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第三部 第三章「ベルゲングリューンの光と闇」(10)
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10
マガジンキャッチに指をかける。
空になったマガジンが自重で落下し、新しいマガジンを手早くセットする。
スライドストップを下げながら、前方を見据える。
CIA時代からの愛用品であるP226の残弾は、これが最後だ。
「キム、行けそう?」
「このぐらいの傷、どうということはありませんよ。合衆国大統領」
黒いスーツを着ているのでわかりづらいけど、そう言って笑う彼の左手の袖元は、白いシャツが赤く染まっている。
「ああ、そうでなくては困る。君にはまだまだ、僕を守ってもらわないとね」
「やれやれ……、人使いの荒いお人だ」
テロリストと思しき連中に我が家を占拠されて、すでに一時間が経過している。
最初の狙撃で僕の命を取ることができなかったのは、彼らにとっては大誤算だったに違いない。
キムが身を挺して守ってくれたおかげだ。
「それで、どうするんです?」
「どうって、何が?」
僕がきょとんとした顔でキムを見上げると、彼はやれやれ、といった顔で笑った。
「どうせあなたのことだ。またロクでもないことを考えているんでしょう?」
「いやぁ、そんなこと言われてもなぁ……。このまま助けが来るまで時間稼ぎするぐらいしか……」
「冗談でしょう? このままここに居たら、10分と保ちませんよ」
キムが、右手に握るグロックの銃床を指差した。
もう弾がない、というジェスチャーだろう。
「そうなんだよねぇ……」
僕は苦笑する。
とりあえず、執務机をひっくり返してバリケードを作って、扉を封鎖する。
こんなもので何秒足止めになるのかはわからないけど。
「あの人達は何が気に入らないの?」
「さぁ……、用心棒の俺に聞かれましても……」
「用心棒って言うなよ……。悪いやつみたいじゃん」
「有史以来、誰も達成し得なかった世界統一を成し遂げた親玉なんだから、そりゃ悪いやつに決まってるでしょう」
「何言ってんの、めっちゃいいやつじゃん!」
僕が抗議すると、キムが左腕を押さえながらげらげら笑った。
「俺ね、今、ハマってるゲームがあるんですよ」
なんで僕はテロリストに殺されかけている状況で、SPがハマっているゲームの話を聞いているんだろうと思ったけど、おとなしく聞いてみることにした。
どうせ何も思いつかないし。
「そのゲームがすごい難しくて。攻略動画っていうやつを見てるんですよ」
「う、うん」
「その動画作ってるヤツが、めちゃくちゃ上手いんです。しかも説明がすげぇわかりやすくて、話も面白い」
「へぇ」
「全然興味がなさそうですね」
「全然興味がないし、連中の足音が近づいてきてる気がするけど、ちゃんと聞いてるよ」
僕がそう言うと、キムは苦笑しながら話を続けた。
「でね、そいつの動画に『いいね』しようとしたら、気づいたんですよ。『いいね』の数はもちろんすげぇついてるんだけど、『よくないね』が7つぐらいついてるんです。そいつの他の動画も見てみたら、やっぱり『よくないね』が7つぐらいついている」
「……ねぇ。今、僕、なんの話を聞かされているの?」
「いや、その時思ったんですよ。こんなわかりやすくて親切で、よく出来た動画に『よくないね』をつける奴ってのは、一体どんな気持ちで、それも他の動画までわざわざ見に行って執念深く『よくないね』を付けてるんだろって」
「なんだろ……、こいつなんかより自分の方が上手いと思ってる、とか」
「だったら攻略動画見にくんなよって思いません? しかも、他の動画にまで」
「じゃぁ、嫉妬?」
僕がそう言うと、キムがうなずいた。
「俺はそう思うんですよね。みんなが『いいね』って思う奴のことが気に入らないキンタマの小せぇ粘着質のうんこみてぇな奴が、どんな動画にも必ずいるんですよ」
「キンタマって……女の人かも知れないじゃん。『この人の話し方キモーい』とかって」
「い、いや……、たしかにちょっとしゃべるとき、ネチャっとした音がしてるんですけど……」
「ほら、それだよ。キンタマは関係ないんじゃない」
「そ、そうなんスかね……」
……あ、話が終わってしまった。
「……僕が悪かった。何が言いたかったの?」
「いや、もういいスよ」
「あのね……、君はあと数分で死ぬかも知れないって時に、合衆国大統領にモヤっとした話を聞かせたままで終わらせるつもりなのか?」
僕がそう言うと、キムは我慢できなかったらしく、ぷっと吹き出して、それから痛そうに左腕をさすった。
「ええとですね……つまり……、たとえどんなに国民から人気があったとしても、世の中には『人気がある』っていう理由で嫌いになるしょうもない奴だっているってことですよ。そんな奴のことまでいちいち気にしてたら、あなたの仕事は務まらないんじゃないかってね」
「えっ? えっ? その結論を聞かせるために、わざわざ今君がハマってるゲームの話をしたの? この状況で?」
僕の問いにキムは応えず、スーツの内ポケットから無線機を取り出した。
「こちらクーガー、チャップリンは確保した。ここは安全だ。プランDの準備をしろ」
「チャップリンって何?」
「あなたの新しいコールサインです。大統領」
「……なんで君はクーガーとかカッコいい名前なのに、僕はチャップリンなわけ?」
「爆笑王ですから」
「……まぁいいや。で、プランDって何」
「テロリストが潜伏したこの建物ごと空爆してしまいます」
「えっ……初代大統領が1800年に建てた誇り高き白い家を、僕の代で爆破しちゃうの?!」
「仕方がないでしょう。あなたが他にいいプランを思いつかなかったんですから」
「え、僕のせいなの? 今僕のせいだって言った?」
「とにかく、その机の下にでも隠れてください。ここの地下は安全だとは思いますが、万一お怪我でもされては、俺の責任になってしまいますので」
キムのその言葉に、僕はハッとなって顔を上げた。
「い、いや、ちょっと待って! 地上にはまだジョセフィーヌ議員が人質になってるはずだ。彼女を犠牲にはできない。他の職員の退避は終わったの?」
僕がそう言うと、キムはにっこりと笑った。
「ご安心を。議員はテロリストを殴り殺して自力で脱出なさいました」
「そ、そう……」
「職員も全員地下に避難させました。連中の狙いはあなただけです」
「アウローラ博士は?」
「誰です?」
「アウローラ博士だよ!ロシアの天才物理学博士の! あの人を死なせたら大変だぞ! 僕なんかが死ぬより歴史が変わる」
「いっつも食堂でパフェばっか食ってる人ですか? あの人、そんな偉い人だったんだ」
「頭使う人は甘いものが足りなくなるんだよ」
僕の返答はおそらく、キムの耳には届かなかった。
無線機で何かの応答をしていたからだ。
「アウローラ博士の所在は不明だそうです。まぁ、大丈夫でしょう」
「なんでわかるの?」
「だって、天才なんでしょう?」
「……」
あんまりな返答だったけど、たしかに、あの人なら何があっても生き延びそうな気がする。
「大統領、空爆の許可を」
キムから無線機を手渡されて、僕は深くため息をついた。
さようなら、ホワイトハウス。
僕は空爆を許可するために無線機を受け取りながら、キムに言った。
「キム、違うよ」
「え?」
「本当にそいつのことが嫌いなら、動画を見に行かなきゃいいだけでしょ。なのに、わざわざご丁寧に他の動画まで見に行って、『よくないね』に入れてるんでしょ」
「なんの話です? ……いいから早く空爆許可を……」
「そいつらはさ、ファンなんだよ。愛情も憎しみも紙一重。そういう歪なファンにも変わらぬ愛情を振りまくのが、合衆国大統領の本来の仕事なんだ」
……そういう意味では、僕は大統領失格だな。
ごめんね、ファンのみんなを空爆しちゃって。
「空爆を許可する」
……その瞬間、世界が暗転した。
真っ暗な世界。
だが、不思議と、それは不快ではない。
いや、不快どころか、まるで木漏れ日が差した森の木陰にいるような安らぎを感じる。
「やれやれ……、私の安否を確認もせずに空爆を指示とは。ずいぶんひどいことをするじゃないか」
闇の中心で安楽椅子に深く座る、流れるような黒髪の美しい女性が、こちらを見て苦笑した。
「やぁ、久しぶりだね、アウローラ」
「……」
僕がそう言うと、アウローラは少し口をとがらせて、スネたような顔でこちらを見上げる。
「……あのなぁ、君。こうして会うのは初対面なのだぞ。もう少し、私の容貌を称賛するとか、少年のように頬を赤らめるとか、そういうのはないのかね」
アウローラが『そなた』ではなく『君』と呼んだのは初めてな気がする。
「さっきのよくわかんない夢は、アウローラが見せたの? 大統領がどうとかって」
僕が尋ねると、アウローラは安楽椅子の上で腕を組みながら苦笑した。
「あれは夢ではないよ。君の過去だ」
「へ?」
「君はテロリストを一掃するために、私の安否を確認することなく空爆を実行した。本当なら、君はその前に、ホワイトハウスごと私に葬られるはずだったのだが」
「え、何、僕を殺そうとしたの?」
「そうだ」
「なんでさ」
「私を妻にしなかったからだ」
「え?」
「冗談だ」
アウローラが真顔で言った。
「あんまり冗談に聞こえないんだけど……」
「君が世界平和などという、普通の人間なら10歳ぐらいで馬鹿げていると気付くようなことを本当に実現させたのが悪い」
「なんでさー。いいじゃん、世界平和」
僕がそう言うと、アウローラがやれやれと肩をすくめた。
「つまらないじゃないか」
「つ、つまらないって……そんな、むちゃくちゃな……」
「むちゃくちゃではない。とても重要なことだ」
苦言を呈するアウローラは、だが、とても機嫌が良さそうだ。
この時間が楽しくてたまらないという風に、口元が度々ほころぶのをさりげなく指で隠している。
「あー、わかった!」
「何がだ」
「君は、キムが見ていた攻略動画に『よくないね』を付けたキンタマの小せぇ野郎の一人なんだな」
「私はたくさんのものを持っているが、残念ながらキンタマはない」
「知ってるよ!」
僕は思わずツッコんだ。
「え、じゃぁ、リヒタルゼンのあのお店で君の装備を身に着けたのも、あれは君の仕業だったの?」
「いや、あれがそもそもの始まりだ」
「……???」
きょとん、としているらしい僕の顔を見て、アウローラは苦笑する。
「時空の流れというのは君が考えているより複雑なのだよ」
「時空の流れ……?」
「君が火竜ごときに苦戦して、あろうことか左腕が骨折した程度で意識を失いかけ、その意識を繋ぎ止めるためにわざわざ、たいしてあるわけでもない魔力を行使し、そんな状況下で伝説級クラス一歩手前の冒険者を召喚しようとしたせいで……」
アウローラの言葉の途中で、僕は思わず耳を塞ぎたくなった。
「うわ、そうやって聞くとただのアホみたいじゃないか……」
「君はただのアホなんだよ。ちゃんと反省したまえ」
アウローラがビシッと僕を指差した。
「私は力を貸さないと決め込んでいたのに、そんな私の意識を君は勝手に乗っ取って弄び、記憶と魔力を無断で行使して再び立ち上がったのだ。たかが火竜ごときを倒すために……。しかもあろうことか、また深手を負い、意識を失った」
「乗っ取って」って、勝手に入り込んできたのはそっちじゃないか……。
「君によって意識を支配された私は、逆に、君の記憶世界に入り込んだ。そこで君が実現しようとしていたとんでもないことを目の当たりにして……」
「ホワイトハウスでパフェばっか食ってたと」
「ふふっ、そういうことだ」
アウローラが愉しそうにくすくすと笑った。
「僕の過去に入り込んで、そこで何かを変えることに意味があるの?」
「わからん」
「わ、わからんって……、わからんのにやろうとしたの」
「他にやることがなかったからな。私の意識は勝手に君に奪われてしまったしな……」
「悪かったって……」
これまでの経緯を聞けば、アウローラはもっと怒っても仕方がないのに、どうして彼女はこんなに愉しそうなんだろう。
「……気にならないのか?」
「ん、何が?」
「君のあの後の人生が、どうなったのか」
「うーん……」
僕は少し考えた。
「まったく、気にならない」
「ふ、そうか」
「たぶん、アウローラと同じだったんだと思うよ。前の人生の僕も」
「ほう?」
アウローラがわずかに目を丸くした。
「つまらなかったんじゃないかな。色々と」
「世界平和が面白いのか?」
「何千年も生き、時空さえ自由に操れるような君にとってはきっと、つまらなくて愚かなことなんだろうね」
僕は苦笑する。
「でも、あの時代のあの瞬間を生きていた僕にとって、それは誰もが実現不可能な絵空事だと思っていたことなんだ。それを実現させるのは、ワクワクすると思わない?」
「……すると君は、万民を救済するとか、この世から争いを無くすとか、そうした大義を抱いていたのではなかったというのか?」
「大義を掲げることはもちろん大事さ」
僕はアウローラににっこり笑った。
「でもそれには、ワクワクとかドキドキとかムラムラとか、そういう燃料みたいなのがなくちゃね」
「ムラムラは関係ないんじゃないか?」
「大アリだよ! 僕は自由の女神様にムラムラして合衆国大統領になったんだから」
「ぷっ……ふふっ……あっはっは!!」
アウローラはしばらく、お腹を押さえて笑い続けていた。
不思議な人だ。
そうしているとまるで少女のようにも見える。
……言ったら喜んで、ずっとそんな話題を振ってきそうだから言わないけど。
「どうやら、そろそろ君は意識を取り戻すようだ。過去の記憶が不要というのなら、私の力で抹消してやってもいいのだが……どうする?」
「どっちでもいいよ」
「そうか。……アヴァロニアの人生はどうだ?」
アウローラがさりげなく聞いてきた。
彼女ともずいぶん長い付き合いになってきたから、なんとなくわかる。
彼女は一番聞きたいことを、こういう風に聞いてくる。
「そんなの、言わなくてもわかるでしょ?」
なので、僕はあえて、もったいぶって言ってやった。
「最高にワクワクしてるよ」
「ムラムラは?」
「最高にイイ女が身体の中にいるのに、ムラムラしないわけがないでしょ?」
「ふふっ……、わかっているじゃないか」
アウローラは満足そうに笑うと、パチン、と指を鳴らした。
次の瞬間、僕の意識は急速に薄れていった。
「君との関わり方は今後、大きく変わるだろう。私たちは、より深い絆で結ばれた」
遠のいていく意識の中で、アウローラが耳元で囁いてくる。
「一応、言っておくが、私のせいではないからな? 私はむしろ、今となっては君に取り込まれた被害者なのだから……。責任を取ってもらいたいものだ」
「混沌と破壊の魔女が学生に取り込まれるなんて……、油断しすぎなんじゃないの」
完全に意識が遠のく前に、せいいっぱいの憎まれ口を叩いてやった。
アウローラが、ふっ、と笑った気がした。
マガジンキャッチに指をかける。
空になったマガジンが自重で落下し、新しいマガジンを手早くセットする。
スライドストップを下げながら、前方を見据える。
CIA時代からの愛用品であるP226の残弾は、これが最後だ。
「キム、行けそう?」
「このぐらいの傷、どうということはありませんよ。合衆国大統領」
黒いスーツを着ているのでわかりづらいけど、そう言って笑う彼の左手の袖元は、白いシャツが赤く染まっている。
「ああ、そうでなくては困る。君にはまだまだ、僕を守ってもらわないとね」
「やれやれ……、人使いの荒いお人だ」
テロリストと思しき連中に我が家を占拠されて、すでに一時間が経過している。
最初の狙撃で僕の命を取ることができなかったのは、彼らにとっては大誤算だったに違いない。
キムが身を挺して守ってくれたおかげだ。
「それで、どうするんです?」
「どうって、何が?」
僕がきょとんとした顔でキムを見上げると、彼はやれやれ、といった顔で笑った。
「どうせあなたのことだ。またロクでもないことを考えているんでしょう?」
「いやぁ、そんなこと言われてもなぁ……。このまま助けが来るまで時間稼ぎするぐらいしか……」
「冗談でしょう? このままここに居たら、10分と保ちませんよ」
キムが、右手に握るグロックの銃床を指差した。
もう弾がない、というジェスチャーだろう。
「そうなんだよねぇ……」
僕は苦笑する。
とりあえず、執務机をひっくり返してバリケードを作って、扉を封鎖する。
こんなもので何秒足止めになるのかはわからないけど。
「あの人達は何が気に入らないの?」
「さぁ……、用心棒の俺に聞かれましても……」
「用心棒って言うなよ……。悪いやつみたいじゃん」
「有史以来、誰も達成し得なかった世界統一を成し遂げた親玉なんだから、そりゃ悪いやつに決まってるでしょう」
「何言ってんの、めっちゃいいやつじゃん!」
僕が抗議すると、キムが左腕を押さえながらげらげら笑った。
「俺ね、今、ハマってるゲームがあるんですよ」
なんで僕はテロリストに殺されかけている状況で、SPがハマっているゲームの話を聞いているんだろうと思ったけど、おとなしく聞いてみることにした。
どうせ何も思いつかないし。
「そのゲームがすごい難しくて。攻略動画っていうやつを見てるんですよ」
「う、うん」
「その動画作ってるヤツが、めちゃくちゃ上手いんです。しかも説明がすげぇわかりやすくて、話も面白い」
「へぇ」
「全然興味がなさそうですね」
「全然興味がないし、連中の足音が近づいてきてる気がするけど、ちゃんと聞いてるよ」
僕がそう言うと、キムは苦笑しながら話を続けた。
「でね、そいつの動画に『いいね』しようとしたら、気づいたんですよ。『いいね』の数はもちろんすげぇついてるんだけど、『よくないね』が7つぐらいついてるんです。そいつの他の動画も見てみたら、やっぱり『よくないね』が7つぐらいついている」
「……ねぇ。今、僕、なんの話を聞かされているの?」
「いや、その時思ったんですよ。こんなわかりやすくて親切で、よく出来た動画に『よくないね』をつける奴ってのは、一体どんな気持ちで、それも他の動画までわざわざ見に行って執念深く『よくないね』を付けてるんだろって」
「なんだろ……、こいつなんかより自分の方が上手いと思ってる、とか」
「だったら攻略動画見にくんなよって思いません? しかも、他の動画にまで」
「じゃぁ、嫉妬?」
僕がそう言うと、キムがうなずいた。
「俺はそう思うんですよね。みんなが『いいね』って思う奴のことが気に入らないキンタマの小せぇ粘着質のうんこみてぇな奴が、どんな動画にも必ずいるんですよ」
「キンタマって……女の人かも知れないじゃん。『この人の話し方キモーい』とかって」
「い、いや……、たしかにちょっとしゃべるとき、ネチャっとした音がしてるんですけど……」
「ほら、それだよ。キンタマは関係ないんじゃない」
「そ、そうなんスかね……」
……あ、話が終わってしまった。
「……僕が悪かった。何が言いたかったの?」
「いや、もういいスよ」
「あのね……、君はあと数分で死ぬかも知れないって時に、合衆国大統領にモヤっとした話を聞かせたままで終わらせるつもりなのか?」
僕がそう言うと、キムは我慢できなかったらしく、ぷっと吹き出して、それから痛そうに左腕をさすった。
「ええとですね……つまり……、たとえどんなに国民から人気があったとしても、世の中には『人気がある』っていう理由で嫌いになるしょうもない奴だっているってことですよ。そんな奴のことまでいちいち気にしてたら、あなたの仕事は務まらないんじゃないかってね」
「えっ? えっ? その結論を聞かせるために、わざわざ今君がハマってるゲームの話をしたの? この状況で?」
僕の問いにキムは応えず、スーツの内ポケットから無線機を取り出した。
「こちらクーガー、チャップリンは確保した。ここは安全だ。プランDの準備をしろ」
「チャップリンって何?」
「あなたの新しいコールサインです。大統領」
「……なんで君はクーガーとかカッコいい名前なのに、僕はチャップリンなわけ?」
「爆笑王ですから」
「……まぁいいや。で、プランDって何」
「テロリストが潜伏したこの建物ごと空爆してしまいます」
「えっ……初代大統領が1800年に建てた誇り高き白い家を、僕の代で爆破しちゃうの?!」
「仕方がないでしょう。あなたが他にいいプランを思いつかなかったんですから」
「え、僕のせいなの? 今僕のせいだって言った?」
「とにかく、その机の下にでも隠れてください。ここの地下は安全だとは思いますが、万一お怪我でもされては、俺の責任になってしまいますので」
キムのその言葉に、僕はハッとなって顔を上げた。
「い、いや、ちょっと待って! 地上にはまだジョセフィーヌ議員が人質になってるはずだ。彼女を犠牲にはできない。他の職員の退避は終わったの?」
僕がそう言うと、キムはにっこりと笑った。
「ご安心を。議員はテロリストを殴り殺して自力で脱出なさいました」
「そ、そう……」
「職員も全員地下に避難させました。連中の狙いはあなただけです」
「アウローラ博士は?」
「誰です?」
「アウローラ博士だよ!ロシアの天才物理学博士の! あの人を死なせたら大変だぞ! 僕なんかが死ぬより歴史が変わる」
「いっつも食堂でパフェばっか食ってる人ですか? あの人、そんな偉い人だったんだ」
「頭使う人は甘いものが足りなくなるんだよ」
僕の返答はおそらく、キムの耳には届かなかった。
無線機で何かの応答をしていたからだ。
「アウローラ博士の所在は不明だそうです。まぁ、大丈夫でしょう」
「なんでわかるの?」
「だって、天才なんでしょう?」
「……」
あんまりな返答だったけど、たしかに、あの人なら何があっても生き延びそうな気がする。
「大統領、空爆の許可を」
キムから無線機を手渡されて、僕は深くため息をついた。
さようなら、ホワイトハウス。
僕は空爆を許可するために無線機を受け取りながら、キムに言った。
「キム、違うよ」
「え?」
「本当にそいつのことが嫌いなら、動画を見に行かなきゃいいだけでしょ。なのに、わざわざご丁寧に他の動画まで見に行って、『よくないね』に入れてるんでしょ」
「なんの話です? ……いいから早く空爆許可を……」
「そいつらはさ、ファンなんだよ。愛情も憎しみも紙一重。そういう歪なファンにも変わらぬ愛情を振りまくのが、合衆国大統領の本来の仕事なんだ」
……そういう意味では、僕は大統領失格だな。
ごめんね、ファンのみんなを空爆しちゃって。
「空爆を許可する」
……その瞬間、世界が暗転した。
真っ暗な世界。
だが、不思議と、それは不快ではない。
いや、不快どころか、まるで木漏れ日が差した森の木陰にいるような安らぎを感じる。
「やれやれ……、私の安否を確認もせずに空爆を指示とは。ずいぶんひどいことをするじゃないか」
闇の中心で安楽椅子に深く座る、流れるような黒髪の美しい女性が、こちらを見て苦笑した。
「やぁ、久しぶりだね、アウローラ」
「……」
僕がそう言うと、アウローラは少し口をとがらせて、スネたような顔でこちらを見上げる。
「……あのなぁ、君。こうして会うのは初対面なのだぞ。もう少し、私の容貌を称賛するとか、少年のように頬を赤らめるとか、そういうのはないのかね」
アウローラが『そなた』ではなく『君』と呼んだのは初めてな気がする。
「さっきのよくわかんない夢は、アウローラが見せたの? 大統領がどうとかって」
僕が尋ねると、アウローラは安楽椅子の上で腕を組みながら苦笑した。
「あれは夢ではないよ。君の過去だ」
「へ?」
「君はテロリストを一掃するために、私の安否を確認することなく空爆を実行した。本当なら、君はその前に、ホワイトハウスごと私に葬られるはずだったのだが」
「え、何、僕を殺そうとしたの?」
「そうだ」
「なんでさ」
「私を妻にしなかったからだ」
「え?」
「冗談だ」
アウローラが真顔で言った。
「あんまり冗談に聞こえないんだけど……」
「君が世界平和などという、普通の人間なら10歳ぐらいで馬鹿げていると気付くようなことを本当に実現させたのが悪い」
「なんでさー。いいじゃん、世界平和」
僕がそう言うと、アウローラがやれやれと肩をすくめた。
「つまらないじゃないか」
「つ、つまらないって……そんな、むちゃくちゃな……」
「むちゃくちゃではない。とても重要なことだ」
苦言を呈するアウローラは、だが、とても機嫌が良さそうだ。
この時間が楽しくてたまらないという風に、口元が度々ほころぶのをさりげなく指で隠している。
「あー、わかった!」
「何がだ」
「君は、キムが見ていた攻略動画に『よくないね』を付けたキンタマの小せぇ野郎の一人なんだな」
「私はたくさんのものを持っているが、残念ながらキンタマはない」
「知ってるよ!」
僕は思わずツッコんだ。
「え、じゃぁ、リヒタルゼンのあのお店で君の装備を身に着けたのも、あれは君の仕業だったの?」
「いや、あれがそもそもの始まりだ」
「……???」
きょとん、としているらしい僕の顔を見て、アウローラは苦笑する。
「時空の流れというのは君が考えているより複雑なのだよ」
「時空の流れ……?」
「君が火竜ごときに苦戦して、あろうことか左腕が骨折した程度で意識を失いかけ、その意識を繋ぎ止めるためにわざわざ、たいしてあるわけでもない魔力を行使し、そんな状況下で伝説級クラス一歩手前の冒険者を召喚しようとしたせいで……」
アウローラの言葉の途中で、僕は思わず耳を塞ぎたくなった。
「うわ、そうやって聞くとただのアホみたいじゃないか……」
「君はただのアホなんだよ。ちゃんと反省したまえ」
アウローラがビシッと僕を指差した。
「私は力を貸さないと決め込んでいたのに、そんな私の意識を君は勝手に乗っ取って弄び、記憶と魔力を無断で行使して再び立ち上がったのだ。たかが火竜ごときを倒すために……。しかもあろうことか、また深手を負い、意識を失った」
「乗っ取って」って、勝手に入り込んできたのはそっちじゃないか……。
「君によって意識を支配された私は、逆に、君の記憶世界に入り込んだ。そこで君が実現しようとしていたとんでもないことを目の当たりにして……」
「ホワイトハウスでパフェばっか食ってたと」
「ふふっ、そういうことだ」
アウローラが愉しそうにくすくすと笑った。
「僕の過去に入り込んで、そこで何かを変えることに意味があるの?」
「わからん」
「わ、わからんって……、わからんのにやろうとしたの」
「他にやることがなかったからな。私の意識は勝手に君に奪われてしまったしな……」
「悪かったって……」
これまでの経緯を聞けば、アウローラはもっと怒っても仕方がないのに、どうして彼女はこんなに愉しそうなんだろう。
「……気にならないのか?」
「ん、何が?」
「君のあの後の人生が、どうなったのか」
「うーん……」
僕は少し考えた。
「まったく、気にならない」
「ふ、そうか」
「たぶん、アウローラと同じだったんだと思うよ。前の人生の僕も」
「ほう?」
アウローラがわずかに目を丸くした。
「つまらなかったんじゃないかな。色々と」
「世界平和が面白いのか?」
「何千年も生き、時空さえ自由に操れるような君にとってはきっと、つまらなくて愚かなことなんだろうね」
僕は苦笑する。
「でも、あの時代のあの瞬間を生きていた僕にとって、それは誰もが実現不可能な絵空事だと思っていたことなんだ。それを実現させるのは、ワクワクすると思わない?」
「……すると君は、万民を救済するとか、この世から争いを無くすとか、そうした大義を抱いていたのではなかったというのか?」
「大義を掲げることはもちろん大事さ」
僕はアウローラににっこり笑った。
「でもそれには、ワクワクとかドキドキとかムラムラとか、そういう燃料みたいなのがなくちゃね」
「ムラムラは関係ないんじゃないか?」
「大アリだよ! 僕は自由の女神様にムラムラして合衆国大統領になったんだから」
「ぷっ……ふふっ……あっはっは!!」
アウローラはしばらく、お腹を押さえて笑い続けていた。
不思議な人だ。
そうしているとまるで少女のようにも見える。
……言ったら喜んで、ずっとそんな話題を振ってきそうだから言わないけど。
「どうやら、そろそろ君は意識を取り戻すようだ。過去の記憶が不要というのなら、私の力で抹消してやってもいいのだが……どうする?」
「どっちでもいいよ」
「そうか。……アヴァロニアの人生はどうだ?」
アウローラがさりげなく聞いてきた。
彼女ともずいぶん長い付き合いになってきたから、なんとなくわかる。
彼女は一番聞きたいことを、こういう風に聞いてくる。
「そんなの、言わなくてもわかるでしょ?」
なので、僕はあえて、もったいぶって言ってやった。
「最高にワクワクしてるよ」
「ムラムラは?」
「最高にイイ女が身体の中にいるのに、ムラムラしないわけがないでしょ?」
「ふふっ……、わかっているじゃないか」
アウローラは満足そうに笑うと、パチン、と指を鳴らした。
次の瞬間、僕の意識は急速に薄れていった。
「君との関わり方は今後、大きく変わるだろう。私たちは、より深い絆で結ばれた」
遠のいていく意識の中で、アウローラが耳元で囁いてくる。
「一応、言っておくが、私のせいではないからな? 私はむしろ、今となっては君に取り込まれた被害者なのだから……。責任を取ってもらいたいものだ」
「混沌と破壊の魔女が学生に取り込まれるなんて……、油断しすぎなんじゃないの」
完全に意識が遠のく前に、せいいっぱいの憎まれ口を叩いてやった。
アウローラが、ふっ、と笑った気がした。
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