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最終章
36話
しおりを挟む大国エルオーガの現国王ダヴィード・エルオーガは他の追随を許さないほどの切れ者と噂され、人の血が流れていない冷酷無慚な鬼と恐れられていた。
古来よりエルオーガの同盟国であったアルテリアは、繋がりこそ深いものと一見は思われていたが、実際の同盟条約は平等を謳ったものではなかった。
軍事力や経済力、自給自足するに足らない痩せた土地。エルオーガはあらゆる面で枯渇したアルテリアを支援する代わりに、数十年に一度、世界に蔓延する穢れを祓う役割を担わせていた。
──どれだけ国力を以てしても、自分達には喚び出すことができない聖女を。喉から手が出るほどに求めていた聖なる魔力を。穢れなき少女を召喚することができるアルテリアの王族の血を欲していたのだ。
サクラが召喚される前の先代の聖女はそのほとんどが、穢れの原因とされる黒竜を倒したと同時に、力尽きて命を落としていた。エルオーガとアルテリアを繋いでいた糸は、儚き一つの命。
旅でこそ落命しなかったものの、五年前にひっそりと消息を絶ったサクラも、過去の犠牲者と同じように想い出として消えていくはずだった。
『──つまり、聖女はまだ生きていると』
毅然とした態度で玉座に腰を掛けるダヴィードを前に、変装を施したリブレードは身体を小刻みに震わせる。彼の背後に跪くは、黒いコートに身を包んだ複数の兵士らしき人間達。その中に一際小柄な少年が紛れ込んでいた。
『……はい。サクラ前王妃殿下とヴィクトール前国王陛下はグレン・デイビーズの罠に嵌められたのです。おそらくは元の世界で、まだ生きているかと』
『ほう。だが、あの少女の正体が聖女ではなく国に災厄を齎す魔女であったとの噂も流れているが。前国王ヴィクトールは彼女に誑かされ、罪を犯したと』
『そ、それは真っ赤な嘘です! あの二人はた、だ……』
ダヴィードの藍色の瞳から放たれる氷のような冷たい眼差し。迸る血液が一瞬にして固まるような錯覚に襲われ、リブレードは全身を強張らせた。
最後の希望を求めてエルオーガへ赴いたのは間違いだったのだろうか。しかし、今のアルテリアに残された道はない。ウィレムとグレンを欺いて国外へ抜け出すのに四年以上の月日を要したのだ。この機会を無駄にするわけにはいかない。
アルテリアの命運を握るのは、亡きエイブラム騎士団長の跡を継いだ自分なのだ。
『何度かお会いしたことのあるダヴィード国王陛下なら理解していただけるはずです。聖なる力を持ったサクラ王妃殿下がそのようなお方ではないことを……!』
リブレードが自らを奮い立たせて顔を上げた瞬間、全身の肌が一気に粟立った。
『……確かに、あの少女が国を貶めるような真似をしたとは考え辛い部分はある……が、人は人が思うより人を信用できないものなのだよ』
『っ……!』
──いつの間に、目の前にいたのだろうか。
音もなければ、気配すら感じることもなく。先ほどまで玉座にいたはずのダヴィードは、リブレードの真向かいに佇んでいた。
幾多の修羅場を耐え抜いてきたリブレードの心臓が、音を立てて鼓動を連ねる。
『……真偽も定かではない今、アルテリアの現王妃となった実の娘であるクリスチアーヌの味方になるか、それとも偽装工作して現国王を欺こうとしている君達に加勢するか──私はどちらを選ぶと思う?』
ぎらりと異質な光を放つダヴィードの瞳。
リブレードが息を呑み込んだ刹那、ダヴィードの腰に携えられた黄金の鞘から勢いよく剣が抜かれ──空気を切り裂く音が玉座の間に鳴り渡った。
『……さぁ、隠れていないでどう思うか教えてはくれぬか。セドリック殿下よ』
威厳を貫いたままのダヴィードの声に、リブレードは血走った瞳を後方へ向ける。そこには、身体を覆い隠していた黒い布を破られ、黄金に輝く髪を露にしたセドリックの姿があった。
正体を見破られたセドリックは慌てふためくどころか、口元をかすかに緩めている。そのまま妙な笑い声を轟かせると、潔く立ち上がった。
『流石はエルオーガの国王と言ったところでしょうか。私の正体に気付いていたとは』
『……ふん。王太子ともあろう人間が国を抜け出して問題にはならないのかね』
『傀儡を用意しておいた故、お気になさらず。我が父と母の目は節穴同然ですから』
セドリックは背中を纏ったマントを翻し、青々とした光を手に宿す。忽ち、銀色に光輝く首飾りが現れ、そのまま風を漂うようにしてダヴィードの前に運ばれた。
『……これ、は』
『ええ。もちろんご存知だとは思いますが、ダヴィード国王陛下が前国王ヴィクトールに同盟の契りとして嵌めさせた首飾りです。ご覧の通り、壊れてもいなければ罅も入っていませんね。一時的に解除はされたようですが、彼は誓約を自ら破ってはいないようですよ?』
どこか挑発的に問い掛けるセドリックに対し、ダヴィードの表情は険しさが増していく。ダヴィードが髭に囲まれた唇をきつく結ぶと、自分よりも一回り以上小さなセドリックを睨み下ろした。
『……なにが言いたい』
『まさか、忘れてしまったとは言わないでしょう。貴殿は黒竜を封じ込めるほどの力を持った聖女サクラをどうにかしてでも手に入れたかったようですが、ヴィクトール前国王陛下が首を縦に振るはずもなかった。仕方なく援助を続ける代わりに出した条件が、我が母クリスチアーヌを側室とすること。アルテリアの王族の血を分かつ人間を手にいれるために。そうでしょう? うまくいけば自国から聖女を喚び出すことができますからね』
『なぜ、それを』
『私は父上とは違い、高位魔法の使い手ですから、秘密裏に交わされた誓約を見抜くことくらいは簡単です。ヴィクトール前国王に正妃サクラと側妃クリスチアーヌ平等に接するように時間誓約までつけたことも把握していますし……貴方の愛娘が裏でどんなことをしているかも、事細かく知っていますよ。少々生々しく感じるかもしれませんが、実際にお見せいたしましょうか』
セドリックの抑揚のある言葉に、ダヴィードの眉間に更に皺が寄る。セドリックは口の端をわずかに吊り上げると、睫毛をそっと伏せて詠唱を口にしようとした。
『──やめろ。もういい。最初からすべて分かっている』
嘆息混じりの低い声が、城内に響き渡る。
ダヴィードはシャンデリアの光に煌めく剣を鞘にしまい、リブレード達に背を向ける。そのまま玉座に戻るかと思われた──が、その場に踏みとどまった。
『……セドリックよ。お前はあれから聞いた通り、いや、想像以上に賢い子だ。しかし一つだけ分かっていないことがあるな。私と前国王ヴィクトールとの関係は誓約一つで断ち切れるほど脆弱なものではない』
ばさっ、と風を切る音が鳴る。
ダヴィードは片腕で外套を持ち上げ、藍色の瞳を大きく見開き、多くの家臣と兵士達が立ち並ぶ最奥の壁に向かって、声を大きく張り上げた。
『──我が衛兵を傷つけた勇者グレンを許してはならぬ! 国を乱す国王はその地位に相応しくない! 同盟国を守るため、聖女サクラと前国王ヴィクトールを救うため、戦う準備を始めろ!』
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