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26.台風
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二十四節気は処暑から白露へと変わり、朝晩に涼しさを感じるようになった。
早朝、外に出てみると七十二候の草露白(くさのつゆしろし)の通り、草花に降りた露が白く光って見える。
「新鮮な空気、おいしー!」
両手を上げて深呼吸。そのまま「んー」と伸びをする。
最近の千勢は、午前中に山崎ファームを手伝い、昼食を昇達と食べて、午後は瑞雲寺へ墓参り。スーパーストーンへ買い物に行って、夕方に将太をあずかる、という生活を送っていた。
「じゃあ、みーちゃん、行こっか」
声を掛けて歩き出すとミルクはたったっと付いてきた。生後6カ月ほどになり、すっかり猫らしくなった。以前、散歩がてら富士見の丘まで行って以来、一緒に〝出勤〟するようになった。千勢が働いている間は、木に登ったり蝶を追いかけたり野山で元気に遊んでいるようだ。
「大型の台風12号が近づいているので、今日は台風対策を重点的に行って頂きます。まずは露地ものの野菜の収穫をお願いします。少し青くても小さくても全て取ってください」
山崎ファームに着くと、昇が鬼気迫る表情で指示を出した。9月に入りメインに栽培するトマトが最盛期を過ぎたため出荷作業は落ち着いていた。だから真剣な昇の様子に、只事ではないと気を引き締めた。
非常に強い勢力の台風12号は翌日の昼から夜にかけて関東地方に上陸すると予報されていた。中心気圧は945ヘクトパスカル、最大風速45メートルの威力。「記録的な大雨や暴風、高波に警戒してください」と気象庁が会見するほどだった。
露地野菜の収穫を終えると、千勢は排水溝の確認や作業小屋の清掃など次々と仕事をこなした。
昇に「将太には家で留守番しているように言いますから、もう少し手を貸して頂けますか?」と頼まれ、夕方までビニールハウスの補強を手伝った。
次の日の朝、台風の勢力は増していた。それを示すように窓の外では大粒の雨が降っている。テレビの天気予報を見るとすでに暴風域に入っていて、19時から20時ごろに神奈川県を通過するようだ。
ババババッ! ババッ! ババババッ!
お昼過ぎには窓に打ちつける雨の音が大きくなってきた。
ビュオー! ザザザッ! ビュオー!
楠の木が強風にあおられている。吹き抜ける風が悲鳴に聞こえる。
ブゥオン! ミシミシッ!
烈風に押されて家が揺れる。
築40年の木造建築。この家、大丈夫だろうか……。千勢は不安になってきた。普段は風通しのいい家だが、そのぶん暴風の影響を受けやすいということだ。
バキバキッ、バキ、ズサッ!
ひと際大きな音にビクッとした。庭の木が折れたのだろうか。
ナァーオ、ナァーオ。ミルクが低く唸る。
「みーちゃん、びっくりしたね。大丈夫だよ」
ババババッ! ババッ!
ミルクにかけた声がかき消されるほど、外の音が激しい。
ガッシャーン!
「きゃあ!!」
短い悲鳴を上げた。
「やだ、なに、やめてよ」
ミルクが逃げる。部屋の隅の座布団に隠れるように潜った。
音がした風呂場へ行くと窓ガラスが割れていた。ビョウォーとすごい勢いで風が入り込んでくる。
「だめだ……」
絶望的な気持ちで風呂場のドアを閉めた。
「みーちゃん、どうしよう……」
怖くなってしまい、丸まっていたミルクを抱きかかえる。それでも、ミルクだけは守らなきゃ。
ドンドンドンドン!
今度は玄関で音がした。
「もう、やだ……」
ミルクの体に顔をうずめる。
ドンドンドン!
「おい、いるのか!」
石田の声だった。急いで玄関の戸を開ける。
「ビャクが来るぞ!」
合羽を着た石田がすごい剣幕で怒鳴った。
「避難しろ! 車乗れ!」
「は? は、はい!」
訳が分からず返事だけした。ブワァッと風と雨が千勢の顔に降りかかる。シャツの袖で水滴を拭う。
急いでミルクをキャリーバッグに入れ、普段のリュックを背負って外に出た。軽トラの助手席に乗ると石田はすぐに発車した。
「あの……。避難ってどこへ?」
「瑞雲寺だ。本堂は頑丈だから避難所代わりになってる」
「確かに。迎えに来ていただいて、ありがとうございました」
「いや、まぁ、あの家ももうガタがきているからな」
言外に「自分にも責任がある」というように聞こえた。
車のワイパーが追いつかないほど雨が強い。細い道路も川のようになっている。もし日が沈んだ後だったら手遅れになっていたかもしれない。
瑞雲寺の駐車場に到着した。本堂までは短い距離だが強風で傘は役に立たず、千勢はずぶぬれになった。
本堂に上がると「ちーちゃん」と将太が駆け寄ってきた。
「みーちゃんもいる! よかったぁ」
佳奈がバスタオルを手渡してくれた。
「私たちも石田のじいちゃんに言われてさっき来たんですよ」
「そうなの。みんなと一緒なら安心だわ」
そこに合羽を脱いだ石田が本堂に入って来た。
「いやー、えらい台風になったな。あんたんとこのハウスは大丈夫かい?」
「ええ。ハウスの補強など出来ることはやってきましたが……。やっぱり勢力が強いので心配ですね」
昇が自信なさそうに答える。
瑞雲寺には昇、佳奈、将太、優愛の山崎一家が先に来ていた。そこに石田と千勢を合わせて6人と、猫1匹が集まった。
何十畳もある本堂には中心に御本尊の大日如来が祀られている。弘法大師と不動明王が脇を固めた須弥壇は厳かで煌びやかな雰囲気だ。
場違いな感じだからと遠慮したわけではないが、一同は部屋の片隅に陣取った。そこへ涼安和尚が温かいお茶を持ってきてくれた。
「みなさん、落ち着いてくださいね。この本堂は築年数100年を超えます。何度も台風にあっていますがビクともしませんでしたから安心してください」
――「台風12号は小笠原諸島の海上にあり、北上を続けています。非常に強い勢力を維持して本州に接近、静岡、神奈川に上陸するとみられています」
ラジオから台風情報が流れる。いよいよかと緊迫した空気が流れる。
「台風の猛威はもういいわ!」
ふっ。あは。わははっ。
和尚の突然のダジャレにみんな吹き出した。
「あはは! なに言ってるんですか、和尚!」
佳奈が突っ込む。
「じゃあ、これは? 台風を見たい夫婦」
今度は昇がダジャレを披露する。
「くだらないけど、おもしろいね」
千勢は将太に話しかけた。将太と優愛はケラケラ笑っている。みんなの暗い顔が笑顔に変わった。
すると佳奈が手を挙げた。
「ちょっと早いけど夕ご飯にしませんか? 私、おにぎり作ってきたんです」
「佳奈ちゃん、すごい! 用意がいいわぁ」
「以前、台風で停電したことがあって。台風の時はおにぎりをたくさん作って備えているんですよ」
「やった! おにぎり、大好き」将太が喜んだ。
和尚はさらに豆腐とワカメのお味噌汁を作ってくれた。キュウリとナスのぬか漬けも出してくれた。みんなが輪になっておにぎりをほお張る。避難しているとは思えない和やかな雰囲気だ。
「そういえば、さっき石田さん『ビャクが来る』って言ってましたけど、ビャクって何ですか?」
千勢が迎えに来てくれた時の様子を思い出して聞いた。
「ビャクか? 山津波のことだ。土砂崩れって言ったほうが分かりやすいか」
「ビャクって言うんですか?」
この地域で生まれ育った和尚も知らなかった。
「丹沢は何度も水害に見舞われていてな。昭和47年だったか、山北町のほうでは集中豪雨で集落が全滅したこともあるんだ。濁流が家を飲み込んじまって、巨木や巨岩が散乱して跡形もなかたんだよ」
石田が苦々しい顔をしてため息をついた。辛い光景が蘇ったのかもしれない。誰も言葉を発しなかった。
「さて、今夜は早めに寝ましょうか?」と和尚が提案した。
「そうですね。子どもたちも眠たそうですし」と佳奈が言い、みんなも同意した。
「奥の間の押し入れに布団がありますから。男性陣は本堂で、女性陣は奥の間というのでどうでしょうか?」
「あの、みーちゃんはどうしたら……」
千勢はキャリーバッグの中で大人しくしているミルクに視線を向けた。
「ちーちゃん、ごめんなさい。私がアレルギーだから……」
佳奈が頭を下げた。
「じゃあ、僕がみーちゃんと一緒に寝るよ」
将太が元気よく〝立候補〟した。父親の昇も「俺が見てますから」と援護した。
「ありがとうございます。みーちゃんもみんなに懐いているから大丈夫だとは思いますが、もし何かあったら呼びにきてくださいね」
ミルクと離れるのは少し寂しいが、将太は嬉しいだろうと思ってお願いした。
和尚も「台風情報は私達がチェックしてますから休んでください」と言ってくれた。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
そうして千勢は佳奈と優愛と共に奥の間で就寝の準備をした。布団を3組並べると修学旅行のようだ。誰かと眠るのは、稔以外の誰かと眠るのは、思い出せないくらい久しぶりだ。
早朝、外に出てみると七十二候の草露白(くさのつゆしろし)の通り、草花に降りた露が白く光って見える。
「新鮮な空気、おいしー!」
両手を上げて深呼吸。そのまま「んー」と伸びをする。
最近の千勢は、午前中に山崎ファームを手伝い、昼食を昇達と食べて、午後は瑞雲寺へ墓参り。スーパーストーンへ買い物に行って、夕方に将太をあずかる、という生活を送っていた。
「じゃあ、みーちゃん、行こっか」
声を掛けて歩き出すとミルクはたったっと付いてきた。生後6カ月ほどになり、すっかり猫らしくなった。以前、散歩がてら富士見の丘まで行って以来、一緒に〝出勤〟するようになった。千勢が働いている間は、木に登ったり蝶を追いかけたり野山で元気に遊んでいるようだ。
「大型の台風12号が近づいているので、今日は台風対策を重点的に行って頂きます。まずは露地ものの野菜の収穫をお願いします。少し青くても小さくても全て取ってください」
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非常に強い勢力の台風12号は翌日の昼から夜にかけて関東地方に上陸すると予報されていた。中心気圧は945ヘクトパスカル、最大風速45メートルの威力。「記録的な大雨や暴風、高波に警戒してください」と気象庁が会見するほどだった。
露地野菜の収穫を終えると、千勢は排水溝の確認や作業小屋の清掃など次々と仕事をこなした。
昇に「将太には家で留守番しているように言いますから、もう少し手を貸して頂けますか?」と頼まれ、夕方までビニールハウスの補強を手伝った。
次の日の朝、台風の勢力は増していた。それを示すように窓の外では大粒の雨が降っている。テレビの天気予報を見るとすでに暴風域に入っていて、19時から20時ごろに神奈川県を通過するようだ。
ババババッ! ババッ! ババババッ!
お昼過ぎには窓に打ちつける雨の音が大きくなってきた。
ビュオー! ザザザッ! ビュオー!
楠の木が強風にあおられている。吹き抜ける風が悲鳴に聞こえる。
ブゥオン! ミシミシッ!
烈風に押されて家が揺れる。
築40年の木造建築。この家、大丈夫だろうか……。千勢は不安になってきた。普段は風通しのいい家だが、そのぶん暴風の影響を受けやすいということだ。
バキバキッ、バキ、ズサッ!
ひと際大きな音にビクッとした。庭の木が折れたのだろうか。
ナァーオ、ナァーオ。ミルクが低く唸る。
「みーちゃん、びっくりしたね。大丈夫だよ」
ババババッ! ババッ!
ミルクにかけた声がかき消されるほど、外の音が激しい。
ガッシャーン!
「きゃあ!!」
短い悲鳴を上げた。
「やだ、なに、やめてよ」
ミルクが逃げる。部屋の隅の座布団に隠れるように潜った。
音がした風呂場へ行くと窓ガラスが割れていた。ビョウォーとすごい勢いで風が入り込んでくる。
「だめだ……」
絶望的な気持ちで風呂場のドアを閉めた。
「みーちゃん、どうしよう……」
怖くなってしまい、丸まっていたミルクを抱きかかえる。それでも、ミルクだけは守らなきゃ。
ドンドンドンドン!
今度は玄関で音がした。
「もう、やだ……」
ミルクの体に顔をうずめる。
ドンドンドン!
「おい、いるのか!」
石田の声だった。急いで玄関の戸を開ける。
「ビャクが来るぞ!」
合羽を着た石田がすごい剣幕で怒鳴った。
「避難しろ! 車乗れ!」
「は? は、はい!」
訳が分からず返事だけした。ブワァッと風と雨が千勢の顔に降りかかる。シャツの袖で水滴を拭う。
急いでミルクをキャリーバッグに入れ、普段のリュックを背負って外に出た。軽トラの助手席に乗ると石田はすぐに発車した。
「あの……。避難ってどこへ?」
「瑞雲寺だ。本堂は頑丈だから避難所代わりになってる」
「確かに。迎えに来ていただいて、ありがとうございました」
「いや、まぁ、あの家ももうガタがきているからな」
言外に「自分にも責任がある」というように聞こえた。
車のワイパーが追いつかないほど雨が強い。細い道路も川のようになっている。もし日が沈んだ後だったら手遅れになっていたかもしれない。
瑞雲寺の駐車場に到着した。本堂までは短い距離だが強風で傘は役に立たず、千勢はずぶぬれになった。
本堂に上がると「ちーちゃん」と将太が駆け寄ってきた。
「みーちゃんもいる! よかったぁ」
佳奈がバスタオルを手渡してくれた。
「私たちも石田のじいちゃんに言われてさっき来たんですよ」
「そうなの。みんなと一緒なら安心だわ」
そこに合羽を脱いだ石田が本堂に入って来た。
「いやー、えらい台風になったな。あんたんとこのハウスは大丈夫かい?」
「ええ。ハウスの補強など出来ることはやってきましたが……。やっぱり勢力が強いので心配ですね」
昇が自信なさそうに答える。
瑞雲寺には昇、佳奈、将太、優愛の山崎一家が先に来ていた。そこに石田と千勢を合わせて6人と、猫1匹が集まった。
何十畳もある本堂には中心に御本尊の大日如来が祀られている。弘法大師と不動明王が脇を固めた須弥壇は厳かで煌びやかな雰囲気だ。
場違いな感じだからと遠慮したわけではないが、一同は部屋の片隅に陣取った。そこへ涼安和尚が温かいお茶を持ってきてくれた。
「みなさん、落ち着いてくださいね。この本堂は築年数100年を超えます。何度も台風にあっていますがビクともしませんでしたから安心してください」
――「台風12号は小笠原諸島の海上にあり、北上を続けています。非常に強い勢力を維持して本州に接近、静岡、神奈川に上陸するとみられています」
ラジオから台風情報が流れる。いよいよかと緊迫した空気が流れる。
「台風の猛威はもういいわ!」
ふっ。あは。わははっ。
和尚の突然のダジャレにみんな吹き出した。
「あはは! なに言ってるんですか、和尚!」
佳奈が突っ込む。
「じゃあ、これは? 台風を見たい夫婦」
今度は昇がダジャレを披露する。
「くだらないけど、おもしろいね」
千勢は将太に話しかけた。将太と優愛はケラケラ笑っている。みんなの暗い顔が笑顔に変わった。
すると佳奈が手を挙げた。
「ちょっと早いけど夕ご飯にしませんか? 私、おにぎり作ってきたんです」
「佳奈ちゃん、すごい! 用意がいいわぁ」
「以前、台風で停電したことがあって。台風の時はおにぎりをたくさん作って備えているんですよ」
「やった! おにぎり、大好き」将太が喜んだ。
和尚はさらに豆腐とワカメのお味噌汁を作ってくれた。キュウリとナスのぬか漬けも出してくれた。みんなが輪になっておにぎりをほお張る。避難しているとは思えない和やかな雰囲気だ。
「そういえば、さっき石田さん『ビャクが来る』って言ってましたけど、ビャクって何ですか?」
千勢が迎えに来てくれた時の様子を思い出して聞いた。
「ビャクか? 山津波のことだ。土砂崩れって言ったほうが分かりやすいか」
「ビャクって言うんですか?」
この地域で生まれ育った和尚も知らなかった。
「丹沢は何度も水害に見舞われていてな。昭和47年だったか、山北町のほうでは集中豪雨で集落が全滅したこともあるんだ。濁流が家を飲み込んじまって、巨木や巨岩が散乱して跡形もなかたんだよ」
石田が苦々しい顔をしてため息をついた。辛い光景が蘇ったのかもしれない。誰も言葉を発しなかった。
「さて、今夜は早めに寝ましょうか?」と和尚が提案した。
「そうですね。子どもたちも眠たそうですし」と佳奈が言い、みんなも同意した。
「奥の間の押し入れに布団がありますから。男性陣は本堂で、女性陣は奥の間というのでどうでしょうか?」
「あの、みーちゃんはどうしたら……」
千勢はキャリーバッグの中で大人しくしているミルクに視線を向けた。
「ちーちゃん、ごめんなさい。私がアレルギーだから……」
佳奈が頭を下げた。
「じゃあ、僕がみーちゃんと一緒に寝るよ」
将太が元気よく〝立候補〟した。父親の昇も「俺が見てますから」と援護した。
「ありがとうございます。みーちゃんもみんなに懐いているから大丈夫だとは思いますが、もし何かあったら呼びにきてくださいね」
ミルクと離れるのは少し寂しいが、将太は嬉しいだろうと思ってお願いした。
和尚も「台風情報は私達がチェックしてますから休んでください」と言ってくれた。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
そうして千勢は佳奈と優愛と共に奥の間で就寝の準備をした。布団を3組並べると修学旅行のようだ。誰かと眠るのは、稔以外の誰かと眠るのは、思い出せないくらい久しぶりだ。
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