百万の契約

青いピアノ

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第4章 契約世界への挑戦

第245話 油断はしない

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岩肌の地面を三時間かけてゆっくりと下ると、気温はすでに百度を優に超え、魔力濃度は二百六十に達していた。熱気に加え、肌を突き刺すような魔力の圧がじわじわと体力を奪っていく。

ひどく乾燥したこの地帯は、凶暴な魔獣の巣窟として知られている。

「あと半日も歩けば魔力濃度三百に達する。この程度でくたばるなよ」

先頭を歩くリゼが、涼しげな顔で後ろを振り返った。
少し離れてついてくるのは、肩で息をするゴルフと、汗をぬぐいながら歩く茜。とくに毛皮に覆われたゴルフは、熱気で全身がぐったりとしていた。

「綾香、あんたは流石に余裕そうだな」
「うん…。これくらい、なんともないよ」

綾香は自分のリュックに加え、ゴルフと茜の荷物まで背負っていたが、その表情には疲れの色ひとつない。

そのとき、地面が突然震え出す。

ドカッ!という轟音とともに、大地を突き破って現れたのは岩喰いワーム。全長十メートル、無数の細かい歯を持ち、黒く硬い肌で岩地をも貫く魔獣だ。

「お、出てきたな!ここらから魔獣が襲ってくる!気をつけろ、お前らー!」
「うぅ、リゼさん…。そうは言っても、日陰もないこんな場所じゃ、熱中症になるってば…」

茜が木の杖に体を預け、ふらつくゴルフの肩を支えながら進む。

「茜…それより……あのワームをなんとかしないと」
「綾香、あんたこのワーム倒せる?」

リゼが眉を上げて訊く。

「もちろん!」

綾香は手印を結び、口をぷっくりと膨らませた。そして炎をまとった矢のような魔力を吹き出す。

「火遁・火射一閃《かしゃいっせん》!」

ドンッ――

炎の矢が岩喰いワームの黒い皮膚を貫き、その巨体は地面に沈んだ。

ズズン――

「へー、やるじゃん」
「す、すごいな。あの子は…」
「ちょっと、あの子のこと好きになったりしないでしょうね!?」

茜が睨むように言うと、ゴルフは耳をぴんと立てて慌てる。

「んな!?な、なるわけないだろ!?お、俺は…茜一筋というか!」
「ふーん、怪しい。あの子の胸ばっかり見てるくせに…」

やがて四人は魔力濃度三百、気温百二十度の灼熱エリアへと踏み込んだ。照り返す地面の輝きに、視界すら揺れる。

「どこまで行っても明るいんだね…。これも精霊様のおかげなの?」
「そういうこと!すごいんだから、天炎の精霊様は!」

リゼが誇らしげに胸を張る。

「この辺は……人骨らしきものがちらほらと落ちているな。まさか、もう死者が……?」
「ん?ああ…。この辺は大口蜥蜴の巣窟でね。十五メートルの巨体に、十メートルの口を持つ化け物が出るからね」
「そ、そんなやつが……!」

直後、前方から地響きとともに、大蜥蜴が走ってくる。その後ろには、誰かが追われていた。

「ね、ねえ!あれがそう!?」と茜が叫ぶ。
「ああ、あれだな。誰か追われてるな……」

リゼが目を細めて見据える。

「たたたたすけてくれー!」

茶色いベストに青いジーンズ、金髪のよく似合う細身の男が、必死に逃げながら叫んでいた。顎には短い髭、筋肉質だが小柄で、見た目はどう見ても商人。綾香が前に飛び出し、炎を掌に纏う。

「紅蓮掌《ぐれんしょう》!」

ドン!

衝撃波とともに炎が蜥蜴の頭部に叩き込まれ、巨体が地響きを立てて崩れ落ちた。

ズシーン――

「はあ、はあ……!た、助かった!嬢ちゃん、華奢なのにやるなー!」

男が綾香を見るや否や、目を大きく開き、口元がにやける。

「お、俺はマガン!螺旋状の深窟の隣町、カボイ町の商人だ!礼をさせてくれ!」

後から来たリゼが眉をしかめて問う。

「商人?この先に物資を運んでる連中か。仲間はどうした?」
「や、やられたよ…あの蜥蜴にな。仲間五人、ギルドで雇った護衛四人、全滅だ」
「災難だったな。どうする?戻るか、それとも――」

マガンはチラリと綾香を見ると、にやっと笑って言った。

「俺はあんたらについて行くよ。いいだろ?」

ゴルフが無言でマガンを睨んでいた。その後の道中、マガンは綾香の隣を当然のように歩く。

「なあ、あんたどこから来たの?強いね!かっこいい女、俺好きだなー」
「あはは、契約管理機構《コードレジスト》だよ」
「マジ!?あの機構!?尊敬するよー!」

リゼと茜は後ろからそのやりとりを見て、顔を寄せ合う。

「あれは完全に綾香にベタ惚れだね…」
「綾香は気づいてなさそう…。モテるね~」

茜はそう言うと、ゴルフをにらみつけた。

「お、俺は別に……!茜一筋だって言ったろ!?俺はただ、綾香さんが心配なだけだ。彼女は優しそうな雰囲気を出しているから、あの男のカモにされるんじゃないかと…」

「カモ?」

「女にはわからないか…?ああいう男は本気で彼女を好きになってはいないよ。ただ、狙いやすいと思っているだけさ」

日が傾く頃、一行は洞穴を見つけ、五つに分かれた空間に各自寝床を確保した。
綾香は一番奥の小部屋に入り、荷物を下ろして長い髪をほどく。ひょうたん型の水筒を手に取り、ごくごくと喉を鳴らす。

そのとき――

「や、やあ綾香さん」

入口に現れたのはマガンだった。手には焼きたての肉。

「実は…さっきのお礼に、これ持ってきたんだ。一緒に食べない?」
「わあ、ありがとう!どうしたの?こんなにたくさん…」
「商人だからね!異空間保存で。今、外で焼いてきたんだよ!」
「じゃあ、いただこうかな!」

綾香が笑顔で返すと、マガンは綾香のすぐ隣に腰を下ろす。
肩と肩が触れ合う距離――マガンは肉を勧めながら、綾香の笑顔と胸元に視線を泳がせた。

「俺、よく食べる女、好きなんだよな……」

ごくりと唾を飲むその音に、綾香は気づかない。

「……あいつ、綾香には肉分けて、俺らにはなしってどういうことだよ」

ゴルフがブツブツ文句を言い、茜が呆れ顔。

「ほんと、これだから男は……」
「それより、綾香のやつ大丈夫かな?」

リゼが表情を引き締めて言う。

「巡礼者は不純な行為は禁止されてるし、綾香は彼氏とうまくいってないらしい。ゴルフがさっき言っていたように、心の隙を突かれて万が一のことがあれば…」
「えっ、あの子、彼氏いたの!?」

ちょうどその頃、酔ったマガンが綾香に顔を近づけていた。

「いーじゃん、あやかちゅわーん♪」
「やめてください!」

綾香の怒気が高まり、次の瞬間――

「私には大切な人がいるんです!彼以外とは決して何もしないと、私は誓ったんです!」

ドガ!

綾香の蹴りがマガンの腹に突き刺さり、彼は泡を吹いて倒れた。

「綾香!今なんか音が……大丈夫!?」

リゼが駆け寄ると、綾香は目を潤ませながら、でもきっぱりと答えた。

「うん、リゼさん。もう、あんな男放っておいて、先行こう!」
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