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第2.5章 魔女と日常の話
生肉はどこ ③
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「「ふっかーーーーつ!」」
時刻は午後十二時半。チムジルバンを出た私達は真夏の太陽目掛けて大きな声で叫んだ。体が軽い、頭が軽い、この両方が軽くなると心までも軽くなる。
「いやー、無理して街に出ないで良かったね?」
「本当ですよ! 体が軽すぎて通行人を片っ端からぶん殴りたい気分です!」
「ダメだからね」
軽い朝食を終えた私達は、五階の仮眠室で二時間程仮眠を取ったあと、折角だから大浴場でもう一風呂浴びてからチムジルバンを後にした。マッサージ中の仮眠も含めれば合計三時間強は寝れたかな? おかげで頭が冴えてとても気分が良い。
「時間的にもお昼だし丁度いい休憩になったかな。ていうかサウナ行かなかったら早朝五時に街を彷徨ってたわけか……。本当休憩して正解だったよ」
「サチ! 私今めっちゃお腹空いてるんですけど!」
「私も。お昼食べに行こっか? ちなみにお昼の後にやりたい事とかある?」
「北朝鮮との国境行って一歩だけ踏み込んでみたいです!」
「ダメです」
私達はお昼のお店を探しに、人で賑わう市街地へと足を踏み入れた。
「な、ま、に、く、な、ま、に、く」
よっぽど生肉が楽しみだったんだろう。上機嫌に鼻歌を歌いながら、スキップにも近い足取りでりいちゃんは歩く。
「それなんだけどさ、生肉は夜にしない? 生肉を食べるならやっぱり焼肉屋さんとかになるだろうし、夜の方がいいでしょ?」
「あー……、確かに。じゃあお昼どこにしましょうか? ……あ! マック! サーティワンにロッテリアにセブンイレブンもありますよ! どこ行きます?」
「日本にないの」
でも実際どこで食べようか。私が最後に韓国旅行に来たのは大学時代だし、あれから相当年月も経った。かつての知識は使い物にならないと思っていいだろう。そこで私は少し考えて一旦立ち止まり、りいちゃんの背後に回って目隠しをした。
「よし、こうしよう。りいちゃん、今から鼻で深呼吸して? それで良い匂いがした方向を指差して、そのお店に入ろうよ」
「出た! 年に一回あるかないかのサチがめっちゃ良い事言う時!」
「私結構普段からいい事言うように心掛けてるつもりなんだけど……」
それはともかくとして、りいちゃんは鼻先に神経を集中させて周囲の匂いを嗅ぎ取った。そうしてりいちゃんが指差した方角にあったお店は……。
「チーズタッカルビかー。チーズハットグとかタピオカが流行ってた時に一緒に流行ってたよね?」
「一時期YouTuberとかめっちゃ食ってましたよね。なんでYouTuberって有名になると流行り物の大食い企画とかばっかになるんですかね」
店員さんに奥のテーブル席へと案内され、料理が来るのをしばし待つ。ここのメニュー表には日本語表記がなかったものの、拙い英語とボディランゲージ、そして何よりメリムちゃんの協力のおかげで注文は難なく告げる事が出来た。
「それにしてもここ、でっけえテーブルばっかですね。一人飯とかしにくそう」
「んー。韓国ってそもそも一人ご飯って文化があまりないみたい。注文は最低でも二人前からで、一人でご飯屋さんに入ろうものなら退店を願われたりする事もあるらしいよ」
「私この国じゃ生きてけないですね……」
「最近友達増えて来てるでしょ……?」
それから少しして、店員さんがいくつかのおかずを持ってくる。と言ってもチーズタッカルビはまだお預けだ。おかずの殆どはキムチや漬物類を中心とした野菜ばかりである。
「えー! 何でこんな野菜ばっか頼んでんですか!」
「私じゃないよ、これも韓国の文化。ご飯を頼んだらキムチとかナムルみたいなオカズも無料で大量に出して貰えるの」
「どうせくれるなら肉類出してくれりゃいいのに……」
「それも文化だよ。世界の野菜消費量ランキングって毎年中国ギリシャ韓国が独占してるみたいだし」
野菜は嫌いだけど出された物はしっかり食べる。そんな意地を持つりいちゃんは、渋々ながらもテーブルに並んだ前菜の数々に箸を伸ばした。
「あれ? これ野菜じゃない」
ふと、りいちゃんが煮豆のような食材を一口頬張る。かなり長時間煮詰められているのか、その豆はとても萎びているように見えた。でもりいちゃん、美味しそうな顔をしてるな。見た事がない料理だし私もちょっと気になるかも。りいちゃんに続いて私も豆に箸を伸ばし一粒食べてみると。
「本当だ、噛んだら甘辛いタレが出てきてちょっとジューシーかも。臭いは気になるけど慣れたら癖になりそう。これなんだろう?」
私は手を上げてエクスキューズミーと店員さんを呼び止め、私なりに精一杯の英語でこの食材の解説を求めてみた。でも困った事にこの店員さん、英語も日本語もてんでダメだ。ボディランゲージを駆使しながらなんとか韓国語で伝えられないものかと頑張ってくれてはいるけれど、その姿に罪悪感を覚えてしまう。
「サ、サンキュー!」
結局私は意味が伝わったフリをしてなんとかその場を切り抜けた。別に店員さんから直接聞き出す必要もないからね。なんせこっちには万能翻訳機があるのだから。
「で、メリムちゃん。店員さん何だって?」
【虫】
「ん?」
【だから虫だよ虫。ポンテギっつって、蚕の蛹を煮たやつだってよ】
「……」
「へー! 蚕ってあれだろ? 糸作る虫。あれって食えるんだな。こんな機会滅多にねえし食っとこ食っとこ」
……。
「いやー! めっちゃ美味かったですね!」
「……」
「サチ?」
「……え? あれ?」
気がつくと私達はお店を後にしていた。何故だろう。私の身に何が起きたのか全く思い出せない。腹部に手を当てると私の胃袋は膨らんでいる。ご飯を食べた事に間違いはないのだろうけれど……。
「私、ご飯食べたの……?」
「何言ってんですか。まだボケる年齢じゃないでしょう?」
「そのはず……なんだけど……」
拭いきれないモヤモヤは残っていたものの、しかしこの程良い満腹感よ。胃袋に新しく食べ物の入るスペースがないのは感覚でなんとなくわかる。折角海外まで来たのに美味しい物を味わった記憶がないのは勿体ない事だと思うけど、物理的に入らない物は入らないからな……。後髪を引かれる思いを断ち切れぬまま、私達は市内観光に向けて次の目的地へと足を伸ばした。
そこから私達は交互に行きたい場所を巡る事にした。例えば私はインスタ映えしそうなスポットで、りいちゃんと色んなポーズを取りながら記念写真撮ったり。
「何でわざわざ二回撮るんですか?」
「一つはりいちゃんとの記念撮影用。もう一つはお店の宣伝も兼ねてインスタに上げる用の自撮り」
「サチSNSやってましたっけ? Twitterとかには上げないんですか?」
「あんな陰湿なクソしかいないSNSは二度とやらない」
「過去に何かやらかしたんですか……?」
例えばりいちゃんは屋台でトッポギを食べたり。
「うんめ! うんめ! トッポギうんめ!」
例えば私はコスメショップで買い物したり。
「ちょっと待って、メディヒールのフェイスパックが十枚入りで8500ウォン⁉︎ 日本円で八百円ちょっとじゃん! これ日本で買ったら三千円はするのに……。え⁉︎ OPIのマニキュアが二本で二千円⁉︎ しかも二本買えば二本おまけ⁉︎ ……買う。買う買う買う! 全部買う! お店のみんなにお土産で渡してめっちゃマウント取る!」
「サチー、暇ー」
例えばりいちゃんは屋台でハットグを食べたり。
「うんめ! うんめ! ハットグうんめ!」
例えば私はショッピングモールでお洋服を物色したり。
「何ここ……、お洋服が殆ど千円じゃん。わー、このクロップいいなー! あ、この半袖ワンピとか今の季節ピッタリだよね? 最近十月になっても微妙に暑いし今買ってもまだまだ使えるよ。って、待って待って! こんな感じのツイード欲しかったんだ! これは……千円じゃないのか。いやそれでも千九百円なら全然ありすぎるよ……!」
「サチー、暇ー」
例えばりいちゃんは屋台でチヂミとキンパを食べたり。
「うんめ! うんめ! チヂミうんま! キンパもうんま!」
思い思いに行きたい場所を巡りながら、それぞれの観光を楽しんだ。
午後十八時。
「いやー! あちこち歩き回ったもんだからめっちゃお腹空きましたね!」
「お腹空いてるの……?」
私達は韓国最後の食事をするべく、生肉も食べれて焼肉も堪能できるサムギョプサルのお店に訪れていた。国内旅行なら地元民のみぞ知る穴場のお店とか探したりもするけれど、流石に海外旅行でそこまでの冒険をする勇気はなく、選んだお店は観光地のど真ん中に佇む無難で有名なお店だ。周りのお客さんの話し声に耳を傾けるとポツポツと日本語が聞こえてくるし、日本語で注文を受ける店員さんの姿も見受けられる。穴場よりも安心感の方が大切だよね。
「もう夕方かー。一日早かったねー? 何かやり残した事とかある?」
「そりゃありますよ。パラサイトに出て来た半地下家族見物しながら現金とかばら撒いてみたかったですし」
「こら」
「北朝鮮行ってどこまでやらかしたら殺されるかも試してみたかったですし」
「こらこら」
「まぁでも概ね満足ですね。美味いもん沢山食えましたし、珍しいもんも見れました。珍しいもんって言えば電車で座ってた時、私の膝に懐中電灯乗っけて来たやべえおばちゃんいたじゃないですか。あいつ何だったんですかね?」
「あー……あれ初めて見たら驚くよね。韓国の鉄道によく出没する無許可の行商人みたいだよ。私も昔韓国旅行した時、靴磨きのクリーム買わされたな……。座ってる人の靴をいきなり磨き出して実演販売するもんだから怖くて怖くて……」
そんな思い出話にふける事数分。いよいよ店員さんが各種お肉を持ってやって来る。テーブルに並ぶ複数の前菜とお肉達。韓国ってご飯を頼むと無料で沢山の前菜を貰えるんだよね。キムチに、玉ねぎの甘辛漬けに、ナムルに、あとなんだろう、この長時間煮詰めて萎びた豆のような……。
「うっ……⁉︎」
私は頭を抱えた。
「サチ⁉︎ どうしたんですか急に⁉︎」
「わ、わかんない……。でもなんか急に頭が……記憶が……っ」
「そっすか。じゃあ私先に食べてますね」
「りいちゃん最近冷たいよね」
無礼を言い合える仲になったのはなんとなくわかるけれど、それはそれで気を遣ってくれた頃のりいちゃんが恋しくてたまらなかった。
鉄板の上に長く、それでいて分厚いお肉が二枚並べられる。お客さんと一緒に新大久保でサムギョプサルを食べた事はあるけれど、あれでもここまで分厚くはなかったなぁ。これ何センチくらいあるんだろ? そんじょそこらのステーキより確実に分厚いや。
「サチ。これ、ある程度焼けたら切り分けるんでよね?」
「そうだよー。流石にこんなの口に入りきらないし」
「あの……一生のお願いがあるんですけど、私の分は切らないで貰ってもいいですか? 巨大な肉に齧り付くの、昔からの夢で……」
「やだよ。そんな目立つ食べ方する人と同じ席につく私の身にもなってよ。ていうか魔女って千年以上も寿命あるんでしょ? こんな事に一生のお願い使っていいの? 本当にそれでいいの?」
「でも……夢で。本当に昔からの夢で……。私来年の春には魔界に帰るのに……っ、うぅっ……!」
「そんな事で泣かないでよ……」
とは言うものの、実際この子の涙に弱いのは他でもない私自身がよく理解しているわけで。
「わかったよ……。その代わり周りの人に見えないようにこっそり食べてよね?」
「ッシャオラァ!」
「……」
ま、どうせ嘘泣きだろうとは思っていたけどね。
しばらく経ってお肉を裏返す。そのタイミングで店員さんがやって来た。本日の主役、りいちゃん最大の目的である生肉を持って。
「うおぉ……っ!」
りいちゃん、今日一番目を輝かせてるな。まぁ気持ちはわからないでもないけど。私もこんなだとは思わなかった。一応写真付きのメニューは見たけれど、遠近感のわからない写真と実物とでは迫力が違う。日本の焼肉屋さんみたいに小皿に盛り付けられてくると思ったのに、まさかこんな大皿で運ばれてくるなんて……。
テーブルの上に置かれた二枚の大皿。一枚は牛肉ユッケで、中央に乗った一つの卵黄が心許ないと思ってしまう程、お皿に所狭しと生肉が敷き詰められている。
そしてもう一枚のお皿に鎮座するは牛の生レバー様。今の日本では決して味わえない内臓生食
界の王だ。薄切りじゃなく、サイコロのように角切りされているせいで立体感が際立ち、余計ボリューミーに見えてしまう。
「あの、いいんですよね? 本当に食べていいんですよね?」
「もちろん。その為に来たんでしょ?」
私の許可が降りた所で、りいちゃんは早速卵黄に箸を刺し周囲の牛肉と混ぜ合わせる。そして黄色の衣を纏ったその生肉を待ってましたとばかりに頬張った。りいちゃんの反応は……。
「……」
りいちゃんの反応はとても静かな物だった。あのりいちゃんが何も喋らないのだ。いつもなら上品さの欠片も見当たらない言動でうまいうまいと褒めちぎるのに。
でも、りいちゃんが牛肉ユッケに満足しているのは手に取るようにわかる。満面の笑みを浮かべているんだもん。顔も赤らめて、ほっぺに手なんか当てちゃって。まるで本当にほっぺが落ちないように支えているみたい。
あーあ。やっぱこういうのだな。私はこの子の涙に弱いけれど、この子の笑顔にはもっと弱いんだ。こんなのを見せられたらどんどん甘やかしたくなっちゃう。親になるって難しいや。
「美味しい?」
りいちゃんは口を固く閉ざしたまま首を縦に大きく振る。口を開けて答えたら、折角のお肉が溢れ出てしまうと警戒しているようにも見えて、その面白おかしい姿に思わず私まで笑顔になってしまった。
「そっかそっか。じゃあこっちも食べてみてよ。日本じゃ絶対に食べられない生レバーだよ?」
私に促され、レバ刺しに箸を伸ばすりいちゃん。レバ刺しの先端にごま油にちょんとつけて、恐る恐る口の中へと運び込む。牛肉ユッケでこれだけの反応を見せてくれるなら、牛のレバ刺しを食べたらどんな反応を見せてくれるんだろう。
「うわなんだこれ血生臭っ。ユッケだけでいいわ」
こんな反応だった。
時刻は午後十二時半。チムジルバンを出た私達は真夏の太陽目掛けて大きな声で叫んだ。体が軽い、頭が軽い、この両方が軽くなると心までも軽くなる。
「いやー、無理して街に出ないで良かったね?」
「本当ですよ! 体が軽すぎて通行人を片っ端からぶん殴りたい気分です!」
「ダメだからね」
軽い朝食を終えた私達は、五階の仮眠室で二時間程仮眠を取ったあと、折角だから大浴場でもう一風呂浴びてからチムジルバンを後にした。マッサージ中の仮眠も含めれば合計三時間強は寝れたかな? おかげで頭が冴えてとても気分が良い。
「時間的にもお昼だし丁度いい休憩になったかな。ていうかサウナ行かなかったら早朝五時に街を彷徨ってたわけか……。本当休憩して正解だったよ」
「サチ! 私今めっちゃお腹空いてるんですけど!」
「私も。お昼食べに行こっか? ちなみにお昼の後にやりたい事とかある?」
「北朝鮮との国境行って一歩だけ踏み込んでみたいです!」
「ダメです」
私達はお昼のお店を探しに、人で賑わう市街地へと足を踏み入れた。
「な、ま、に、く、な、ま、に、く」
よっぽど生肉が楽しみだったんだろう。上機嫌に鼻歌を歌いながら、スキップにも近い足取りでりいちゃんは歩く。
「それなんだけどさ、生肉は夜にしない? 生肉を食べるならやっぱり焼肉屋さんとかになるだろうし、夜の方がいいでしょ?」
「あー……、確かに。じゃあお昼どこにしましょうか? ……あ! マック! サーティワンにロッテリアにセブンイレブンもありますよ! どこ行きます?」
「日本にないの」
でも実際どこで食べようか。私が最後に韓国旅行に来たのは大学時代だし、あれから相当年月も経った。かつての知識は使い物にならないと思っていいだろう。そこで私は少し考えて一旦立ち止まり、りいちゃんの背後に回って目隠しをした。
「よし、こうしよう。りいちゃん、今から鼻で深呼吸して? それで良い匂いがした方向を指差して、そのお店に入ろうよ」
「出た! 年に一回あるかないかのサチがめっちゃ良い事言う時!」
「私結構普段からいい事言うように心掛けてるつもりなんだけど……」
それはともかくとして、りいちゃんは鼻先に神経を集中させて周囲の匂いを嗅ぎ取った。そうしてりいちゃんが指差した方角にあったお店は……。
「チーズタッカルビかー。チーズハットグとかタピオカが流行ってた時に一緒に流行ってたよね?」
「一時期YouTuberとかめっちゃ食ってましたよね。なんでYouTuberって有名になると流行り物の大食い企画とかばっかになるんですかね」
店員さんに奥のテーブル席へと案内され、料理が来るのをしばし待つ。ここのメニュー表には日本語表記がなかったものの、拙い英語とボディランゲージ、そして何よりメリムちゃんの協力のおかげで注文は難なく告げる事が出来た。
「それにしてもここ、でっけえテーブルばっかですね。一人飯とかしにくそう」
「んー。韓国ってそもそも一人ご飯って文化があまりないみたい。注文は最低でも二人前からで、一人でご飯屋さんに入ろうものなら退店を願われたりする事もあるらしいよ」
「私この国じゃ生きてけないですね……」
「最近友達増えて来てるでしょ……?」
それから少しして、店員さんがいくつかのおかずを持ってくる。と言ってもチーズタッカルビはまだお預けだ。おかずの殆どはキムチや漬物類を中心とした野菜ばかりである。
「えー! 何でこんな野菜ばっか頼んでんですか!」
「私じゃないよ、これも韓国の文化。ご飯を頼んだらキムチとかナムルみたいなオカズも無料で大量に出して貰えるの」
「どうせくれるなら肉類出してくれりゃいいのに……」
「それも文化だよ。世界の野菜消費量ランキングって毎年中国ギリシャ韓国が独占してるみたいだし」
野菜は嫌いだけど出された物はしっかり食べる。そんな意地を持つりいちゃんは、渋々ながらもテーブルに並んだ前菜の数々に箸を伸ばした。
「あれ? これ野菜じゃない」
ふと、りいちゃんが煮豆のような食材を一口頬張る。かなり長時間煮詰められているのか、その豆はとても萎びているように見えた。でもりいちゃん、美味しそうな顔をしてるな。見た事がない料理だし私もちょっと気になるかも。りいちゃんに続いて私も豆に箸を伸ばし一粒食べてみると。
「本当だ、噛んだら甘辛いタレが出てきてちょっとジューシーかも。臭いは気になるけど慣れたら癖になりそう。これなんだろう?」
私は手を上げてエクスキューズミーと店員さんを呼び止め、私なりに精一杯の英語でこの食材の解説を求めてみた。でも困った事にこの店員さん、英語も日本語もてんでダメだ。ボディランゲージを駆使しながらなんとか韓国語で伝えられないものかと頑張ってくれてはいるけれど、その姿に罪悪感を覚えてしまう。
「サ、サンキュー!」
結局私は意味が伝わったフリをしてなんとかその場を切り抜けた。別に店員さんから直接聞き出す必要もないからね。なんせこっちには万能翻訳機があるのだから。
「で、メリムちゃん。店員さん何だって?」
【虫】
「ん?」
【だから虫だよ虫。ポンテギっつって、蚕の蛹を煮たやつだってよ】
「……」
「へー! 蚕ってあれだろ? 糸作る虫。あれって食えるんだな。こんな機会滅多にねえし食っとこ食っとこ」
……。
「いやー! めっちゃ美味かったですね!」
「……」
「サチ?」
「……え? あれ?」
気がつくと私達はお店を後にしていた。何故だろう。私の身に何が起きたのか全く思い出せない。腹部に手を当てると私の胃袋は膨らんでいる。ご飯を食べた事に間違いはないのだろうけれど……。
「私、ご飯食べたの……?」
「何言ってんですか。まだボケる年齢じゃないでしょう?」
「そのはず……なんだけど……」
拭いきれないモヤモヤは残っていたものの、しかしこの程良い満腹感よ。胃袋に新しく食べ物の入るスペースがないのは感覚でなんとなくわかる。折角海外まで来たのに美味しい物を味わった記憶がないのは勿体ない事だと思うけど、物理的に入らない物は入らないからな……。後髪を引かれる思いを断ち切れぬまま、私達は市内観光に向けて次の目的地へと足を伸ばした。
そこから私達は交互に行きたい場所を巡る事にした。例えば私はインスタ映えしそうなスポットで、りいちゃんと色んなポーズを取りながら記念写真撮ったり。
「何でわざわざ二回撮るんですか?」
「一つはりいちゃんとの記念撮影用。もう一つはお店の宣伝も兼ねてインスタに上げる用の自撮り」
「サチSNSやってましたっけ? Twitterとかには上げないんですか?」
「あんな陰湿なクソしかいないSNSは二度とやらない」
「過去に何かやらかしたんですか……?」
例えばりいちゃんは屋台でトッポギを食べたり。
「うんめ! うんめ! トッポギうんめ!」
例えば私はコスメショップで買い物したり。
「ちょっと待って、メディヒールのフェイスパックが十枚入りで8500ウォン⁉︎ 日本円で八百円ちょっとじゃん! これ日本で買ったら三千円はするのに……。え⁉︎ OPIのマニキュアが二本で二千円⁉︎ しかも二本買えば二本おまけ⁉︎ ……買う。買う買う買う! 全部買う! お店のみんなにお土産で渡してめっちゃマウント取る!」
「サチー、暇ー」
例えばりいちゃんは屋台でハットグを食べたり。
「うんめ! うんめ! ハットグうんめ!」
例えば私はショッピングモールでお洋服を物色したり。
「何ここ……、お洋服が殆ど千円じゃん。わー、このクロップいいなー! あ、この半袖ワンピとか今の季節ピッタリだよね? 最近十月になっても微妙に暑いし今買ってもまだまだ使えるよ。って、待って待って! こんな感じのツイード欲しかったんだ! これは……千円じゃないのか。いやそれでも千九百円なら全然ありすぎるよ……!」
「サチー、暇ー」
例えばりいちゃんは屋台でチヂミとキンパを食べたり。
「うんめ! うんめ! チヂミうんま! キンパもうんま!」
思い思いに行きたい場所を巡りながら、それぞれの観光を楽しんだ。
午後十八時。
「いやー! あちこち歩き回ったもんだからめっちゃお腹空きましたね!」
「お腹空いてるの……?」
私達は韓国最後の食事をするべく、生肉も食べれて焼肉も堪能できるサムギョプサルのお店に訪れていた。国内旅行なら地元民のみぞ知る穴場のお店とか探したりもするけれど、流石に海外旅行でそこまでの冒険をする勇気はなく、選んだお店は観光地のど真ん中に佇む無難で有名なお店だ。周りのお客さんの話し声に耳を傾けるとポツポツと日本語が聞こえてくるし、日本語で注文を受ける店員さんの姿も見受けられる。穴場よりも安心感の方が大切だよね。
「もう夕方かー。一日早かったねー? 何かやり残した事とかある?」
「そりゃありますよ。パラサイトに出て来た半地下家族見物しながら現金とかばら撒いてみたかったですし」
「こら」
「北朝鮮行ってどこまでやらかしたら殺されるかも試してみたかったですし」
「こらこら」
「まぁでも概ね満足ですね。美味いもん沢山食えましたし、珍しいもんも見れました。珍しいもんって言えば電車で座ってた時、私の膝に懐中電灯乗っけて来たやべえおばちゃんいたじゃないですか。あいつ何だったんですかね?」
「あー……あれ初めて見たら驚くよね。韓国の鉄道によく出没する無許可の行商人みたいだよ。私も昔韓国旅行した時、靴磨きのクリーム買わされたな……。座ってる人の靴をいきなり磨き出して実演販売するもんだから怖くて怖くて……」
そんな思い出話にふける事数分。いよいよ店員さんが各種お肉を持ってやって来る。テーブルに並ぶ複数の前菜とお肉達。韓国ってご飯を頼むと無料で沢山の前菜を貰えるんだよね。キムチに、玉ねぎの甘辛漬けに、ナムルに、あとなんだろう、この長時間煮詰めて萎びた豆のような……。
「うっ……⁉︎」
私は頭を抱えた。
「サチ⁉︎ どうしたんですか急に⁉︎」
「わ、わかんない……。でもなんか急に頭が……記憶が……っ」
「そっすか。じゃあ私先に食べてますね」
「りいちゃん最近冷たいよね」
無礼を言い合える仲になったのはなんとなくわかるけれど、それはそれで気を遣ってくれた頃のりいちゃんが恋しくてたまらなかった。
鉄板の上に長く、それでいて分厚いお肉が二枚並べられる。お客さんと一緒に新大久保でサムギョプサルを食べた事はあるけれど、あれでもここまで分厚くはなかったなぁ。これ何センチくらいあるんだろ? そんじょそこらのステーキより確実に分厚いや。
「サチ。これ、ある程度焼けたら切り分けるんでよね?」
「そうだよー。流石にこんなの口に入りきらないし」
「あの……一生のお願いがあるんですけど、私の分は切らないで貰ってもいいですか? 巨大な肉に齧り付くの、昔からの夢で……」
「やだよ。そんな目立つ食べ方する人と同じ席につく私の身にもなってよ。ていうか魔女って千年以上も寿命あるんでしょ? こんな事に一生のお願い使っていいの? 本当にそれでいいの?」
「でも……夢で。本当に昔からの夢で……。私来年の春には魔界に帰るのに……っ、うぅっ……!」
「そんな事で泣かないでよ……」
とは言うものの、実際この子の涙に弱いのは他でもない私自身がよく理解しているわけで。
「わかったよ……。その代わり周りの人に見えないようにこっそり食べてよね?」
「ッシャオラァ!」
「……」
ま、どうせ嘘泣きだろうとは思っていたけどね。
しばらく経ってお肉を裏返す。そのタイミングで店員さんがやって来た。本日の主役、りいちゃん最大の目的である生肉を持って。
「うおぉ……っ!」
りいちゃん、今日一番目を輝かせてるな。まぁ気持ちはわからないでもないけど。私もこんなだとは思わなかった。一応写真付きのメニューは見たけれど、遠近感のわからない写真と実物とでは迫力が違う。日本の焼肉屋さんみたいに小皿に盛り付けられてくると思ったのに、まさかこんな大皿で運ばれてくるなんて……。
テーブルの上に置かれた二枚の大皿。一枚は牛肉ユッケで、中央に乗った一つの卵黄が心許ないと思ってしまう程、お皿に所狭しと生肉が敷き詰められている。
そしてもう一枚のお皿に鎮座するは牛の生レバー様。今の日本では決して味わえない内臓生食
界の王だ。薄切りじゃなく、サイコロのように角切りされているせいで立体感が際立ち、余計ボリューミーに見えてしまう。
「あの、いいんですよね? 本当に食べていいんですよね?」
「もちろん。その為に来たんでしょ?」
私の許可が降りた所で、りいちゃんは早速卵黄に箸を刺し周囲の牛肉と混ぜ合わせる。そして黄色の衣を纏ったその生肉を待ってましたとばかりに頬張った。りいちゃんの反応は……。
「……」
りいちゃんの反応はとても静かな物だった。あのりいちゃんが何も喋らないのだ。いつもなら上品さの欠片も見当たらない言動でうまいうまいと褒めちぎるのに。
でも、りいちゃんが牛肉ユッケに満足しているのは手に取るようにわかる。満面の笑みを浮かべているんだもん。顔も赤らめて、ほっぺに手なんか当てちゃって。まるで本当にほっぺが落ちないように支えているみたい。
あーあ。やっぱこういうのだな。私はこの子の涙に弱いけれど、この子の笑顔にはもっと弱いんだ。こんなのを見せられたらどんどん甘やかしたくなっちゃう。親になるって難しいや。
「美味しい?」
りいちゃんは口を固く閉ざしたまま首を縦に大きく振る。口を開けて答えたら、折角のお肉が溢れ出てしまうと警戒しているようにも見えて、その面白おかしい姿に思わず私まで笑顔になってしまった。
「そっかそっか。じゃあこっちも食べてみてよ。日本じゃ絶対に食べられない生レバーだよ?」
私に促され、レバ刺しに箸を伸ばすりいちゃん。レバ刺しの先端にごま油にちょんとつけて、恐る恐る口の中へと運び込む。牛肉ユッケでこれだけの反応を見せてくれるなら、牛のレバ刺しを食べたらどんな反応を見せてくれるんだろう。
「うわなんだこれ血生臭っ。ユッケだけでいいわ」
こんな反応だった。
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ハヤトは15歳、中学3年生の時に異世界に召喚され、7年の苦労の後、22歳にて魔族と魔王を滅ぼして日本に帰還した。帰還の際には、莫大な財宝を持たされ、さらに身につけた魔法を始めとする能力も保持できたが、マナの濃度の低い地球における能力は限定的なものであった。しかし、それでも圧倒的な体力と戦闘能力、限定的とは言え魔法能力は現代日本を、いや世界を大きく動かすのであった。
4年前に書いたものをリライトして載せてみます。
攻撃魔法を使えないヒーラーの俺が、回復魔法で最強でした。 -俺は何度でも救うとそう決めた-【[完]】
水無月いい人(minazuki)
ファンタジー
【HOTランキング一位獲得作品】
【一次選考通過作品】
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とある剣と魔法の世界で、
ある男女の間に赤ん坊が生まれた。
名をアスフィ・シーネット。
才能が無ければ魔法が使えない、そんな世界で彼は運良く魔法の才能を持って産まれた。
だが、使用できるのは攻撃魔法ではなく回復魔法のみだった。
攻撃魔法を一切使えない彼は、冒険者達からも距離を置かれていた。
彼は誓う、俺は回復魔法で最強になると。
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#ヒラ俺
この度ついに完結しました。
1年以上書き続けた作品です。
途中迷走してました……。
今までありがとうございました!
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追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
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