【完結】『社畜の鑑』

M‐赤井翼

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「着信メッセージ」

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「着信メッセージ」

 曇り空の日曜日、靖は奇妙な夢で目が覚めた。明らかに病院と思われる部屋のベッドの上のテーブルで手紙を書いているとスマホのバイブが作動する夢だった。靖はスマホのアラームを解除した。スマホの画面は午前3時を示していた。部屋にベッドが2つあり、もう一台のベッドには病院着の晶が寝ていた。靖は手紙と数冊のノートを大きな封筒に入れると、病室を出て行った。封筒を別のホールのポストらしき投函口に入れると病室に戻った。病院着を着た靖はベッドですやすやと寝息を立てて熟睡している晶のベッドの横の椅子に座り何も言わず晶の顔を眺め続けている。
 靖の目から涙が溢れ、右腕の袖で拭うと何かを語り掛けているようだがその言葉ははっきりとしない。しばらく晶に語り続ける靖の背中側からのアングルが続いた。語りかけが終わると靖は寝ている晶の唇に自らの唇と重ねると約1分その状態が続いた。靖の頭の中に「初めてのディープキス」という言葉が靄の中で浮かんだところで目が覚めた。

 (なんや、今の夢…。俺も晶さんも病院着を着てたけどふたりで入院してたんか?それにしても何で俺は泣いてるねん。寝てる晶さんに勝手にキスして、はっきりとは分からへんけど「ディープキス」って禁止されてる事をしてしもてるんか…。あっ、明らかに朝3時にバイブでアラームかけてたよな。ディープキスするために、晶さんが寝てる隙を狙ったって事か?なんて卑劣な行為を俺はするんや。いや、そもそもキスする前になんで俺は泣いてたんや?うーん、状況が全く分からん…。)と答えの出ない自問自答を繰り返しながら「夢ノート」に書き込んだ。

 窓を開け、低く雲が立ち込めた空を見た。日差しは無く、生暖かい風が吹いていた。カレンダーには「晶さん ② 10時半門真市駅、11時半守屋そば」と書き込まれている。
「あぁ、今日は晶さんと2回目のデートや。夕方には用事があるって言うてたから、前回の姫路みたいなことにはならへんやろうけど、快くデートの誘いは受けてくれたもんな。祥ちゃんの勧めてくれた蕎麦屋は予約もできたし、晶さんが喜んでくれたらええけどな。
 それにしても、せっかくのデートの日にさっきの夢は無いよな…。あのシチュエーションって全くイメージできへんから「予知夢」とは関係のない「ワヤ夢」かもしれへんな。さあ、シャワー浴びたら出かける準備をせんとな。」
 気持ちを切り替えてシャワーを浴びると一番シャキッとしているポロシャツに袖を通した。

 いつも満員で予約が取れないことで有名な大阪市内の人気蕎麦店は祥が飛び込み営業でタッチパネル式の発注システムを入れた店舗だった。靖もクロージングとシステム導入の際には使い方等を説明しに行っていたので店主は快く迎えてくれた。横に並ぶ白いブラウスに黒いタイトスカートの落ち着いた様相の晶を見て
「小原さん、結婚してはったんかいな。えらい別嬪さんの奥さんやなぁ。こりゃ仕事に力も入るってなもんやわな。これからもよろしくお願いしまっさ。」
と靖と晶を夫婦と勘違いした挨拶を受け、席に着くと、晶はまんざらでもない顔をしていた。しかし靖はまずは晶に謝った。仕事の納品先で顔なじみなのだが、気さくな店主に悪気はない旨を伝えると、「久しぶりに「奥さん」って呼ばれちゃった。きゃっ、ごめんね靖君、変なこと言っちゃって。」と顔を赤らめつつも笑顔を向けてくれたので助かった。
 
 手打ちの田舎そばのざるそばと板わさ、だし巻き卵、蕎麦味噌付きの焼き海苔と一合の冷や酒が配膳された。晶曰く、明治の文豪の創作活動中の昼食のイメージだそうだ。晶は二つのお猪口に冷や酒を注ぐと「蒲鉾と呼ばずに板わさって呼ぶのがお洒落よね。」とスライスされた蒲鉾にすりおろされた山葵わさびを載せそば出汁で食べることを靖にも勧めた。焼き海苔には添えられた蕎麦味噌を薄く塗り一口ごとに昼から日本酒を飲む背徳感を楽しんだ。
 「だし巻き卵も大根おろしにお醤油じゃなくそば出汁で食べてみてね。」と微笑む晶を前に靖も真似てみた。いつものスーパーの総菜や弁当に入っている卵焼きや蒲鉾、海苔と違って全く別物の味がした。
「へー、蒲鉾や海苔って日頃の晩御飯の「のり弁」くらいしか食べることなかったんですけど、こうやって食べるともう別食材ですね。なんか大人の味がします。やっぱり晶さんは食べ方ひとつとっても大人でお洒落ですね。さすがですね。」
と靖がべた褒めすると晶は照れながら、昔読んだ食通漫画を真似してるだけだと正直に白状した。

 混み合う店内であまり長居することはできないのでおしゃべりは程ほどに、ざるそばをすすり、締めの蕎麦湯を楽しむと「ちょっと失礼してお花摘みに行ってくるわね。蕎麦湯は靖君みんな飲んじゃって構わないからね。」と言い残し晶は席を立った。
 晶のスマホがテーブルに残されているのに気が付いたが、既に5メートル先に進んでいたので大きな声をかけるのも無粋と思い、靖はスマホをそのままにして熱々の蕎麦湯を楽しんだ。2杯目に入ったところ、テーブルの上で短く晶のスマホが震えた。どうやらラインの着信だったようである。2杯目の蕎麦湯を飲み干したところに晶が戻って来た。
「晶さん、スマホに着信あったみたいですよ。」と伝えると晶は「ありがとう。」と言い、テーブルのスマホを手に取り、ピンコードを入力しラインアプリを立ち上げ着信メッセージをタップした。その瞬間、新たに入店してきた外国人客の持つ大きな肩掛けバッグが晶の持つスマホに当たり、メッセージ画面が開いたままテーブルに落ちた。
 その画面には「お母さん」という着信先名が一番上に出ており、下段の「ここから未読メッセージ」、「今日」の下に到着したメッセージが表示されていた。無意識のうちに目に入って来たメッセージは「晶ちゃん、きちんと病院で肝臓は診てもらってますか?きちんと病院は行くんだよ。ところで…」というものだった。最後までは読めなかったが最初の2行の文字は鮮烈に靖の脳に刻まれた。

 晶はスマホを拾いあげると靖に見えないように自分側に傾け、右手の親指を器用に動かしメッセージを返信すると何もなかったかのようにバッグにスマホをしまった。靖はふと朝見た夢の事が思い出され、晶に何か聞かないといけない気になったが言葉が出てこなかった。靖の向かいで晶は湯呑のそば茶を飲み干すと「さぁ、12時だしお店も混んできたからもう出ようか。」と言い席を立った。靖の頭の中に晶の母からのラインのメッセージが繰り返し浮かんでは消え、消えては浮かび続けた。
 店を出ると晶は靖と腕を組んできた。「あー、美味しかったね。お腹いっぱいになっちゃったからちょっと運動して帰る?」と甘えた様子で耳元で囁いてきた。「えっ、運動って?晶さん、今日はタイトスカートじゃないですか。いったい…、」と言いかけた瞬間、人差し指で靖の唇を縦に押さえると口を尖がらせて不満顔で言った。
「もう、靖君の朴念仁!今日は私は靖君の「奥さん・・・」でしょ。夫婦でする運動って言ったら決まってるでしょ。それとも「ホテル」って言わなきゃわかんないの?あれから1週間…、靖君が「溜まってない」って言うんだったら無理は言わないけど…、まっすぐ帰っちゃうでいいの?」
 靖は晶の言葉の意味が分かり、先ほどまで考えていた晶の母親からと思われるラインメッセージの事は頭から消えた。






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