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第十一章「ベルゲングリューン伯爵」(3)
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3
「なんでだ……」
「やっぱり夢だったんじゃないの」
「そうかも……」
魔法講習の授業の終わり。
ユキの言葉に、僕はがっくりと肩を落とした。
結局僕は、あれ以来一発の火球魔法も発生させることはできなかった。
「アンナリーザも一緒にいたんでしょ」
「そうだけど……、二人とも夢を見ていたのかも」
僕がそう答えると、メルがやれやれという風に肩をすくめる。
僕が弱気になっていると、メルはよくこの仕草をする。
「まぁ、おまえら二人でデュラハンを倒したっていうだけでもちょっと信じられないのに、火花一つ出せなかったまつおさんが火球魔法を撃ったって言われても、なぁ?」
ルッ君がそんな僕に対して無邪気に追い打ちをかける。
ルッ君がモテないのはそういうところだと思う。
「いや、オレは信じるぞ」
「キム?」
「だって、自分にファイアーボールを当てて危うく大火傷するところだったんだろ? いかにもまつおさんらしくて真実味がある」
……ちょっと感動しそうになった僕がバカだった。
「先生はなんて言ってたの?」
「『君に魔法を覚えさせるより、子鬼に言葉を教えるほうが簡単だろう』って」
「ぷっ……」
「うはははははは!!」
ミヤザワくんの問いに答えると、ユキと花京院が爆笑した。
「それほど根を詰めぬことだ。卿は特定分野に固執すべきでないと私は考える」
「私も」
偽ジルベールの言葉に、メルが同意する。
……この二人の意見が合うところを初めて見た。
「卿の持ち味はそこではない。特定分野に傾倒すると、卿の持ち味が薄れる」
「そうヨ~? アナタは今のままでじゅ~ぶん、ス・テ・キなんだから」
「ありがと。ジョセフィーヌ」
性格も何もかもが違う3人がそう言うんだから、きっとそうなんだろう。
僕が気を取り直して椅子に座り直そうとしたその時、C組教室の扉が勢いよく開いた。
「ああ、いたいた、まつおさん」
「……ジル様?!
入ってきたのは、なんと真ジルベールだった。
黄金色に輝く長髪をたなびかせながら、僕の席に向かって颯爽と歩いてきた。
「おっと、今はベルゲングリューン伯と呼ぶべきだったかな?」
「突然のご訪問恐縮です。ジルベール公爵」
若干の皮肉が込められた会釈に、僕も応じる。
真ジルベールの父親は大公だが、ヴァイリスでは大公は当代のみの爵位で、貴族家としてはジルベール公爵家ということになるのだと、以前、聞いてもないのにユキから教えられた。
ちなみに、真ジルベールのジルベールは姓で、偽ジルベールはジルベールが名前らしい。
真ジルベールの名前は知らないし、偽ジルベールの姓も知らない。
「実地訓練の活躍からさほど日も経たないうちに、今度はユリーシャ王女を救出し、前宰相を失脚させる……、まったく、君には驚かされてばかりだよ」
「ありがとうございます。ですが、僕は何もできない能無しで、頑張ったのは仲間たちです」
僕がそう言うと、クラスのみんながうん、うん、その通りだと頷いた。
ちょっとは否定してくれ。
「ふふ、謙遜に過ぎて嫌味に聞こえるところが君の欠点だね。それはそうとして、今日は君にどうしても謝罪したいというクラスメイトがいるから、ここに連れてきたんだ」
……やっぱりね。
そんなことだろうと思った。
「入ってきたまえ」
僕が内心うんざりしていると、一人の生徒が下を向きながらすごすごと教室に入ってきた。
「うわ……」
ルッ君が小さく声を上げる。
僕も……、おそらく他のみんなも、心の中で同じ感想だったことだろう。
先日、キムとカフェテラスで揉めたAクラスの生徒。
だが、その見た目はあまりにも変貌していた。
カフェテラスでの居丈高な態度からは打って変わった、生気のない表情。
だが、僕らが息を飲んだのは、そんなことではない。
制服はボロボロになり、ツヤツヤに整えられていたおかっぱ頭はボサボサに乱れ、片方の目は包帯でぐるぐる巻きになり、もう片方の目には大きな青アザができている。
きっと、真ジルベールの取り巻きたちにこんな目に遭わされたのだろう。
「ほら、ベルゲングリューン伯に言うことがあるだろう?」
「は、はい……っ」
彼は真ジルベールに促されるままに僕の前に立つと、深々と頭を下げた。
「先日はベルゲングリューン伯とはつゆ知らず、大変なご無礼をいたしました……。本当に、本当に申し訳ありませんでした……っ!」
「やれやれ……、自分から謝罪したいと言っておきながら、君はまったくわかっていないようだね」
真ジルベールが冷ややかな目で彼に告げる。
「ベルゲングリューン伯は私の許嫁であるユリーシャ王女殿下を救出した英雄だぞ? 君はそんな彼にとんでもない無礼を働いたのだ。それはすなわち、我らジルベール公爵家に泥を塗るのと同じだ!」
真ジルベールの一喝で、彼はまるで雷に撃たれたように震えると、その場で膝をついて土下座をする。
……そうか、コイツとユリーシャ王女殿下が……。
うーん、身分で言えばお似合いなんだろうけど、なんだ、なんかモヤっとするな。
「……ほう、心優しい君のことだから、貴族から土下座をされて動揺するものだと思ったが、なかなか伯爵としての立場が堂に入っているじゃないか。立場が人を作るというのは本当なのだな」
彼の土下座で表情を変えなかった僕に、真ジルベールが本心から感心したように言った。
いや、お前とユリーシャ王女殿下のことに気を取られてぼーっとしてただけなんだけど。
でも、それで思いついた。
「我々貴族には大いなる特権があるが、そこには絶対に守られなければならない誓約がある」
土下座を続ける彼に対し、真ジルベールが言い放つ。
「それは、自分より爵位が上の人間に対して最大限の敬意を払うということだ。高級官僚のご子息とはいえ、いち子爵家にすぎない君が、伯爵たるベルゲングリューン伯に刃を向けることがどれほどのことか、君は本当にわかっているのかな」
……なるほどね。
真ジルベールは、彼に言っているのではなく、僕に言っているのだ。
いち伯爵にすぎない僕が、公爵家で大公の子息である自分に逆らうと、同じような目に合わせてやると。
「ジルベール公爵、私の気持ちを代弁してくださり、感謝の言葉もありません」
僕は土下座する彼には一切見向きもせずに、深々と真ジルベールに頭を下げた。
僕の反応が意外だったクラスのみんながドン引きしているのがわかる。
「なぁに、いいんだ。これからも君とは上手くやっていきたいと思っているからね」
真ジルベールがにっこりと微笑んだ。
「君が少しでもコイツに同情の目を向けたり、受けた仕打ちに嫌悪感を示すようならガッカリしていたところだ。そのような人間は貴族社会にふさわしくない。さっさと退場してもらったほうが、本人のためだ」
真ジルベールが蛇のように目を細めて、僕に言った。
これが彼の本性なのだろう。
端正な顔立ちが台無しだ。
「だが、君はそうではなかった。それがわかっただけでも、ここにコイツを連れてきた甲斐があったよ」
真ジルベールはそう言うと、氷のような視線で彼を見下ろした。
「君はここに置いていく。ベルゲングリューン伯が許すまで、君はそこで土下座していたまえ」
それだけ言い残すと、真ジルベールは颯爽と教室を出ていった。
「ふぅ……」
真ジルベールが去って、僕は深く吐息をついた。
なんというか、ヤツの毒気にあてられた気分だ。
「ユキ、ちょっとお願いがあるんだけど」
「うん、なぁに?」
いつもやかましいユキが、素直に聞いてきた。
憧れのジル様の本性を垣間見て、ショックを受けているんだろう。
「アリサ……アンナリーザのところに行ってきてくれないかな? ケガ人がいるから、回復魔法をかけてほしいって」
「う、うん! わかった!」
僕のお願いに、暗くなっていた顔をぱぁっと明るくさせて、ユキが駆けて行った。
ユキのああいうところ、好きだ。
「大丈夫? あ、もうアイツはいないから、土下座なんてやらなくていいよ」
「っ?!」
怯えた表情の彼が、土下座の姿勢のまま、僕を見上げた。
「お許し……いただけるのですか?」
「最初から怒ってなんかいないよ。というか、そもそも謝るなら僕じゃなくてキムの方だと思うけど、たぶんキムも気にしてない。キム、そうだろ?」
「ああ。こっちも言いたいこと言わせてもらったからな」
僕の問いに、キムが応じた。
「君、名前はなんていうの?」
「エタンです、エタン・フォン・ベアールと言います。ベルゲングリューン伯爵」
「まつおさんだよ、僕はまつおさん」
気を利かせてメルが譲ってくれた椅子にエタンを座らせて、僕は言った。
「さっきはごめんね。あの場で僕が君に冷淡な態度を取っていたほうが、ジルベール公爵の機嫌が良くなって、おそらくエタンのAクラスでの立場が少しはマシになるかと思ってね」
「っ……、あの場でそこまで……お考えくださっていたのですか?」
「なんだよー、オレはてっきり、まつおさんは伯爵になってすっかり変わっちまったんだと思ったぜ! なぁ?」
「あらァ、アタシはちゃんとわかってたわヨ?」
「私も」
「オレもだ」
「あ、俺も俺も」
「ジョセフィーヌやメル、キムはともかく、ルッ君はちょっと嘘くさいな!」
「なんでだよ!」
花京院とジョセフィーヌ、カッ君が騒ぎ始めた。
さっきから偽ジルベールは周囲の喧騒を気にせず、ずっと本を読んでいる。
「王道と覇道のはざま」という題名だった。
「今、神聖魔法の使い手がこっちに来るから、いい感じに癒やしてもらうといい。一気に全快しちゃうと怪しまれるから、いい感じに」
「……」
「それが終わる頃にはほとぼりが冷めるだろうから、『ずっと土下座させられてました』ってアイツに報告するといいよ」
エタンは僕の顔をじっと見ている。
何かを言いたげで、でも何も言い出せない、そんな顔だ。
「それにしても、Aクラスってのは大変だな。あんな誰も逆らえないようなのが級長なんだろ?」
「同感だ。って、そういえば……」
僕はふと思いついて、キムに聞いた。
「ウチの級長って誰? 決まってたっけ」
「さぁ」
「まぁ、メルでいっか」
「そうだな」
「……勝手に決めないでくれる?」
「決めるっていうか、消去法でメルしかいない」
「わはは、確かにそうだな!」
花京院の言葉に、クラスがどっと湧いた。
「……楽しそうですね。いつもこんな感じなんですか?」
「そうだよ」
エタンの問いに、僕が答える。
「羨ましいな」
「Aクラスはどんな感じなの?」
「王宮の延長線上です。爵位、家柄が上のものには決して逆らえない。誰もが媚びへつらい、下の人間を見下している」
「君もそうだったもんね」
「はい……」
エタンがキムの方を見て頭を下げる。
キムは気にしてないという風に手をひらひらと振った。
「閣下、その本、面白い?」
「ふむ、イマイチだな」
僕が声をかけると、偽ジルベールはそっと本を置いた。
……イマイチなのにあんなに真剣に読んでいたのか。
「王道を語るには大局というものが見えておらんし、覇道を語るには浅学に過ぎる。だが、自身が没落していく様を克明に記しているところは一読の価値があった。読むか?」
「はは、今度にしておくよ」
「それが良い。卿は当分、何かと多忙な日々が続くであろうからな」
「あ、あのっ!」
突然、エタンが大きな声を出した。
「びっくりした。どうしたの?」
「私は……変われるでしょうか? ここにいる皆さんのように……」
自分たちとあまりに違うクラスの雰囲気に思うところがあったんだろう。
真剣な眼差しで、エタンが僕に聞いた。
「無理だと思う」
「なっ……、そんなハッキリ言わなくても……」
ルッ君のツッコミを、偽ジルベールが手で制した。
「さっきのアイツの話だと、君の親御さんは高級官僚なんでしょ? ということは、この国にいる限り、大公の子息であるアイツとの関係を切ることはできないだろう」
「たしかに、そうですね……」
「たとえば君がウチのクラスに編入したとする。学校内では楽しいかもしれないけど、王宮内外での君の居場所はなくなる。陰湿な嫌がらせも受けるだろうし、親御さんにも被害が及ぶかもしれない」
「はい……」
「だからね、ウチにおいでよ」
「えっ」
俯いていたエタンが顔を上げる。
「ベルゲングリューン伯爵領に遊びに来ればいい。あそこにめんどくさい貴族やその子息たちは来ない。あんな森とボロ屋敷しかないところにわざわざ足を運ぶメリットがないからね」
「あなたの領地に……?」
「伯爵領に遊びに来るのは、このクラスの連中と、近所の子供たち、それから釣り好きのおじいちゃんだけだ」
……釣り好きのおじいちゃんがアルフォンス・フォン・アイヒベルガー宰相閣下だということは黙っておこう。
「そこに居る時だけは、君は自由だ。爵位がどうとかで見下すような奴はいない。いたら僕が領主として全力で追い出すから、絶対に、いない」
「……私などがお邪魔してもいいんですか?」
「キムがいいって言うならね。そして、キムはいいって言うさ」
僕とエタンが振り向くと、キムがニカッと笑って親指を立てた。
「ただし、条件がある」
「はい」
心配そうにするエタンに、僕はにっこりと笑った。
「今日から僕と君は友達だ。僕たちと居る時は敬語はナシで、僕のことは『まつおさん』と呼ぶように」
「なんでだ……」
「やっぱり夢だったんじゃないの」
「そうかも……」
魔法講習の授業の終わり。
ユキの言葉に、僕はがっくりと肩を落とした。
結局僕は、あれ以来一発の火球魔法も発生させることはできなかった。
「アンナリーザも一緒にいたんでしょ」
「そうだけど……、二人とも夢を見ていたのかも」
僕がそう答えると、メルがやれやれという風に肩をすくめる。
僕が弱気になっていると、メルはよくこの仕草をする。
「まぁ、おまえら二人でデュラハンを倒したっていうだけでもちょっと信じられないのに、火花一つ出せなかったまつおさんが火球魔法を撃ったって言われても、なぁ?」
ルッ君がそんな僕に対して無邪気に追い打ちをかける。
ルッ君がモテないのはそういうところだと思う。
「いや、オレは信じるぞ」
「キム?」
「だって、自分にファイアーボールを当てて危うく大火傷するところだったんだろ? いかにもまつおさんらしくて真実味がある」
……ちょっと感動しそうになった僕がバカだった。
「先生はなんて言ってたの?」
「『君に魔法を覚えさせるより、子鬼に言葉を教えるほうが簡単だろう』って」
「ぷっ……」
「うはははははは!!」
ミヤザワくんの問いに答えると、ユキと花京院が爆笑した。
「それほど根を詰めぬことだ。卿は特定分野に固執すべきでないと私は考える」
「私も」
偽ジルベールの言葉に、メルが同意する。
……この二人の意見が合うところを初めて見た。
「卿の持ち味はそこではない。特定分野に傾倒すると、卿の持ち味が薄れる」
「そうヨ~? アナタは今のままでじゅ~ぶん、ス・テ・キなんだから」
「ありがと。ジョセフィーヌ」
性格も何もかもが違う3人がそう言うんだから、きっとそうなんだろう。
僕が気を取り直して椅子に座り直そうとしたその時、C組教室の扉が勢いよく開いた。
「ああ、いたいた、まつおさん」
「……ジル様?!
入ってきたのは、なんと真ジルベールだった。
黄金色に輝く長髪をたなびかせながら、僕の席に向かって颯爽と歩いてきた。
「おっと、今はベルゲングリューン伯と呼ぶべきだったかな?」
「突然のご訪問恐縮です。ジルベール公爵」
若干の皮肉が込められた会釈に、僕も応じる。
真ジルベールの父親は大公だが、ヴァイリスでは大公は当代のみの爵位で、貴族家としてはジルベール公爵家ということになるのだと、以前、聞いてもないのにユキから教えられた。
ちなみに、真ジルベールのジルベールは姓で、偽ジルベールはジルベールが名前らしい。
真ジルベールの名前は知らないし、偽ジルベールの姓も知らない。
「実地訓練の活躍からさほど日も経たないうちに、今度はユリーシャ王女を救出し、前宰相を失脚させる……、まったく、君には驚かされてばかりだよ」
「ありがとうございます。ですが、僕は何もできない能無しで、頑張ったのは仲間たちです」
僕がそう言うと、クラスのみんながうん、うん、その通りだと頷いた。
ちょっとは否定してくれ。
「ふふ、謙遜に過ぎて嫌味に聞こえるところが君の欠点だね。それはそうとして、今日は君にどうしても謝罪したいというクラスメイトがいるから、ここに連れてきたんだ」
……やっぱりね。
そんなことだろうと思った。
「入ってきたまえ」
僕が内心うんざりしていると、一人の生徒が下を向きながらすごすごと教室に入ってきた。
「うわ……」
ルッ君が小さく声を上げる。
僕も……、おそらく他のみんなも、心の中で同じ感想だったことだろう。
先日、キムとカフェテラスで揉めたAクラスの生徒。
だが、その見た目はあまりにも変貌していた。
カフェテラスでの居丈高な態度からは打って変わった、生気のない表情。
だが、僕らが息を飲んだのは、そんなことではない。
制服はボロボロになり、ツヤツヤに整えられていたおかっぱ頭はボサボサに乱れ、片方の目は包帯でぐるぐる巻きになり、もう片方の目には大きな青アザができている。
きっと、真ジルベールの取り巻きたちにこんな目に遭わされたのだろう。
「ほら、ベルゲングリューン伯に言うことがあるだろう?」
「は、はい……っ」
彼は真ジルベールに促されるままに僕の前に立つと、深々と頭を下げた。
「先日はベルゲングリューン伯とはつゆ知らず、大変なご無礼をいたしました……。本当に、本当に申し訳ありませんでした……っ!」
「やれやれ……、自分から謝罪したいと言っておきながら、君はまったくわかっていないようだね」
真ジルベールが冷ややかな目で彼に告げる。
「ベルゲングリューン伯は私の許嫁であるユリーシャ王女殿下を救出した英雄だぞ? 君はそんな彼にとんでもない無礼を働いたのだ。それはすなわち、我らジルベール公爵家に泥を塗るのと同じだ!」
真ジルベールの一喝で、彼はまるで雷に撃たれたように震えると、その場で膝をついて土下座をする。
……そうか、コイツとユリーシャ王女殿下が……。
うーん、身分で言えばお似合いなんだろうけど、なんだ、なんかモヤっとするな。
「……ほう、心優しい君のことだから、貴族から土下座をされて動揺するものだと思ったが、なかなか伯爵としての立場が堂に入っているじゃないか。立場が人を作るというのは本当なのだな」
彼の土下座で表情を変えなかった僕に、真ジルベールが本心から感心したように言った。
いや、お前とユリーシャ王女殿下のことに気を取られてぼーっとしてただけなんだけど。
でも、それで思いついた。
「我々貴族には大いなる特権があるが、そこには絶対に守られなければならない誓約がある」
土下座を続ける彼に対し、真ジルベールが言い放つ。
「それは、自分より爵位が上の人間に対して最大限の敬意を払うということだ。高級官僚のご子息とはいえ、いち子爵家にすぎない君が、伯爵たるベルゲングリューン伯に刃を向けることがどれほどのことか、君は本当にわかっているのかな」
……なるほどね。
真ジルベールは、彼に言っているのではなく、僕に言っているのだ。
いち伯爵にすぎない僕が、公爵家で大公の子息である自分に逆らうと、同じような目に合わせてやると。
「ジルベール公爵、私の気持ちを代弁してくださり、感謝の言葉もありません」
僕は土下座する彼には一切見向きもせずに、深々と真ジルベールに頭を下げた。
僕の反応が意外だったクラスのみんながドン引きしているのがわかる。
「なぁに、いいんだ。これからも君とは上手くやっていきたいと思っているからね」
真ジルベールがにっこりと微笑んだ。
「君が少しでもコイツに同情の目を向けたり、受けた仕打ちに嫌悪感を示すようならガッカリしていたところだ。そのような人間は貴族社会にふさわしくない。さっさと退場してもらったほうが、本人のためだ」
真ジルベールが蛇のように目を細めて、僕に言った。
これが彼の本性なのだろう。
端正な顔立ちが台無しだ。
「だが、君はそうではなかった。それがわかっただけでも、ここにコイツを連れてきた甲斐があったよ」
真ジルベールはそう言うと、氷のような視線で彼を見下ろした。
「君はここに置いていく。ベルゲングリューン伯が許すまで、君はそこで土下座していたまえ」
それだけ言い残すと、真ジルベールは颯爽と教室を出ていった。
「ふぅ……」
真ジルベールが去って、僕は深く吐息をついた。
なんというか、ヤツの毒気にあてられた気分だ。
「ユキ、ちょっとお願いがあるんだけど」
「うん、なぁに?」
いつもやかましいユキが、素直に聞いてきた。
憧れのジル様の本性を垣間見て、ショックを受けているんだろう。
「アリサ……アンナリーザのところに行ってきてくれないかな? ケガ人がいるから、回復魔法をかけてほしいって」
「う、うん! わかった!」
僕のお願いに、暗くなっていた顔をぱぁっと明るくさせて、ユキが駆けて行った。
ユキのああいうところ、好きだ。
「大丈夫? あ、もうアイツはいないから、土下座なんてやらなくていいよ」
「っ?!」
怯えた表情の彼が、土下座の姿勢のまま、僕を見上げた。
「お許し……いただけるのですか?」
「最初から怒ってなんかいないよ。というか、そもそも謝るなら僕じゃなくてキムの方だと思うけど、たぶんキムも気にしてない。キム、そうだろ?」
「ああ。こっちも言いたいこと言わせてもらったからな」
僕の問いに、キムが応じた。
「君、名前はなんていうの?」
「エタンです、エタン・フォン・ベアールと言います。ベルゲングリューン伯爵」
「まつおさんだよ、僕はまつおさん」
気を利かせてメルが譲ってくれた椅子にエタンを座らせて、僕は言った。
「さっきはごめんね。あの場で僕が君に冷淡な態度を取っていたほうが、ジルベール公爵の機嫌が良くなって、おそらくエタンのAクラスでの立場が少しはマシになるかと思ってね」
「っ……、あの場でそこまで……お考えくださっていたのですか?」
「なんだよー、オレはてっきり、まつおさんは伯爵になってすっかり変わっちまったんだと思ったぜ! なぁ?」
「あらァ、アタシはちゃんとわかってたわヨ?」
「私も」
「オレもだ」
「あ、俺も俺も」
「ジョセフィーヌやメル、キムはともかく、ルッ君はちょっと嘘くさいな!」
「なんでだよ!」
花京院とジョセフィーヌ、カッ君が騒ぎ始めた。
さっきから偽ジルベールは周囲の喧騒を気にせず、ずっと本を読んでいる。
「王道と覇道のはざま」という題名だった。
「今、神聖魔法の使い手がこっちに来るから、いい感じに癒やしてもらうといい。一気に全快しちゃうと怪しまれるから、いい感じに」
「……」
「それが終わる頃にはほとぼりが冷めるだろうから、『ずっと土下座させられてました』ってアイツに報告するといいよ」
エタンは僕の顔をじっと見ている。
何かを言いたげで、でも何も言い出せない、そんな顔だ。
「それにしても、Aクラスってのは大変だな。あんな誰も逆らえないようなのが級長なんだろ?」
「同感だ。って、そういえば……」
僕はふと思いついて、キムに聞いた。
「ウチの級長って誰? 決まってたっけ」
「さぁ」
「まぁ、メルでいっか」
「そうだな」
「……勝手に決めないでくれる?」
「決めるっていうか、消去法でメルしかいない」
「わはは、確かにそうだな!」
花京院の言葉に、クラスがどっと湧いた。
「……楽しそうですね。いつもこんな感じなんですか?」
「そうだよ」
エタンの問いに、僕が答える。
「羨ましいな」
「Aクラスはどんな感じなの?」
「王宮の延長線上です。爵位、家柄が上のものには決して逆らえない。誰もが媚びへつらい、下の人間を見下している」
「君もそうだったもんね」
「はい……」
エタンがキムの方を見て頭を下げる。
キムは気にしてないという風に手をひらひらと振った。
「閣下、その本、面白い?」
「ふむ、イマイチだな」
僕が声をかけると、偽ジルベールはそっと本を置いた。
……イマイチなのにあんなに真剣に読んでいたのか。
「王道を語るには大局というものが見えておらんし、覇道を語るには浅学に過ぎる。だが、自身が没落していく様を克明に記しているところは一読の価値があった。読むか?」
「はは、今度にしておくよ」
「それが良い。卿は当分、何かと多忙な日々が続くであろうからな」
「あ、あのっ!」
突然、エタンが大きな声を出した。
「びっくりした。どうしたの?」
「私は……変われるでしょうか? ここにいる皆さんのように……」
自分たちとあまりに違うクラスの雰囲気に思うところがあったんだろう。
真剣な眼差しで、エタンが僕に聞いた。
「無理だと思う」
「なっ……、そんなハッキリ言わなくても……」
ルッ君のツッコミを、偽ジルベールが手で制した。
「さっきのアイツの話だと、君の親御さんは高級官僚なんでしょ? ということは、この国にいる限り、大公の子息であるアイツとの関係を切ることはできないだろう」
「たしかに、そうですね……」
「たとえば君がウチのクラスに編入したとする。学校内では楽しいかもしれないけど、王宮内外での君の居場所はなくなる。陰湿な嫌がらせも受けるだろうし、親御さんにも被害が及ぶかもしれない」
「はい……」
「だからね、ウチにおいでよ」
「えっ」
俯いていたエタンが顔を上げる。
「ベルゲングリューン伯爵領に遊びに来ればいい。あそこにめんどくさい貴族やその子息たちは来ない。あんな森とボロ屋敷しかないところにわざわざ足を運ぶメリットがないからね」
「あなたの領地に……?」
「伯爵領に遊びに来るのは、このクラスの連中と、近所の子供たち、それから釣り好きのおじいちゃんだけだ」
……釣り好きのおじいちゃんがアルフォンス・フォン・アイヒベルガー宰相閣下だということは黙っておこう。
「そこに居る時だけは、君は自由だ。爵位がどうとかで見下すような奴はいない。いたら僕が領主として全力で追い出すから、絶対に、いない」
「……私などがお邪魔してもいいんですか?」
「キムがいいって言うならね。そして、キムはいいって言うさ」
僕とエタンが振り向くと、キムがニカッと笑って親指を立てた。
「ただし、条件がある」
「はい」
心配そうにするエタンに、僕はにっこりと笑った。
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