百万の契約

青いピアノ

文字の大きさ
262 / 295
第5章 契約と誓約の戦

第256 覆される決定

しおりを挟む

会議室に広がるのは、張り詰めた静寂と冷たい空気だった。
新総監――サミラ・デザイアは、黒の軍装に身を包み、紫がかった長髪を低く結んで座っていた。深いグレーの瞳が手元の資料に静かに滑る。指先の動きひとつで、この空間全体を支配しているかのようだった。

目の前の資料を閉じ、静かに顔を上げる。視線が、テーブルを囲む幹部たちを射抜いた。
今日の議題はただ一つ。椿契約管理官の魔力「希望の魔力」の研究と、その管理権を誰が持つべきか。

「――椿契約管理官の魔力研究の進め方を、再検討すべきだと?契術研究所長、マカロン」

サミラの声は低く、澄んでいた。静けさを刃のように断ち切る音だった。
対するマカロン・パリエは、ボルドー色の髪を軽くかき上げながら微笑んだ。赤と黒のドレスコートに銀糸の装飾を纏い、その笑みの奥に確かな野心を隠している。

「その通りです。椿契約管理官が持つ“希望の魔力”――異性との魔力融合能力は、旧体制下であまりにも偏った管理がされていました。特定の医療担当官に独占され、研究所としての検証が不可能だった。この状況を改め、共有資源として扱うべきです」

彼女が水晶端末を操作すると、“融合適性検査会”の設立案が投影される。

「この機会に、新たな枠組みで研究すべきだと考えます」
「私も賛成よ」

総監補佐、ケーキ・ショートが力強く言い、腕を組んで身を乗り出す。ずっしりした体を包むネイビーのスーツが軋み、鋭い猫のような目が会議室を見渡した。

「一人の医療担当官――サナエが、椿との融合実験を独占している現状。これは中立性を欠くだけでなく、機構全体の損失よ。研究内容も歪められている。我々が適切に管理すべきだわ!」

総監補佐、クリスティーナ・ハイアットが、白銀の髪を整えながら冷静に続ける。

「ケーキ総監補佐に同意します。旧体制では、研究の主導権は研究所側にありました。ですが、中立委員会と一部幹部――ジョン、エレナなど――が介入し、椿と親しいサナエ医療担当官に研究を委ねた。これは本来、想定されていた体制ですらない」

灰青の瞳が細まり、薄く笑みを浮かべる。

「“尊厳のため”という名のもとで、彼女がすべてを握っている。それでは公平性も魔法学性も保てない」

サミラが軽く頷き、言葉を継ぐ。

「つまり、皆さんの意見としては――サナエ医療担当官の排除で一致している、と見ていいのかしら?」

「当然です」

マカロンが力を込める。琥珀の瞳が燃えるように輝いた。

「これは単なる組織運営の問題ではありません。契約価値そのものの問題です。椿は契約により機構に属する身。彼の力は彼やサナエ医療担当官の私物ではない。“尊厳”や“自由”などという言葉で、機構と彼の間で交わされている契約を妨げる理由にはなりません!」

「……まったくだな」

総監補佐、モン・ブランが静かに応じた。銀灰色の毛並みに琥珀の瞳を宿すハイエナ獣人。深緑のマントの下、「牙割り」と呼ばれる剣を背負っている。

「医療と研究は別物。今のやり方は不自然だ。案に賛成する」

それに、防衛局長、アイス・モナカが静かに頷いた。雪のように白い肌と水色の瞳。氷の意志を秘めたようなそのま
なざしが、何も語らずとも意志を伝えていた。

その瞬間――会議室の扉が静かに開いた。
扉が静かに開き、新医療局長・小鷹結衣子が現れた。白衣の下に整ったダークブラウンの髪をきっちりとまとめ、鋭い視線を眼鏡越しに向けてくる。胸元に留められた青いピンブローチが、冷たく光った。

「遅れて申し訳ありません」
彼女の声は落ち着いていたが、すでに場の空気を読み切っていた。白衣のポケットに手を入れたまま一礼し、会議卓に歩み寄る。

「先ほど、サナエ医療担当官とメリス補佐に直接話を聞いてきました。椿契約管理官の力の管理についてです」
手に持っていた資料をテーブルに置き、数枚を手際よくめくる。その動作すら無駄がない。

「サナエ医療担当官は、個人的な感情の介入を否定しました。しかし、メリス補佐の反応や言葉の端々から判断して――彼女はおそらく、椿に恋をしています」
会議室に小さなざわめきが走った。

「しかも、彼女は個人契約を交わしています。内容はこうです。椿が他の誰かと魔力融合をした場合、自動的にサナエとの融合も発動する――というもの。これは明らかに、彼を“自分のもの”にする意図を持った契約です」
一同がざわめきの中で沈黙する中、クリスティーナが冷静に笑った。

「個人契約で私物化、ね。……ますます倫理的に問題があるわ」
ケーキが腕を組み直し、鋭い視線で問う。

「私情の介入ってことで、倫理規定に触れるのよね、モン?」
モン・ブランが低い声で、しかしはっきりと応じた。

「ああ。椿の力が“機構の共有財産に値するもの”と判断されるなら、私情での拘束は倫理違反。違反者は、最悪機構からの除籍になる」

マカロンが頷き、力強く言葉を継ぐ。

「さらに現在、融合対象がサナエ医療担当官を中心に組まれている。これでは融合研究は非効率的です。“融合適性検査会”を設立し、融合に最も価値のある魔力を持つ女性を選抜し、優先的に融合を行うべきです」
彼女の提案に、ケーキが賛同の意を込めてテーブルを軽く叩いた。

「選定には公平性が必要。個人の感情で選ばせるわけにはいかない!」
サミラが静かに口を開く。深いグレーの瞳が、結衣子を見据えた。

「つまり、椿契約管理官の魔力が“機構に属する公的な力”であると、我々が認定した場合――サナエ医療担当官への処遇は?」

モンが資料を手に取り、耳をわずかに動かして応じた。

「倫理規定違反に該当する場合、処分対象とし、退任させるべきです」
結衣子が続く。

「こちらがメリスの証言記録です。椿に対する感情的判断が、魔力融合の公平性に影響している可能性は否定できません」
モン・ブランが深緑のマントを整えながら、低く呟いた。

「サナエを外せば、椿を“自由に使う”道が開ける」

その言葉に、サミラがゆっくりと頷いた。
「……これで意見は出揃ったようね」

静かに会議が締められ、幹部たちは次々に席を立ち、退出していった。
最後に残ったサミラが、ゆっくりと立ち上がる。黒い軍装のマントが揺れ、金の装飾ラインを指先で一度なぞる。彼女の瞳は虚空を見据えていた。
そして、誰にともなく小さく呟く。

「人を縛るのは、契約や誓約だけじゃない。言葉と、制度と……そして――欲望ね」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

性転のへきれき

廣瀬純七
ファンタジー
高校生の男女の入れ替わり

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

処理中です...