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8_叙任式
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あれから一週間が経ち、ヴィーリの傷は癒えつつある。本来の仕事に戻るにはまだ時間がかかるものの、日常を過ごすには十分な体力を取り戻していた。彼は与えられた希少な余暇に何をするでもなく、食事を除くほとんどの時間は自室に籠もりきり、独りで過ごしている。
そんなある日のこと、台所で食事をしている使用人達の前にリーズが現れた。彼女は例によって”食べきれなかった”白パンや温かなスープを持参しており、それと引き換えに黒パンを受け取る。いつもはそれで満足して帰っていくのだが、今日は更に別の用事があるようだ。
彼女は麦粥を口へ運ぶヴィーリの前に座り込むと、どこか恥ずかしそうにしながら、彼にだけ聞こえるよう小さな声で囁いた。
「お昼を過ぎたらあたしの部屋に来て頂戴。大切なお話があるの……絶対よ?」
それだけ口にすると、返事を聞くまでもなくリーズは外へと出ていく。
(大切な話?)
味気のない粒を噛みながら、その大切な話の内容をヴィーリは考えようとして、すぐにやめた。
(……どんな話かなんて、分かりきっている)
彼の脳裏には、トマシュから掛けられた言葉が渦巻いていた。そして今日、同じことをリーズから聞かされることになるだろうという予感も。
命じられた通りの時間に、彼はリーズの部屋を訪れた。雑念を追い出すよう努力しながら、彼はドアをノックする。
「お嬢様、おれ……自分です。ヴィエスラフです」
「来たわね。入って頂戴」
促されるままに彼がドアを開けると、そこには不思議な光景が広がっていた。
ドアの先から部屋の奥まで続く赤いカーペットが敷かれ、その両脇にはリーズお気に入りの熊のぬいぐるみや着せ替え人形、庭に置かれていたはずの案山子、木彫りの狐などが並ぶ。彼らはカーペットの方を向き、そこを通る者を歓待するかのように参列していた。カーペットの先には一際大きな椅子が置かれ、両手を背に回し満面の笑みを浮かべたリーズがそこへ腰掛けている。
予想外の光景に驚きつつも、ヴィーリは部屋へ足を踏み入れた。彼は赤い道を避け、参列者たちの後ろを通ろうとした。
「もうっ。ヴィーリはそこを歩くの」
「え……いや、でも、汚れてしまうから――」
「分からないの?」
リーズはふんすといった表情で、カーペットを指差す。
「この道はあなたの為に用意してあるの。さあ、堂々とそこを進んであたしの前に来るのよ」
彼女の指示とは裏腹に、ヴィーリはおっかなびっくりという様子で、リーズへと伸びる道を進む。
彼がようやく目の前まで辿り着くとリーズは立ち上がり、心底楽しそうな、それでいて芝居がかった声色で話し始める。
「こほん……勇敢なるヴィエスラフへ。あなたは危険な森の中にて、怒り狂う雄鹿から私、エリザヴェータを守るべく、目覚ましい働きをしました!」
「へ……?」
呆気にとられるヴィーリを余所に、リーズは感謝の言葉を続ける。
「あなたの献身的な働きに、私はとっても感謝しています。そしてこの功績を称えて、あなたに勲章を授けることを決定します!」
リーズは背に隠した両手をヴィーリへ差し出す。その小さな手には、手作りの勲章が握られていた。
くず鉄かなにかを磨き上げて作ったのであろう、本物と比較すればあまりに安っぽく、いびつな形をしたメダル。裏にはピンが取り付けられ、表面には王国の象徴である、白鷲を象られた布地が貼り付けられている。鷲の瞳に当たる箇所には紅に光る宝石が嵌め込まれ、小さいながらも力強い輝きを放っていた。
「はい、どうぞ……」
リーズは彼の元へ一歩近づき、その勲章をヴィーリの胸元に着けてやった。
「お嬢様……感謝いたします」
困惑しつつも、ヴィーリの胸中は幸せな気持ちで一杯になる。彼は今、身に余る栄誉を彼女から受け取っているのだ。自然と身体が跪き、優しく差し出された手のひらに触れてしまいそうになる。しかしその瞬間、彼の脳裏にトマシュの声が響く。
――そうやって娘を誑かそうとしても、好きにはさせんぞ。
伸ばしかけた彼の腕が硬直する。リーズはそのことに気が付かず、小さな手先を宙に泳がせたまま、更に話し続ける。
「あたしを守ってくれて、本当にありがとう……あの時のヴィーリ、まるで騎士みたいで、すごく頼もしかったわ! だから……あたしの騎士になってくださる?」
「騎士……」
ヴィーリはひれ伏した姿のまま、ゆっくりと首を左右に振った。
「ありがたいお言葉だけど、俺は……自分みたいな身分の男は、騎士にはなれません」
全くその通り。彼のような、貴族の血を引いていない人間が騎士と呼ばれることはない。彼はリーズが暮らしているような、上流階級の末席に座ることも許されない。それが現実だった。
「そんなの関係ないわ!」
リーズは彼の口元に左手を突きつけた。
「お父様がなにを言ったって、他の人がなにを言ったって……あたしがヴィーリのこと、騎士にしてあげる! 大きくなったら、あたしが貴族にしてあげる! そうしたら、また二人で遊べるじゃない。ねえ、いいでしょう?」
彼女の言葉が現実になるとは、ヴィーリには思えなかった。年を取って、大きくなるにつれて、彼女は貴族として立派な女性になると彼は信じていた。それでも今は、彼女の言葉がたまらなく嬉しかった。
ヴィーリは何も言わず、差し出された可憐な手を受け取って、その甲に優しく口づけする。
頬を伝う一筋の涙は喜び故か、悲しみ故か、彼自身にも分からなかった。
そんなある日のこと、台所で食事をしている使用人達の前にリーズが現れた。彼女は例によって”食べきれなかった”白パンや温かなスープを持参しており、それと引き換えに黒パンを受け取る。いつもはそれで満足して帰っていくのだが、今日は更に別の用事があるようだ。
彼女は麦粥を口へ運ぶヴィーリの前に座り込むと、どこか恥ずかしそうにしながら、彼にだけ聞こえるよう小さな声で囁いた。
「お昼を過ぎたらあたしの部屋に来て頂戴。大切なお話があるの……絶対よ?」
それだけ口にすると、返事を聞くまでもなくリーズは外へと出ていく。
(大切な話?)
味気のない粒を噛みながら、その大切な話の内容をヴィーリは考えようとして、すぐにやめた。
(……どんな話かなんて、分かりきっている)
彼の脳裏には、トマシュから掛けられた言葉が渦巻いていた。そして今日、同じことをリーズから聞かされることになるだろうという予感も。
命じられた通りの時間に、彼はリーズの部屋を訪れた。雑念を追い出すよう努力しながら、彼はドアをノックする。
「お嬢様、おれ……自分です。ヴィエスラフです」
「来たわね。入って頂戴」
促されるままに彼がドアを開けると、そこには不思議な光景が広がっていた。
ドアの先から部屋の奥まで続く赤いカーペットが敷かれ、その両脇にはリーズお気に入りの熊のぬいぐるみや着せ替え人形、庭に置かれていたはずの案山子、木彫りの狐などが並ぶ。彼らはカーペットの方を向き、そこを通る者を歓待するかのように参列していた。カーペットの先には一際大きな椅子が置かれ、両手を背に回し満面の笑みを浮かべたリーズがそこへ腰掛けている。
予想外の光景に驚きつつも、ヴィーリは部屋へ足を踏み入れた。彼は赤い道を避け、参列者たちの後ろを通ろうとした。
「もうっ。ヴィーリはそこを歩くの」
「え……いや、でも、汚れてしまうから――」
「分からないの?」
リーズはふんすといった表情で、カーペットを指差す。
「この道はあなたの為に用意してあるの。さあ、堂々とそこを進んであたしの前に来るのよ」
彼女の指示とは裏腹に、ヴィーリはおっかなびっくりという様子で、リーズへと伸びる道を進む。
彼がようやく目の前まで辿り着くとリーズは立ち上がり、心底楽しそうな、それでいて芝居がかった声色で話し始める。
「こほん……勇敢なるヴィエスラフへ。あなたは危険な森の中にて、怒り狂う雄鹿から私、エリザヴェータを守るべく、目覚ましい働きをしました!」
「へ……?」
呆気にとられるヴィーリを余所に、リーズは感謝の言葉を続ける。
「あなたの献身的な働きに、私はとっても感謝しています。そしてこの功績を称えて、あなたに勲章を授けることを決定します!」
リーズは背に隠した両手をヴィーリへ差し出す。その小さな手には、手作りの勲章が握られていた。
くず鉄かなにかを磨き上げて作ったのであろう、本物と比較すればあまりに安っぽく、いびつな形をしたメダル。裏にはピンが取り付けられ、表面には王国の象徴である、白鷲を象られた布地が貼り付けられている。鷲の瞳に当たる箇所には紅に光る宝石が嵌め込まれ、小さいながらも力強い輝きを放っていた。
「はい、どうぞ……」
リーズは彼の元へ一歩近づき、その勲章をヴィーリの胸元に着けてやった。
「お嬢様……感謝いたします」
困惑しつつも、ヴィーリの胸中は幸せな気持ちで一杯になる。彼は今、身に余る栄誉を彼女から受け取っているのだ。自然と身体が跪き、優しく差し出された手のひらに触れてしまいそうになる。しかしその瞬間、彼の脳裏にトマシュの声が響く。
――そうやって娘を誑かそうとしても、好きにはさせんぞ。
伸ばしかけた彼の腕が硬直する。リーズはそのことに気が付かず、小さな手先を宙に泳がせたまま、更に話し続ける。
「あたしを守ってくれて、本当にありがとう……あの時のヴィーリ、まるで騎士みたいで、すごく頼もしかったわ! だから……あたしの騎士になってくださる?」
「騎士……」
ヴィーリはひれ伏した姿のまま、ゆっくりと首を左右に振った。
「ありがたいお言葉だけど、俺は……自分みたいな身分の男は、騎士にはなれません」
全くその通り。彼のような、貴族の血を引いていない人間が騎士と呼ばれることはない。彼はリーズが暮らしているような、上流階級の末席に座ることも許されない。それが現実だった。
「そんなの関係ないわ!」
リーズは彼の口元に左手を突きつけた。
「お父様がなにを言ったって、他の人がなにを言ったって……あたしがヴィーリのこと、騎士にしてあげる! 大きくなったら、あたしが貴族にしてあげる! そうしたら、また二人で遊べるじゃない。ねえ、いいでしょう?」
彼女の言葉が現実になるとは、ヴィーリには思えなかった。年を取って、大きくなるにつれて、彼女は貴族として立派な女性になると彼は信じていた。それでも今は、彼女の言葉がたまらなく嬉しかった。
ヴィーリは何も言わず、差し出された可憐な手を受け取って、その甲に優しく口づけする。
頬を伝う一筋の涙は喜び故か、悲しみ故か、彼自身にも分からなかった。
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