百万の契約

青いピアノ

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第1章 契約と秩序

第6話 はじまりの契約

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戦場の余韻が冷めやらぬ中、綾香は膝をつき、おばあ様の血に濡れた手を握り締めた。

「おばあ様、目を覚まして!」

その声は震え、涙が溢れそうになるのを必死に堪えている。おばあ様の胸に刺さった手裏剣から黒い血が滲み出し、毒の気配が漂っていた。彼女は弱々しく目を細め、かすれた声で呟く。

「綾香……それと、椿さん……と言ったかな。聞いておくれ……」

二人が身を寄せると、おばあ様は最後の力を振り絞った。

「綾香…お前さんが人に襲われるようになった理由を……突き止めるんだ…………一族への怨念が関わっているかもしれん…」

その言葉は重く、意味深に響く。

「椿さん……どうか、綾香を……守ってやってください……お願いします……」

「こんな時に聞くのもおかしな話ですが一つ、聞いてもいいですか…?なんで見ず知らずの僕をここへ…?そしてなぜ僕を信頼してくれるんですか?」

「…何、契約管理官様は信頼できる。単にそう思うからじゃ。……ああ、それと、椿さん、貴方がいらっしゃることは知っていたからじゃ」

椿と綾香は驚いた。

「綾香が何かしらの契約に縛られていることは……知っていた。既に亡くなっているこの子の母親から聞いていた。でも…具体的には…よーわからん…。綾香……お前さんには…姉がいることは伝えていたな。お前さんの姉は……椿さんと同じ組織にいる……。姉の名は、沙耶香…。沙也加に、綾香が狙われていることを…相談し、椿さんを寄越してくださったのだ…」

「沙也加姉さんが…?」

『なるほど…。…具体的な場所を僕に伝えてくれなかったのは、念の為綾香を狙う者に付き纏われないようにってことかな…』

「椿さん…どうか私に代わって綾香を…この子を守ってください。…ずっとこの子は一人で生きてきたのです。…どうか…どう…か…………」

丁寧で切実な願いを残し、おばあ様の瞳から光が消えた。綾香の手の中で、その体は冷たくなり、静かに息絶えた。

「 おばあ様!」

綾香の叫びが山にこだまし、椿は拳を握り締めて唇を噛む。

椿は冷たい目でくノ一と大男を見下ろすと、二人はまだ息をしていた。どうやら気を失っているだけのようだった。

綾香も立ち上がり、くノ一の元へとやってきた。

二人はくノ一の右手のひらに雑に刻まれた契約印が目に入った。

椿が近づき、それを確認する。

「サーチ…!」

くノ一の契約印に魔力を流し込み、そう唱えた。

この呪文は、契約印が機構に管理されているか調べる。

すると、契約により、契約開示不可能との魔法の文字が浮かび上がった。

――機構の契約管理に登録されていない、個人間契約だ。

くノ一が弱々しく口を開く。

「無駄だ…。契約内容の詳細は…他人に共有できない契約だ」

「誰と契約した?」

「知らない男と…………綾香を連れて帰れば報酬が手に入る……それで私の恨みも晴らせる……」

その言葉に、椿と綾香は顔を見合わせる。くノ一はさらに続ける。

「僕と契約するか…?言える範囲で全て話せば傷を治してあげてもいい」

「不要だ…。どうせ私は契約によって殺される運命…。綾香…お前の一族に怨みはあるが、同じ忍びの末裔のよしみだ。教えてやる…」

くノ一の目に既に光はなかった。全てを諦めた様子だった。

「霞山の西……霜雪町の酒場…白描で…そいつと会った……そこに行ってみろ…そこで………」

言葉を終える前に、彼女は意識を失った。

椿は決意を固め、綾香に向き直る。

「霜雪町へ行く。こいつらの雇い主を突き止めて、偽装契約の裏に何があるのか暴いてみる」

綾香は目を伏せ、しばらく沈黙した後、静かに口を開いた。

「椿さん…これまで無礼な態度を取ってごめんなさい。私も一緒に行く。おばあ様の死を無駄にはしない」

その瞳には悔しさと決意が宿っていた。

二人は力強く見つめ合っていた。

綾香は身支度にと、瓦礫と化した山小屋に向かった。

椿は大男とくノ一を縄で縛ろうと、魔法で異空間に閉まっていたリュックを取り出した。

いざ縛ろうとすると、大男とくノ一の契約印が光り輝き、爆発した。

――ドン!!!

二人の肉片が飛び散り、椿は背筋が凍った。顔もひきつり、怒りと憎悪、そして哀しみの混じった複雑な気持ちが湧き上がった。

「屋毒なのか…!?」

声を震わせながら僕は呟いた。こんな嫌な経験は初めてだった。人間の薄汚さはたくさん目にしてきた。でも、これほど雑に人を扱う者に対して、怒りを覚えた。

綾香は瓦礫の中から白くて美しい短刀を見つけると、それを大事そうに腰の帯にかけた。

そしておばあ様の元に戻り、合掌をして火葬をした。

火の粉が天に昇るのを椿と共に見届けると、既に陽が落ちていた。

「さて、どうするか。綾香さん、あなたは僕の監視対象だ。本来、正規な契約であればここで新たな契約を交わす必要はない。既に契約書に書かれてるハズだから。でも、偽装契約となると、僕らによる監視権があるとは言いきれない。念の為、契約するかい?」

「どんな契約?」

「僕はあなたを監視する。監視の名目で、敵からの脅威からあなたを守る。契約期間は、僕の監視役としての契約が切れるまで又は契約内容を達成するまでってところかな」

「私はあなたに何を提供すればいいの?」

「特に何も…!でも強いて言うなら、僕の契約遂行に合理的な理由がない限り協力すること、僕たちの身を命の危険にさらすような行動は意図的にとらないこと…とかですかね」

「わかったわ」

適当な紙に、合意する契約内容を一通り書き出すと、互いに手を差し出し、握手をした。

機構の管理下には置かない、個人間契約を結ぶ。

椿が杖を掲げ、簡素ながら厳粛に言葉を紡ぐ。

「僕、椿は、綾香の偽装契約問題が解決するまで彼女を守ることを約束する。契約の証として、僕の魔力を預ける」

杖先から淡い光が綾香の掌に流れ込み、彼女の右手の甲に小さな炎の紋が浮かぶ。

綾香もまた、応じる。

「私、綾香は、椿の契約管理官としての任務遂行を全面的に協力することを約束する。その証として、私の魔力を預ける」

椿と綾香の右手の甲にジャスミンの花のような白くて可愛らしい模様の印が刻まれた。

二人は順に、契約書に記載されるべき内容の詳細を一つずつ呟いた。

「問題解決とは、機構が解決したと認めるまで」

「協力が難しい場合は椿に対して合理的な説明をし、承諾を得る」

「私達はそれぞれの命を危機に陥れるような行為は意図的に行わない」

「契約破棄を望む場合は双方の同意の上…」

………一通り契約内容を述べると、二人で声を合わせて言った。

「ここに、契約を締結する」

契約が成立すると魔法の光でできた契約書がどこからともなく生まれ、刻まれた契約印に吸い込まれるようにして消えていった。

これが個人間契約をする上で最も一般的なやり方。椿が契約管理機構《コード・レジストリ》で行った契約とは異なるやり方だ。

こうして、二人の間に初めての契約が結ばれた。

「さて、行くか」

椿は優しい笑顔で言うと、綾香は「はい!」と答えた。


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