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1話
しおりを挟む「いたっ!」
手の甲に打ち付けたような衝撃が走り、手離してしまった剣が回転しながら宙を舞う。武器を失い慌てて剣を追おうと足を踏み込んだところで、喉元に鋭い感触が突き付けられた。
「ナーシャ。無駄な動きが多いぞ」
息一つ切らさず無表情で剣の刃先を向けているのは、師匠のリーク騎士団長。二年前に無人の村で彼が率いる騎士団と出会い、他の人間達とは異なる強さを師匠から匂いで感じ取った私は、今までに幾度と無く勝負を挑んだけれど、一度も勝てた試しは無かった。
今日も不意討ちで襲い掛かってはみたものの、ものの数秒でこのような結果に。唇をきゅっと結び、負けた悔しさを噛み締めていると、師匠は僅かに口元に笑みを綻ばした。
「まだまだだな。精進しろ」
人間の耳とは異なる狼の耳を巻き込むように私の頭を大きく撫で回し、師匠は颯とその場を去っていった。
ムスッとしたように頬を膨らまし、その場に立ち尽くす。
強くなれば、師匠はきっと私を認めてくれる。私をもっと見てくれる。私を──
「尻尾。凄いことになってんぞ」
「はうっ!?」
尻尾の根元が引っ張られたような痛みが走り、甲高い悲鳴がこぼれる。後ろを振り返ると、そこには同じ騎士団に属するビレンの姿があった。
「頭撫でられただけで尻尾振り回しちゃってよ。どんだけお前団長のこと好きなんだよ」
「ち、違うもん! これは自然現象だもん!」
咄嗟に言い訳をするも、ビレンは「へぇ~」と言いながら口角を上げてニヤニヤと嗤っている。彼は普段から面白半分で人を揶揄うお調子者。とは言え、騎士団に入った当初、半獣という珍しい存在の私に臆すること無く積極的に話しかけてくれたので、彼に対して感謝の気持ちが無い訳ではない。
ビレンは薄ら笑いを浮かべたまま私の肩に手を回すと、耳元で小さく囁いた。
「お前、いつまでその状態でいる訳?」
「え? 尻尾は暫くしたら自然と……」
「ちげーよ。団長のこと言ってんだよドアホ」
態とらしく大きな溜め息を吐くと、ビレンは団長の後ろ姿を指差した。
「団長ももう二十代半ばだ。そろそろ身も固める頃なんじゃねーの?」
「身を、固める?」
言葉を理解できず、小さく首を傾げる。ビレンは更に私に顔を近付けると、誰にも聞こえないように小さな声で囁いた。
「結婚も有り得るって話だよ」
「っえ!?」
想定外の一言に、突き抜けた高音となって漏れる声。一斉に団員達の視線が私達に集い、慌てて口を両手で覆った。そんな私を前にビレンは呆れたように笑いながら、小声で話を続ける。
「団長が結婚したら、きっと今以上に構って貰えなくなるぞ~。どうすんだよ、お前?」
「ど、どうするって……」
今以上に構って貰えなくなくなる、ということは──剣の相手もして貰えなくなる……いや、もしかしたら女だと言う理由で話すらして貰えなくなるかもしれない。下手をしたら騎士団を追い出されるかも……! そんなの絶対に嫌!
「ど、どうしたらいい……?」
震える声で尋ねると、ビレンは「くくくっ」と妙な笑い声を漏らしながら、とある物を胸ポケットから取り出した。
「……何それ?」
彼の指に挟められていたのは、小さな袋に入った白い粉。凝視するように顔を顰めていると、ビレンはそれを私の手に握らせた。
「今日の夜、団長が泊まる宿の部屋にどうにかして入れ」
「え?」
「そんで、この睡眠薬を水に入れるなりして飲ませろ」
「えっ!?」
「そんで最後は寝込みを襲ってフィニッシュだ」
「んえっ!?」
彼の口から紡ぎ出された提案に、目と口を大きく見開く。対してビレンは何故か自信満々な表情を浮かべながら、私の肩に大きく手を置き、親指を立てた。
「今度、お前と仲が良かった侍女のノアちゃんを紹介してくれ! これでチャラな!」
そのままビレンは鼻歌を口遊みながら、風のようにその場を去っていった。
何だかんだ受け取ってしまった薬を握り締め、然り気無く団長に視線を向ける。黒い髪を靡かせるその姿──いつか師匠は他の誰かのものになってしまうのだろうか。そう考えただけで胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
お、襲うかは別として、ちゃんと師匠から話を聞きたい。今後結婚する予定はあるのかとか、恋人はいるのか、とか。あっ、でもこんな話を突然切り出したら変に思われるかな。女性関係の話なんて今までに一度もしたことないし……。
「どうしよう……って、わっ!!」
顔を上げた瞬間、師匠の顔が視界に飛び込んだ。
いつの間にこんな近くに……!
「ナーシャ。何を考えている」
「あ、え、うっ、強くなる方法を、考えていました!」
声が裏返ってしまった。師匠、すっごい見てくるし。そんな間近で見られると、頭の中が全て見透かされているような気がしてしまう。
「頑張れ」
「し、師匠……」
師匠は私から手を離し、颯爽と踵を返す。そのままその場から去ろうとする師匠の腕を慌てて掴み、思わず引き止めてしまった。
「何だ、どうした」
「あ、あう、あの……」
真っ直ぐに瞳を向けられ、心臓の鼓動が加速する。見つかってしまったらまずいと、薬を背中に隠しながら、ゴクリと唾を呑み込んだ。
「わ、私、師匠とお話ししたいことがあるんです!」
「何だ。今話していいぞ」
「ふ、二人きりの時がいいんです!」
声を震わせながらも、何とか伝えたい言葉を口にする。師匠は顎に手を添えて暫く考え込むような素振りを見せた後、「分かった」と小さく頷いた。
「今夜、俺の部屋に来い。そこでゆっくり話そう」
再び私に背を向けてその場を去っていく師匠。束の間の出来事に肩の力が抜け、これでもかと言うくらいに大きな溜め息がこぼれる。
まさか師匠から部屋に誘ってくれるとは思わなかった。これで安心して襲える……じゃなくて、話が出来る! 頑張らなくちゃ!
決意を噛み締めるように、一人拳を握り締める。
日が落ちる夕暮れの中。次の目的地の町へと向かう為、リーク師匠を先頭に私達は馬を走らせた。
そして迎えた夜。師匠の待つ部屋の前にて、身体を小さく震わせながら佇んでいた。
──この扉の先に、師匠がいる。覚悟を決めなくちゃ。
意を決したように唾を呑み込み、中指の骨で扉を鳴らす。
「し、師匠! 入っても宜しいでしょうか?」
駄目だ、声まで震えている。こんな挙動不審な態度だと、直ぐに怪しまれちゃう……!
緊張を振り切るように首を横に何度も振ったのと同時に、扉がガチャリと音を立てて開いた。身体を半分覗かすようにして立っていたのは、紛れもなく師匠。シャツに黒のズボンという格好……普段よりラフだ。
「ナーシャか。入れ」
師匠は淡々と言葉を告げると、そのまま私を中へと招き入れた。汗ばむ拳を握り締め、扉を支えたままの師匠の前をそっと通る。刹那、師匠のいい匂いがして、少しだけ顔が綻びそうになった。
「そこに座れ」
吐息と共に師匠の低い声が耳に吹き掛かる。顔を上げて振り返ると、至近距離に師匠の顔が──
「っ……!」
唇が触れ合ってしまいそうな距離に、顔が熱くなっていく。対して師匠は動揺する様子一つ見せず、直ぐに顔を離して目の前のソファーへと私を誘導した。
「喉が渇いたな。何か飲むか」
一度隣に腰を掛けたものの、再び立ち上がろうとする師匠。咄嗟にその腕を掴み、ソファーの上へと引き戻す。
「何を……」
「の、飲み物ならあるんで大丈夫です! まだ口も付けてないんで、良かったら先に飲んで下さい!」
声を吃らせながら、鞄の中に入れていた皮水筒を取り、師匠にそれを差し出した。無論、中の水にはあれが混じっている。ビレンに貰った睡眠薬が。
師匠は無言でそれを受け取ると、睨むように水筒を眺めた。
もしかして、何か疑われてる……!?
心臓が暴れるように波打つ中、師匠は水筒のキャップを外し、水筒の先を口に付ける。そして中身を流し込むように顎を上げ、ゴクリと音を立てて飲み込んだ。
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