わたくしを殺して、自由になりませんか?~偽装悪女の政略結婚~

花宵

文字の大きさ
38 / 40

38、偽装悪女は白夜公の優しさを知る

しおりを挟む
 皆が去ったあと、部屋に二人残されたシンシアとフェリクス。

「……本当に、これでよかったのか?」

 気まずそうにかけられた声に、「全然よくない」と喉元まで出かかった言葉を、シンシアはなんとか呑み込んで考える。
 フェリクスをこれ以上、余計な感情で悩ませて、魔力を乱れさせたら自分の身が持たない。
 どうすれば、フェリクスがこの一晩を穏やかに過ごせるのか……それだけを必死に考え答えた。

「公爵夫人として、貴方の顔に泥を塗るわけにはいきませんから」

 シンシアが導き出した結論は、大人しく振る舞い、困らせないことだった。
 にっこりと微笑み答えると、なぜかフェリクスは激しく狼狽え始めた。

「……あ、明日の、打ち合わせをしてくる」

 フェリクスは逃げるように扉に手をかけ、振り返ることなく言葉を続けた。

「先に休んでいて構わない。ローザを向かわせるから、食事も、湯浴みも、自由に使え」

 そう言い残してフェリクスが部屋を飛び出していった瞬間、シンシアは深く息を吐き、へなへなとその場に崩れ落ちた。

(た、助かった……)

 今のシンシアにとって、甘い魔力を撒き散らすフェリクスと一緒にいるのは、悪食に抗う理性との戦いだった。こうして物理的に距離を取れたのは、不幸中の幸いだ。

(今まで、こんなことなかったのに……)

 どうして今日に限って、こんなにも刻印がフェリクスの魔力に反応を示すのか、シンシアは困惑していた。

 だけど、嘆いている場合ではない。
 今晩さえなんとかやり過ごせば、明日はペルカ村に着く。
 シンシアは深呼吸して、気持ちを落ち着けた。そして冷静になった頭で、今やるべきことを再確認する。

 今のシンシアが優先すべき任務――それはフェリクスが戻ってくる前に全ての支度を済ませて眠り、無事に明日を迎えることだ。

 それからシンシアは部屋で夕食を取り、備え付けの浴室で湯浴みも済ませた。ばっちりと就寝支度を済ませたところで、明日に備えてローザは下がらせた。

 あとはこの巨大なベッドの隅に潜り込んで、意識を手放すだけだ。
 目を瞑って朝が来るのを待つ。しかし待てど暮らせど、眠気が来ない。

 お湯で温まった身体が、かえって感覚を過敏にさせたせいか、冷気を欲するように、左手が疼いて仕方なかった。

 フェリクスが部屋を去ってかなり時間が経ったはずなのに、あの冷たくて甘い魔力を求めて、悪食が悲鳴を上げている。

 シンシアは深い溜息を吐き、ベッドから起き上がった。
 サイドランプを点けて、微かな灯りを頼りに薄手の寝間着の上に厚手のガウンを羽織る。そして気持ちを鎮めようと、テーブルに置かれた水差しへと手を伸ばす。

 ――ガチャリ。

 ちょうどその時、遠慮するかのように扉の開く小さな音が鳴り、シンシアの心臓が跳ね上がる。

「……あ」

 シンシアが顔を上げると、そこには夜風で髪を乱したフェリクスが立っていた。
 彼はシンシアがまだ起きているとは思わなかったのか、大きく目を見開き、硬直している。

「…………起きて、いたのか」
「……ええ。なんだか、眠れなくて……」

 気まずい沈黙が流れる。
 左手がフェリクスに反応を示したのを感じて、シンシアは慌ててソファに座り、視線を逸らした。そして疼く左手の熱を逃がすために、水を注いだグラスに左手の甲を押しつける。

 こちらに近づいてきた足音がそばで止まり、ふわりと石鹸の香りが鼻腔をくすぐった。どうやらフェリクスは、大浴場で入浴を済ませたらしい。

「これを……」

 差し出されたのは、お洒落な瓶に入ったスミレの砂糖漬け。昼間にシンシアが料理店で見ていたものだった。

「どうして、これを……?」
「目を輝かせて、見ていただろう」

 フェリクスはあの時、聞いていたはずだ。コーデリアの忌まわしい言葉を。母を魔女と蔑み、いつまでも異端思想に洗脳されたままの、愚かな悪女の話を――。

「公爵様。悪女にこのようなものを与えては、異端思想を疑われますわ」

 差し出された瓶から、シンシアはそう言って視線を逸らす。

「……子が母を思う気持ちに、異端もなにもないだろう。それを土足で踏みにじる方が、俺にとっては異端に見えた」

 冷たく突き放したのに、フェリクスからかけられたのは、シンシアの傷ついた心を優しく包み込むような、温かい言葉だった。

 誰も、認めてくれなかった。
 誰も、肯定してくれなかった。
 どれだけ訴えても、聞き入れてもらえなかった。
 当たり前のように、一人の人間として扱えってもらえたことが嬉しくて、シンシアの胸をぎゅっと締め付ける。

「それでも受け取るのに理由がいるなら……そうだな、これは遅れた誕生日プレゼントだ」

 どんなに豪華な衣装や宝石よりも、それはシンシアにとって値段のつけられない、価値のあるプレゼントだった。

「……っ、それなら、仕方ありませんわね。頂戴、いたしますわ」

 シンシアは改めて、受け取ったガラスの瓶を見つめた。
 フェリクスの不器用な優しさに触れ、シンシアが頑なに閉ざしていた心の扉が、少しだけ開いた。

「……公爵様。わたくしの母は、貴方と同じように氷魔法が使えましたの」

 シンシアの口から、ぽつり、ぽつりと零れ出す言葉。
 それは家族に悪女の仮面を被せられて、どうせ誰にも信じてもらえないからと、周囲に分かってもらうことを諦めた――シンシアの心の聖域だった。

「母はいつも、人を喜ばせるためにその力を振るう、温かくて優しい方でした。ピクニックにはいつも、わたくしの好きなスミレの砂糖漬けを用意してくださって。たくさん遊んだ後に、母が氷魔法でひと撫でして冷やしてくださった……あの冷たくて甘美な味と楽しい思い出は、今でも色褪せずに残っています」

 ガラス瓶越しに伝わる心地の良い冷たさが、遠い日の母の手のひらと重なる。

「……たとえ世間が魔女と蔑んでも、わたくしにとっては大切な思い出です。誕生日に監視用の指輪を嵌められた時は、最悪な気分でしたが――このプレゼントは、……その、悪くないですわ」

 そう言ってシンシアは瓶を抱きしめるように胸元に寄せると、少しだけ顔を背けた。フェリクスがどんな顔をして、自分の話を聞いていたのか、知るのが怖くて。

 すると次の瞬間、感じたのはソファの揺れだった。
 シンシアの隣の席にどかっと腰を下ろしたフェリクスは、こちらに手を差し出し、短く命じた。

「貸せ」

 シンシアは無意識のうちに、瓶を抱く手に力を込めた。
 不快な話を聞かせてしまったせいで、奪われると思ったのだ。
 虐げられた子犬のように、怯えに満ちたシンシアの瞳を見て、フェリクスは「あ、いや……違う」となぜか狼狽えはじめた。

「すまない、言葉が足りなかった。思い出の味を、再現できれば……と思ったのだ。その……喜んでほしくて……」

 ちらりとこちらを窺うフェリクスの耳は、真っ赤に染まっていた。
 それは愉悦を浮かべて奪おうとする者ではなく、誠実に向き合おうとしてくれる者の姿だった。

「……お願いします」

 シンシアは、少しでも疑ってしまったことを心の中で詫びながら、おずおずと抱きしめていた瓶を差し出した。

 壊れ物に触れるように、フェリクスは優しい手つきで瓶を受け取る。そして蓋を開けると、左手のひらに一粒だけ取り出した。

 その小さな一粒に右手をかざし、フェリクスは真剣な表情で慎重に魔力を注いだ。

――ピキィィン!

 しかし無情にも、フェリクスの放った最小の魔力さえ、スミレの花びらにとってはあまりにも強大すぎた。​

​ 冷気が触れた瞬間、氷の魔力は結晶となって爆発的に増殖し、瞬く間に彼の掌の上に鋭利な氷の山脈を築き上げる。
 スミレの花びらは、その透き通った氷の中に、逃げ場もなく閉じ込められてしまった。

「………………」

 わなわなと、フェリクスの手が羞恥と自責で震える。
 王国一の騎士団長が、たった一つの菓子を前にして。この世の終わりかというほど情けない顔をして、がっくりと肩を落とした。

「……すまない。やはり俺の魔力は、人を傷つけることしかできないようだ」

 消え入りそうな声が、シンシアの胸を締め付ける。

 『白夜公』と畏怖され、王国最強の剣であり盾でもあるフェリクス。
 その強大な氷魔法は、一度戦争に出れば数多の命を奪う武器となるだろう。しかしそれは、このセイン王国を、そして人々を守るために行使されてきた、孤独な誇りの象徴でもある。

 これまで魔力過多症に苦しんできたフェリクスは、きっと誰よりも――その力は何のために使うべきか自問自答し、理想とうまくいかない現実の狭間で自信を失い、傷ついてきたのだろう。

 自分の意思に反して、魔力が暴走する辛さ。
 そしてそれを、ずっと抑え続けなければならない苦しさ。
 【暴食】の厄災を背負って生まれたシンシアは、常に感情を押し殺し、自分を【節制】して生きてきたからこそ、彼の抱える苦しみがよくわかった。

(どうか自分を責めないで。貴方の魔法は、こんなにも温かいのだから……)

 シンシアは氷山に囚われたスミレの花びらに、そっと左手をかざす。

悪食ヴィスデロペよ。世界で一番優しい――極上のデザートを喰らえ」

 シンシアの願いに応えるように、左手の刻印が脈打ち、なめらかな絹のような漆黒の闇を放出した。
 それは意志を持つ黒い薄衣のように空中を舞い、フェリクスの放った鋭利な氷の山脈へと、優しくいたわるように絡みついていく。

​ 闇が氷に触れた瞬間――カチリ、と硬質な音を立てていた氷塊が、内側からほどけるように砕け、眩いばかりの青白い魔素へと分解されていった。

 黒い薄衣は​、その星屑のような魔素を一つ残らず絡め取ると、闇の底へ誘うように、渦を巻いてシンシアの左手へと優雅に吸い込まれていく。

「…………っ」

 まるで夜の深淵が、こぼれ落ちた星々を優しく手繰り寄せるような――幻想的な光景を前に、フェリクスがハッと息を呑んだ。
 そうして闇が刻印へ還ったあと、彼の手に残されたのは――。
 余分な魔力が削ぎ落とされ、しっとりと美しい薄氷を纏ったスミレの花びらだった。

 シンシアはそれを摘むと、ぱくりと自身の口に含む。
 甘美な思い出の余韻を慈しむように堪能し、フェリクスの真心が混ざり合った至高の味を噛みしめる。そして――シンシアはにっこりと、心からの笑みを浮かべた。

「最高に美味しいお菓子でしたわ、旦那様」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

騎士の妻ではいられない

Rj
恋愛
騎士の娘として育ったリンダは騎士とは結婚しないと決めていた。しかし幼馴染みで騎士のイーサンと結婚したリンダ。結婚した日に新郎は非常召集され、新婦のリンダは結婚を祝う宴に一人残された。二年目の結婚記念日に戻らない夫を待つリンダはもう騎士の妻ではいられないと心を決める。 全23話。 2024/1/29 全体的な加筆修正をしました。話の内容に変わりはありません。 イーサンが主人公の続編『騎士の妻でいてほしい 』(https://www.alphapolis.co.jp/novel/96163257/36727666)があります。

【完結】真面目系眼鏡女子は、軽薄騎士の求愛から逃げ出したい。

たまこ
恋愛
 真面目が信条の眼鏡女子カレンは、昔からちょっかいを掛けてくる、軽薄な近衛騎士ウィリアムの事が大嫌い。いつも令嬢に囲まれているウィリアムを苦々しく思っていたのに、ウィリアムと一夜を共にしてしまい、嫌々ながら婚約を結ぶことに•••。  ウィリアムが仕える王太子や、カレンの友人である公爵令嬢を巻き込みながら、何故か求愛してくるウィリアムと、ウィリアムの真意が分からないカレン。追いかけっこラブストーリー!

【完結】旦那様!単身赴任だけは勘弁して下さい!

たまこ
恋愛
 エミリーの大好きな夫、アランは王宮騎士団の副団長。ある日、栄転の為に辺境へ異動することになり、エミリーはてっきり夫婦で引っ越すものだと思い込み、いそいそと荷造りを始める。  だが、アランの部下に「副団長は単身赴任すると言っていた」と聞き、エミリーは呆然としてしまう。アランが大好きで離れたくないエミリーが取った行動とは。

すれ違いのその先に

ごろごろみかん。
恋愛
転がり込んできた政略結婚ではあるが初恋の人と結婚することができたリーフェリアはとても幸せだった。 彼の、血を吐くような本音を聞くまでは。 ほかの女を愛しているーーーそれを聞いたリーフェリアは、彼のために身を引く決意をする。 *愛が重すぎるためそれを隠そうとする王太子と愛されていないと勘違いしてしまった王太子妃のお話

【完結】彼を幸せにする十の方法

玉響なつめ
恋愛
貴族令嬢のフィリアには婚約者がいる。 フィリアが望んで結ばれた婚約、その相手であるキリアンはいつだって冷静だ。 婚約者としての義務は果たしてくれるし常に彼女を尊重してくれる。 しかし、フィリアが望まなければキリアンは動かない。 婚約したのだからいつかは心を開いてくれて、距離も縮まる――そう信じていたフィリアの心は、とある夜会での事件でぽっきり折れてしまった。 婚約を解消することは難しいが、少なくともこれ以上迷惑をかけずに夫婦としてどうあるべきか……フィリアは悩みながらも、キリアンが一番幸せになれる方法を探すために行動を起こすのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています。

誓いを忘れた騎士へ ―私は誰かの花嫁になる

吉乃
恋愛
「帰ってきたら、結婚してくれる?」 ――あの日の誓いを胸に、私は待ち続けた。 最初の三年間は幸せだった。 けれど、騎士の務めに赴いた彼は、やがて音信不通となり―― 気づけば七年の歳月が流れていた。 二十七歳になった私は、もう結婚をしなければならない。 未来を選ぶ年齢。 だから、別の男性との婚姻を受け入れると決めたのに……。 結婚式を目前にした夜。 失われたはずの声が、突然私の心を打ち砕く。 「……リリアナ。迎えに来た」 七年の沈黙を破って現れた騎士。 赦せるのか、それとも拒むのか。 揺れる心が最後に選ぶのは―― かつての誓いか、それとも新しい愛か。 お知らせ ※すみません、PCの不調で更新が出来なくなってしまいました。 直り次第すぐに更新を再開しますので、少しだけお待ちいただければ幸いです。

1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢  17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。 ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。 シェーン・ロングベルク公爵 25歳 結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。 ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳 優秀でシェーンに、こき使われている。 コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳 ヴィヴィアンの幼馴染み。 アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳 シェーンの元婚約者。 ルーク・ダルシュール侯爵25歳 嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。 ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。 ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。 この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。 ジュリエット・スチール公爵令嬢18歳 ロミオ王太子殿下の婚約者。 ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳 私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。 一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。 正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?

醜女の私と政略結婚した旦那様の様子がおかしい

サトウミ
恋愛
この国一番の醜女である私と結婚したイバン様。眉目秀麗で数多の女性と浮き名を流した彼は、不祥事を起こしたせいで私なんかと結婚することになってしまった。それでも真面目な彼は、必死に私を愛そうと努力してくださる。 ──無駄な努力だ。 こんな色白で目と胸の大きい女を、愛せるはずがない。

処理中です...