【R18】あなたの心を蝕ませて

みちょこ

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第3章

29話

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 身体を包み込む太陽の暖かさと、鼻腔にふわりと広がる草と花の香り。光に覆われてから気を失ってしまったサクラは、しばらく心地よい感覚に包まれていた──が、突如として肩を激しく揺さぶられたような衝撃に襲われた。

「王妃殿下っ! 起きてくださーい!」

 脳震盪を起こすほどの勢いに、胃の奥から吐き気が込み上げる。口元を押さえながらやっとの思いで瞼を開くと、サクラの瞳に栗色の髪の青年がぼんやりと映し出された。

「あっ、良かった! 起きましたか?」

 雀斑を散らした顔で愛嬌良く笑うその姿に、セドリックの言葉が思い起こされる。セドリックが言っていた『褐色の髪の青年』とは彼のことだろうか。

「えっと……あなたは……」

「はいっ! 俺はニクスって言います! 数年前に一度死にかけたんですけど、持ち前の図太さでなんとか生き残りましてっ! あっ、もしかして王妃殿下は覚えていませんかね? 俺、二人とご一緒していたんですよ! 王妃殿下がご無事で本当に良かったです、心から安心しました! あっ、俺、元々はエルオーガの出身ですが、王妃殿下と陛下の味方ですよ! これもまた殿下は覚えていないかもしれませんが、実は一度大昔に救われた恩がありまして。あっ、ちなみに王妃殿下と陛下って言うのは今の王妃殿下と陛下のことではなく、サクラ様とヴィクトール様……」

「ちょ……ちょっと待って、本当に待って」

 速射砲のように容赦なく早口で話すニクス。脳内の整理が追い付かず、目が回りそうになったところで、サクラは顔の前で両手を翳した。

 ニクスはきょとんとした気抜けした顔を見せたと思いきや、白い歯を見せて少年臭い笑顔を見せる。
 やたらと大人びていたセドリックを見たせいで、サクラには彼の精神年齢が幼く感じられてしまった。

「そうですよね。喋ってる時間は勿体ないですよね。案内するので記憶の世界を見に行きましょう」 

「記憶の世界……?」

 さっと素早く手を差し出され、サクラは怖ず怖ずと自らの手を重ねる。
 腕を引かれるがままに立ち上がり、周囲を見渡せば、そこは見慣れたアルテリアの城内の景色。天井に吊るされた煌めくシャンデリアを呆けたように見つめていると、唐突にニクスがサクラの腕をぐっと引いた。

「な、なに?」

「王妃殿下。見てください。凄いでしょ、これ」

 ニクスは薔薇の柄が施された壁に身体を何度も通過させ、なぜか自慢気な表情を浮かべている。どうやらこの魔法で導かれた世界では、通り抜けることが可能だと示したいらしい。

「……うん。凄いわ」

「ね! ね! 俺も初めて魔法でこの世界に来たときは驚きましたよっ! ちなみにここの住人から俺達は見えてないんで、なにをしても大丈夫ですよっ! 噂をすればほらっ」

 忙しない動きでニクスは広々とした廊下の奥を指差す。
 そこには険しい面持ちで話すヴィクトールと、今にも泣き出しそうな表情を浮かべるクリスチアーヌの姿があった。深刻な様子で控えの間へと入っていく二人の姿に、サクラの胸がかすかにざわめく。

「あ、れは……」

「殿下。行きましょう!」

 再び手を握られ、サクラは否応がなしに透過して部屋の中まで連れて行かれる。
 心臓がドクドクと波打つなか、聞こえてきたのはヴィクトールの荒んだ声だった。


「──クリスチアーヌ! ウィレムの子を身籠ったとはどういうことだ!」


 凄まじい剣幕に、サクラの肩が小さく震える。隣に立っているニクスもなぜか「ひっ」と短い悲鳴をあげていた。一度この世界に来たのなら、このやり取りを見たのではないのだろうか。どうして彼は驚いているのだろう。

 サクラが疑問に思った傍らで、怒声を向けられたクリスチアーヌは曇った表情で俯いていて。深紅に塗られた唇をきゅっと結んだ。

「クリスチアーヌ! 黙っていてはなにも分からない。答えろ!」

 再び声を張り上げるヴィクトール。漂う不穏な空気にサクラが汗ばむ手を胸元で握りしめたそのとき、沈黙を貫いていたクリスチアーヌがぼそりと小さな声で呟いた。

「……て……しが」

「なに?」

「どうして、私が責められるような物言いをされなければならないのですか!」

 悲しみが紛れた怒りを剥き出しにするように、クリスチアーヌは声を発した。彼女の血走った瞳からは大粒の涙が絶え間なくこぼれ落ちていく。

 今まで一度も彼女が感情を露にするのを目にしたことがなかったのだろうか。ヴィクトールは大きく目を見開いて、涙を流す彼女を見つめた。

「……確かに、私がウィレム殿下にそのような隙を見せてしまったのは事実です。私が寂しさで占められていた心の内を見せなければ、きっと殿下は私をもしなかったでしょう。しかし……こうなった元凶は陛下にあるのではないですか? この国に来たばかりでまだ疲れているからなどと仰せになって陛下は初夜に私を抱こうとはしなかったではありませんか。お世継ぎを産むために側室として娶られたのに、このままでは私がアルテリアに来た意味がありません……!」

「な、なにも子を産むことだけが目的ではないだろう! 夫婦となるだけでエルオーガとアルテリアの同盟に安泰が齎され……」

「そんなことは、私にはただの言い訳にしか聞こえません……! 本当は王妃殿下以外の女性に触れたくないだけなのでしょう?」

「そ、それ、は……」

 クリスチアーヌの棘のような言葉が突き刺さったのか、ヴィクトールは苦々しく顔を顰める。そんな夫の姿を前に、クリスチアーヌはふるふると唇を痙攣させ、ぐっと涙を呑み込んだ。

「本当なら陛下の子を産みたかった。でも、陛下は私のことを心の底では望んでくれていないから……」

「そん、なこと、は……」

「……陛下。お互いのためにどうか、お腹の子は私達の子供としましょう。それが一番です」

 クリスチアーヌは涙の滲んだ瞳でヴィクトールを見つめ、薄い筋肉を纏った胸元に触れる。彼女の指はゆっくりと上へ滑り、ヴィクトールの胸元に掲げられた首飾りに爪先が当たった。

「……陛下の心と身体は永遠に王妃殿下のものです。私はそれで構いません。だからせめて、お腹の子だけは私達の……」

 クリスチアーヌの潤んだ声は淡い吐息となって消え去り、彼女のほっそりとした腕がヴィクトールの首に回る。
 そのまま流れるように顔を近付けようとしたところで、ヴィクトールは正気に戻ったのか、クリスチアーヌの身体をぐっと押し退けた。

「……陛下」

「今は安静にしてくれ」

 ヴィクトールは逃げるように視線を逸らし、扉へと引き返す。すぐそばにいたサクラには一切気付くことなく、大理石に踵の鳴る音を響かせてそのまま部屋を後にした。

「は、ひぃ~……何度見ても慣れない……」

 ガチャッ、と扉が閉められたところで、ニクスは自らの額の汗を拳で拭った。どうやらサクラも無意識のうちに緊張していたらしい。背中からは大量の汗が噴き出し、指先も酷く震えている。

 いくら過去に起こった出来事とは言え、夫と側室の修羅場なんて平常心で見られるわけがない。

 (……二人に、こんなことがあったなんて)

 呼吸を整えようと深く息を吐き出し、顔を上げたそのとき──泣き腫らしていたはずのクリスチアーヌの顔が一気に豹変した。


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