺の警告なんて気にも止めなかったけど。多分、有生は親父の本性と対面した事がないからそんな気構えでいられるんだろう。あいつの暴力性を目の当たりにしたらこいつだって……。
……。
いや。仮に親父の本性を目の当たりにしても、こいつなら構わず突っ掛かって行くような気がしてしまった。
「ダイチ。今ので許したわけじゃねえぞ。全部終わったらもう一発殴るからその気でいろ」
店に突入する前に、有生はそんな一つの交換条件を俺に提示した。あの狂人の犯行現場を押さえに行く報酬としては破格過ぎる安さだ。一発どころか殴られ放題でもお釣りが出る。ただでさえこんなちんちくりんの腕力なんて屁でもないと言うのに。
「たった一発か?」
「たった? 舐めてんじゃねえよ。お前まさか顔や腹を殴られるとでも思ってんのか?」
「……」
「片玉潰してやるよ」
有生は中指を立てながらそう言い放ち、スーパーの中へと入っていった。
やっぱそこそこ高えわ……、その交換条件。俺は歩道の端っこまで移動し、ガードレールに腰を下ろしながら有生の帰りを待った。
バスが目的地に着く直前で目が覚めた。思えばこの場所に来るのも三日連続か。それで体が乗車時間を覚えてしまったのかもしれない。まぁ乗り過ごした所で終点間際だしそこまで大きな問題にはならないけれど。
懐かしい夢を見ていた気がする。とても懐かしい悪夢を。叶う事なら二度と思い出したくないような苦い経験を。
あれだけの出来事があってもなお、俺は再びこの地に足を踏み入れた。目的は妹を救う為に……なんて、そんな大それた大義名分はない。この目的が果たされれば結果的にアキを救う事にはなるだろうけれど、メインはそっちじゃなくて。
昨日の夜、見知らぬ番号から何度も電話がかかって来た。直感が俺に伝える。決してその電話に出てはいけないと。事実、十回にも及ぶ着信の後には『電話出ろよ。住所割れてんだぞ』なんてメッセージが届いたわけだし。
昨日、スマホを取られた時に色々な情報を見られてしまった。体のあちこちが震え、気が気ではなかった。あいつの頭のネジの緩さは、他でもない俺自身がよく知っている。俺の頭で想像出来うる限りの難事が脳裏を過った。またあの親父に支配されながら万引きを続ける自分の姿、あの親父の命令で今の家から金目の物を盗み取る自分の姿、あの親父が今の家に乗り込んで来る姿。その他諸々。
だから俺はここに来たんだ。ただただ自分の身を守る為に来た。あの親父はきっと、今日も子供を使って万引きを実行するだろう。今日実行されなくとも、実行されるまで何日でも通い詰めてやるつもりだし、運が良ければアキへの虐待現場を押さえる事も出来るだろう。その現場をスマホで盗撮出来次第、俺は警察に駆け込む。
バレたら間違いなくただじゃ済まないだろうな。……でも、やるしかねえじゃねえか。折角七年もの間、平和と向き合いながら生きられるようになったんだ。この平和を手放してたまるかよ。
バスが減速し、そしてバス停の前で完全に停止する。昨日や一昨日とは違い、今日は互いに無駄口を叩く事なく俺と有生はバスを降りた。
有生がこの場に居るのはただの偶然だ。たまたま目的地が同じなだけの偶然。無駄口どころか俺達は今日、たったの一度も口を利いちゃいない。昨日のあの後で、どんな会話が出来るんだって話だ。
目は何度か合った。教室に入った時、休み時間の時、掃除の時、授業中にプリントを配っていた時。でも、それだけだ。有生は俺と目が合うと、怒りも悲しみも微塵も感じ取れない表情で俺から視線を逸らした。
俺はそんな有生の視線に懐かしささえ覚えてしまう。まるで二年前の転校して来たばかりの有生のようだった。有生の中で、俺という存在が嫌いなクラスメイトから無関心なクラスメイトに成り果てたのがわかった。
帰りの会が終わって、俺はすぐに学校を出た。万引きに行くアキと親父を待ち伏せて、二人を尾行する為に。そんな俺と行動を共にするように、有生も俺の後をついて来た。……いや、ついて来た訳じゃないか。目的地が同じなだけだ。
俺達は視線も合わさず、会話も交わさず、しかし昨日の行動を再現するようにコインロッカーに鞄を預けて同じバスに乗り込んだ。
「今ならまだSwitchを取り戻せるとか思ってる?」
バスを降りて、有生に問いかけた。
「昨日のあれは全部嘘で、アキの家に行けばまだ自分のSwitchがあるかもとか。そう思ってる?」
案の定、有生は何も答えない。俺を無視しているのか、そもそも俺の言葉が耳に届いていないのか、ひたすら無言を貫いてゴソゴソと自分のポケットを探っていた。
「諦めろバーカ。そもそもどうやってアキんち探すわけ? 俺に頼るか? ……って」
そして俺は絶句した。有生が取り出したのは二本のL字型の金属棒だったからだ。
「お前それあれじゃね? 水源とか温泉とか油田とかをダウジングするやつ。それでアキんち探す気?」
「……」
「またお決まりの私なら出来んだよって奴か? 馬鹿じゃねえの?」
「……」
有生は相変わらず何も答えない。俺の言葉には耳も傾けず、早速歩き出したもんだから俺は溜息を吐くしかなかった。溜息を吐いて、文字通りの意味で有生の後ろ髪を引っ張った。
「いっでぇ⁉︎」
それが今日、初めて聞いた有生の声だ。俺は有生の髪から手を離して言葉を続ける。
「こっち」
無気力だった有生の表情に、ほんの僅かな驚きが宿った。
「信じるなら勝手について来い。信じないなら勝手に探してろ。その代わりついて来るなら俺の邪魔だけはすんな」
有生がどっちの選択をしたのかは、俺の背後からついてくる小さな足音が教えてくれた。
俺達は足を進める。アキの家はバス停からそう離れてはいない。バス停まで徒歩十分という距離だ。昔と同じなら親父が万引きに行くのは客数の増える夕方頃。時間的にはまだ余裕があると思うけど、だからと言ってのんびり歩いた結果二人は出発済みでしたじゃ話にならない。俺は歩幅を広げ、早足気味に移動する。
少しして、背後の足音が慌ただしくなるのが聞こえた。また、黒い車やそのサイドミラーに映る有生の顔に汗粒が浮かんでいるのも見えた。そりゃそうか。身長も足の長さも圧倒的に長い俺の早歩きに、百四十センチにも満たないちんまりとした体でついて来ようとしてるわけだし。
俺は歩行のスピードを落とす。別に有生を思っての事じゃない。俺の近くでドタバタ足音を立てられて、親父達に見つかったらたまったもんじゃないからだ。陽の照りつける歩道ど真ん中を避け、建物の影になる道を選んで歩くようにしたのも、ただ単に俺が暑かっただけだった。俺は一旦足を止め、額に浮かぶ数滴の雫を拭い取る。目的地までの目印である、曲がり角に設置されたサイドミラーに目を向け、そして。
「バッ⁉︎ んん⁉︎ んーっ‼︎」
(うっせえ! 静かにしろ‼︎)
俺は背後の有生を抱き抱え、そして一番近くの自販機の影に隠れた。有生が下手に騒がないよう、その口も手で塞ぎながら。
流石に急過ぎたか。有生は体をジタバタ捻りながら俺の拘束から抜け出よう抵抗を試みる。俺はそんな有生を抑え込みながら顎でカーブミラーの方を指した。
「……」
カーブミラーに映る親父とアキの姿を見て、有生は大人しくなる。
カーブミラーには、いかにも同情を誘えそうな見窄らしい姿をした親父と、小学校の通学リュックを背負ったアキの姿が映っている。アキは学校帰りだろうか? 確か週に一回は通っていて、今日は学校に行くかもとか言ってたな。
なんにせよ、そんな二人の姿を視認した事で有生も俺の行動の意図を察したようだ。こいつ、やっぱり頭か勘か、もしくはその両方が人より優れているんだな。有生は俺の親父を知らない。イオンで一度会ってはいるものの、それは親父ではなく演技をした親父の姿だ。だから本当なら、有生は俺に付き合ってこそこそ息を潜める必要がない。堂々と二人の前に出て行って、Switchを返せと怒鳴りつければいいだけなんだ。
けれども有生はそうはしなかった。俺の雰囲気で察したのか、カーブミラーに映る暗い表情のアキと明るい表情の親父に違和感を覚えたのか、有生は俺に合わせて息を潜める選択をしてくれた。
「悪い。案内出来るのはここまでっぽい。昨日の今日で頼めた義理じゃねえのはわかるけど、俺今から大事な用があんだよ。邪魔しないでくれ」
有生の口と体から手を離して拘束を解いた。
カーブミラーに映る二人が曲がり角まで差し掛かった。どうやらここで一つの運試しが始まるらしい。俺達が隠れているのは自販機の裏。もしあの二人が曲がり角を曲がってこっち側に進んで来たら、全てが終わる。自販機の裏に隠れる身長差凸凹コンビとか目立つにも程あるわ。
しかしそんな心配事は杞憂に終わる。運試しの結果は、見事女神様が俺達に微笑んでくれた。二人が曲がった先は俺達とは正反対の道。俺は安堵の溜息を吐いて二人の尾行を続けた。……いや。
(何でついて来てんだよ)
尾行を続けたのは俺ではなく俺達か。俺は有生に問いかけるも、有生からの返答はなし。あくまで無視を貫くつもりらしい。この足手纏いをなんとかしたい所だけど、ここで下手に争って目立つのが一番最悪な選択なのは分かりきっているしな……。
(バレたら殺すぞ)
仕方がないので俺はそれだけ言って尾行を再開した。
これを幸運と言うのはどうかと思うけど、幸運な事に二人の目的地はカーブミラーの場所から十五分程で到着したスーパーだった。と言うことは今日のメインは転売品の確保じゃなくて食料品の調達か。大型ショッピングモールに行く時は電車やバスの移動になるだろうし、そんな密室に入られたら尾行はその場で終わりだったな。近場のスーパーを選んでくれてよかったよ。
二人が静かに入店するのを確認し、俺はスマホのカメラを起動する。
「……」
でも、どうだろう。イオンのような大型ショッピングモールならまだしも、一般的な狭いスーパーでスマホを構えて店内を彷徨くのは流石に目立つよな。スマホを動画撮影状態のまま胸ポケットに入れるって手段もあるけど、それだと上手く撮影出来る保証がない。それに胸ポケットに入れたまま撮影するには、否が応でもアキや親父と一直線上の位置関係になるよう立つ必要がある。
何より一番の問題は親父だ。七年前、親父は盗みを俺とアキに一任して、自分は遠くから店員や万引きGメンの存在を警戒しつつ、場合によっては自分が肉壁となる事で万引きを実行する俺達の姿を隠したりしていた。抜け目がないんだよ、あいつ。
俺みたいなデカい体の子供が、あの狭い通路の中で親父やアキの視線を掻い潜りながら犯行現場を撮影出来るのか? ただでさえ俺の顔は強烈に親父の印象に残っているだろうに……。
「有生」
「……」
だから俺は有生に呼びかけた。有生は相変わらず無視の姿勢を決め込むが、構わず言葉を漏らし続ける。
「今からアキと親父はあそこで万引きをする。その様子を撮って来て欲しいって頼んだら、協力してくれるか?」
有生の表情に変化が現れた。驚いたような顔を俺に向ける。……が、すぐにその眉間には皺が寄り、間抜けな表情は攻撃的な表情へと切り替わった。
「てめえ、昨日私に何したか覚えてるよな?」
そしてようやく有生の重たい口が開いた。
「あぁ。覚えてる」
「私に物を頼める立場だと思うか?」
「思わない」
「大体そんなもん撮って何する気だよ?」
「警察に突き出す」
「……」
「親父を牢屋に入れる。あいつは……、社会に出ていい人間じゃねえから」
有生の顔に迷いが生まれる。俺の事を疑っているのは明白だ。有生は親父の本性は知らないが、俺の本性は知っている。腰の低い娘想いな父と、自分を散々な目に合わせたクラスメイトの主張。怪しいのはどう考えても俺の方だ。
「でも俺だとどうしても目立つ。通路でばったり鉢合わせでもしたらそれで終わりだ。だから」
パシんと。手のひら同士を叩きつけるように。俺の言葉を遮るように。有生は俺からスマホを奪い取った。
「腰落とせ」
そして俺にそんな指示を出した。時間もないので俺は有生の指示を素直に聞き入れ、その場で中腰になる。中腰になったその瞬間、有生の右ストレートが俺の鼻と衝突した。
「……」
こんな非力で小さな女のパンチでも、真正面から直撃すると鼻血は出るらしい。ってかそこは普通ビンタとかじゃねえの? 本当男よりも男らしい。
俺の顔にパンチを決めると、有生はすぐさまスーパーの方を向く。やってくれるって事でいいんだろう。
「言っとくけど俺の親父、キレたら何するかわかんねえぞ。人を殺した事があるって言われても驚かねえし」
なのにどうして俺はそんな余計な一言を付け加えてしまったんだろう。有生の気が変わっで一番不都合なのは俺だって言うのに。……まぁ。
「あ、そ」
有生は俺の警告なんて気にも止めなかったけど。多分、有生は親父の本性と対面した事がないからそんな気構えでいられるんだろう。あいつの暴力性を目の当たりにしたらこいつだって……。
……。
いや。仮に親父の本性を目の当たりにしても、こいつなら構わず突っ掛かって行くような気がしてしまった。
「ダイチ。今ので許したわけじゃねえぞ。全部終わったらもう一発殴るからその気でいろ」
店に突入する前に、有生はそんな一つの交換条件を俺に提示した。あの狂人の犯行現場を押さえに行く報酬としては破格過ぎる安さだ。一発どころか殴られ放題でもお釣りが出る。ただでさえこんなちんちくりんの腕力なんて屁でもないと言うのに。
「たった一発か?」
「たった? 舐めてんじゃねえよ。お前まさか顔や腹を殴られるとでも思ってんのか?」
「……」
「片玉潰してやるよ」
有生は中指を立てながらそう言い放ち、スーパーの中へと入っていった。
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だが、使用できるのは攻撃魔法ではなく回復魔法のみだった。
攻撃魔法を一切使えない彼は、冒険者達からも距離を置かれていた。
彼は誓う、俺は回復魔法で最強になると。
---------
もし気に入っていただけたら、ブクマや評価、感想をいただけると大変励みになります!
#ヒラ俺
この度ついに完結しました。
1年以上書き続けた作品です。
途中迷走してました……。
今までありがとうございました!
---
追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
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