もしも田中角栄がヒトラーに転生したら

ホカート

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第1話 2つの暗殺

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 1976年7月27日早朝、東京。国道を走るセダンの車内は、クーラーをガンガンときかせているというのに、異様な熱気に包まれていた。運転手にしても、助手席に座る男にしても、目は血走り、落ち着きがない。まるで悪い薬でもやっているかのような高揚感が漲っている。そんな中、後部座席には1人だけ、平然と構えている男がいた。
 「地検前にはマスコミが待っているかもしれません。裏口に回りましょうか」
 「いや、結構」
 運転していた検事の提案を、田中角栄前総理はきっぱりと断った。検事たちは一瞬、顔を見合わせたのち、黙って角栄の指示に従った。
 戦後最大の疑獄事件として連日新聞やテレビを騒がせていたロッキード事件。この日の毎日新聞朝刊には、「検察重大決意」という奇怪な見出しの記事が1面を飾っていた。奥歯に物が挟まった表現ではあったものの、事情を知る関係者たちは記事の意味を瞬時に理解した。この局面における重大決意とは、ただ一つしかありえなかったからだ。渦中に置かれていた〝闇将軍〟の逮捕以外には。
 「悪いが、一つだけお願いしたいんだがね」
 「何でしょうか」
 「この俺を入れるんだ。他の雑魚は相手にせんでもらいたいね」
 角栄は歯を見せながら笑った。俺の周りに捜査の網を広げるな――そんな都合のいい要望が歴戦の特捜部相手に通るわけがないことは彼も理解していた。だが、それでも口に出さざるを得なかった。自身が築き上げてきた世間における角栄像を演じ切るためにも。
 地検前には検事の予告通り、カメラの砲列が並んでいた。
 「ご苦労さん」
 車から降りるとカメラマンたちに向けて手を軽く上げ、地検の階段を上り始めた。大量のフラッシュが背後でたかれる中、角栄は一歩一歩、これまでの人生を振り返るようにゆったりと歩を進めた。
どこで失敗しちまったんだろうな。越後の寒村から出てきて、ここまで上り詰めたが。うん、政治家になるという選択自体は悪くなかった。高速道路を走らせたり、新幹線を引いたりするなんて、一土建屋だったらできなかった。十分国に奉仕してきたし、この国が与えてくれたもの以上をこの国に返したつもりだ。やはり、米国に楯突いたのがよくなかったかな。でも、いいさ。無罪を勝ち取って、もう一度出直せばいいだけだ。
 角栄の走馬灯は唐突に時間切れを迎えた。
 タイヤが破裂したような音。突き刺すような胸の痛み。思わず地面に倒れこむ。
 周囲が呆気にとられる中、カメラマンの一人が叫び出す。
 「角さんが撃たれた!」
 おいおい、こんな幕切れかよ。血相を変えて駆け寄る検事たちが視界に映った。やけにフラッシュが眩しい。空には一筋の飛行機雲が伸びている。
 これが角栄生涯最後の景色になる、はずであった。


 38歳の家具時計職人、ゲオルク・エルザーは息も絶え絶えにスイス・チューリッヒのカフェへ駆け込んだ。いかにも労働者といったつなぎ服はところどころ千切れ、泥も飛び散っていた。彼は先ほど、長い旅を終えてこの街に着いたばかりだった。
 カフェの店主はエルザーを追い出そうかと思案したが、今日は支払いのいい客が多かった。たまには誰かに温情をかけてやるのもいい。それにもう深夜だ。大して客は来ないだろう。
 「あー、もう店仕舞いするところなんだが、1杯ぐらいならいいよ。注文は?」
 「なんでもいいからうまいビールを」
 エルザーは両手を震わせながらジョッキをうやうやしく持つと、口元に泡がつくのを厭わず、ごくごくと喉を鳴らした。たった1口で注がれたビールの半分ほどを飲み込んだ。そして、30秒ほど天井を見つめた後、長いため息をついた。
 変な奴だ。店主は鼻を鳴らして新聞に目をやった。店内は沈黙に包まれ、ラジオの音だけが静かに響く。
 唐突に、エルザーが店主にラジオのボリュームを上げてもらうよう頼んだ。普段は音楽番組の時間だったが、なぜかニュース担当のアナウンサーが喋っていた。声色は妙に上ずり、感情の抑制が効かなくなっているようだ。
 「――繰り返します。ドイツ国家放送協会の発表によりますと、本日午後8時ごろ、ミュンヘンのビアホールで演説中のヒトラー首相が爆発に巻き込まれました。ヒトラー首相の容態は明らかにされておりませんが、現場は死者、けが人多数とのことです。繰り返します――」
 「おいおい、物騒だねぇ。戦争はどうなっちまうのかね」
 応答はなかった。
 不快に思った店主はエルザーの方を振り返った。そして、彼を店に入れたことを猛烈に後悔した。
 エルザーは、はち切れんばかりの笑みを浮かべていた。彼は「プロージット!」と大きく叫び、残ったビールを完飲した。
 店主が知る由もないが、エルザーは2日前、ビアホールの柱をくり抜いて爆弾を設置した張本人だった。
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