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第5章 契約と誓約の戦
第257話 信頼なき契約
しおりを挟む「ああ…。私、変なこと言ってなければいいんですけど…。私のせいでお二人に迷惑がかかったらスミマセン……」
メルスは、木製の長机にぐったりと顔を伏せた。その肩にはそっと差し出されたレモンティーが優しい香りで彼女を優しく包み、サナエは優しく微笑んだ。
「大丈夫よ。嘘をつけば罰せられるし、黙っていても何をされるかわからない。…あなたは、あなたの身の安全を最優先に考えて。申し訳ないのは、むしろ私の方なの」
サナエは胸元に手を添え、瞳を伏せた。
椿を自分のものにしたいという強い想いが、いつか大きな代償を呼ぶと──親友のカナレットにそう忠告されていた。今、その予言が静かに現実となっている。
「…それにしても、新幹部たち、怖いですね。椿さんの尊厳も自由も無視して、あなたとの契約も、魔力融合の研究も、何一つ尊重しない。…あれでよく"契約厳格派"なんて名乗れますよね」
サナエは椅子を静かに引き、ゆっくりと腰を下ろす。
「…“契約厳格派”って、過激派とも言われるけど…あの派閥は、誓約派から最も嫌われている」
メルスが顔を上げ、前のめりになる。
「どういうことですか?」
「………あなたも知っておいた方がいいわね。契約派と誓約派が対立していることは知ってる?」
「はい。契約派は、誓約を信用してないって聞きました。…書面にせず、気持ちや忠誠で秩序を守るなんて幻想だ、って」
「その通り。じゃあ逆に、誓約派が契約を嫌うのはなぜかしら?」
「うーん…。契約って色々なことに縛られすぎて自由がなくなるから、ですか?」
「それもある。でもね、本当の理由は、契約って“平等な関係”に見えて、実際には強い側がルールを作る構造だからよ」
「えっ……」
「誓約派が大事にしているのは、信頼、忠誠、仲間意識といった、“明文化されない絆”なの。
けれど契約って、そういう尊厳や自律を守るためにあるはずなのに、実際には力のある側が都合よく使って、弱い側を縛ってしまう」
「たしかに……」
「いい例があるわ。昔、“クリエーター連邦”って、誰でも自由に小説や絵を展示できる場所があったの。
ただし、参加には契約への同意が必要だった。内容は一見ふつうだったけど、“過激な作品は禁止”って条項があったの」
「曖昧ですね、“過激”って」
「そうなの。ある作者が、自分の作品はぎりぎり大丈夫だと思って展示したの。でも、それが“過激”と判定されて、即・永久追放。運営に抗議しても、“納得いかないなら利用しないでください”の一点張り。他にも同じような作品がたくさんあったのに」
「ええっ、ひどい…」
「その人には、もう展示できる場所がなかった。だからその人は生き甲斐を失って自ら命を絶った。契約を結ぶ時点で、もう力関係はできていたのよ」
「今回の件も、似たようなことになると思いますか…?つまり、二人は機構の従事者だから機構の命令に従うことが優先させられる…」
「…そうなると思うわ。残念だけど……」
サナエはメルスの視線を避けるように、そっと目を伏せた。言葉にしてしまえば、すべてが現実になる気がして怖かった。
椿の意思も、絆も、契約の名のもとに捻じ曲げられる未来が、もうすぐそこまで迫っている──そんな予感が、胸の奥で疼いていた。
それでも彼女は、動揺を見せるまいと、かろうじて紅茶の湯気に微笑みを溶かした。
ふと、胸のあたりがむかむかとした。香り立つレモンティーをどこかへ隠したくなった。
『この鈍い吐き気──睡眠不足のせいかしら、それとも、ストレスが体に出ているのかな。ひとつ息を吐くたびに、わずかに汗ばんだ手のひらが、冷えていく気がする…』
「…サナエさん?」
『……だめね、気を張らないと』
その頃、椿は自宅で明日の会議準備に明け暮れていた。机に向かい、筆ペンを手に、話す内容をまとめていた。一通り新幹部たちへ伝えたいことを書き終えると、彼は満足そうに筆ペンを置いた。
ちょうどその時だった。
ピーピー
魔法の洗濯機が洗濯完了の合図を鳴らした。椿は立ち上がると早速洗濯機へと走り、蓋を開けた。真っ先に出てきたのは、頭がすっぽり入るほど大きな赤いサナエのブラジャー。
「…ほんと、大きいな」と椿がごくりと唾を飲む。すると、ほろりと紐がちぎれていることに気がついた。この時、椿もまた、妙な胸騒ぎを覚えたのであった。
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