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2話
しおりを挟む──ゴクリ。
師匠の喉仏が二回……いや、三回くらい動いた。飲んだ。これは確実に飲んだ。
任務を成し遂げた達成感と、尊敬する師匠に異物を飲ませてしまった罪悪感で、心の中が複雑な感情に見舞われる。
次に何をすれば良いのか分からず硬直していると、師匠が吐息を漏らし、顔を此方に向けた。
「それで、話したいことは何だ」
「は?」
「何だその反応は。話があると言ったのはお前だろう」
しまった、確実に気が抜けていた。しかしもう怖くない。薬を飲ませてしまえばもう此方の勝利は約束されたのと同じ! 覚悟しろ、師匠!
──と、訳が分からない台詞を心の中だけで叫び、口からは渇いた笑いだけを漏らした。
「し、師匠の強さの秘訣を知りたいと思いまして!」
「は? 今更だな。教えてどうにかなるなら疾うに強くなっているだろう」
「ん、んぐっ……」
心をナイフで抉るような言葉を返され、思わず口ごもる。師匠は大きな溜め息を吐いた後、腕を組んだままソファーに背中を預けた。
「焦るな。お前はまだ若い。聞くより見る、見るより行動する、此れを心掛けてじっくり学べ」
「し、師匠……」
「安心しろ。相手くらいはいつでもしてやる」
師匠は口元を綻ばし、私の頭を優しく撫でる。普段は笑うことなんて少ないけれど、時折笑顔を見せて、こうして頭を撫でてくれる。そんな悪意の欠片を微塵も感じられない優しい人に、私は毒……じゃなくて、睡眠薬を盛ったのか。最低な弟子で本当にごめんなさい。
心を落ち着かせる為に呼吸を整え、視線を再び師匠に向けた。
「師匠……もう一つ聞いてもいいですか?」
「何だ」
「師匠ってもうすぐおじさ……二十代半ばですよね。御結婚される予定とかってあるんですか?」
突然話が切り替わったことに驚いたのか、師匠は頭を撫でていた手をピタリと止め、眉を顰めて私を見つめた。
「何だ急に? 体調でも悪いのか?」
「わ、悪くないです! 単純に気になっただけです!」
顔を近付けて額に触れようとする師匠に、声が上擦り、頬が赤らんでいくのが自分でも分かってしまう。師匠は怪訝な表情を浮かべながらも「そうか」と返し、そっと手を離した。
「結婚か。俺は嫡男では無いからな。そこまで煩く言われる事もないし、深く考えたこともない」
「そ、そうなんですか……」
不意に安堵の息が溢れ、ほっと胸を撫で下ろす。特に結婚の予定も無いなら、睡眠薬を飲ませた意味も無かったかも。師匠が寝たら、このままお暇しようか──
「しかし何れはするだろうな。いつまでも独り身という訳にもいかないだろう」
耳に流れ込んだ師匠が淡々と告げた言葉。心臓が握り潰されるような感覚に襲われ、呼吸が微かに乱れる。師匠はそんな私に気付く様子無く、大きな欠伸を溢した。
「やたらと眠くなってきたな……。ナーシャ、鍵は閉めなくていいから勝手に外、に……」
師匠は途切れ途切れに言葉を口にしながら、瞼をゆっくりと閉じていく。そのまま言葉を口にすること無く、師匠はソファーに凭れ掛かって寝息を立て始めた。
ゴクリと音を立てて唾を呑み込み、師匠が寝ていることを目視で確認。師匠の手に握られていた水筒が落ちないように机の上へと移動させ、物音を立てないようにソファーから立ち上がった。
「師匠……」
師匠の前に立ち、そっと頬に触れる。綺麗な寝顔、なんて思いながら、師匠の太股の上に座った。
「好きです、師匠。二年前に師匠が私を拾ってくれた時から。独りぼっちだった私に居場所を作ってくれた師匠が好きです」
静寂な空間の中、心に秘めていた想いを打ち明ける。片手で触れていた師匠の頬を両手で包み込み、顔を近付けた。
「……師匠。貴方を誰にも渡したくありません。好きです、師匠」
鼻の先が触れ合い、吐息が混じり合う。そのまま吸い寄せられるように顔を更に近付け──自分の唇を師匠の唇に押し付けた。
「は、うっ……」
師匠の唇の隙間から漏れる吐息と、初めて触れる柔らかな感触に、身を捩らせる。
「し、しょ……う……」
触れるだけの口付けを交わした後、惜しむように唇を離し──刹那、目を見開いた。
「えっ」
眠っていたはずの師匠の目が開いている。
あれ、どうして? さっきまで寝てたよね?
待って、待って待って。理解が追い付かない。
心臓が大きく波打ち、額を汗が伝う最中、師匠は無表情で私の顎を掴み上げた。
「寝込みを襲うとは、いい度胸をしているな」
「し、ししょ……きゃっ!」
一瞬にして師匠は私の身体をソファーに押し倒し、覆い被さるように跨がった。抵抗する間も無く師匠の顔が近付き、唇が塞がれる。
「ふ、んんっ……!」
唇を強く押し付けられ、息苦しさから解放されようと僅かに唇が開く。その隙間から生温い感触が差し込まれ、奥に潜ませていた舌を絡め取られた。
「や、ん、師匠……っ!」
口内を貪られるような激しい口付けに、唇の端から艶やかな声と共に唾液が伝う。顔を横に逸らそうとしても、頭を固定されて唇を離すことが出来ない。
「は、ん、んんっ……」
二人分の体重が激しい動きをすることにより、ソファーがギシギシと軋む音を立てる。訳も分からず師匠のキスに必死に応え続け数分──歯列を擦るように師匠の舌が口内を這ったところで、唇を離された。
「し、しょ……う……」
師匠との唇の間に混ざり合った唾液の糸が伝っている。恥ずかしさと身体を疼く熱で涙が滲み、呼吸はだらしなく乱れていた。師匠はそんな私を前に不敵な笑みを溢すと、自らのシャツのボタンに手を掛けた。
「……ナーシャ。悪いが俺は極度の不眠症でな。あの程度の睡眠薬では簡単に眠れん」
「え、じ、じゃあ最初から気付いて……」
「悪いな、その通りだ」
師匠はあっという間にシャツを脱ぎ、床へと投げ捨てる。厚い筋肉に覆われた彼の身体を前に暫く呆然としていたものの、私の服の下に潜り込むように師匠の手が素肌を這っていることに気付き、意識が現実へと引き戻された。
「ま、待って、師匠! 何するの!」
掠れた声で叫びながら、抵抗の意を示す。すると師匠はピタリと手を止め、もう片方の手で私の顎を持ち上げた。
漆黒の瞳を真っ直ぐに向けられ、熱を持った身体がゾクゾクと震え上がる。師匠は顎に添えていた手をするりと私の胸元へと滑らせると、口元に笑みを携えた。
「ナーシャ。俺を襲うということがどういう事か身体に染み込ませて教えてやる。覚悟しろ」
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