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第一部 西の悪魔 第一章 西の国・迷いの森編
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それは一本の鍵だった。昨日まではなかった鍵。少女はそれを一つの鍵穴へと向ける。そして…ずっと閉ざされていた地下室の扉が開かれた。
ーーーー
「あなたが、私を助けてくれたの?」
木を背もたれに座った状態で、力なさそうに女は訪ねた。手につけられた木製の手枷が異様に目立つ。
「…」
男は黙って女を見下ろしていた。彼の目に光はない。
土の地面に雨の打つ音が次から次へと鳴り響く。大きな木々が彼らを囲っている。
「あなたも、死にに来たんでしょ?」
女は続ける。
「迷いの森と呼ばれるこの地に防具も武器もなく一人でいる。あなたも、現実を諦めたんでしょ?」
「…」
男はただ、女を見て黙り続ける。彼の顔にある水は涙なのか雨なのかわからない。
女は男の沈黙を気にせず立ち上がった。
「少し、移動しない?」
女の声が樹海に響いた。
雨をしのげるような岩の天井があるところで、彼らは腰を降ろした。雨は止む気配はなく、均等に降り続いている。
「あんたはなんでここに来たんだ?」
ずっと黙っていた男がようやく口を開く。
「私?私は逃げてきたらここにたどり着いたの。きっと、これが運命。私にはなにもない。ここが私の死に場所。」
男は黙って、彼女の話を聞く。
「私はここから西の方にある国の奴隷だったの。」
彼女の手枷が、その国での生活を物語っていた。よく見れば、女の体は細く、今にも折れそうな手足だった。
「ずっと、あんな生活が死ぬまで続くんだと思ってた。それが普通で、当たり前だから。でも、その日は突然来た。」
「…黒き者共か。」
女は頷く。
「それで、国は混乱。そして、あっけなく'あれ'に国が破壊された。」
「…」
「そのいざこざの際に奴隷だった私達は一斉に逃げ出した。一生懸命走っていたら、私は一人になっていたの。そこで気がついた。奴隷から開放されても、私には帰る家がなかった。友達もいなければ、家族もいない。自由になってもすることがなかったの。」
「…」
男はかける言葉がなく、女の次の言葉をただ待った。
「そこで、遠くにある巨大な森がみえた。小さい頃に自殺願望者が多くそこに訪れ、生涯を終わらせるって聞いたことがあったから、私はここに来たの。」
この地に着いて力尽き、倒れ込んだ女を助けたのは紛れもなく目の前の男であった。
「そうか…」
男はただ一言つぶやいた。
「私はずっと一人だった。でも、今はあなたがいてくれる。最後は一人じゃなくて、本当によかった。」
女は喜びながら、しかし何処かで苦しみを隠しながら男に笑顔を向けた。
男にはこの女がここで死にたいと心の底から思っていることなのか分からなかった。
「あなたは?」
男に問いかける
「どうしてここにいるの?」
「…俺は…」
女はただ男を見つめる。
「…もう、すべてどうでも良くなったんだ。何もかも…」
男の目は何処かずっと遠くを見ていた。
「そうなんだ、私たち似たもの同士だね。」
雨まだ、降り続いていた。
座ることに疲れた彼らは、樹海の奥の方へ進んでいった。
「でも、なんでここに自殺願望者が集まるんだろう。森から出られなくなるからかな。」
女は、ぐちゃぐちゃと音をたて、濡れた地面を踏み歩きながら男に訪ねた。
「それもあるが、主な理由は魔物が出るからだ。」
「マモノ?」
「一般的に"コルイ"と呼ばれている。人を無差別で襲う危険な生物だ。」
ガサッ!近くの茂みから草がぶつかり合う音がなった。
「!!」
二人は振り向いた。
「あれが…コルイ」
「ああ。」
巨大な狼のような容姿をしていて、耳が大きく発達している。柔らかな毛はすべて雨で潰れていて、灰色に包まれている。
「これで…終わりだね…」
女はそっと目を閉じた。
「一緒に居てくれて、ありがとう。」
女の言葉に男は何も返さなかった。
その次の瞬間、コルイが女を目がけて走り出した。もうコルイと女との間は10mもない。女の唇は微かに震えていた。
ガシッ!
「?!」
突然男が女の腕を掴み、走り出した。
「ちょ、ちょっと!なんで…?」
「…ずっと、思ってたんだ!俺が死ぬのは構わない。でもっ、他のやつが死ぬのは見てられない!」
走りながら、女の方を見ることなく男は叫んだ。
「あなた…。」
女は突然感情を露わにした男に驚きを隠せなかった。
「俺は…もう、嫌なんだ!大切なやつが死ぬ所をもう見たくないんだ!」
彼らは濡れて足場の悪くなった大地を全力で駆ける。まるで、彼らが逃げるのを妨げるかのように雨がひどく彼らに打ちつける。
「はっ、はっ。」
コルイは四本脚を駆使して、彼らとの距離をジワジワの近づけていく。
二人の体力はみるみる失っていく。
「!!」
後ろを振り向いた女は悟った、もう助からないと。コルイの体力が減っている様子はなく、勇ましく睨んだ漆黒の瞳は女のみを見ている。まさに、野生の本能そのものを見ている感覚である。
「…ごめん…」
女は呟いた。
「!?」
男が振り返り、反応しようとしたその瞬間、女の手を掴んでいた右手に激痛が走った。
女が男の手に噛み付いたのである。
その痛みに反射的に女の手を振り払った。
男から離れた女はみるみる走る速さが減速し、男との距離がひらいていく。
男はたまらず、足を止めようとしたその時、
コルイが女に噛み付いた。
「おい!!」
男は急いで女を助けに行こうとしたがー
「来ないで!!」
女の鋭い声が響き渡った。
声の大きさに思わず、男は動きを止める。
女は倒れ、噛まれ続けている右足からおびただしい血が流れている。
「私を置いていって!」
痛みに耐え、汗を大量に流しながら、女は男に訴えた。
「そ、そんな!!できるか!」
男は再び女に近づこうとするが、
「行って!早く!私のために…そして…あなたのために!」
女は遂に口から血を吐き始めた。コルイは女の胴体を噛み付き始めている。もう、この出血では助からないことは一目瞭然だった。
男は暫くうつむき、葛藤した。しかし、武器を持っていない男にコルイを倒せる勝ち目もなく、男の取る選択はただ一つだった。
「うあああっっ!!」
男は胸の奥から、おどろおどろしく叫び、苦しみや葛藤をすべて声に乗せて吐き出した。
そして、男は女を見ることなく振り向き、走り出した。
女はただ、遠くなる男の背なかを見つめていた。自然と目に涙が溜まっていた。だが、血の匂いと激痛、コルイに腹が裂かれる音が複雑に絡み合い、女は自分が泣いていることにきがつかなかった。
「あり…が……ど……ぅ…」
女は降り止まぬ雨の樹海のなか、静かに目を閉じた。
男はもう分からなかった。自分の気持ちも何が正しいかをも。ただひたすら走った。途中、地面から出た木の太い根に何度もつまづき、時に倒れながらも、何度も立ち上がり、流れる血など気にすることなくがむしゃらに走り続けた。
男の脳内には自然と過去の記憶がフラッシュバックしていた。男は時が経っても変わらない自分の悔しさに涙した。
途端に視界が開けた。降っていたはずの雨も気がつくと止んでいた。
男は目を開く。
目の前に見慣れた風景が広がっていた。そこは男が訪れようとしていた場所。
たどり着くことができたのは必然的か、それとも運命的か、それは誰にもわからなかった。
男の右手には女の歯型が残っていた。
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「あなたが、私を助けてくれたの?」
木を背もたれに座った状態で、力なさそうに女は訪ねた。手につけられた木製の手枷が異様に目立つ。
「…」
男は黙って女を見下ろしていた。彼の目に光はない。
土の地面に雨の打つ音が次から次へと鳴り響く。大きな木々が彼らを囲っている。
「あなたも、死にに来たんでしょ?」
女は続ける。
「迷いの森と呼ばれるこの地に防具も武器もなく一人でいる。あなたも、現実を諦めたんでしょ?」
「…」
男はただ、女を見て黙り続ける。彼の顔にある水は涙なのか雨なのかわからない。
女は男の沈黙を気にせず立ち上がった。
「少し、移動しない?」
女の声が樹海に響いた。
雨をしのげるような岩の天井があるところで、彼らは腰を降ろした。雨は止む気配はなく、均等に降り続いている。
「あんたはなんでここに来たんだ?」
ずっと黙っていた男がようやく口を開く。
「私?私は逃げてきたらここにたどり着いたの。きっと、これが運命。私にはなにもない。ここが私の死に場所。」
男は黙って、彼女の話を聞く。
「私はここから西の方にある国の奴隷だったの。」
彼女の手枷が、その国での生活を物語っていた。よく見れば、女の体は細く、今にも折れそうな手足だった。
「ずっと、あんな生活が死ぬまで続くんだと思ってた。それが普通で、当たり前だから。でも、その日は突然来た。」
「…黒き者共か。」
女は頷く。
「それで、国は混乱。そして、あっけなく'あれ'に国が破壊された。」
「…」
「そのいざこざの際に奴隷だった私達は一斉に逃げ出した。一生懸命走っていたら、私は一人になっていたの。そこで気がついた。奴隷から開放されても、私には帰る家がなかった。友達もいなければ、家族もいない。自由になってもすることがなかったの。」
「…」
男はかける言葉がなく、女の次の言葉をただ待った。
「そこで、遠くにある巨大な森がみえた。小さい頃に自殺願望者が多くそこに訪れ、生涯を終わらせるって聞いたことがあったから、私はここに来たの。」
この地に着いて力尽き、倒れ込んだ女を助けたのは紛れもなく目の前の男であった。
「そうか…」
男はただ一言つぶやいた。
「私はずっと一人だった。でも、今はあなたがいてくれる。最後は一人じゃなくて、本当によかった。」
女は喜びながら、しかし何処かで苦しみを隠しながら男に笑顔を向けた。
男にはこの女がここで死にたいと心の底から思っていることなのか分からなかった。
「あなたは?」
男に問いかける
「どうしてここにいるの?」
「…俺は…」
女はただ男を見つめる。
「…もう、すべてどうでも良くなったんだ。何もかも…」
男の目は何処かずっと遠くを見ていた。
「そうなんだ、私たち似たもの同士だね。」
雨まだ、降り続いていた。
座ることに疲れた彼らは、樹海の奥の方へ進んでいった。
「でも、なんでここに自殺願望者が集まるんだろう。森から出られなくなるからかな。」
女は、ぐちゃぐちゃと音をたて、濡れた地面を踏み歩きながら男に訪ねた。
「それもあるが、主な理由は魔物が出るからだ。」
「マモノ?」
「一般的に"コルイ"と呼ばれている。人を無差別で襲う危険な生物だ。」
ガサッ!近くの茂みから草がぶつかり合う音がなった。
「!!」
二人は振り向いた。
「あれが…コルイ」
「ああ。」
巨大な狼のような容姿をしていて、耳が大きく発達している。柔らかな毛はすべて雨で潰れていて、灰色に包まれている。
「これで…終わりだね…」
女はそっと目を閉じた。
「一緒に居てくれて、ありがとう。」
女の言葉に男は何も返さなかった。
その次の瞬間、コルイが女を目がけて走り出した。もうコルイと女との間は10mもない。女の唇は微かに震えていた。
ガシッ!
「?!」
突然男が女の腕を掴み、走り出した。
「ちょ、ちょっと!なんで…?」
「…ずっと、思ってたんだ!俺が死ぬのは構わない。でもっ、他のやつが死ぬのは見てられない!」
走りながら、女の方を見ることなく男は叫んだ。
「あなた…。」
女は突然感情を露わにした男に驚きを隠せなかった。
「俺は…もう、嫌なんだ!大切なやつが死ぬ所をもう見たくないんだ!」
彼らは濡れて足場の悪くなった大地を全力で駆ける。まるで、彼らが逃げるのを妨げるかのように雨がひどく彼らに打ちつける。
「はっ、はっ。」
コルイは四本脚を駆使して、彼らとの距離をジワジワの近づけていく。
二人の体力はみるみる失っていく。
「!!」
後ろを振り向いた女は悟った、もう助からないと。コルイの体力が減っている様子はなく、勇ましく睨んだ漆黒の瞳は女のみを見ている。まさに、野生の本能そのものを見ている感覚である。
「…ごめん…」
女は呟いた。
「!?」
男が振り返り、反応しようとしたその瞬間、女の手を掴んでいた右手に激痛が走った。
女が男の手に噛み付いたのである。
その痛みに反射的に女の手を振り払った。
男から離れた女はみるみる走る速さが減速し、男との距離がひらいていく。
男はたまらず、足を止めようとしたその時、
コルイが女に噛み付いた。
「おい!!」
男は急いで女を助けに行こうとしたがー
「来ないで!!」
女の鋭い声が響き渡った。
声の大きさに思わず、男は動きを止める。
女は倒れ、噛まれ続けている右足からおびただしい血が流れている。
「私を置いていって!」
痛みに耐え、汗を大量に流しながら、女は男に訴えた。
「そ、そんな!!できるか!」
男は再び女に近づこうとするが、
「行って!早く!私のために…そして…あなたのために!」
女は遂に口から血を吐き始めた。コルイは女の胴体を噛み付き始めている。もう、この出血では助からないことは一目瞭然だった。
男は暫くうつむき、葛藤した。しかし、武器を持っていない男にコルイを倒せる勝ち目もなく、男の取る選択はただ一つだった。
「うあああっっ!!」
男は胸の奥から、おどろおどろしく叫び、苦しみや葛藤をすべて声に乗せて吐き出した。
そして、男は女を見ることなく振り向き、走り出した。
女はただ、遠くなる男の背なかを見つめていた。自然と目に涙が溜まっていた。だが、血の匂いと激痛、コルイに腹が裂かれる音が複雑に絡み合い、女は自分が泣いていることにきがつかなかった。
「あり…が……ど……ぅ…」
女は降り止まぬ雨の樹海のなか、静かに目を閉じた。
男はもう分からなかった。自分の気持ちも何が正しいかをも。ただひたすら走った。途中、地面から出た木の太い根に何度もつまづき、時に倒れながらも、何度も立ち上がり、流れる血など気にすることなくがむしゃらに走り続けた。
男の脳内には自然と過去の記憶がフラッシュバックしていた。男は時が経っても変わらない自分の悔しさに涙した。
途端に視界が開けた。降っていたはずの雨も気がつくと止んでいた。
男は目を開く。
目の前に見慣れた風景が広がっていた。そこは男が訪れようとしていた場所。
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