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第一章
烏の訓練
しおりを挟む月読は腕を組んで壁に凭れていた。
燻された銀の如く派手さのない書斎には濃茶色の大きなデスクが置かれ、黒い椅子がギシリと音を立てる。ここは【烏】の屋敷内にある九郎の私室だ。
山駆けのできる動きやすい格好で、此処へ呼び出された事由を尋ねる。
「で? 」
「若手に飛び方を教えたい」
「後進の指導か、大したものだな。それで? 私が此処にいるのは何故だ」
飛び方とは、烏が山間部を走る時に使う移動の仕方だ。基礎的な体力作りと格闘術など習得し、ひたすら山を駆ける。だがしかし若手を指導する烏なら、この屋敷の中には山ほどいる。呼び出された理由を考えあぐねていると九郎がこちらへ視線をむける。
「暇だろ」
「お前は、私を一体何だと思っているんだ」
どうやら冗談でもなく平然と言い放つ九郎に、眉間を親指と人差し指で揉む。
「明さん! 」
九郎と話していると鈴が鳴ったような凛とした声が聞こえ、さっそうと若い娘が現れた。出会い頭に明と呼ばれて苦笑する。
「燈子」
「ああっ、すみません。月読様! 」
無表情の九郎がたしなめれば、身振り手振りを交え慌てたようすの燈子が謝ってきた。
燈子は九郎の妹。前ノ坊家は4人家族で母の光恵も【烏】だ。燈子は小柄な母親には似ていない、そこらの男より背が高く細身だが肩幅もある。豊かな艶のある黒髪を上部で纏め、秀麗な顔立ちをしてる。
彼女は次代の【月読】になる小さな従妹を守護している。月読の家が女系という由縁もあって、女性の烏は男の立ち入れない所に入り守護や世話役をしている者が多い。能力が高ければ退魔の仕事もこなす。
「今日は大学休みかい? 」
見ない間に成長した燈子に、月読は目を細めて顔をほころばせた。
「はいっ」
快活に燈子が答えた。明朗なところは一進に似ている。燈子を眺めて和んでいたら、突然肩をつかまれた。
置かれた手をたどると、目付きの悪い大きな烏が1人。
「お前は……和まないな」
嘆けば、でかいカラスは月読をズルズルと引きずり部屋から連れ去った。
九郎に半ば引き摺られて同行した月読は、御山の登山道にいた。明け方まで小雨が降っていたせいで、周りの草木は湿って白い霞が立ちのぼる。
4人の【烏】は既に集まって柔軟運動をおこなっていた。
「「よろしくお願いしますっ! 」」
こちらに気付いた烏達は、一斉に元気な挨拶をしてきた。烏面で顔を窺い知ることは出来ないけれど、声に瑞々しさがあり成長しきっていない青年だとわかる。
九郎が準備はいいか尋ねたので、月読はしばし待ってもらい全身の腱を伸ばして体を温めた。
若い烏達は起伏のはげしい山駆けは初めて、2人1組で協力しながら動くよう指示され共々に登山道へ入った。御山へ至る道は大きな岩が立ち塞がる箇所や崖があり、一般の登山者では登れない道がつづいてる。
九郎を先頭に軽く走りはじめ、月読は全員を見送ってから最後尾へつく。森の中を縫うように抜けたら、大岩で道が塞がっていた。
手本を見せるため九郎は両手を組み、岩を背に屈んで土台となる。そこへ走ってきた月読が足をかけ、九郎は両手を引きあげて浮かすように跳ばす。同様に若い烏達も2組にわかれ、一方が土台になりもう一方を上へ跳ばした。上へのぼった者が腕を伸ばし下の者を引きあげる。そのような大きな岩場を何ヶ所も越えた。
草木の葉についた雨の名残を散らせ、スピードを上げて駆け下る。斜面を走っていると、クレバスのごとく裂かれた絶壁が現れた。加速したまま九郎が力強く踏みきって跳び、後続の烏達も次々と崖を跳び越えていく。
最後の1人が前日の雨にぬれた岩で滑り体勢を崩した。すべった烏はうわっと声をあげた。止まれず、やむなく跳躍したけれど向こうへ届かず落ちていった。相棒の烏が手を伸ばして落ちた者の名を叫ぶ。
後方から走ってきた月読は跳躍し、落ちていく烏を捕捉した。そのまま対岸の岩壁へ打ち当たるように留まり声をかけた。
「登れるか? 」
抱えられた若い烏はかろうじて頷いた。身体を引きよせ手を掛けさせると若い烏は慎重に手足を使い崖を登り、次いで月読も岩の隙間へ指をかけ登る。崖縁へ手を伸ばしたとき差し出された九郎の手を取った。
隊列を組みなおし、烏達は疾走しつづける。
青々としげった深い森を走り、太い木の幹から反動をつけて上部へ登っていく。森を抜けたところで、低い木ばかり生えている岩場へ出た。足場の悪い坂を、互いに気遣いながら列を成して駆け登る。標高はそれほど高くないが、のぼりが続くので心臓が激しく波打つ。前を行く若者の烏面から荒い呼吸の音が聞こえた。
尾根に辿り着くと頂上が視界へ入った。両側は岩の急斜面になっていて、落ちたら一溜まりもない尾根づたいを走って渡る。
小高い位置に大きな1枚岩があった。出っぱった岩の上部は平らだ。
「ゴールだ」
九郎が岩の上に立つ。走ってきた烏達が大岩へ転がりこみ、最後に月読も足をおく。
大岩を見渡すと若い烏達はゼエゼエと激しく息をついている。膝を付いて座り込んだり、仰向けにひっくり返っていた。九郎は気分の悪くなった者がいないかまわり、ついでに烏達の腰元に付いた袋から飲料を手渡した。若い烏達はペットボトルの飲料を多量に口に運ぼうとするが、ゆっくり飲むよう促される。
「だいぶ疲れているな」
「少々ペースを上げ過ぎたようだ、休めばすぐ動けるだろう」
会話を交わす白衣と黒衣の2人の男は、大して疲れてもいない様子で岩の上に転がる若い烏達を見まわした。
「休憩しよう、下りはそれからだ」
九郎は若い烏達へ声をかけた。
月読は頂上の大岩に立ち、霧の谷がある方角へ視線を送る。
足元は断崖絶壁で、強い風が下から吹いている。早朝にくらべ薄くなった雲はところどころ穴があき、水色の空が透けて見えた。雲のすき間から日光が梯子のごとく差しこんで山々を照らす。
日の差しこむ谷に、巨大な密度のある霧か雲のような長いものがフヨフヨと漂っていた。
谷1つに頭1つ。御山に棲む巨大な化生は、闇龗または白龍大神とも云われている。小さな頭をいれると首は9本よりずっと多く、龍と呼ばれるわりには鱗も無いし奇妙な形だ。谷の中には有害な気体を放つ谷もあり、恐ろしい性質も合わせ持つ。
こちらに気付いたのか、霧谷の頭1つが持ち上がり風にユラユラと揺れている。
雲間の光に水滴が反射して表面が煌めき、自然現象にしては些か不自然なそれはよく見れば2つの丸い目玉がついている。
「今日はおられるのか」
九郎が隣に来ていた。龍神が霧から姿をあらわす事は珍しいそうだ。
月読からすれば、いつも御山のどこかに見えているはず――――いや、闇龗なら人から姿を隠すぐらい造作も無いことかと思い至る。
「うむ、雨が降ったからイキイキとしているな」
先程から持ち上がっている頭の1つは揺らしているのか、ただ風で揺れているだけなのか分からなかった。月読は龍神が顕現した時の霧が凝縮した姿を思い浮かべながら問う。
「龗の姿は、九郎にはどう見える? 」
「言葉で表すのは難しい。だが少し似ているな……お前に」
「あれに? どういうことだ!? 」
九郎が放った最後の一言に、月読は眉を上げて物申した。身を翻して歩きだした黒衣の男から、フと笑う音がする。
休憩していた烏達を呼んだ九郎は、帰りのルートを説明した。月読が他の烏と訓練していた時は、山頂から急斜面の崖を下りていた。達者になると日に何度も往復する者もいる。
「急斜面からは下りないのか? 」
「彼らは初心者だ。脚は下りの方がきつい」
九郎が先導して烏達は再び走りはじめ、月読も最後尾を追随する。
登った時とは違うルートを通り、ゆるやかに山をくだった。それでも若い烏達の足には負担が掛かり、足どりは重く跳べてないのは目に見えてわかる。集合地点へもどる頃には、若烏達の両膝はガクガクとふるえていた。登りで疲労し、下りで残った体力を使い切ってしまったようだ。膝へ手をついてかがみ荒い呼吸を繰り返してる。
月読のところへ1人の若い烏が小走りしてきた。烏面を外した顔は思っていたより幼げ、手触りの良さそうな髪の毛は耳元まで伸びている。ある程度鍛え、決して華奢というわけではないが可愛らしい子だ。
「あの……ありがとうございます! 」
お礼を言われた月読は、崖で助けた烏だと覚った。
訓練中のフォローは当たり前だから気にしないようにと伝え、青年とよぶには童顔の容貌を見つめ返した。気づけば青年の頬が赤い。
「訓練は終わりだ、屋敷へ戻るぞ」
不意に真うしろからドスのきいた声がして月読はビクリと肩を竦めた。青年はあたふたした後、一礼して脱兎のごとく屋敷の方角へ走り去る。
なんだったんだろうと唸って九郎をふり返れば、真っ黒な大烏はジトッとした眼で物言いたそうな顔をしてから屋敷へと歩いていった。
「いったい何なんだ……」
残された月読は眉頭をあげ大仰に溜息をついた。
**********
「前に来た時、気になっていたんだよ」
訓練の後日、月読は棚を物色して知的好奇心を満たしていた。
デスク横の棚には、物が整然と並べられている。九郎の普段付けてる烏面が数種類、様々な呪具、黒い頭巾の様なヘルメットやプロテクタ―が置いてある。
木製のハンガーラックには防弾服まで吊り下げられてる。
烏面を手に取って確認すると、内側には色々と装置が付いていて意外に密着性がある。烏面をもてあそびながら棚を見ていると、普段無口なはずの九郎は比較的早口になり説明をはじめた。
「それは目の所がゴーグルになっていて、夜間暗視も出来る。毒ガス対応出来るやつもあるぞ、遠視用のゴーグルはまた別だな。そっちの防護服はアンダーアーマーで、いつも衣の下へ着てる」
月読は止まらない説明を右から左へ受け流す。
――――ミリオタ……軍事マニアだったっけな……なるほど。
烏達の装備が急に変わったのも納得がいく。九郎は一体ドコへ向かうつもりだ。いっそのこと傭兵にでもなった方が本望だったのではないだろうかと月読は思った。
気をとりなおし他の呪具をながめる。ワイヤーの付いた鉄杭は呪の文字が打たれ、返し状の突起が幾つもとび出し危険だ。
「改造した呪具だ。使い易くなったが威力はいまいちだ」
「呪具の改造ってありなのか……まさかおまえ【マガツヒ】で実験したんじゃないだろうな? 」
以前のマガツヒ退治、あきれた視線を投げるといちおう事前にテスト済みだとつけ加えてきた。
月読専用の白い装備を作ろうかと訊かれたが、連邦の白いヤツとか白い悪魔と呼ばれそうな気がして丁重に断わった。
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