上 下
30 / 50
愛と希望と『絶望のパスタ』🍝 Love, hope, and “ Spaghetti alla disperata ”

第28話 絶望のパスタ

しおりを挟む


 夕方になって、アデルはドワーフの坑道から帰ってきた。
 けれど、『聖夜の街ノエルタウン』に向かったドラコは、まだ戻ってこない。

「ドラコとライくん、今頃どうしてるかな」

「『聖夜の街ノエルタウン』のドワーフからは、何の連絡も入っていないそうだ。まあ、吹雪では伝書鳩や妖精による通信も不可能だろうし、仕方がないな」

「そっか……心配だね」

「ドワーフのトロッコは速く安全だ。目的地にはとっくに着いているはずだが、吹雪は止んでいない……ということは、ライがまだフウの気持ちを動かせていないということだな」

「フウちゃんが、ライくんを拒絶しているのかな?」

「どうだろう。吹雪の強さが変わらないのであれば、そもそも会いに行けていない可能性もある……フウの居場所が、ドワーフの坑道から離れているのかもしれない」

「……大丈夫かしら。ドラコも、ライくんも、寒くないかな。お腹空かせてないかな?」

「二人とも人ではない存在だ。俺たちよりずっと頑丈にできてる。心配いらないさ」

「そう、だよね」

 歯痒いけれど、私とアデルはいつも通りに生活して、ドラコの帰りを待つしかない。
 そして、ドラコが帰ってきたら、「おかえり」を言って美味しいものを食べさせてあげよう。

「じゃあ……ドラコには悪いけど、ご飯にしよっか」

「ああ。手伝うよ」

「じゃあ、カトラリーとサラダ、テーブルに運んでくれる?」

「わかった」

 アデルは、言った通りにテーブルをセッティングしてくれる。
 その間に私は、パスタの麺を茹で、ソースをテキパキと用意していく。

「いい香りだな。今日はニンニクのパスタ?」

「うん。アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ――別名、絶望のパスタね」

「絶望……?」

「正確な由来はわからないのだけど……必要な材料が少なくて、絶望的なほど貧しくても作れるからとか、絶望している時でも美味しく食べられるからとか、シンプルなのに絶望的に美味しいからとか言われてるわ」

 最低限必要な材料は、パスタ、ニンニク、オリーブオイル、塩。唐辛子、それから、もしあれば、鰯など。
 肉や魚や乳製品がなくても作れるし、もし唐辛子が手に入らなくても美味しい。その場合は、「ペペロンチーノ(唐辛子)」の名はつけられないから、「アーリオ(ニンニク)・オーリオ(オイル)」のパスタだ。

「シンプルだからこそ、絶望的に難しくもあるんだけどね」

 このパスタの要は、乳化という作業にある。
 パスタの茹で汁をフライパンに移して乳化させるのだが、その茹で汁の量やタイミング、塩分量など、細かい部分の差で驚くほど完成度が変わるのだ。

「完成!」

 トングで捻るように、皿に盛り付ける。
 最後に乾燥パセリを上から振りかけ、テーブルへ運んだ。



「いただきます」

 アデルは、食事の前に手を合わせる。彼とゆかりある国での、礼節のひとつなのだそうだ。

「いただきます」

 私も、彼にならって手を合わせてから、パスタをフォークに巻き付けていく。乳化は成功していて、とろりとソースが絡みつき、つやつやと輝いている。
 パスタを持ち上げると、湯気と共にニンニクの香りが立ち上ってくる。

「うん、美味いな。ピリっとした辛さが舌に心地良い」

「ふふ、良かった」

 アデルもご満悦のようだ。美味しそうに食べる彼の顔を見ていると、やっぱり幸せな気持ちになる。
 ドラコのいない食卓は静かで少しだけ物足りないけれど、それでもあたたかくて幸せな空気は、変わらずここに満ちていた。



「それにしても……絶望のパスタか」

 アデルは、あっという間にパスタを平らげて、食器を片付けながら呟いた。

「先人たちは、『絶望』に希望を見出して、前向きに暮らしていたのだろうな。そんな願いが、強さが、この料理にはある……そんな気がする」

「絶望に、希望を……そうね。そうかもしれないね」

 絶望すらも平らげて、明日への糧にしてやろう。なんなら笑いものにしてやろう。
 そんな気概が、このネーミングには含まれているのではないか。私も、そんな気がする。

「あ、そうだ。そういえばね、今日、お部屋を掃除してたら、なんか日記か手帳みたいなのが出てきたの」

 私は、食後の紅茶を用意しながら、戸棚の奥から出てきた本のことを報告した。アデルはすぐに思い当たらなかったようで、首を傾げている。

「日記? 手帳?」

「うん。勝手に見たら良くないと思って、中は見てないから、安心して」

「そうか。それにしても……日記か」

 アデルは、顎に手を当てて、真剣な表情で考え始めた。

「アデルのじゃないの?」

「……ああ。見てみないとわからないが、おそらく……ドラコの前にこの家の管理をしていた者が書いた日記だろう。今レティが使っている部屋を、使っていたから」

「そうなんだ。その人って――」

 私はアデルに聞こうとして、口をつぐんだ。
 彼の表情が、とても苦しそうだったから。

 少なくとも、その人は今、ここにいない。
 つまりそれは、アデルを置いてどこかへ行ってしまったということなのだろう。

 森の中にいるのか、外にいるのか、それとも、もうこの世にはいないのか――どちらにせよ、アデルにとっては、きっと思い出したくないことだ。

「――やっぱり、なんでもない。とにかく、その日記、私の使わせてもらってる部屋に置いてあるから。あとで持ってくるね」

「……ああ、ありがとう」

 私は笑顔を作ってそう告げると、空のティーポットを持って洗い場へ向かい、そのまま洗い物をする。
 後片付けが済んでダイニングに戻ると、アデルは、すでに席を立っていた。
 普段は食後も少しゆっくりしてから部屋へ戻るのに――飲みかけの紅茶もそのままに、声もかけずにいなくなるなんて、珍しい。

 あの日記を書いた人は、アデルにとってとても大切な人だったのだろう。
 アデルの心をあんなに乱すほど。

 絶望に、希望を見出せないほどに――。





 後片付けを終えて部屋に戻った私は、はあ、とため息をついて扉を閉める。

 アデルの反応を見た私は、日記の中身を見たくて仕方なくなっていた。

 先程のアデルの言葉によると、これを書いたのはアデル自身ではない。書いた本人も、もうこの家にはいない。
 なら、少しだけ……そう思いながら、日記を手に取る。

「……でも」

 見たくない気持ちも、ある。
 もしもそこに、アデルにとって大切な人との、輝かしい日々が綴られていたら……。

「……うう、でも、やっぱり気になる。最初のページだけ」

 結局、誘惑に負けてしまった。
 罪悪感を少し感じながらも、私は表紙をめくって、最初のページをおそるおそる覗き見る。

 ――そして、私は、後悔することになった。


『わたしの愛しいアデルバート。
 いのちの灯火が消えるこの瞬間に、あなたと共に在ることができて、わたしは幸せでした。

 ありがとう、そして、さようなら。
 たった一人の、特別なひと。

 この身体が溶けて消えても、わたしはずっとあなたと在ると、ここに誓います』


 それは、熱烈なラブレター。
 記されていたのは、おおよそ三年前の日付と――美しく重たい、愛と感謝と、訣別の言葉だった。

「……見なければよかった」

 私はそっと日記を閉じ、テーブルの上に置き直した。
 アデルに届けると約束したが……やっぱり、今は彼の顔を見たくない。

 アデルの部屋に向かう気も起きず、のろのろと灯りを消して、ベッドに潜り込む。
 干したばかりの枕に顔を埋めて、私は一人、静かに泣いたのだった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

悪役令嬢の慟哭

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:319pt お気に入り:188

【R18】お飾り妻は諦める~旦那様、貴方を想うのはもうやめます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:617pt お気に入り:460

主役達の物語の裏側で(+α)

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,107pt お気に入り:43

桜の季節

恋愛 / 完結 24h.ポイント:312pt お気に入り:7

ヒヨクレンリ

恋愛 / 完結 24h.ポイント:347pt お気に入り:884

【完結】待ってください

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,046pt お気に入り:44

転生しても実家を追い出されたので、今度は自分の意志で生きていきます

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:9,699pt お気に入り:7,500

王子に転生したので悪役令嬢と正統派ヒロインと共に無双する

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:411pt お気に入り:276

魔拳のデイドリーマー

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:1,100pt お気に入り:8,522

処理中です...