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月にあかり
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ここは、どんなに文明が進んでも、神様や魔法を使う魔女たちのいるおとぎの世界。
今からここで語るのは、夜を招く不思議な力を宿した女の子にまつわる物語。
さて、この物語をご覧になっている皆さんは、夜はどこから来ると思っているでしょうか。
…えっ、空ですか。それも、空の上?。
ええ、そうですね、皆さんだけでなく、ほとんどの人は、空や空の上と答えると思います。
ですが、空の上から地上の様子をつぶさにながめていた星たちは口々にこういうのです。
「夜が来るところ?。えっ、そんな当たり前のことも、あなたたちは知らないの。私たち?、私たちはもちろん知っているわ。空は空でも、夜はね、東のお空からやってくるの。たとえ、春がきて夏になり、秋がきて冬になっても、東だけが一年を通して少しだけ夜が早く始まるのよ」
こんなとりとめのない話をいう星たちの言葉が、嘘か本当かは、よく分かりません。ですが、ほとんどの人は、毎日、決まった時間にお日様が沈めば、方角など関係なく、空から夜が来ると思っていたのです。でもそれは、いまから七日ほど前までのお話。
いつもはお日様と入れ替わりで始まる夜が、七日前の夜からぱったりと来なくなってしまったのです。
そうです、あろうことか、お日様が沈んでも、どこからも夜は来なかったのです。
困ったのは、お月様でした。
お月様は、お昼に働いてくれたお日様に代わって、夜の闇を優しく明るく照らします。
とりわけ、満月の夜は、それはそれは美しく輝くのです。
夜が来なくなったのは、お月様の形が、ちょうど半分に欠けた半月の夜のことでした。
それから七日が過ぎ、お月様の形も、少しずつまんまるい満月の形に近づいてきています。
満月には、ほかにも特別な呼び名があります。
十五夜です。古い暦では、毎月十五日が満月の日だったので、その日を十五夜と呼んだのだそうです。
でも、一年に一度、同じ十五夜でも、中秋の名月と呼ばれる日があります。
その日が、もうすぐやってきます。
新月と満月を一ヶ月くらいかけて繰り返すお月様にとっても、その日は一年の中でとても特別で大切なお祭りの日でした。
ですが、楽しみにしている中秋の名月の日が近づいてきても、夜が来ないせいで、空を漂う白い雲と見間違われる日々が続いているのです。
普段はお月様のまわりで、キラキラ、チカチカと光ながら一晩中おしゃべりを楽しんでいる星たちの間にも不安が広がっているようでした。
困り果てたお月様は、生まれて間もない卵のような姿形の月の卵にこう命じました。
「私の大切な卵よ。だからこそあなたには、この役目を申し付けます。黒い夜を招く夜の化身は、きっと地上に降りたまま、空の世界に帰れなくなっているのです。地上に取り残された夜の化身は、さぞや困っていることでしょう。だから、あなたが夜の化身を、迎えにいくのです」―と。
月の卵は、お月様の命に従い、小さくて卵のようにまるい体をさらに小さくまるめて、空の世界から、地上へ向かってまっさかさまに落ちていきます。空に浮かぶ白い雲に続いて、地上で月の卵を受け止めたのは、黒く舗装されたアスファルトの道でした。コンクリートなどと比べると、しなやかで柔らかいアスファルトは、雨粒のように勢いよく空から落ちてきた月の卵を、まるでトランポリンのように何度も跳ね上げて、着地の衝撃を柔らげてくれたのです。
初めて地上に降り立った月の卵が見たのは、夜なのに、真昼のように明るい町並みの景色でした。ですが、空にお日様が出ていない町並みは、色が滲んでいるかのようにぼんやりとしています。
明るいけれど、やはり夜だからなのでしょうか。町並みには、人っ子一人見当たりません。
月の卵は、迷子になった夜の化身を探すために、明るい夜の町をさ迷い歩きます。
地上に取り残された夜の化身は、おそらく水たまりのような、影のたまりにひっそりと隠れているのでしょう。いつも薄暗くて影が動かない路地裏のような場所なら、きっと取り残された夜の化身が見つかるはずです。
とはいえ月の卵の身長は子供の手の平くらいの大きさで、体はまるく、手足もとても短いのです。
次の曲がり角にたどり着くだけでも大変なことでした。このままでは夜の化身を迎えにいくどころか、探し出すことも難しいようです。
月の卵は途方にくれてしまいます。
そんな卵の前に大きな人影が立ちふさがりました。
人影はスカートが大きく膨らんだ黒いドレスを身に着けています。でも、その人影には、不思議なことに影がありません。
驚く月の卵に、黒いドレスの人影が語りかけます。
「あなたは月の卵ね。もしかすると、お月様の使いでここにきたのかしら?」
こくんとうなずく月の卵に、人影が言葉を続けます。
「やっぱり、そうだったのね。私は、黒い夜を招く夜の娘__むすめ__#。あなたが探している夜の化身とは私のことよ。そして、お月様の悲しみを知る存在。だから、私は空の世界に帰ることをやめたの」
夜の娘は、そういうとそっぽを向いてしまいました。
月の卵は戸惑っています。
お月様のお話と、夜の娘から聞いたお話では、ちょっとだけ事情が違っていたからです。
ですが、月の卵は夜が来なくて困っているお月様の使いで夜の化身を迎えにきたのです。月の卵は、夜の娘に、空の世界に帰るようお願いすることにしました。
ですが、夜の娘は、月の卵の頼みを聞こうとはしません。
「私が空の世界に帰って夜が来れば、夜が来ないときよりも、もっと深い悲しみがお月様を苦しめるわ。あなたは、その悲しみの結晶なのに、それでもかまわないの?」
月の卵は、夜の娘が何を言っているのかわかりません。
キョトンとする月の卵に代わって、夜の娘が知っていることを告げました。
「実はね、十五夜が近づいてくる度に、お月様は心を痛めているの。十五夜が近づいているというのに、誰も綺麗になっていくお月様の姿を見ようとはしないから。生まれたばかりのあなたは知らないでしょうけど、人の世界には便利な道具が暗い夜を明るく照らしてくれるの。ほら、あれがそう。あれがお月様の心を_苦しめているのよ」
そう言って、夜の娘が指し示したお家の天井には、お月様のようにまぁるくて、白い傘のようなものが張り付いていました。
「あの道具はね、夜になると白く光って家中を隅々まで明るく照らすの。そう、人の世界では毎日が十五夜なの。そんな毎日が、人の世界では当たり前になっている。そして、人の世界からお月様は忘れられていった。今なら、あなたが生まれた理由もわかるでしょう」
月の卵は、人々の心から忘れられたことをなげくお月様の悲しみから生まれた結晶でした。
お月様は、黒い夜が来るたびに、明るい家の中に閉じこもり、ついには空を見上げなくなった人々を意識して涙を流していたのです。
しかし、悲しい涙を流していたのは、お月様だけではありませんでした。
月の卵には、それが誰なのかわかっているようです。
真相を知っても動じなかった月の卵が、お月様に変わって夜の娘に向かって謝ります。
夜の娘は、夜が来るたびに落ち込むお月様の様子を、すぐそばからずっと見続けていました。お月様を励まそうと思ったことも、一度や二度ではありません。
でも、肝心の言葉が見つかりません。言葉の代わりに、途切れてしまった人々の関心を、もう一度夜空に向けさせようともしましたが、うまくはいきませんでした。
かける言葉が見つからず、関心を引くこともできなかった夜の娘は、思い切って地上から夜を取り上げることにしました。
それが、七日前の出来事です。
夜が来なくなった世界で、人々は便利な道具を使うことをやめ、お月様は、空を見上げなくなった人々に心を揺さぶられることはなくなりました。
黒い夜を招くたびに人々に道具を使わせ、お月様を苦しめていた夜の娘は、最終的に地上から夜を取り上げることで、お月様の悲しみや苦しみを取り除いたのです。
空の世界から、夜の娘の姿が消えたのは、それから間もなくのことでした。
お月様が、そんな夜の娘の心の痛みを知ったのは夜が来なくなってからでした。
だから、お月様は、みずから流した結晶の一つに命を与えて、わざわざ地上まで使いによこしたのです。
ですが、夜の娘は空の世界に帰ろうとはしません。
夜の娘には、お月様のこと以外にも、なにか特別な事情があるようです。
空の世界を逃げるようにして飛び出した夜の娘は、空の上から毎日眺めていた地上に、すがるような思いで降りてきました。
幸か不幸か、夜の一部とはいえ、化身の姿となった夜の娘は、見かけは人と同じです。
ですから、夜の娘は人間と友達になろうとしたのです。
ですが、もともとが黒い夜の一部である夜の娘は、あらゆるものの影を奪わずにはいられません。 心ではいけないことだとわかっているのに、どうしてもやめられないのは、それが夜の勤めの一つだったからです。
夜の娘に影を奪われた人たちは、当然のように夜の娘を恐れました。自分たちも、いつか影のように消されてしまうのではないかと。
こうして人々から恐れられた夜の娘は、やがてひとりぼっちになってしまいました。
空の世界から地上に降りて、ずっととどまる決意を固めていた夜の娘でしたが、そこに居場所はなかったのです。
でも、どんなに冷たくされても、夜の娘は、地上の人々と仲良くなりたいという気持ちを失ったりはしませんでした。
それなら、地上の人たちと友達になれれば、夜の娘は、空の世界に帰ってくれるのでしょうか。
事情を知った月の卵が、念のために、夜の娘に問いかけます。
しかし、夜の娘からは、よい返事がありません。
どうやら、夜の娘には、ほかにもまだ空の世界に帰れない理由があるようです。
夜の娘には、空の世界に、白い朝を招く朝の娘という大切な友達がいました。
夜の娘が黒い夜を招くように、朝の娘は、空に浮かぶ雲の上を自在に駆け巡りながら、純銀の角笛を吹き鳴らして、白い朝を招くのです。血は繋がっていませんでしたが、二人の娘は双子のようにそっくりで、また同い年ということもあって、気心が知れていたのです。
だからでしょう、夜の娘が、黙って空の世界を飛び出そうとしたとき、真っ先に手を差し伸べて、引きとめようとしてくれたのです。
ですが、夜の娘は、そんな朝の娘の手を振りほどき、心にもないことを言って、朝の娘の心を傷つけてしまいました。
一言、そう夜の娘が空に向かってたった一言あやまれば、朝の娘はきっと許してくれるはずです。
でも、あやまる切っ掛けが見つかりません。
そんな矢先、夜の娘の黒い瞳から、大粒の涙が零れ落ちました。
一度は月の卵の誘いを断った夜の娘でしたが、どんな事情があろうとも、本心では空の世界に帰りたがっていたのです。
本心を隠しながらも、ぐずる夜の娘の様子を見て、月の卵が西の空に向かって何やら合図を送りました。
西の空に浮かぶ雲の上を横切るかのように、白い人影のようなものが揺らぎます。
すると、人の世界に夕暮れが訪れました。
ですが、その風景につきものの影がどこにも見当たりません。
夜の娘が、自分の影も含め、世界中からあらゆる物の影を奪っていたからです。けれど、夜の娘は奪った影を手放そうとはしません。
夜の娘が影を返し、空の世界に帰れば、月の卵の使命は果たされます。そうなればきっと、お月様の悲しみも癒されることでしょう。でも、悲しみが癒されてしまえば、その悲しみから生まれた月の卵は消えてなくなってしまいます。
「それでもいいの?」
夜の娘が、次々と零れ落ちそうになる涙を我慢しながら、月の卵に問いかけます。
月の卵は躊躇うことなく、こくんと頷きます。
それを合図に、夜の娘が東の空を眺めました。夜の娘は、月の卵の固い決意を心の奥でしっかりと受け止めたのです。
さあ、いよいよ、夜の始まりです。
涙を堪えた夜の娘が夕暮れを背にして影を伸ばします。その影は東に東に長く長く果てしなく伸びていきます。夜の娘から奪われた影も元の場所に戻り、東に伸びていく夜の娘の影の後に続きます。
影は、誰の足元からもなんとなく伸びているのですが、その影にはある重大な役割が与えられていたのです。それは、黒い夜を招く夜の娘の合図であまねく夜を導くこと。
夜の娘の合図で東へ東へと伸びた影の大群は幾重にも重なり合いながら、太くて大きな黒い流れに成長していきます。流れを速め、雲を追い越し、やがて溢れんばかりの海原と変貌を遂げた影の濁流は、東の大地を隈なく覆__おお__#いつくしたとき、一足早く夜になりました。影に覆われた大地には、もう明るい日差しが射すことはありません。白い朝を招く朝の娘が訪れる明日までは、ひっそりとした夜の時間が続くのです。空に夜が満ちると、星たちが一斉に輝きだしました。
その後、夜の娘は、夜明けを待って空の世界に帰っていきました。
夜の娘は、夜が明けるまで、誰も見上げなくなった夜空を、地上から一晩中見上げていました。
お月様は、そんな夜の娘に向かって、これまでで一際明るく輝いて見せました。
こうして、その日の夜は過ぎていきました。
夜の娘が空の世界に帰った後から、影のたまりには、時折小さな明かりがキラキラと零れるように燈ることがあります。それは、夜の娘が流した涙の後なのでしょうか?。長い間、空の世界から地上の様子をつぶさに見ていた星たちは口々にこういいます。
「あれはね、地上の星。露と消えることを恐れずに、地上にとどまっていた夜の娘を、空の世界に無事に送り帰した、私たち星々の希望の星よ。えっ、なんのことかって?。もしかして、あなた、白夜の七日間を知らないの。ふふんっ、そういうことなら、十五夜の晩に、もう一度出直してくるといいわ。きっと、お月様がくわしく教えてくれるから…」
―おしまい。
今からここで語るのは、夜を招く不思議な力を宿した女の子にまつわる物語。
さて、この物語をご覧になっている皆さんは、夜はどこから来ると思っているでしょうか。
…えっ、空ですか。それも、空の上?。
ええ、そうですね、皆さんだけでなく、ほとんどの人は、空や空の上と答えると思います。
ですが、空の上から地上の様子をつぶさにながめていた星たちは口々にこういうのです。
「夜が来るところ?。えっ、そんな当たり前のことも、あなたたちは知らないの。私たち?、私たちはもちろん知っているわ。空は空でも、夜はね、東のお空からやってくるの。たとえ、春がきて夏になり、秋がきて冬になっても、東だけが一年を通して少しだけ夜が早く始まるのよ」
こんなとりとめのない話をいう星たちの言葉が、嘘か本当かは、よく分かりません。ですが、ほとんどの人は、毎日、決まった時間にお日様が沈めば、方角など関係なく、空から夜が来ると思っていたのです。でもそれは、いまから七日ほど前までのお話。
いつもはお日様と入れ替わりで始まる夜が、七日前の夜からぱったりと来なくなってしまったのです。
そうです、あろうことか、お日様が沈んでも、どこからも夜は来なかったのです。
困ったのは、お月様でした。
お月様は、お昼に働いてくれたお日様に代わって、夜の闇を優しく明るく照らします。
とりわけ、満月の夜は、それはそれは美しく輝くのです。
夜が来なくなったのは、お月様の形が、ちょうど半分に欠けた半月の夜のことでした。
それから七日が過ぎ、お月様の形も、少しずつまんまるい満月の形に近づいてきています。
満月には、ほかにも特別な呼び名があります。
十五夜です。古い暦では、毎月十五日が満月の日だったので、その日を十五夜と呼んだのだそうです。
でも、一年に一度、同じ十五夜でも、中秋の名月と呼ばれる日があります。
その日が、もうすぐやってきます。
新月と満月を一ヶ月くらいかけて繰り返すお月様にとっても、その日は一年の中でとても特別で大切なお祭りの日でした。
ですが、楽しみにしている中秋の名月の日が近づいてきても、夜が来ないせいで、空を漂う白い雲と見間違われる日々が続いているのです。
普段はお月様のまわりで、キラキラ、チカチカと光ながら一晩中おしゃべりを楽しんでいる星たちの間にも不安が広がっているようでした。
困り果てたお月様は、生まれて間もない卵のような姿形の月の卵にこう命じました。
「私の大切な卵よ。だからこそあなたには、この役目を申し付けます。黒い夜を招く夜の化身は、きっと地上に降りたまま、空の世界に帰れなくなっているのです。地上に取り残された夜の化身は、さぞや困っていることでしょう。だから、あなたが夜の化身を、迎えにいくのです」―と。
月の卵は、お月様の命に従い、小さくて卵のようにまるい体をさらに小さくまるめて、空の世界から、地上へ向かってまっさかさまに落ちていきます。空に浮かぶ白い雲に続いて、地上で月の卵を受け止めたのは、黒く舗装されたアスファルトの道でした。コンクリートなどと比べると、しなやかで柔らかいアスファルトは、雨粒のように勢いよく空から落ちてきた月の卵を、まるでトランポリンのように何度も跳ね上げて、着地の衝撃を柔らげてくれたのです。
初めて地上に降り立った月の卵が見たのは、夜なのに、真昼のように明るい町並みの景色でした。ですが、空にお日様が出ていない町並みは、色が滲んでいるかのようにぼんやりとしています。
明るいけれど、やはり夜だからなのでしょうか。町並みには、人っ子一人見当たりません。
月の卵は、迷子になった夜の化身を探すために、明るい夜の町をさ迷い歩きます。
地上に取り残された夜の化身は、おそらく水たまりのような、影のたまりにひっそりと隠れているのでしょう。いつも薄暗くて影が動かない路地裏のような場所なら、きっと取り残された夜の化身が見つかるはずです。
とはいえ月の卵の身長は子供の手の平くらいの大きさで、体はまるく、手足もとても短いのです。
次の曲がり角にたどり着くだけでも大変なことでした。このままでは夜の化身を迎えにいくどころか、探し出すことも難しいようです。
月の卵は途方にくれてしまいます。
そんな卵の前に大きな人影が立ちふさがりました。
人影はスカートが大きく膨らんだ黒いドレスを身に着けています。でも、その人影には、不思議なことに影がありません。
驚く月の卵に、黒いドレスの人影が語りかけます。
「あなたは月の卵ね。もしかすると、お月様の使いでここにきたのかしら?」
こくんとうなずく月の卵に、人影が言葉を続けます。
「やっぱり、そうだったのね。私は、黒い夜を招く夜の娘__むすめ__#。あなたが探している夜の化身とは私のことよ。そして、お月様の悲しみを知る存在。だから、私は空の世界に帰ることをやめたの」
夜の娘は、そういうとそっぽを向いてしまいました。
月の卵は戸惑っています。
お月様のお話と、夜の娘から聞いたお話では、ちょっとだけ事情が違っていたからです。
ですが、月の卵は夜が来なくて困っているお月様の使いで夜の化身を迎えにきたのです。月の卵は、夜の娘に、空の世界に帰るようお願いすることにしました。
ですが、夜の娘は、月の卵の頼みを聞こうとはしません。
「私が空の世界に帰って夜が来れば、夜が来ないときよりも、もっと深い悲しみがお月様を苦しめるわ。あなたは、その悲しみの結晶なのに、それでもかまわないの?」
月の卵は、夜の娘が何を言っているのかわかりません。
キョトンとする月の卵に代わって、夜の娘が知っていることを告げました。
「実はね、十五夜が近づいてくる度に、お月様は心を痛めているの。十五夜が近づいているというのに、誰も綺麗になっていくお月様の姿を見ようとはしないから。生まれたばかりのあなたは知らないでしょうけど、人の世界には便利な道具が暗い夜を明るく照らしてくれるの。ほら、あれがそう。あれがお月様の心を_苦しめているのよ」
そう言って、夜の娘が指し示したお家の天井には、お月様のようにまぁるくて、白い傘のようなものが張り付いていました。
「あの道具はね、夜になると白く光って家中を隅々まで明るく照らすの。そう、人の世界では毎日が十五夜なの。そんな毎日が、人の世界では当たり前になっている。そして、人の世界からお月様は忘れられていった。今なら、あなたが生まれた理由もわかるでしょう」
月の卵は、人々の心から忘れられたことをなげくお月様の悲しみから生まれた結晶でした。
お月様は、黒い夜が来るたびに、明るい家の中に閉じこもり、ついには空を見上げなくなった人々を意識して涙を流していたのです。
しかし、悲しい涙を流していたのは、お月様だけではありませんでした。
月の卵には、それが誰なのかわかっているようです。
真相を知っても動じなかった月の卵が、お月様に変わって夜の娘に向かって謝ります。
夜の娘は、夜が来るたびに落ち込むお月様の様子を、すぐそばからずっと見続けていました。お月様を励まそうと思ったことも、一度や二度ではありません。
でも、肝心の言葉が見つかりません。言葉の代わりに、途切れてしまった人々の関心を、もう一度夜空に向けさせようともしましたが、うまくはいきませんでした。
かける言葉が見つからず、関心を引くこともできなかった夜の娘は、思い切って地上から夜を取り上げることにしました。
それが、七日前の出来事です。
夜が来なくなった世界で、人々は便利な道具を使うことをやめ、お月様は、空を見上げなくなった人々に心を揺さぶられることはなくなりました。
黒い夜を招くたびに人々に道具を使わせ、お月様を苦しめていた夜の娘は、最終的に地上から夜を取り上げることで、お月様の悲しみや苦しみを取り除いたのです。
空の世界から、夜の娘の姿が消えたのは、それから間もなくのことでした。
お月様が、そんな夜の娘の心の痛みを知ったのは夜が来なくなってからでした。
だから、お月様は、みずから流した結晶の一つに命を与えて、わざわざ地上まで使いによこしたのです。
ですが、夜の娘は空の世界に帰ろうとはしません。
夜の娘には、お月様のこと以外にも、なにか特別な事情があるようです。
空の世界を逃げるようにして飛び出した夜の娘は、空の上から毎日眺めていた地上に、すがるような思いで降りてきました。
幸か不幸か、夜の一部とはいえ、化身の姿となった夜の娘は、見かけは人と同じです。
ですから、夜の娘は人間と友達になろうとしたのです。
ですが、もともとが黒い夜の一部である夜の娘は、あらゆるものの影を奪わずにはいられません。 心ではいけないことだとわかっているのに、どうしてもやめられないのは、それが夜の勤めの一つだったからです。
夜の娘に影を奪われた人たちは、当然のように夜の娘を恐れました。自分たちも、いつか影のように消されてしまうのではないかと。
こうして人々から恐れられた夜の娘は、やがてひとりぼっちになってしまいました。
空の世界から地上に降りて、ずっととどまる決意を固めていた夜の娘でしたが、そこに居場所はなかったのです。
でも、どんなに冷たくされても、夜の娘は、地上の人々と仲良くなりたいという気持ちを失ったりはしませんでした。
それなら、地上の人たちと友達になれれば、夜の娘は、空の世界に帰ってくれるのでしょうか。
事情を知った月の卵が、念のために、夜の娘に問いかけます。
しかし、夜の娘からは、よい返事がありません。
どうやら、夜の娘には、ほかにもまだ空の世界に帰れない理由があるようです。
夜の娘には、空の世界に、白い朝を招く朝の娘という大切な友達がいました。
夜の娘が黒い夜を招くように、朝の娘は、空に浮かぶ雲の上を自在に駆け巡りながら、純銀の角笛を吹き鳴らして、白い朝を招くのです。血は繋がっていませんでしたが、二人の娘は双子のようにそっくりで、また同い年ということもあって、気心が知れていたのです。
だからでしょう、夜の娘が、黙って空の世界を飛び出そうとしたとき、真っ先に手を差し伸べて、引きとめようとしてくれたのです。
ですが、夜の娘は、そんな朝の娘の手を振りほどき、心にもないことを言って、朝の娘の心を傷つけてしまいました。
一言、そう夜の娘が空に向かってたった一言あやまれば、朝の娘はきっと許してくれるはずです。
でも、あやまる切っ掛けが見つかりません。
そんな矢先、夜の娘の黒い瞳から、大粒の涙が零れ落ちました。
一度は月の卵の誘いを断った夜の娘でしたが、どんな事情があろうとも、本心では空の世界に帰りたがっていたのです。
本心を隠しながらも、ぐずる夜の娘の様子を見て、月の卵が西の空に向かって何やら合図を送りました。
西の空に浮かぶ雲の上を横切るかのように、白い人影のようなものが揺らぎます。
すると、人の世界に夕暮れが訪れました。
ですが、その風景につきものの影がどこにも見当たりません。
夜の娘が、自分の影も含め、世界中からあらゆる物の影を奪っていたからです。けれど、夜の娘は奪った影を手放そうとはしません。
夜の娘が影を返し、空の世界に帰れば、月の卵の使命は果たされます。そうなればきっと、お月様の悲しみも癒されることでしょう。でも、悲しみが癒されてしまえば、その悲しみから生まれた月の卵は消えてなくなってしまいます。
「それでもいいの?」
夜の娘が、次々と零れ落ちそうになる涙を我慢しながら、月の卵に問いかけます。
月の卵は躊躇うことなく、こくんと頷きます。
それを合図に、夜の娘が東の空を眺めました。夜の娘は、月の卵の固い決意を心の奥でしっかりと受け止めたのです。
さあ、いよいよ、夜の始まりです。
涙を堪えた夜の娘が夕暮れを背にして影を伸ばします。その影は東に東に長く長く果てしなく伸びていきます。夜の娘から奪われた影も元の場所に戻り、東に伸びていく夜の娘の影の後に続きます。
影は、誰の足元からもなんとなく伸びているのですが、その影にはある重大な役割が与えられていたのです。それは、黒い夜を招く夜の娘の合図であまねく夜を導くこと。
夜の娘の合図で東へ東へと伸びた影の大群は幾重にも重なり合いながら、太くて大きな黒い流れに成長していきます。流れを速め、雲を追い越し、やがて溢れんばかりの海原と変貌を遂げた影の濁流は、東の大地を隈なく覆__おお__#いつくしたとき、一足早く夜になりました。影に覆われた大地には、もう明るい日差しが射すことはありません。白い朝を招く朝の娘が訪れる明日までは、ひっそりとした夜の時間が続くのです。空に夜が満ちると、星たちが一斉に輝きだしました。
その後、夜の娘は、夜明けを待って空の世界に帰っていきました。
夜の娘は、夜が明けるまで、誰も見上げなくなった夜空を、地上から一晩中見上げていました。
お月様は、そんな夜の娘に向かって、これまでで一際明るく輝いて見せました。
こうして、その日の夜は過ぎていきました。
夜の娘が空の世界に帰った後から、影のたまりには、時折小さな明かりがキラキラと零れるように燈ることがあります。それは、夜の娘が流した涙の後なのでしょうか?。長い間、空の世界から地上の様子をつぶさに見ていた星たちは口々にこういいます。
「あれはね、地上の星。露と消えることを恐れずに、地上にとどまっていた夜の娘を、空の世界に無事に送り帰した、私たち星々の希望の星よ。えっ、なんのことかって?。もしかして、あなた、白夜の七日間を知らないの。ふふんっ、そういうことなら、十五夜の晩に、もう一度出直してくるといいわ。きっと、お月様がくわしく教えてくれるから…」
―おしまい。
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