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第十一章 与えられる試練
もう逃げない ★
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出現してきたドアを開けると、今度は中学校の教室に出た。
『少し絵が上手いからって、アンタばっかり先輩に呼び出されて……ズルい!』
『そうよ、ちょっと構ってもらってるからってイイ気になって!』
数人の女子に囲まれるようにして、席に座る美希。
机には一枚の紙皿が置かれ、その上に乗っている物を見て絶句した。
それはとても食べ物とは思えない、緑の血の滴る何かの生物の内蔵らしきもの。
『アンタ、よくこんな色した自然の風景画とか描いてたよね? 私も描いてみたくなっちゃった~』
美希の真正面に居た女の子が笑いながら、紙皿を美希の顔にグリグリと押し付ける。
その時、廊下を当時の私が何も気づかないまま走っていくのが見えた。
『ほら、アンタの大事な友達でしょ? 助け求めたら?』
美希は途端に顔を隠して床に蹲ると
『お願い、桜には! 桜にだけは言わないで! 大事な大会に向けて頑張っているの、問題起こすわけにはいかないの……っ!』
私に気付かれないように必死に隠れようとしていた。
『私達だって痛い思いしたくないし、言うわけないじゃん。馬鹿じゃないの?』
『良かった……』
ほっと安堵のため息をこぼした美希の背中を
『ほんと、アンタのそういうとこがムカつくのよ!』
そう言って、彼女達は思いっきり蹴っていた。
私のためを思って、美希がこんなに必死に耐えてたなんて。どれだけの辛さを、その小さな身体で受け止めてきたのか。
壁一枚隔てた先で、美希がこんなにも辛い目に遭っていたっていうのに!
気付きもせずに廊下を通りすぎる愚かな自分が、恨めしくて仕方がない。もし、この現場を目撃していたら……私は美希をいじめた彼女達に、感情のまま拳をふるっていただろう。
理不尽な理由で美希を苦しめた先輩にも、おじさんにも。それで、問題になって大会に出れなくても、道場を破門になったとしても、美希が生きていてくれるなら、それでよかったのに……こんな時に使わなくて、いつ使うんだよ!
コンプレックスから始めた空手だけど、それだけじゃない。
悪者から困っている人を守った先生の、あの凛とした格好よさに憧れたんだ。私も先生のように、いざという時、大切な人を守れるように強くなりたいって。
肝心な時に使えない拳なんて、本当に無意味なだけじゃないか!
結局、守られていたのはいつも私の方だったんだ。
「このいじめは、あの先輩が卒業してからも続いたようだね。内容は日に日にエスカレート。彼女の世界から消える消える、色んな色が。最初は緑から始まって、黄色、青、紫、茶色、そして赤。どんどん色彩を失ってたどり着いたモノクロの世界。これ以上、彼女から奪えるものなんてあるのかな? 嫉妬の罪とはよく言ったものだ。本人にとっては苦痛で仕方ない出来事が、他人から見たら羨ましくて仕方がないことだったなんて、とんだ災難だね。だったら、彼女達が可哀想なあの子と、その役目を代わってあげたらよかったのにね? いつの間にか彼女達は、いじめることが快感になり、一種のエンターテイメントとして日々を享受していたのだろう。人間って自分が楽しむためなら、平気で他人を傷付ける事が出来るからね……本当に残酷だ。それじゃあ、ラスト行ってみようか」
心臓が不整脈のような変なリズムを刻んでいる。全身から嫌な汗が吹き出て止まらない。生唾が異常に上がってきて油断したら吐きそうだ。ドアノブを持つ手がガチガチと震える。
これ以上、美希から何も奪わないで。色彩豊かだった彼女の絵画から、色んなものが抜け落ちた。
どうして美希ばかりが、こんな目に遭わなければならなかったのか。この先に待ち受けているものなんて、もう一つしかないじゃないか。
「無理しない方がいいよ、棄権する?」
悪魔の囁きをシャットアウトして、ゆっくりと深呼吸をし、気持ちを整える。
あの日から、私は一度もあの屋上へ足を踏み出す事が出来なかった。花の一つも手向けに行くことが出来ず、逃げるようにしてあの地を去った。
クレハには、感謝しないといけないな。
もう一度きちんと美希と向き合う機会を作ってくれて。
きちんと最後まで、見届けるんだ。
美希が歩んだ軌跡を。
目を逸らすことなく、最後まで。
「……もう逃げない。今度こそきちんと会いにいくよ、美希」
扉を開けると視界に広がるのは、中学校の裏庭だった。
花壇を囲う煉瓦の上に数匹の毛虫が入った瓶が置かれていて、美希はその前に座らされている。
『ほら、うねうねして気持ち悪いからさっさどうにかしてよ。ほらこれでも突き刺してやれば簡単に死ぬでしょ?』
そう言って美希に差し出されたのは、彼女がいつもデッサンに使っている鉛筆や消ゴムの入った筆箱だった。
『それは出来ません……』
弱々しく否定する美希に、一人の女子が痺れを切らすと乱暴に奪いとった筆箱から鉛筆を取りだし、瓶の中に突き立てた。
必死に止めてと訴える美希を無視して、彼女は次々と鉛筆を瓶の中に突き立てていく。
『じゃ、後は片付けといてね~』
そう言って去っていく女子の群れ。
残された美希は悲しそうに瞳を揺らしてその瓶を見つめた後、鉛筆ごと瓶を目立たない地面に埋めた。
彼女の綺麗な指は、硬い土を素手で掘った事で汚れ、皮膚が傷付き所々に赤い血が滲んでいる。
この瞬間、デッサンに必要な最後の一色の黒色までもが、美希の中から無惨にも奪われたのだろう。
祈るように両手を合わせると、彼女はフラフラとした足取りで、もう二度と下る事のない階段を一歩ずつ上り始める。
──ギギィ……
少し錆びついた屋上のドアを開け、ゆっくりと転落防止のフェンスに近づいていく。
美希は屋上からの景色をしっかりと目に焼き付けるように眺めると、そっと東の空へ視線を向けた。
祈るようにしてしばらくじっと手を合わせた後、彼女は意を決したようにフェンスに手をかけ乗り越えると、端の狭いスペースに腰をかける。
ポケットから携帯を取りだし電話をかけ、明るい口調で二、三言話すとゆっくりと耳からそれを離す。
待受画面を見つめ、そっと指で中の人物の頭をなぞると涙を流しながら微笑んだ。
確かあの当時、美希が待受画面にしていたのは、私と町内探索をしてた時に一緒に撮った笑顔があふれる思い出の写真。
そして──立ち上がった美希は、携帯を胸元でぎゅっと握りしめたまま、地面に向かって静かに身を投げた。
3D再現映像だという事も忘れて、無我夢中で美希を助けようと手を伸ばした。しかしむなしくすり抜けるだけで、バランスを崩しそのまま倒れる。
顔を上げると、視界は地上へと変わっており、隣にはおびただしい量の血を流した美希が横たわっていた。両手でしっかりと携帯を握りしめたまま。
「美希、美希、……美希ッ!」
壊れたラジオのように何度も名前を呼びかけていると
「桜」
後ろから懐かしい声が聞こえてくる。
思わず振り返ると、そこには淡い光に包まれた美希が立っていた。
「会いに来てくれて、ありがとう」
そう言って彼女は、嬉しそうに顔を綻ばせた。少しあどけなさの残るその笑顔が懐かしいと同時に、時間の流れを感じて胸が苦しくなる。
あれからもう二年、美希の時間はあの時のまま止まってしまったんだ。
『少し絵が上手いからって、アンタばっかり先輩に呼び出されて……ズルい!』
『そうよ、ちょっと構ってもらってるからってイイ気になって!』
数人の女子に囲まれるようにして、席に座る美希。
机には一枚の紙皿が置かれ、その上に乗っている物を見て絶句した。
それはとても食べ物とは思えない、緑の血の滴る何かの生物の内蔵らしきもの。
『アンタ、よくこんな色した自然の風景画とか描いてたよね? 私も描いてみたくなっちゃった~』
美希の真正面に居た女の子が笑いながら、紙皿を美希の顔にグリグリと押し付ける。
その時、廊下を当時の私が何も気づかないまま走っていくのが見えた。
『ほら、アンタの大事な友達でしょ? 助け求めたら?』
美希は途端に顔を隠して床に蹲ると
『お願い、桜には! 桜にだけは言わないで! 大事な大会に向けて頑張っているの、問題起こすわけにはいかないの……っ!』
私に気付かれないように必死に隠れようとしていた。
『私達だって痛い思いしたくないし、言うわけないじゃん。馬鹿じゃないの?』
『良かった……』
ほっと安堵のため息をこぼした美希の背中を
『ほんと、アンタのそういうとこがムカつくのよ!』
そう言って、彼女達は思いっきり蹴っていた。
私のためを思って、美希がこんなに必死に耐えてたなんて。どれだけの辛さを、その小さな身体で受け止めてきたのか。
壁一枚隔てた先で、美希がこんなにも辛い目に遭っていたっていうのに!
気付きもせずに廊下を通りすぎる愚かな自分が、恨めしくて仕方がない。もし、この現場を目撃していたら……私は美希をいじめた彼女達に、感情のまま拳をふるっていただろう。
理不尽な理由で美希を苦しめた先輩にも、おじさんにも。それで、問題になって大会に出れなくても、道場を破門になったとしても、美希が生きていてくれるなら、それでよかったのに……こんな時に使わなくて、いつ使うんだよ!
コンプレックスから始めた空手だけど、それだけじゃない。
悪者から困っている人を守った先生の、あの凛とした格好よさに憧れたんだ。私も先生のように、いざという時、大切な人を守れるように強くなりたいって。
肝心な時に使えない拳なんて、本当に無意味なだけじゃないか!
結局、守られていたのはいつも私の方だったんだ。
「このいじめは、あの先輩が卒業してからも続いたようだね。内容は日に日にエスカレート。彼女の世界から消える消える、色んな色が。最初は緑から始まって、黄色、青、紫、茶色、そして赤。どんどん色彩を失ってたどり着いたモノクロの世界。これ以上、彼女から奪えるものなんてあるのかな? 嫉妬の罪とはよく言ったものだ。本人にとっては苦痛で仕方ない出来事が、他人から見たら羨ましくて仕方がないことだったなんて、とんだ災難だね。だったら、彼女達が可哀想なあの子と、その役目を代わってあげたらよかったのにね? いつの間にか彼女達は、いじめることが快感になり、一種のエンターテイメントとして日々を享受していたのだろう。人間って自分が楽しむためなら、平気で他人を傷付ける事が出来るからね……本当に残酷だ。それじゃあ、ラスト行ってみようか」
心臓が不整脈のような変なリズムを刻んでいる。全身から嫌な汗が吹き出て止まらない。生唾が異常に上がってきて油断したら吐きそうだ。ドアノブを持つ手がガチガチと震える。
これ以上、美希から何も奪わないで。色彩豊かだった彼女の絵画から、色んなものが抜け落ちた。
どうして美希ばかりが、こんな目に遭わなければならなかったのか。この先に待ち受けているものなんて、もう一つしかないじゃないか。
「無理しない方がいいよ、棄権する?」
悪魔の囁きをシャットアウトして、ゆっくりと深呼吸をし、気持ちを整える。
あの日から、私は一度もあの屋上へ足を踏み出す事が出来なかった。花の一つも手向けに行くことが出来ず、逃げるようにしてあの地を去った。
クレハには、感謝しないといけないな。
もう一度きちんと美希と向き合う機会を作ってくれて。
きちんと最後まで、見届けるんだ。
美希が歩んだ軌跡を。
目を逸らすことなく、最後まで。
「……もう逃げない。今度こそきちんと会いにいくよ、美希」
扉を開けると視界に広がるのは、中学校の裏庭だった。
花壇を囲う煉瓦の上に数匹の毛虫が入った瓶が置かれていて、美希はその前に座らされている。
『ほら、うねうねして気持ち悪いからさっさどうにかしてよ。ほらこれでも突き刺してやれば簡単に死ぬでしょ?』
そう言って美希に差し出されたのは、彼女がいつもデッサンに使っている鉛筆や消ゴムの入った筆箱だった。
『それは出来ません……』
弱々しく否定する美希に、一人の女子が痺れを切らすと乱暴に奪いとった筆箱から鉛筆を取りだし、瓶の中に突き立てた。
必死に止めてと訴える美希を無視して、彼女は次々と鉛筆を瓶の中に突き立てていく。
『じゃ、後は片付けといてね~』
そう言って去っていく女子の群れ。
残された美希は悲しそうに瞳を揺らしてその瓶を見つめた後、鉛筆ごと瓶を目立たない地面に埋めた。
彼女の綺麗な指は、硬い土を素手で掘った事で汚れ、皮膚が傷付き所々に赤い血が滲んでいる。
この瞬間、デッサンに必要な最後の一色の黒色までもが、美希の中から無惨にも奪われたのだろう。
祈るように両手を合わせると、彼女はフラフラとした足取りで、もう二度と下る事のない階段を一歩ずつ上り始める。
──ギギィ……
少し錆びついた屋上のドアを開け、ゆっくりと転落防止のフェンスに近づいていく。
美希は屋上からの景色をしっかりと目に焼き付けるように眺めると、そっと東の空へ視線を向けた。
祈るようにしてしばらくじっと手を合わせた後、彼女は意を決したようにフェンスに手をかけ乗り越えると、端の狭いスペースに腰をかける。
ポケットから携帯を取りだし電話をかけ、明るい口調で二、三言話すとゆっくりと耳からそれを離す。
待受画面を見つめ、そっと指で中の人物の頭をなぞると涙を流しながら微笑んだ。
確かあの当時、美希が待受画面にしていたのは、私と町内探索をしてた時に一緒に撮った笑顔があふれる思い出の写真。
そして──立ち上がった美希は、携帯を胸元でぎゅっと握りしめたまま、地面に向かって静かに身を投げた。
3D再現映像だという事も忘れて、無我夢中で美希を助けようと手を伸ばした。しかしむなしくすり抜けるだけで、バランスを崩しそのまま倒れる。
顔を上げると、視界は地上へと変わっており、隣にはおびただしい量の血を流した美希が横たわっていた。両手でしっかりと携帯を握りしめたまま。
「美希、美希、……美希ッ!」
壊れたラジオのように何度も名前を呼びかけていると
「桜」
後ろから懐かしい声が聞こえてくる。
思わず振り返ると、そこには淡い光に包まれた美希が立っていた。
「会いに来てくれて、ありがとう」
そう言って彼女は、嬉しそうに顔を綻ばせた。少しあどけなさの残るその笑顔が懐かしいと同時に、時間の流れを感じて胸が苦しくなる。
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