月読-つくよみ-

風見鶏ーKazamidoriー

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第九章

山駈け

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 明朝、暗いうちから起床して髪をった月読は道場へ向かう。道場には先に来ていた九郎と門下生もんかせいたちが集まっていた。

人数を確認した法印ほういん松明たいまつの火をかかげ、先導して歩く。左右に守護神像の配置された赤い門をくぐればまもられた山域、門の境目さかいめに立つと静電気のまくが皮膚をなでる感覚がある。

橋についた月読はうすい行衣ぎょうえを脱いでふんどし1枚になった。松明の火は、なめらかな筋肉が隆起する白い肌をおぼろげに照らす。夜あけ前の闇、わずかな光に反射する裸の男達は川でみそぎをおこない身をきよめる。

すべらないよう手をつかまれ、川から引き上げられた。暗闇にぼんやり浮かぶ影の手は、大きさも感触もよく知っている男のものだった。



 道場へ戻った月読は白衣びゃくえをまとう。九郎も白衣の上から烏羽色からすばいろ鈴懸すずかけを身に着け、雨除あまよけの合羽かっぱ班蓋はんがいなど必要最低限の物を背負せおう。

「月読」
 フワリと白い晒布さらしを頭へかぶせられた。まとめた髪の上からぐるりと巻き、両こめかみ辺りでむすんだ布がなびく。

「私は白い布なのか? 」

 九郎はひたいへ多角形の小さな黒い頭襟ときんを付けて、顎紐あごひもを結んでいた。元はヘルメットのように頭をおおい、水をんだりと危険な山中で実用性をねていたそうだ。
頭に巻く長頭巾がわりの布も黒や紺色から変化して、いつしか白い布を巻くようになった。木綿もめん晒布さらしは丈夫で実用性に富み、白色は清浄や無垢むくさを表している。

六根清浄ろっこんしょうじょう、言ってみろ」
 晒布さらしを巻き終わった九郎が、月読の衣服を整えながら声をかける。

 霊山を登ったりや寒行の時に迷いを断ち切って、心身をけがれを払い清めるためにとなえる言葉だという。高山病を防止する呼吸のリズムに唱えられたこともある。

「ろっこんしょーじょう、わりと力業ちからわざの言葉なんだな」

「ほっほっ、六根清浄、六根清浄」

 様子を見にきた法印がほがらかに笑っている。



 装束姿の人々がうつ薄闇うすやみのなか、法螺貝ほらがいが鳴らされる。ブオンという低い音から甲高い音へ、ビブラートは揺れて息を吐くように綺麗に消えた。要所で祝詞のりと経文きょうもんをとなえ、ゆるやかで急な長い階段を登って頂上の小屋で火をおこし護摩ごまく。

 皆が読経どっきょうを終える頃、空はあかつきに染まりあかるくなった。

 九郎の背中を見つめながら歩を進めた。黒い鈴懸すずかけをよく見たら、うっすらからすの紋がられている。
前を歩く金村かねむらの背にも大きな箱がある。同行者の荷物を持って案内する強力ごうりき、金村は修行のため必要な道具をおいと呼ばれる木の箱へ入れて背負せおっていた。



 杉の木に大きなうろこのある尻尾が巻きついている。高く顔の見えない龍の尻尾は、眠たそうにズルリと引き上がった。

 山の向こうにも山があり、崖の下には木々のしげる森林が続いていた。先頭の法印が立ち止まって腰のおりんを鳴らして声を掛ける。

ここから走る山駆やまがけ修行が開始された。

土を走り、泥の上を走り、ひらけた裾野すそのへ出たら、遠目にアスファルトの道路と月の山が見える。いつも御山を駆けているせいか苦ではない、走っていた足を止めて読経するほこらへ着く頃には、標高も高くなり雲がすぐ近くにあった。大岩を急登きゅうとうすると、岩だらけの足場へ木道もくどうが敷かれている。

石垣の積み上げられた頂上の神社で祝詞のりと奏上そうじょうしてから、泊まる小屋へ案内されて坐禅ざぜんした。法印と門徒もんとたちはこれから一晩中護摩行ごまぎょう、九郎と金村も参加している。



 日も落ちて月読は、しばし自由な時間を与えられた。

 月が光をはなち雲海を青く照らす、ゴツゴツした岩を踏みしめ雲海を見下ろした。時折ときおり雲にまぎれて龍の背がうねり、上空を飛翔するものが通り過ぎる。

出発した深緑しんりょくの山と異なり、雪の残る標高の高い山は荒涼こうりょうとしてむものも少ない、殺風景でさびしい頂上は黄泉国よみのくにを連想させた。

「死者の登る山か……」

 視線を落とせば荒涼とした山肌は季節のうつろいで草花が芽吹めぶき、月を映した丸い池が点在している。青いいなわらのごとき細草ほそくさが風に押されてなびき、湿地しっちの真ん中に薄絹うすぎぬ女人にょにんが立っていた。

ころもがふわりふわりとはためいて、こちらを見た女人の口元がほほえむ。

「月読様」

 唐突とうとつな呼びかけに振り向いたら大伴おおともが居た。ふたたび視線を湿地へ戻せば、女人は姿を消していた。

「見たか? 」

「はい。しかし風になびいている衣しか見えませんでした……ここから目視してあの背の高さは、かなり大きいですね」

 ここは死者のたましいが集まる山ともわれている。月読が衣に魅入みいられているのではないかと、心配になって大伴は声を掛けたらしい。

一汁一菜いちじゅういっさいが用意されてます。お腹には入れられましたか? 」
「戻ったら頂くよ」

 空腹を通り越して体が安定している。いま食べる飯はさぞ美味いことだろう、ふと奈落で生きびるため口にしていた物を思い出して月読は雲海の向こうを眺めた。

ひたいに落ちて風に揺られる真綿まわた色の髪束かみたばを結び直す。



 会話している内、真剣な瞳に見つめられる。

貴方あなたは、御自身をさらった九郎様を信頼出来るのですか? 」
 いつもの柔和にゅうわな顔は消えて、大伴の口から独白に近い呟きがもれた。

「月読様のことは信じています。それでもマガツヒに関わってきた私は、九郎様がそうなのだと考えるだけで怖ろしい」

 今回の遠征に大伴が乗り気で無いことは感じていた。一進いっしんめいを受けた彼は、おそらく西之本にしのもとの下で動いている。しかし断る選択もあったはずだ、月読は同行した理由をたずねる。

「分かりません……大丈夫だと自分へ証明したかったのかもしれない。私もあなたと九郎様をずっと見てきたからすの1人ですから」
 それに元側近もとそっきんですと、付け加えた大伴はいつもの柔和な顔に戻っていた。



 奈落で寒さよけに着ていた毛皮が恋しくなり、山頂の小屋へ戻ると護摩行の読経が聞こえてくる。西之本は別室で火の番をしていた。

「西之本さんは護摩行に参加しなくて良いのですか? 」 

「私の目的は修行では無いからね。外は寒かっただろう? ここで暖まるといい」

 引敷ひっしきを敷きこみ板間へ座り、1杯の白飯と山菜汁を食べた。大伴も腰を下ろして3人で囲炉裏いろりかこむ。月読はさっき見かけた湿地の女人について話した。人のいない高地で人型のものはまれだ。

「興味深いですね、人が来たので様子を見にきたのでしょうか? 」

 命芽吹いのちめぶく湿地は神が御田植おたうえした原とわれがあり、奇稲田姫神くしなだひめのかみまつっている。
山のふもとは稲作がさかんで、五穀豊穣ごこくほうじょうを願ってやしろを建てた。人々の信仰と強い結びつき、その稲田いなだ奇魂くしみたまと遭遇したのではないかと西之本の考察を聞いた。




 満天の星空はかすみ、紫紺しこんの明かりが雲海の向こうへ広がる。

仮眠していた月読は、護摩焚ごまだきの行われている部屋を訪れた。護摩焚きの火は収まり、最後の祈祷きとうかねが響く。

部屋の掃除を終えた一行は小屋を出て白くもやる道をく、水分をふくんだ白い雲が視界をさえぎった。間隔かんかくをあけてリーンとおりんの音が鳴り、ガスの中を迷わないように導いた。



 雲が晴れて視界が良くなると、一行はまた走り始める。なだらかな石畳を走り、崖沿がけぞいを駆け勤行ごんぎょうを行なう。樹木が隙間すきまなく茂る崖下へ朝陽あさひが射し、たくさんの生命の気配をふりく。

跳び降りる岩棚いわだなを探していたら九郎に引っぱられ、設置された梯子はしごを下りた。森のドームは数多あまたの存在で早朝からさわがしい。柿色の面をかぶった山伏が枝の上からこちらを見ていた。高下駄たかげたを履き、鼻も長くて伝え聞く天狗てんぐ風貌ふうぼうそのものだ。

 梯子を下っていたら、石ころの【チ】がころがり落ちてきて月読の背にとどまった。小さいクセに異様いように重たい、けれども行きたい所がある様子なのでチを乗せたまま下りる。

崖を下りて森林を進むと、水の気が強い場所へ出る。岩を流れ落ちる滝がり、赤錆あかさび色の巨大な磐座いわくらみやが建っていた。月の山を越えてここは3つ目の霊山、湯のく山だ。

ぎょうをするため、草履ぞうり足袋たびを脱いだ月読は本宮ほんぐうへと入った。



 湯の山奥地で滝行を終えて互いにねぎらい、参拝者さんぱいしゃの集まる参籠所さんろうじょへ向かう。

「温泉があるぞ」
「行く」

 九郎の一声で温泉へ行く事になった。滝行もして水気たっぷりだが、身体を温めるのは別だ。案内されてついて行くと年季ねんきの入った建物の奥に小さな脱衣場があった。

「お前も一緒に入るのか……」

 つぶやく月読の横で目つきの悪いからすはさも当たり前のように着衣を脱ぐ、脱衣所はせまいが木製の湯舟は男2人でも余裕があった。しっかり掛湯をして身綺麗みぎれいにしてから浴槽へ足を入れる。
黄土色のぬるめの湯でじんわりと温まる。身体を洗うための湯ではなく神湯をはいするための湯舟ゆぶね、上にはどっしりと神棚かみだなが鎮座して比売ひめ神がまつられている。

「はぁ~、温まったなぁ」
 浴室を出た月読は、脱衣所で身体を拭く。
「その背中、どうした? 」
 後ろから出てきた九郎が肩甲骨けんこうこつのあたりを触った。薄いあざになっているものの痛みはない。

「途中で乗られた」
梯子はしごの所で落ちてきたやつか、どこへ行った? 」

磐座いわくらのところで降りたよ。入る前に受けた御払おはらいの時はいたく怒っていたけど、流石さすがに払われなかったみたいだ」

 月読は鷹揚おうように笑いながら、白衣びゃくえ羽織はおった。




―――――――――――――――
お読み頂きありがとうございます。

フンドシの男達がひしめきあう、そんな祭りもあった気がします。

もろもろの用語集です。レッツやまぶし。

晒布さらし…石灰や灰汁にけ、日光などにさらして漂白した綿や麻の平織の布。

頭襟ときん大日如来だいにちにょらいの宝冠を表したもの。本来は宝形にして頭の頂上に着ける。黒色は無明を表わす色。十二の溝があり十二の因縁の意味。他に、包み頭襟、長頭襟という五尺(約151.5センチ)の黒色の布を頭に巻く頭襟もある。

斑蓋はんがい…桧笠。雨や日差しから身を守るかさ。諸説あるが丸い月輪と頂上の三角形は八葉蓮華をしている。

ごろも…山藍やツユクサを染料としてすりだした衣。

鈴懸すずかけ…修験者の着ているヒラヒラした上衣。色は柿渋で染めた柿衣、青や黒のり衣、白色無紋の浄衣に加えて紫袈裟けさ紫衣しえ、体にかけたり巻いたりする懸衣けんえなどもある。

六根清浄ろっこんしょうじょう…仏語。五感と意識からくる六根の迷いを払い清める文句。なお作者は富士登山で唱えたもよう。

金剛杖こんごうづえ…歩行を助けて転倒を防ぐ木のつえ。修行にもちい、法界へおもむく塔婆でもある。長さに決まりはない。

桧扇ひせん…ヒオウギともいう。護摩の火をあおぐ木製のおうぎ

※貝の…麻でよった長い綱。山の岩場など登る時にザイルの代わりで用いられた。左腰にたばねているものは走りなわという。

護摩行ごまぎょう…火の中へ供物くもつや護摩木を投じて、一心不乱にきょうを唱える修行である。

奇稲田姫神くしなだひめのかみ…古事記、日本書紀にみえる神。国つ神の娘でヤマタノオロチに食べられそうなところを素戔嗚尊すさのおのみことに助けられ妻となった。稲田の豊穣をあらわす女神。

奇魂くしみたま…神秘的な力をあらわす神霊。
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