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第二章
33.踏み出す朝(1)
翌朝、フィノは窓から差し込む陽光に目を覚ました。
瞼を開くと、掛布の上ではギニアンが身体を丸めて眠っている。フィノがもぞりと身じろぎすると、ギニアンも気づいたのか、ぱちりと目を開いた。ギニアンは、くぁ、と声を漏らし、小さな身体には似つかわしくないほど大きな欠伸をする。その姿に微笑みながら隣へ目を向けると、ハザルの姿はもうなかった。
寝台に残る温もりを感じながらフィノが室内を見回すと、彼は既に身支度の最中だった。煉瓦色の長い髪をひと纏めにし、肩越しに前へ流す。太い指が髪の間を迷いなく行き来し、三つに分けた束を器用に編んでいた。随分と慣れた手つきだ。いつもこうして自分で結っているのだろう。初めて見るその姿を、フィノは寝台の上から眺めていた。
気づいたハザルが手を止め、振り返る。
「起きたか」
「はい。おはようございます。昨日は眠れましたか?」
「ああ」と、いつもと変わらない調子で返され、フィノはほっとした。
「僕も支度しなくちゃ」
そう言ってゆっくりと身を起こす。その動きに合わせ、ギニアンも掛布からころりと転がり落ちた。
身支度を済ませた二人は、部屋に備えつけられた小さな卓を挟んで腰を下ろした。朝食は昨夜、宿を探す前に買っておいたパンだった。細かく砕いた木の実を練り込み、焼き上げたものだ。フィノは両手でパンを持ち、ひと口齧る。硬めでしっかりとした噛み応えがあり、噛むほどに木の実の香ばしさが口の中に広がった。足元では、ギニアンも昨日買った果物を夢中で齧っている。時折、果汁で濡れた鼻先を満足そうに舐めていた。
「これからの予定だが」
向かいに座るハザルが口を開き、フィノはパンを食べる手を止めた。
「今日はまず、ギルドへ行く。ロウシェでの依頼を報告して、換金を済ませる。そのついでに、魔法を教えられる術師がいないか聞いてみるつもりだ」
「見つかるでしょうか」
「断言はできねえが、ペルカはこの辺りで一番大きい街だ。何かしらの情報は手に入るはずだ」
その言葉に、フィノは頷く。口許が自然と緩み、手にしたパンをもう一口齧った。
「そのあとは、滞在中に必要なもんを揃える。教本も見に行こう」
「分かりました」
魔法を学びたいと願って、ロウシェ村を出た。今日はいよいよ、教えを請う相手を探し、学ぶための本を手に取る。その一歩を、これから踏み出すのだ。そう思いながら、フィノは残っていたパンを口に運んだ。
旅の大鞄を部屋へ残し、身軽になって宿を出ると、ペルカの街は既に活気に満ちていた。石畳の通りを荷車が忙しなく行き交っている。店へ木箱を運び込む者、露店の台へ品物を手際よく並べる者。昨夜とはまた違う街の表情に、フィノは歩きながら何度も周囲を見回した。ふと店先に並ぶ果実の鮮やかさに目移りしていると、人の波に押され、ハザルから離れかける。次の瞬間、ハザルの大きな手がフィノの肩を抱き、ぐいと傍へ引き寄せた。
「わっ」
「はぐれるなよ」
一気に距離が縮まり、フィノの心臓がどきりと跳ねた。ハザルはすぐに腕を放し、何事もなかったように歩き出す。
「……っ、はい。ごめんなさい」
肩に残る掌の温度を感じながら、フィノは今度は離れまいと彼のすぐ隣を歩いた。
やがてハザルが足を止めたのは、通りに面した石造りの建物だった。扉の上には、〝ギルド〟と記された金属製の看板が掲げられている。人混みを抜けてほっとしたのか、フィノのフードの中に身を潜めていたギニアンがひょこりと顔を出した。フィノは首を傾け、声をかける。
「ギニアン、静かにしていてね」
「ぷぃ」
ギニアンは返事をすると、再びフードの中へ丸く収まった。
ハザル曰く、ここは護衛や運搬、危険な獣の討伐、賞金のかかった賊徒の捕縛――そうした仕事の紹介から、報酬の受け渡しまでを担う場所らしい。
ハザルに続いて中へ入ると、外とは種類の違う喧騒がフィノを包んだ。壁際には大きな掲示板が据えられ、大小さまざまな紙が所狭しと貼り出されている。その前では、剣や槍、弓――それぞれ武器を携えた男女が、依頼書を指差しながら言葉を交わしていた。奥に並ぶ受付では、書類を出す者、金品を受け取る者の姿がある。
「こっちだ」
ハザルに促され、辺りに気を取られていたフィノは慌ててその後を追った。受付の前まで進むと、ハザルは腰に下げた革袋から書類を取り出し、受付嬢へ手渡す。
「ハザル・マレックだ。ロウシェ村での護衛依頼を完遂した」
「お疲れ様でした。確認いたしますので、少々お待ちください」
受付嬢は手慣れた様子で書類を受け取ると、内容に目を通し、席を立って奥の部屋へ向かった。ほどなくして、ひとつの布袋と数枚の書面を手に戻ってくる。
「こちらが、ロウシェ村での護衛依頼の報酬です。それから……」
布袋を受付台へ置き、彼女は続けて手元の一枚へ視線を落とした。
「滞在中に賊徒を捕らえたこと、並びに重大事件の解決に多大な貢献をしたことを受け、イルマヤ政府より報奨金が出ています」
そう言って、報酬の内訳が記された書面をハザルへ差し出す。
「合わせて、こちらになります」
ハザルは書面を受け取り、そこに記された金額へ目を落とした。次の瞬間、ぴたりと動きを止める。
「…………」
あまりにも長く黙り込むハザルに、フィノは不安になってその横顔を見上げた。
「……間違ってないか?」
確かめるように問いかけるハザルに、受付嬢は落ち着いた様子で頷く。
「はい。依頼主および政府から提示された金額と相違ございません。すべて、ハザル様へお支払いするものです」
そう告げられても信じられないのか、ハザルはもう一度金額を見直した。
「……そうか」
物価や報酬の相場は、フィノにはまだよく分からない。それでも、普段は何事にも動じないハザルが言葉を失うほどなのだから、きっと、思っていたよりずっと大きな額に違いない。
「ハザルさん?」
「あ、ああ。なんでもない」
ハザルの返事には、珍しく動揺が滲んでいた。
その後、ハザルはギルドにいた顔見知りらしい男たちに、魔法を教えている魔術師を知らないかと尋ねて回った。すぐに確かな返事は得られなかったものの、「知人を当たってみる」と応じてくれる者が数名いたことに、フィノは一先ず安堵した。
瞼を開くと、掛布の上ではギニアンが身体を丸めて眠っている。フィノがもぞりと身じろぎすると、ギニアンも気づいたのか、ぱちりと目を開いた。ギニアンは、くぁ、と声を漏らし、小さな身体には似つかわしくないほど大きな欠伸をする。その姿に微笑みながら隣へ目を向けると、ハザルの姿はもうなかった。
寝台に残る温もりを感じながらフィノが室内を見回すと、彼は既に身支度の最中だった。煉瓦色の長い髪をひと纏めにし、肩越しに前へ流す。太い指が髪の間を迷いなく行き来し、三つに分けた束を器用に編んでいた。随分と慣れた手つきだ。いつもこうして自分で結っているのだろう。初めて見るその姿を、フィノは寝台の上から眺めていた。
気づいたハザルが手を止め、振り返る。
「起きたか」
「はい。おはようございます。昨日は眠れましたか?」
「ああ」と、いつもと変わらない調子で返され、フィノはほっとした。
「僕も支度しなくちゃ」
そう言ってゆっくりと身を起こす。その動きに合わせ、ギニアンも掛布からころりと転がり落ちた。
身支度を済ませた二人は、部屋に備えつけられた小さな卓を挟んで腰を下ろした。朝食は昨夜、宿を探す前に買っておいたパンだった。細かく砕いた木の実を練り込み、焼き上げたものだ。フィノは両手でパンを持ち、ひと口齧る。硬めでしっかりとした噛み応えがあり、噛むほどに木の実の香ばしさが口の中に広がった。足元では、ギニアンも昨日買った果物を夢中で齧っている。時折、果汁で濡れた鼻先を満足そうに舐めていた。
「これからの予定だが」
向かいに座るハザルが口を開き、フィノはパンを食べる手を止めた。
「今日はまず、ギルドへ行く。ロウシェでの依頼を報告して、換金を済ませる。そのついでに、魔法を教えられる術師がいないか聞いてみるつもりだ」
「見つかるでしょうか」
「断言はできねえが、ペルカはこの辺りで一番大きい街だ。何かしらの情報は手に入るはずだ」
その言葉に、フィノは頷く。口許が自然と緩み、手にしたパンをもう一口齧った。
「そのあとは、滞在中に必要なもんを揃える。教本も見に行こう」
「分かりました」
魔法を学びたいと願って、ロウシェ村を出た。今日はいよいよ、教えを請う相手を探し、学ぶための本を手に取る。その一歩を、これから踏み出すのだ。そう思いながら、フィノは残っていたパンを口に運んだ。
旅の大鞄を部屋へ残し、身軽になって宿を出ると、ペルカの街は既に活気に満ちていた。石畳の通りを荷車が忙しなく行き交っている。店へ木箱を運び込む者、露店の台へ品物を手際よく並べる者。昨夜とはまた違う街の表情に、フィノは歩きながら何度も周囲を見回した。ふと店先に並ぶ果実の鮮やかさに目移りしていると、人の波に押され、ハザルから離れかける。次の瞬間、ハザルの大きな手がフィノの肩を抱き、ぐいと傍へ引き寄せた。
「わっ」
「はぐれるなよ」
一気に距離が縮まり、フィノの心臓がどきりと跳ねた。ハザルはすぐに腕を放し、何事もなかったように歩き出す。
「……っ、はい。ごめんなさい」
肩に残る掌の温度を感じながら、フィノは今度は離れまいと彼のすぐ隣を歩いた。
やがてハザルが足を止めたのは、通りに面した石造りの建物だった。扉の上には、〝ギルド〟と記された金属製の看板が掲げられている。人混みを抜けてほっとしたのか、フィノのフードの中に身を潜めていたギニアンがひょこりと顔を出した。フィノは首を傾け、声をかける。
「ギニアン、静かにしていてね」
「ぷぃ」
ギニアンは返事をすると、再びフードの中へ丸く収まった。
ハザル曰く、ここは護衛や運搬、危険な獣の討伐、賞金のかかった賊徒の捕縛――そうした仕事の紹介から、報酬の受け渡しまでを担う場所らしい。
ハザルに続いて中へ入ると、外とは種類の違う喧騒がフィノを包んだ。壁際には大きな掲示板が据えられ、大小さまざまな紙が所狭しと貼り出されている。その前では、剣や槍、弓――それぞれ武器を携えた男女が、依頼書を指差しながら言葉を交わしていた。奥に並ぶ受付では、書類を出す者、金品を受け取る者の姿がある。
「こっちだ」
ハザルに促され、辺りに気を取られていたフィノは慌ててその後を追った。受付の前まで進むと、ハザルは腰に下げた革袋から書類を取り出し、受付嬢へ手渡す。
「ハザル・マレックだ。ロウシェ村での護衛依頼を完遂した」
「お疲れ様でした。確認いたしますので、少々お待ちください」
受付嬢は手慣れた様子で書類を受け取ると、内容に目を通し、席を立って奥の部屋へ向かった。ほどなくして、ひとつの布袋と数枚の書面を手に戻ってくる。
「こちらが、ロウシェ村での護衛依頼の報酬です。それから……」
布袋を受付台へ置き、彼女は続けて手元の一枚へ視線を落とした。
「滞在中に賊徒を捕らえたこと、並びに重大事件の解決に多大な貢献をしたことを受け、イルマヤ政府より報奨金が出ています」
そう言って、報酬の内訳が記された書面をハザルへ差し出す。
「合わせて、こちらになります」
ハザルは書面を受け取り、そこに記された金額へ目を落とした。次の瞬間、ぴたりと動きを止める。
「…………」
あまりにも長く黙り込むハザルに、フィノは不安になってその横顔を見上げた。
「……間違ってないか?」
確かめるように問いかけるハザルに、受付嬢は落ち着いた様子で頷く。
「はい。依頼主および政府から提示された金額と相違ございません。すべて、ハザル様へお支払いするものです」
そう告げられても信じられないのか、ハザルはもう一度金額を見直した。
「……そうか」
物価や報酬の相場は、フィノにはまだよく分からない。それでも、普段は何事にも動じないハザルが言葉を失うほどなのだから、きっと、思っていたよりずっと大きな額に違いない。
「ハザルさん?」
「あ、ああ。なんでもない」
ハザルの返事には、珍しく動揺が滲んでいた。
その後、ハザルはギルドにいた顔見知りらしい男たちに、魔法を教えている魔術師を知らないかと尋ねて回った。すぐに確かな返事は得られなかったものの、「知人を当たってみる」と応じてくれる者が数名いたことに、フィノは一先ず安堵した。
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