百万の契約

青いピアノ

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第1章 契約と秩序

第7話 契約とはなにか

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二人は、山道を下りはじめた。目的地は霜雪町。しかし、険しい道のりを越えるには、まだしばらく時間がかかりそうだった。

夕暮れを背に歩きながら、椿が口を開く。

「綾香さん……ちゃんと説明しておきたいことがあるんだ。契約管理官機構と、あなたの契約について」

綾香は横目で椿を見て、頷いた。

「私……あまりよく知らないの。おばあ様も契約のことは、あまり話してくれなかったし、誰かと契約なんて記憶にない…」

「うん。そのことについて、ちゃんと理解しておいてほしいんだ。契約って、使い方を間違えると危険だから。本当は、僕たちが契約を結ぶ前に話すべきだったのかもしれない。ごめんなさい」

「ううん、大丈夫だよ」

「まず、改めて僕の所属している組織についてなんだけど――契約管理官機構《コード・レジストリ》は、世界中の契約行為を監視・記録して秩序を保つために存在する、どこの国にも属さない独立機関なんだ。名前の通り、契約を“管理”するのが仕事」

「昨日も言ってたね。…………秩序?」

「うん。たとえば契約を結ぶとき、相手を信用できるかどうかって、いつも不安がつきまとう。でも、僕たちのデータベースに契約内容を登録しておけば、記録が残る。万が一契約違反が起きたとき、僕らが仲裁に入ることができる」

「なるほど。それで、私の契約は…?」

「……機構に記録されていた、個人間の契約なんだ。さっき僕たちが交わしたような契約が、綾香さんと相手との間でも結ばれていたはずなんです」

「うん…」

「……まず、いちばんの問題は、その契約が綾香さん、つまり契約者本人の意思に基づいていない可能性が高いってこと。契約は原則として、当事者同士が合意して初めて成立する。でも、おそらく綾香さん、あなたが生まれた前後で、ご家族が代理契約をしている。…本来は保護者であっても契約者となる綾香さんの意思が確認されていないといけないし、代理契約なら保護者の名前もあるはずなのに、ない。そして、それが無理な時は、後で確認することを契約に組み込むべきで、これは、契約の根幹に関わる重大な問題なんです」

「うん…」

「そして、綾香さんは少なくとも契約をした記憶はないとおっしゃった。…それもそのはずで、これはあなたが生まれた直後に契約されている」

「だから偽装契約…」

「世界には色々な魔法がある。赤子が意思を持ち、どう伝えるのかわからないけど、何かしらの方法で、本人の意思で契約をしているのなら、偽装とはいえないかもしれない」

椿は言葉を選びながら、話を続けた。

「それと、まだ不自然な点がある。まず、もう一人の契約者の名前は記載されてるけど、その人の魔力が探知できない。探知できない理由として、その人物が探知不能な領域にいる可能性もある。でも、屋毒って人は、何十年も探知されていないようです」

綾香は無言で話を聞いていた。

「それから、屋毒という名前が挙がってるけど、これも偽名の可能性がある。実は、この名前、僕たちのデータベースに何度か登場している人物なんだ。彼が関わった契約はすべて、人身取引に関わるものだった。綾香さんの契約も人身取引関係かもしれないが、どういう経緯で結ばれたのか、その記録がどこにもない。謎だらけなんです」

椿はさらに言葉を重ねる。

「契約書の記述が曖昧だったり、矛盾してたりする場合、それ自体が問題になる。意図的に真実を隠していたり、後から都合の良いように解釈するためだった可能性も否定できない。機構は、たとえ奴隷契約であっても、双方の同意があれば契約そのものは尊重します。でも、これは綾香さんが結んだ契約では恐らく、ない。そして、相手も謎だらけ。だからきちんと調べる必要があるのです…」

綾香は、少し困ったような顔で口を開いた。

「……お姉さんは…」

「…沙也加さんのことは、ごめん。仕事に直接関係ない組織のことは言えない契約なんだ」

二人はしばらく無言で、山道を歩いた。

「ひょっとしたら、ご家族は綾香さんを守るために、あえて曖昧な契約を許したのかもしれない。でも、契約相手の正体すらわからないんじゃ、何かあったときに反撃しにくい。最悪の場合、契約に縛られて自分の意思を失うこともある」

椿は、少し曖昧なまま話を締めた。

「だからこそ、契約管理官機構に登録された契約には意味があるのです。契約内容が僕たち第三者にも認知される。つまり、契約者同士の『信頼』が、正式に担保されるとも言えますね」

そう言いながら、椿は遠くに見え始めた村の灯りを指差した。

「村だ。もう少しで着く。あそこで、綾香さんの服を用意しましょう」

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