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第二章
32.見知らぬ街へ(2)
「ここから食いたいもんを選ぶんだ」
ハザルが言いながら品書きを指す。彼の手ほどきを受けながら注文を済ませると、暫くして料理が卓上に並んだ。
大皿に盛られた肉には香辛料がたっぷりとまぶされ、表面にはこんがりと焼き目がついている。その隣には、湯気を立てる具だくさんのシチュー。籠には香ばしく焼き上げられたパンが盛られ、傍らには瑞々しい葉野菜のサラダも添えられていた。ロウシェでは見慣れない色鮮やかな料理と、馴染みのない香りに、フィノは目を瞬かせる。
どこから手をつければよいのか分からずにいると、ハザルがナイフを取り、大皿の肉を食べやすい大きさに切り分け始めた。
「食わねえのか?」
「い、いただきます」
声をかけられ、フィノは慌てて突き匙を手に取った。切り分けられた肉をひと切れ刺したところで、大皿の端に粒の混じった黄色い薬味が盛られていることに気づく。
「ハザルさん、この黄色いのは?」
「粒芥子だ。肉につけて食う」
言われるまま、肉の端にほんの少しだけ添えて口へ運んだ。つんとした辛味が鼻へ抜けたあと、それを追いかけて肉の脂の甘みが広がっていく。フィノは思わず目を丸くした。
「……おいしい」
「だろ」
さらりと返しながら、ハザルが眼差しを向ける。その目は、柔らかく細められていた。
そのとき、足元に置いていたフィノの旅の大鞄がもぞもぞと動く。ペルカへ着いてから中で眠っていたギニアンが顔を出し、鼻先をひくひくさせていた。
「ギニアン、匂いで起きちゃった?」
「ぷきゅ」
フィノの身体を伝って卓上へ登ると、ギニアンは吸い寄せられるようにサラダへ近づいた。そのまま瑞々しい葉をしゃく、とひと齧りし、続けて次の一枚にも齧りつく。
「おいしい?」
「ぷっ、ぷ」
満足そうに葉野菜を頬張るギニアンに、フィノは笑みを零した。それから自分も匙を手に取り、湯気の立つシチューを掬う。
やがて卓上の皿が空になる頃には、フィノの腹も充分に満たされていた。
「行くぞ」
そう言って席を立つハザルを、フィノは慌てて呼び止めた。
「え、お皿は……下げなくていいんですか?」
ハザルは一瞬きょとんとしたが、すぐに合点がいったらしく、片方の口角を僅かに上げた。
「そのままでいい。飯屋はそういうもんだ」
「そうなんですか……」
ハザルが言うのなら、きっとそうなのだろう。それでも落ち着かず、フィノは置かれたままの皿を気にしながら、その後に続いた。
会計へ向かうと、ハザルは懐から革袋を取り出し、代金を支払おうとしていた。フィノも慌てて鞄へ手を伸ばし、老夫婦から持たせてもらった、硬貨の入った革袋を取り出す。
「あの、僕の分は自分で払います」
「いい。これくらいは俺が出す」
「でも……」
「その金は取っとけ」
きっぱりと言われてしまい、フィノはおずおずと革袋を鞄へしまった。
「……ありがとうございます」
ハザルは何も言わず、店員へ硬貨を手渡す。支払いを終えて店を出ようとしたところで、フィノは店員へぺこりと頭を下げた。
「ごちそうさまでした」
店員は意外そうに両眉を上げたものの、すぐに満面の笑みを浮かべ、フィノへ手を振った。
食堂を出る頃には、夜もすっかり深まっていた。二人は明日の朝食を買ってから、宿を探して街を歩いたが、到着が遅かったためか、最初の二軒はどちらも満室だった。三軒目で漸く空きを見つけたものの、残っていたのは一人部屋がひとつだけだという。
「ここしか空いてないって言うんだから、仕方ねえか」
ハザルは受付で鍵を受け取ると、そう言いながらフィノと共に部屋へ向かった。扉を開け、壁際に備えつけられた魔導灯の摘まみを捻る。ぼう、と柔らかな明かりが室内に灯った。
木板張りの壁に、小さな卓と椅子。狭いながらも温かみのある部屋だ。そして、その奥には——。
「ベッド、小さいですね」
成人男性が一人で眠るのに、ちょうどよい大きさの寝台があった。けれど大柄なハザルには、一人で横になるだけでも窮屈に見える。まして二人で眠るとなれば、どう考えても幅が狭い。
「俺は床で寝るから、お前は――」
「一緒に、寝ないんですか?」
フィノはハザルを見上げ、その言葉を遮った。ハザルが目を見開き、その喉がごくりと上下する。すぐにフィノから視線を逸らすと、ぼそりと呟いた。
「狭いだろ」
「平気です。だって……」
ロウシェ村にいた頃、これと似た幅の寝台で互いの熱を交わし、抱き合った。今さら、これくらいのことを気にするような間柄ではないはずだ。そう告げようとして、フィノは口を噤んだ。ハザルの耳先が、仄かに赤く染まっている。彼もまた、あのときのことを思い出しているのだと察すると、その先までは口にできなかった。
「眠れなかったら、言えよ」
彼なりの了承の言葉なのだろう。素っ気なく言ったきり、床で寝るとは口にしなかった。
二人は一息つくと、交互に湯殿へ入り、一日の汗を流した。先に身体を洗い終えたフィノは寝台の縁へ腰を下ろす。漸く休めると思うと、全身の強張りが緩んでいくようだった。足元を見れば、ギニアンが床の上でぐでんと横たわっている。道中は殆どフードか鞄の中にいて、自分の足では歩いていないはずなのに、その姿は、もう歩けないと言わんばかりだ。
「ギニアンも疲れたの?」
「ぷぅ」
ふと、扉の向こうから微かな水音が聞こえた。今、ハザルが身体を洗っている。——ロウシェ村でも夕餉を共にし、日中も一緒に過ごすことはあった。けれど、こうして眠りにつくまで同じ部屋にいるのは初めてだ。改めてそう思うと、フィノは膝の上で組んでいた指を、一度ほどいて、また組み直した。
やがて水音が止み、暫くして戻ってきたハザルの姿に、フィノは息を呑んだ。結い紐を解いた煉瓦色の髪は、毛先に湿り気を残し、厚い胸板へ沿って垂れている。湯上がりの熱を纏ったその姿に、どうしてだか男らしい色香を感じてしまった。
(なんか、まともに見れないや)
熱くなった頬を隠すように、フィノはその逞しい体躯から顔を背けた。そうしていると、隣で寝台がずしりと沈む。ハザルが腰を下ろしたのだ。
「本当に寝れんのか」
「大丈夫です。ハザルさんが床で寝るのは嫌ですから」
なおも譲らないフィノに、ハザルは「分かったよ」と零し、寝台へ身を横たえた。大きな身体をできる限り端へ寄せ、フィノが入れるだけの場所を空けてくれる。
「ほら、こい」
「はい」
促されるまま、フィノも横になった。狭い寝台では、軽く身じろぎするだけでも互いの身体が触れてしまう。大丈夫とは言ったものの、すぐ傍にあるハザルの体温を意識すると、気持ちは落ち着かなかった。
「ハザルさん」
「ん?」
「少しだけ、くっついてもいいですか」
数拍置いて、ハザルは「ああ」と答え、フィノの背へ腕を回す。胸元へ耳を寄せれば、速い鼓動が聞こえてきた。
(ハザルさんの心臓の音、する)
フィノがその胸へ手を添えると、掌の下でハザルの身体がぴくりと強張った。
(ああいうの、またすぐ、するのかな)
考えた途端、ハザルにつられて、フィノの心臓まで速く打ち始める。これではとても眠れそうにない。そう思ったのに、朝から歩き続けた疲れが、次第に瞼を重くしていった。
昼のペルカのことも、魔法のことも、まだ知らないことばかりだ。
(明日は、どんなものを見られるんだろう)
そんな期待を抱いたまま、フィノはいつしか眠りへ落ちていった。
ハザルが言いながら品書きを指す。彼の手ほどきを受けながら注文を済ませると、暫くして料理が卓上に並んだ。
大皿に盛られた肉には香辛料がたっぷりとまぶされ、表面にはこんがりと焼き目がついている。その隣には、湯気を立てる具だくさんのシチュー。籠には香ばしく焼き上げられたパンが盛られ、傍らには瑞々しい葉野菜のサラダも添えられていた。ロウシェでは見慣れない色鮮やかな料理と、馴染みのない香りに、フィノは目を瞬かせる。
どこから手をつければよいのか分からずにいると、ハザルがナイフを取り、大皿の肉を食べやすい大きさに切り分け始めた。
「食わねえのか?」
「い、いただきます」
声をかけられ、フィノは慌てて突き匙を手に取った。切り分けられた肉をひと切れ刺したところで、大皿の端に粒の混じった黄色い薬味が盛られていることに気づく。
「ハザルさん、この黄色いのは?」
「粒芥子だ。肉につけて食う」
言われるまま、肉の端にほんの少しだけ添えて口へ運んだ。つんとした辛味が鼻へ抜けたあと、それを追いかけて肉の脂の甘みが広がっていく。フィノは思わず目を丸くした。
「……おいしい」
「だろ」
さらりと返しながら、ハザルが眼差しを向ける。その目は、柔らかく細められていた。
そのとき、足元に置いていたフィノの旅の大鞄がもぞもぞと動く。ペルカへ着いてから中で眠っていたギニアンが顔を出し、鼻先をひくひくさせていた。
「ギニアン、匂いで起きちゃった?」
「ぷきゅ」
フィノの身体を伝って卓上へ登ると、ギニアンは吸い寄せられるようにサラダへ近づいた。そのまま瑞々しい葉をしゃく、とひと齧りし、続けて次の一枚にも齧りつく。
「おいしい?」
「ぷっ、ぷ」
満足そうに葉野菜を頬張るギニアンに、フィノは笑みを零した。それから自分も匙を手に取り、湯気の立つシチューを掬う。
やがて卓上の皿が空になる頃には、フィノの腹も充分に満たされていた。
「行くぞ」
そう言って席を立つハザルを、フィノは慌てて呼び止めた。
「え、お皿は……下げなくていいんですか?」
ハザルは一瞬きょとんとしたが、すぐに合点がいったらしく、片方の口角を僅かに上げた。
「そのままでいい。飯屋はそういうもんだ」
「そうなんですか……」
ハザルが言うのなら、きっとそうなのだろう。それでも落ち着かず、フィノは置かれたままの皿を気にしながら、その後に続いた。
会計へ向かうと、ハザルは懐から革袋を取り出し、代金を支払おうとしていた。フィノも慌てて鞄へ手を伸ばし、老夫婦から持たせてもらった、硬貨の入った革袋を取り出す。
「あの、僕の分は自分で払います」
「いい。これくらいは俺が出す」
「でも……」
「その金は取っとけ」
きっぱりと言われてしまい、フィノはおずおずと革袋を鞄へしまった。
「……ありがとうございます」
ハザルは何も言わず、店員へ硬貨を手渡す。支払いを終えて店を出ようとしたところで、フィノは店員へぺこりと頭を下げた。
「ごちそうさまでした」
店員は意外そうに両眉を上げたものの、すぐに満面の笑みを浮かべ、フィノへ手を振った。
食堂を出る頃には、夜もすっかり深まっていた。二人は明日の朝食を買ってから、宿を探して街を歩いたが、到着が遅かったためか、最初の二軒はどちらも満室だった。三軒目で漸く空きを見つけたものの、残っていたのは一人部屋がひとつだけだという。
「ここしか空いてないって言うんだから、仕方ねえか」
ハザルは受付で鍵を受け取ると、そう言いながらフィノと共に部屋へ向かった。扉を開け、壁際に備えつけられた魔導灯の摘まみを捻る。ぼう、と柔らかな明かりが室内に灯った。
木板張りの壁に、小さな卓と椅子。狭いながらも温かみのある部屋だ。そして、その奥には——。
「ベッド、小さいですね」
成人男性が一人で眠るのに、ちょうどよい大きさの寝台があった。けれど大柄なハザルには、一人で横になるだけでも窮屈に見える。まして二人で眠るとなれば、どう考えても幅が狭い。
「俺は床で寝るから、お前は――」
「一緒に、寝ないんですか?」
フィノはハザルを見上げ、その言葉を遮った。ハザルが目を見開き、その喉がごくりと上下する。すぐにフィノから視線を逸らすと、ぼそりと呟いた。
「狭いだろ」
「平気です。だって……」
ロウシェ村にいた頃、これと似た幅の寝台で互いの熱を交わし、抱き合った。今さら、これくらいのことを気にするような間柄ではないはずだ。そう告げようとして、フィノは口を噤んだ。ハザルの耳先が、仄かに赤く染まっている。彼もまた、あのときのことを思い出しているのだと察すると、その先までは口にできなかった。
「眠れなかったら、言えよ」
彼なりの了承の言葉なのだろう。素っ気なく言ったきり、床で寝るとは口にしなかった。
二人は一息つくと、交互に湯殿へ入り、一日の汗を流した。先に身体を洗い終えたフィノは寝台の縁へ腰を下ろす。漸く休めると思うと、全身の強張りが緩んでいくようだった。足元を見れば、ギニアンが床の上でぐでんと横たわっている。道中は殆どフードか鞄の中にいて、自分の足では歩いていないはずなのに、その姿は、もう歩けないと言わんばかりだ。
「ギニアンも疲れたの?」
「ぷぅ」
ふと、扉の向こうから微かな水音が聞こえた。今、ハザルが身体を洗っている。——ロウシェ村でも夕餉を共にし、日中も一緒に過ごすことはあった。けれど、こうして眠りにつくまで同じ部屋にいるのは初めてだ。改めてそう思うと、フィノは膝の上で組んでいた指を、一度ほどいて、また組み直した。
やがて水音が止み、暫くして戻ってきたハザルの姿に、フィノは息を呑んだ。結い紐を解いた煉瓦色の髪は、毛先に湿り気を残し、厚い胸板へ沿って垂れている。湯上がりの熱を纏ったその姿に、どうしてだか男らしい色香を感じてしまった。
(なんか、まともに見れないや)
熱くなった頬を隠すように、フィノはその逞しい体躯から顔を背けた。そうしていると、隣で寝台がずしりと沈む。ハザルが腰を下ろしたのだ。
「本当に寝れんのか」
「大丈夫です。ハザルさんが床で寝るのは嫌ですから」
なおも譲らないフィノに、ハザルは「分かったよ」と零し、寝台へ身を横たえた。大きな身体をできる限り端へ寄せ、フィノが入れるだけの場所を空けてくれる。
「ほら、こい」
「はい」
促されるまま、フィノも横になった。狭い寝台では、軽く身じろぎするだけでも互いの身体が触れてしまう。大丈夫とは言ったものの、すぐ傍にあるハザルの体温を意識すると、気持ちは落ち着かなかった。
「ハザルさん」
「ん?」
「少しだけ、くっついてもいいですか」
数拍置いて、ハザルは「ああ」と答え、フィノの背へ腕を回す。胸元へ耳を寄せれば、速い鼓動が聞こえてきた。
(ハザルさんの心臓の音、する)
フィノがその胸へ手を添えると、掌の下でハザルの身体がぴくりと強張った。
(ああいうの、またすぐ、するのかな)
考えた途端、ハザルにつられて、フィノの心臓まで速く打ち始める。これではとても眠れそうにない。そう思ったのに、朝から歩き続けた疲れが、次第に瞼を重くしていった。
昼のペルカのことも、魔法のことも、まだ知らないことばかりだ。
(明日は、どんなものを見られるんだろう)
そんな期待を抱いたまま、フィノはいつしか眠りへ落ちていった。
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