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第二章
40.仄かな靄(1)
それから二人はギニアンと共に簡単な朝食を済ませ、身支度を整えた。フィノは昨日買ったばかりの入門書を大事そうに胸へ抱え、ギニアンが新しい鞄へ潜り込むのを見届けると、ハザルと宿を出た。
紙に記された内容を頼りに辿り着いたのは、ペルカの中心街から少し外れた場所にある、小さな魔法教室だった。ちょうど授業が始まる時間なのか、入口には数人の子どもたちが集まっている。フィノたちに気づいた一人が、こちらを向いて不思議そうに首を傾げた。
「お兄ちゃんたち、だれ?」
「あ、えっと……」
フィノがなんと答えようかと思案していると、子どもが隣に立つハザルを見上げた。大きな身体と、背に携えた大剣を目にした途端、びくりと身を竦め、半歩後ずさる。ハザルは何もしていない。ただ黙って立っているだけなのだが、それが余計に威圧的に感じたのかもしれない。フィノは思わずふふ、と息を零すと、怯えさせないよう、子どもたちの目線まで身を屈めた。
「ここの先生と話がしたいんだけど、いるかな?」
「うん、中にいるよ!」
今度は別の子どもが朗らかに答えた。「先生ー! お客さんだよー!」と呼びかけながら、ばたばたと教室の中へ駆けていく。フィノとハザルも、その背に続いた。
敷居を跨ぐと、室内は存外こぢんまりとしていた。幾つかの机と椅子が整然と並び、壁際に据えられた木棚には、書物や教材と思しき道具が置かれている。中にいる子どもたちは、授業が始まるまでの時間を思い思いに過ごしていた。
「ねえ、見て見て!」
一人の少女が掌を前へ差し出す。すると、その上で空気がくるりと渦を巻いた。起きた風に、少女の髪がふわりと舞う。
「わあ、すごい!」
「ぼくだってできるぞ!」
負けじと、隣にいた少年が両手を掲げた。弾んだ空気が教室を包むなか、フィノは胸に抱えた本へ目を落とす。きっとこの子たちは、幼い頃から魔法について学び、成長するにつれてそれを使いこなすようになるのだろう。その機会を自分は得られなかった。それでも、胸の奥に湧いたのは寂しさだけではない。目の前に広がる光景への憧れが、フィノの心を躍らせる。
(僕も、あんなふうに——)
「何か御用かな?」
不意に声をかけられ、フィノは我に返った。教室の奥から、一人の男がこちらへ歩いてくる。年の頃は四十を過ぎたあたりだろうか。落ち着いた佇まいの男は、突然訪ねてきた二人を訝しむでもなく、至って穏やかな調子で問いかけた。
「あ……」
フィノは両腕に力を込め、本を抱え直す。突然こんなことを頼んで、おかしいとは思わないだろうか。そんな不安が過ぎった。だとしても、ここまで来たのだ。フィノは一度唇をきゅっと結び、意を決して男を見る。
「あの、街の書店で、先生の本を勧めてもらって」
そう言いながら、入門書の表紙が見えるように男のほうへ傾けてみせる。
「突然のお願いなのは分かっているんですが、……僕に、魔法を教えてもらえないでしょうか」
「君に、魔法を?」
男の眉根が微かに寄った。フィノは肩を縮こめる。先ほどまでどうにか保っていた声が、次第に頼りなく萎んでいった。
「その、僕、魔法が使えなくて……使えるようになりたくて……」
視線を落としたまま、途切れ途切れに言葉を継ぐ。返事がない。不安が募り、恐る恐る男の顔を窺った。すると男は、驚きとも戸惑いともつかない表情で、フィノを見つめている。
「なるほど。何か事情があるようだね」
深く追及するでもなく、男はそれだけを告げると、教室の中へ目を向けた。
「私はここで、あの子たちのように初めて魔法に触れる子どもたちへ、基礎から教えている。マナを感じることから始めて、少しずつ自分の属性や扱い方を覚えていくんだ」
フィノは男をじっと見ながら耳を傾ける。
「だから、君にも同じように一から教えること自体は、不可能ではないと思う」
「じゃあ……!」
フィノの顔がぱあっと明るくなった。
「ただね」
男はそのまま続け、申し訳なさそうに眉を顰める。
「子どもに教えるのと、君に教えるのとでは、少し勝手が違う」
浮かんだ笑みが、口許で止まった。意味を測りかねたフィノは、言葉の続きを黙って待つ。
「マナ回路は、成長と共に形づくられていく。ここの子たちはまだその途中だ。今のうちからマナを感じることや、意識して動かすことを覚えさせれば、魔法の扱いも自然と身についていくんだ」
男は教室の子どもたちを見やり、再びフィノへ向き直った。
「けれど、君はもう身体が成熟している。回路も出来上がっているだろう。だからまず、君の回路の巡り方を確かめて、それに合わせた教え方を模索する必要がある」
諭すような調子で告げられ、フィノは力なく頷いた。その表情に、先ほどまでの明るさはなかった。
「もちろん、大人になってから魔法を学べないという意味じゃない。ただ、ここを一人で見ている私には、その時間を取るのが難しい。中途半端なことをして、かえって君の身体に負担をかけるわけにもいかない」
「そう、ですよね」
答えながら、フィノは肩を落とした。冷たく突き放されたわけでも、今からでは遅いと嗤われたわけでもない。それはフィノにも分かっていた。再び教室の子どもたちへ目を向ける。先ほどまで胸を躍らせて眺めていた光景を前にしても、今は同じようには心が弾まなかった。
立ち尽くしたままのフィノを見て、男はしばし考えるように顎へ手を添える。やがて「そうだ」と呟き、机の上に置かれていた紙と筆を手に取った。
「魔法やマナについて広く研究している知り合いがいる。彼を紹介しよう」
フィノは「え?」と漏らし、男の顔を見る。
「教えることが難しくても、彼なら何か力になってくれるかもしれない」
そう言いながら、住まいの場所と名前を紙へ書き記していった。フィノはその筆先を見つめる。沈みかけていた気持ちに、小さな明かりが灯るようだった。
「ありがとうございます」
差し出された紙を受け取り、フィノは深く頭を下げる。男は穏やかに笑うと、フィノが腕に抱えていた入門書へちらりと目をやった。
「諦めることはないよ。君が学びたいと望む限り、きっとどこかに道はあるはずだ」
紙を握る手に力が籠もる。フィノは小さく、けれどはっきりと「はい」と頷いた。
紙に記された内容を頼りに辿り着いたのは、ペルカの中心街から少し外れた場所にある、小さな魔法教室だった。ちょうど授業が始まる時間なのか、入口には数人の子どもたちが集まっている。フィノたちに気づいた一人が、こちらを向いて不思議そうに首を傾げた。
「お兄ちゃんたち、だれ?」
「あ、えっと……」
フィノがなんと答えようかと思案していると、子どもが隣に立つハザルを見上げた。大きな身体と、背に携えた大剣を目にした途端、びくりと身を竦め、半歩後ずさる。ハザルは何もしていない。ただ黙って立っているだけなのだが、それが余計に威圧的に感じたのかもしれない。フィノは思わずふふ、と息を零すと、怯えさせないよう、子どもたちの目線まで身を屈めた。
「ここの先生と話がしたいんだけど、いるかな?」
「うん、中にいるよ!」
今度は別の子どもが朗らかに答えた。「先生ー! お客さんだよー!」と呼びかけながら、ばたばたと教室の中へ駆けていく。フィノとハザルも、その背に続いた。
敷居を跨ぐと、室内は存外こぢんまりとしていた。幾つかの机と椅子が整然と並び、壁際に据えられた木棚には、書物や教材と思しき道具が置かれている。中にいる子どもたちは、授業が始まるまでの時間を思い思いに過ごしていた。
「ねえ、見て見て!」
一人の少女が掌を前へ差し出す。すると、その上で空気がくるりと渦を巻いた。起きた風に、少女の髪がふわりと舞う。
「わあ、すごい!」
「ぼくだってできるぞ!」
負けじと、隣にいた少年が両手を掲げた。弾んだ空気が教室を包むなか、フィノは胸に抱えた本へ目を落とす。きっとこの子たちは、幼い頃から魔法について学び、成長するにつれてそれを使いこなすようになるのだろう。その機会を自分は得られなかった。それでも、胸の奥に湧いたのは寂しさだけではない。目の前に広がる光景への憧れが、フィノの心を躍らせる。
(僕も、あんなふうに——)
「何か御用かな?」
不意に声をかけられ、フィノは我に返った。教室の奥から、一人の男がこちらへ歩いてくる。年の頃は四十を過ぎたあたりだろうか。落ち着いた佇まいの男は、突然訪ねてきた二人を訝しむでもなく、至って穏やかな調子で問いかけた。
「あ……」
フィノは両腕に力を込め、本を抱え直す。突然こんなことを頼んで、おかしいとは思わないだろうか。そんな不安が過ぎった。だとしても、ここまで来たのだ。フィノは一度唇をきゅっと結び、意を決して男を見る。
「あの、街の書店で、先生の本を勧めてもらって」
そう言いながら、入門書の表紙が見えるように男のほうへ傾けてみせる。
「突然のお願いなのは分かっているんですが、……僕に、魔法を教えてもらえないでしょうか」
「君に、魔法を?」
男の眉根が微かに寄った。フィノは肩を縮こめる。先ほどまでどうにか保っていた声が、次第に頼りなく萎んでいった。
「その、僕、魔法が使えなくて……使えるようになりたくて……」
視線を落としたまま、途切れ途切れに言葉を継ぐ。返事がない。不安が募り、恐る恐る男の顔を窺った。すると男は、驚きとも戸惑いともつかない表情で、フィノを見つめている。
「なるほど。何か事情があるようだね」
深く追及するでもなく、男はそれだけを告げると、教室の中へ目を向けた。
「私はここで、あの子たちのように初めて魔法に触れる子どもたちへ、基礎から教えている。マナを感じることから始めて、少しずつ自分の属性や扱い方を覚えていくんだ」
フィノは男をじっと見ながら耳を傾ける。
「だから、君にも同じように一から教えること自体は、不可能ではないと思う」
「じゃあ……!」
フィノの顔がぱあっと明るくなった。
「ただね」
男はそのまま続け、申し訳なさそうに眉を顰める。
「子どもに教えるのと、君に教えるのとでは、少し勝手が違う」
浮かんだ笑みが、口許で止まった。意味を測りかねたフィノは、言葉の続きを黙って待つ。
「マナ回路は、成長と共に形づくられていく。ここの子たちはまだその途中だ。今のうちからマナを感じることや、意識して動かすことを覚えさせれば、魔法の扱いも自然と身についていくんだ」
男は教室の子どもたちを見やり、再びフィノへ向き直った。
「けれど、君はもう身体が成熟している。回路も出来上がっているだろう。だからまず、君の回路の巡り方を確かめて、それに合わせた教え方を模索する必要がある」
諭すような調子で告げられ、フィノは力なく頷いた。その表情に、先ほどまでの明るさはなかった。
「もちろん、大人になってから魔法を学べないという意味じゃない。ただ、ここを一人で見ている私には、その時間を取るのが難しい。中途半端なことをして、かえって君の身体に負担をかけるわけにもいかない」
「そう、ですよね」
答えながら、フィノは肩を落とした。冷たく突き放されたわけでも、今からでは遅いと嗤われたわけでもない。それはフィノにも分かっていた。再び教室の子どもたちへ目を向ける。先ほどまで胸を躍らせて眺めていた光景を前にしても、今は同じようには心が弾まなかった。
立ち尽くしたままのフィノを見て、男はしばし考えるように顎へ手を添える。やがて「そうだ」と呟き、机の上に置かれていた紙と筆を手に取った。
「魔法やマナについて広く研究している知り合いがいる。彼を紹介しよう」
フィノは「え?」と漏らし、男の顔を見る。
「教えることが難しくても、彼なら何か力になってくれるかもしれない」
そう言いながら、住まいの場所と名前を紙へ書き記していった。フィノはその筆先を見つめる。沈みかけていた気持ちに、小さな明かりが灯るようだった。
「ありがとうございます」
差し出された紙を受け取り、フィノは深く頭を下げる。男は穏やかに笑うと、フィノが腕に抱えていた入門書へちらりと目をやった。
「諦めることはないよ。君が学びたいと望む限り、きっとどこかに道はあるはずだ」
紙を握る手に力が籠もる。フィノは小さく、けれどはっきりと「はい」と頷いた。
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