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終章:窓の向こうでアンコール(4)
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二年前の一月、人生初の美術館で見た水彩画。木陰で弁当を食べる幼児ふたり。
C.S.——笹山千佳——の作品に描かれていたのは、間違いなく幼稚園の時の僕らの姿だった。
気づかないふりをしていたけど、ほんとうは一目見た時はっきりわかった。
「君がずっと僕のことを大事に思ってくれていることがわかって、うれしかった。君とちゃんと話さなきゃって、ずっと思ってた」
瞬間、自分の言葉に触発されて、胸の奥で引き出しが壊れた。
無理やり押し込めていた不愉快な塊が、喉元にこみ上げてきた。
「あのね……」
口の中で、ねずみ色がうごめいている。
「ごめん、僕は……」
意を決して、それを吐き出した。
「君に嫉妬していた。君だけがコンクールで賞を取ったことが悔しくて、君との関わり方がわからなくなっていた。君を妬んで、自分の『絵が好きだ』という気持ちに蓋をした」
体の奥に溜まっていたドロドロの感情が全身を駆け巡り、めまいがする。
彼女は、ときどきゆっくりと瞬きしながら、静かに濁流を受け止めていた。
「君は僕のことを見てくれていたのに、僕は君に向き合おうとしなかった」
儚げな瞳の奥に届くことを願って、心の一番深いところから感情を引っ張り出す。
「もしもまだ間に合うなら、僕と……友達に戻ってほしい」
届けた言葉が彼女の耳元でどんな色彩を帯びるかは、わからなかったけれど。
全てを出し切った途端、九年ぶりに自分の体の軽さを思い出した。
絵の具の乾燥を待つかのように、しばらく沈黙する彼女。
やがておもむろに開かれたその口から、不可解な言葉が聞こえた。
「君に、もう一度質問するね」
もう一度、という言葉の意味がわからず、僕は黙って続きを待つ。
「好きなお菓子は何?」
好きなお菓子。
十五年間生きてきた中で、好んで食べるお菓子はいろいろある。
何を答えるべきか。
目の前の彼女の顔を見ながら考える。
一重まぶたに、正解が書いてあった。
「ラムネ」
言い終わらないうちに、口の中に異物が飛び込んできた。
「げほっ!」
小さな硬い粒が喉に引っかかり、激しく咳き込む。
息を整えながら正面を見ると、彼女の右手が、さっき僕の口があったあたりに伸びていた。
三本の指が、小さな緑色の筒を掴んでいる。
「罰だよ」
いじわるな笑みを浮かべながら、彼女はそう言った。
「今のは、ちゃんと話してくれるのが遅すぎたことのペナルティ。そして——」
いつのまにか左手に持っていたキャップでケースを閉じて、僕に差し出す。
「遅くなっちゃったけど、部活の私物引き上げた日に、荷物運び手伝ってくれたお礼」
僕はゆっくりと手を出して、大好物を受け取った。
プラスチックのケース越しにふたつの手が繋がる。
「おかえり、シュウくん」
控えめに輝いたその瞳を見据えて、僕は言った。
「ただいま、チカちゃん」
そのあと、僕らはアルバムを交換し、お互いに長い長いメッセージを書き合った。
チカちゃんは、四月からフランスの学校に進学するらしい。世界トップクラスの先生のもとで、油絵を勉強してくるとのことだ。
小一の時点ではっきりした通り、僕とチカちゃんの間には決定的な才能の差がある。
けれど、もうそんなことはどうだっていい。
薄汚れた感情からは、完全に解放されていた。
チカちゃんも僕も、それぞれ自分の「好き」を追求していく。ただそれだけのことだ。
C.S.——笹山千佳——の作品に描かれていたのは、間違いなく幼稚園の時の僕らの姿だった。
気づかないふりをしていたけど、ほんとうは一目見た時はっきりわかった。
「君がずっと僕のことを大事に思ってくれていることがわかって、うれしかった。君とちゃんと話さなきゃって、ずっと思ってた」
瞬間、自分の言葉に触発されて、胸の奥で引き出しが壊れた。
無理やり押し込めていた不愉快な塊が、喉元にこみ上げてきた。
「あのね……」
口の中で、ねずみ色がうごめいている。
「ごめん、僕は……」
意を決して、それを吐き出した。
「君に嫉妬していた。君だけがコンクールで賞を取ったことが悔しくて、君との関わり方がわからなくなっていた。君を妬んで、自分の『絵が好きだ』という気持ちに蓋をした」
体の奥に溜まっていたドロドロの感情が全身を駆け巡り、めまいがする。
彼女は、ときどきゆっくりと瞬きしながら、静かに濁流を受け止めていた。
「君は僕のことを見てくれていたのに、僕は君に向き合おうとしなかった」
儚げな瞳の奥に届くことを願って、心の一番深いところから感情を引っ張り出す。
「もしもまだ間に合うなら、僕と……友達に戻ってほしい」
届けた言葉が彼女の耳元でどんな色彩を帯びるかは、わからなかったけれど。
全てを出し切った途端、九年ぶりに自分の体の軽さを思い出した。
絵の具の乾燥を待つかのように、しばらく沈黙する彼女。
やがておもむろに開かれたその口から、不可解な言葉が聞こえた。
「君に、もう一度質問するね」
もう一度、という言葉の意味がわからず、僕は黙って続きを待つ。
「好きなお菓子は何?」
好きなお菓子。
十五年間生きてきた中で、好んで食べるお菓子はいろいろある。
何を答えるべきか。
目の前の彼女の顔を見ながら考える。
一重まぶたに、正解が書いてあった。
「ラムネ」
言い終わらないうちに、口の中に異物が飛び込んできた。
「げほっ!」
小さな硬い粒が喉に引っかかり、激しく咳き込む。
息を整えながら正面を見ると、彼女の右手が、さっき僕の口があったあたりに伸びていた。
三本の指が、小さな緑色の筒を掴んでいる。
「罰だよ」
いじわるな笑みを浮かべながら、彼女はそう言った。
「今のは、ちゃんと話してくれるのが遅すぎたことのペナルティ。そして——」
いつのまにか左手に持っていたキャップでケースを閉じて、僕に差し出す。
「遅くなっちゃったけど、部活の私物引き上げた日に、荷物運び手伝ってくれたお礼」
僕はゆっくりと手を出して、大好物を受け取った。
プラスチックのケース越しにふたつの手が繋がる。
「おかえり、シュウくん」
控えめに輝いたその瞳を見据えて、僕は言った。
「ただいま、チカちゃん」
そのあと、僕らはアルバムを交換し、お互いに長い長いメッセージを書き合った。
チカちゃんは、四月からフランスの学校に進学するらしい。世界トップクラスの先生のもとで、油絵を勉強してくるとのことだ。
小一の時点ではっきりした通り、僕とチカちゃんの間には決定的な才能の差がある。
けれど、もうそんなことはどうだっていい。
薄汚れた感情からは、完全に解放されていた。
チカちゃんも僕も、それぞれ自分の「好き」を追求していく。ただそれだけのことだ。
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