【R18】あなたの心を蝕ませて

みちょこ

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第1章

3話

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『──その髪はどうした』

 数年前のあの日、世界から闇を払拭するための旅の道中でのこと。賑やかに話し合う仲間達から離れた距離に座っていたサクラの元へ、王都から駆けつけたヴィクトールが歩み寄った。

 未来の王である殿下がなぜここにいるのか。
 サクラは腕を隠し、自分を見下ろす曇りなき瞳を見つめ返した。
 
『……腰辺りまで長さがあっただろう。自分で切ったのか』

 再び問いかけるヴィクトール。サクラは震える腕できゅっと自分の身体を抱き締め、視線を足元に落とした。

『こ、これは……木の枝に絡まってしまって、仕方なく自分で切り揃えたのです』

 嘘だった。

 本当のことなんて、言えるはずもない。日頃の鬱憤晴らしに仲間達から髪を剣で無惨に切られただなんて。彼らから暴力を振るわれているだなんて、言えるわけがない。自分は異世界から来た人間。異端者と受け取られても仕方のないことなのだ。
 いくらサクラが特別な力を持っているとは言え、この世界は彼女一人の力では救えない。勇者がいてこその聖女なのだ。
 弱い立場の自分が、逆らってはいけない。

『……サクラ』

 ひんやりとした首筋にあたたかな温もりが触れる。
 サクラが目を大きく見開くと、ヴィクトールは長い指を絡ますようにして彼女の髪をそっと撫でた。

『短い髪も似合っている。だが、もし辛いことがあるのなら、一人で抱え込もうとするな』

 なにかを察したように投げ掛けられた言葉。サクラはなんとか笑顔を取り繕うとしたものの、胸に突き刺さるような優しい声に耐えきれず泣き出してしまった。

『あっ、うっ、ごめんなさ、ごめんなさい、わたし、わた、しっ』

『……サクラ』

 声に出して泣きじゃくるサクラ。ヴィクトールは肩を震わせる彼女を抱き寄せて、何度も優しい言葉を掛けた。『もう大丈夫だ』『私が側にいる』と。
 兵士と話し込んでいた勇者達が落ち着かない様子で二人を見ていたものの、ヴィクトールの殺意に満ちた眼差しが向けられ、彼らは慌てて視線を逸らした。



 それからというもの、ヴィクトールは約束通りサクラの側にいた。彼女の手によって世界に光が齎されるまで、旅の間も片時も離れずに。
 そして国が平和に導かれたあと。どこか暗い表情で元の世界へ戻ろうとしたサクラを、ヴィクトールは引き止めた。命ある限り人生を共にしてほしいと彼女に結婚を申し出た。知らぬうちにヴィクトールに惹かれていたサクラは、その言葉に透明な露を瞳から流し、深く頷いた。

 そこで終わるはずだった。
 この世に生を受けたときから不幸が纏わり付いていた彼女は、愛する人と幸せな人生を歩むはずだった。









 ──サクラ。

 優しい声。低くて穏やかな音色の声。彼はいつも、孤独なサクラに声を掛けてくれた。暗闇に取り残されていたサクラに手を差し伸べてくれた。

 でも、近頃は心の中で助けを求めても、彼は。

「サクラ」

 今度ははっきりと聞こえた声。サクラは真っ暗だった視界を徐に広げていき、目の前のぼんやりとした人影を見つめた。

 そこにいたのは、先ほどまで夢で見ていた愛する人。ぬっと両側から現れた彼の大きな手がサクラの頬を包み込み、薄い唇はサクラの濡れた目尻に押し当てられた。

「……ヴィクトール……?」

 状況を理解しきれていなかったサクラは、何度も瞬きをして彼の行為を受け入れて。ぼんやりとした頭の中で記憶を遡る。

 確か、今宵はクリスチアーヌの元に訪れる日ではなかっただろうか。

「体調が優れないと聞いた。今もまだ悪いのか」

 ヴィクトールは薄い筋肉を纏った腕で、小さなサクラの身体を抱き寄せる。久し振りに触れた温もりに、荒んでいた心にじわじわと熱が込み上げていく。

「……愛しています。ヴィクトール」

 色素を失った細い両腕がヴィクトールの背中に回る。
 本来であれば、数日置きにクリスチアーヌと交代で夜を過ごすはずなのに。今日は来てくれた。自分のことを心配して、会いに来てくれた。

「どうした、サクラ……。私も愛している。誰よりもお前のことを愛している」

 幼子を宥めるように頭を撫でられ、顎を掬い取られる。サクラが睫毛を伏せれば、なんの迷いもなくヴィクトールは可憐な淡い紅色の唇を塞いだ。
 ちゅっちゅっ、と軽く互いの唇を啄み、二人は寝台で熱い抱擁を交わす。息苦しさを覚えるくらいにきつく抱き締められ、サクラの唇から淡い吐息がかすかに漏れた。

 このまま一つの熱となって、溶けてしまえばいい。そんな想いさえ抱いてしまう。

「……ヴィクトール。あす、は」 

「ん? どうかしたか、サクラ」

「……いえ」

 なんでもありません、と言葉を続ける。

 明日はサクラにとって特別な日。異世界へと召喚され、迷い子となったサクラがヴィクトールと出会った忘れられない日。結婚記念日こそ国を挙げて盛大に祝っていたが、この日だけは、毎年欠かさずにヴィクトールと二人だけでささやかなお祝いをして過ごしていた。

 きっと、ヴィクトールは覚えてくれているはず。

「サクラ、疲れているのだろう。お前が眠るまで側にいよう」

「……ヴィクトール」

 ──眠るまで。自分が眠ってしまったら、ここから去ってしまうのだろうか。クリスチアーヌの元へ帰ってしまうのだろうか。

 それはらば、永遠に眠りたくない。
 ずっとずっと、ここにいてほしい。

「愛している。サクラ」

 逞しい腕に上体を絡め取られ、頬に口づけが落とされる。眠りたくない、眠ってはいけない。そう必死に言い聞かせても、催眠術をかけられたようにサクラはうとうとと夢の世界に落ちかける。

 ──明日、忘れないで。一緒に過ごして。

 朦朧とする意識の中で口にした言葉は、ヴィクトールに届いたのだろうか。

 深い眠りに堕ちてしまったサクラには分からなかった。

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