朱のゆりかご―一匹狼の護衛屋と治癒体質の青年―

久画嵜ミロ

文字サイズ
小 中 大 特大
41 / 43
第二章

40.仄かな靄(1)

 それから二人はギニアンと共に簡単な朝食を済ませ、身支度を整えた。フィノは昨日買ったばかりの入門書を大事そうに胸へ抱え、ギニアンが新しい鞄へ潜り込むのを見届けると、ハザルと宿を出た。
 紙に記された内容を頼りに辿り着いたのは、ペルカの中心街から少し外れた場所にある、小さな魔法教室だった。ちょうど授業が始まる時間なのか、入口には数人の子どもたちが集まっている。フィノたちに気づいた一人が、こちらを向いて不思議そうに首を傾げた。
 
「お兄ちゃんたち、だれ?」
 
「あ、えっと……」
 
 フィノがなんと答えようかと思案していると、子どもが隣に立つハザルを見上げた。大きな身体と、背に携えた大剣を目にした途端、びくりと身を竦め、半歩後ずさる。ハザルは何もしていない。ただ黙って立っているだけなのだが、それが余計に威圧的に感じたのかもしれない。フィノは思わずふふ、と息を零すと、怯えさせないよう、子どもたちの目線まで身を屈めた。
 
「ここの先生と話がしたいんだけど、いるかな?」
 
「うん、中にいるよ!」
 
 今度は別の子どもが朗らかに答えた。「先生ー! お客さんだよー!」と呼びかけながら、ばたばたと教室の中へ駆けていく。フィノとハザルも、その背に続いた。
 敷居を跨ぐと、室内は存外こぢんまりとしていた。幾つかの机と椅子が整然と並び、壁際に据えられた木棚には、書物や教材と思しき道具が置かれている。中にいる子どもたちは、授業が始まるまでの時間を思い思いに過ごしていた。
 
「ねえ、見て見て!」
 
 一人の少女が掌を前へ差し出す。すると、その上で空気がくるりと渦を巻いた。起きた風に、少女の髪がふわりと舞う。
 
「わあ、すごい!」
 
「ぼくだってできるぞ!」
 
 負けじと、隣にいた少年が両手を掲げた。弾んだ空気が教室を包むなか、フィノは胸に抱えた本へ目を落とす。きっとこの子たちは、幼い頃から魔法について学び、成長するにつれてそれを使いこなすようになるのだろう。その機会を自分は得られなかった。それでも、胸の奥に湧いたのは寂しさだけではない。目の前に広がる光景への憧れが、フィノの心を躍らせる。
 
(僕も、あんなふうに——)
 
「何か御用かな?」
 
 不意に声をかけられ、フィノは我に返った。教室の奥から、一人の男がこちらへ歩いてくる。年の頃は四十を過ぎたあたりだろうか。落ち着いた佇まいの男は、突然訪ねてきた二人を訝しむでもなく、至って穏やかな調子で問いかけた。
 
「あ……」
 
 フィノは両腕に力を込め、本を抱え直す。突然こんなことを頼んで、おかしいとは思わないだろうか。そんな不安が過ぎった。だとしても、ここまで来たのだ。フィノは一度唇をきゅっと結び、意を決して男を見る。
 
「あの、街の書店で、先生の本を勧めてもらって」
 
 そう言いながら、入門書の表紙が見えるように男のほうへ傾けてみせる。
 
「突然のお願いなのは分かっているんですが、……僕に、魔法を教えてもらえないでしょうか」
 
「君に、魔法を?」
 
 男の眉根が微かに寄った。フィノは肩を縮こめる。先ほどまでどうにか保っていた声が、次第に頼りなく萎んでいった。
 
「その、僕、魔法が使えなくて……使えるようになりたくて……」
 
 視線を落としたまま、途切れ途切れに言葉を継ぐ。返事がない。不安が募り、恐る恐る男の顔を窺った。すると男は、驚きとも戸惑いともつかない表情で、フィノを見つめている。
 
「なるほど。何か事情があるようだね」
 
 深く追及するでもなく、男はそれだけを告げると、教室の中へ目を向けた。
 
「私はここで、あの子たちのように初めて魔法に触れる子どもたちへ、基礎から教えている。マナを感じることから始めて、少しずつ自分の属性や扱い方を覚えていくんだ」
 
 フィノは男をじっと見ながら耳を傾ける。
 
「だから、君にも同じように一から教えること自体は、不可能ではないと思う」
 
「じゃあ……!」
 
 フィノの顔がぱあっと明るくなった。
 
「ただね」
 
 男はそのまま続け、申し訳なさそうに眉を顰める。
 
「子どもに教えるのと、君に教えるのとでは、少し勝手が違う」
 
 浮かんだ笑みが、口許で止まった。意味を測りかねたフィノは、言葉の続きを黙って待つ。
 
「マナ回路は、成長と共に形づくられていく。ここの子たちはまだその途中だ。今のうちからマナを感じることや、意識して動かすことを覚えさせれば、魔法の扱いも自然と身についていくんだ」
 
 男は教室の子どもたちを見やり、再びフィノへ向き直った。
 
「けれど、君はもう身体が成熟している。回路も出来上がっているだろう。だからまず、君の回路の巡り方を確かめて、それに合わせた教え方を模索する必要がある」
 
 諭すような調子で告げられ、フィノは力なく頷いた。その表情に、先ほどまでの明るさはなかった。
 
「もちろん、大人になってから魔法を学べないという意味じゃない。ただ、ここを一人で見ている私には、その時間を取るのが難しい。中途半端なことをして、かえって君の身体に負担をかけるわけにもいかない」
 
「そう、ですよね」
 
 答えながら、フィノは肩を落とした。冷たく突き放されたわけでも、今からでは遅いと嗤われたわけでもない。それはフィノにも分かっていた。再び教室の子どもたちへ目を向ける。先ほどまで胸を躍らせて眺めていた光景を前にしても、今は同じようには心が弾まなかった。
 立ち尽くしたままのフィノを見て、男はしばし考えるように顎へ手を添える。やがて「そうだ」と呟き、机の上に置かれていた紙と筆を手に取った。
 
「魔法やマナについて広く研究している知り合いがいる。彼を紹介しよう」
 
 フィノは「え?」と漏らし、男の顔を見る。
 
「教えることが難しくても、彼なら何か力になってくれるかもしれない」
 
 そう言いながら、住まいの場所と名前を紙へ書き記していった。フィノはその筆先を見つめる。沈みかけていた気持ちに、小さな明かりが灯るようだった。
 
「ありがとうございます」
 
 差し出された紙を受け取り、フィノは深く頭を下げる。男は穏やかに笑うと、フィノが腕に抱えていた入門書へちらりと目をやった。
 
「諦めることはないよ。君が学びたいと望む限り、きっとどこかに道はあるはずだ」
 
 紙を握る手に力が籠もる。フィノは小さく、けれどはっきりと「はい」と頷いた。
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約者の王子が「病弱な幼馴染を優先するのは当然だ」と言うので、僕も騎士団長を優先することにしました 表紙

婚約者の王子が「病弱な幼馴染を優先するのは当然だ」と言うので、僕も騎士団長を優先することにしました

「すまない、リュシアン。シリルがまた熱を出したんだ」 婚約者である第二王子エドモンは、今日も病弱な幼馴染のもとへ駆けていく。 観劇の約束も、誕生日の晩餐も、婚約の記念日も。 「君なら分かってくれるだろう? 弱っている者を優先するのは当然のことだ」 ……承知いたしました、殿下。 では僕も、恩ある方を優先するのが当然ですね。 置き去りにされるたび、黙って屋敷まで送ってくれた騎士団長ガレス・ヴォルク。 殿下との茶会より、団長へのお礼を。殿下の夜会より、団長の遠乗りを。 お言葉どおりにしているだけなのに、なぜか殿下が慌てはじめて――? 一方、無口で強面の騎士団長は、何年も隠してきた想いを、もう隠しきれなくなっていた。 「……そんなふうに優先されると、期待してしまうんだが」 そして当の幼馴染シリルは、王子の過保護にほとほと困り果てていて――。 律儀すぎる伯爵令息と、不器用な騎士団長の、言葉どおりの恋の話。 ※ハッピーエンドです。ざまぁは王子のみ。 ※サブカップル(シリル×騎士団副官)あり。
BL 連載中 長編 R15
文字数 7,577
【完結】終局の悪魔―俺を利用するはずの白髪高官が、なぜか俺の目を美しいと言ってくる― 表紙

【完結】終局の悪魔―俺を利用するはずの白髪高官が、なぜか俺の目を美しいと言ってくる―

【完結済み】187㎝の美貌の白髪高官×185㎝の心臓のない赤髪悪魔 地方役所で働く、眼鏡をかけた赤髪の係長、フィーネ・ダ・カーポは、口が悪く、態度も悪く、苦情が中央官庁にまで届く問題職員だった。 けれど、なぜか、困っている人を見捨てない。 ある日、彼の前に現れたのは、白髪に紫の瞳を持つ美貌の中央高官、オクタヴィア・ドルチェ。 最悪の初対面の末、ドルチェはフィーネに告げる。 「貴様の力――終局《エンデ》を、私に、貸してほしい」 人間なんざうんざりだ。 そう吐き捨てる赤髪悪魔のフィーネと、彼を利用するはずだった完璧な白髪高官ドルチェ。 白髪高官は、赤髪悪魔の青い目を美しいと言う。 利用から始まった関係は、やがて、名前を呼び、家へ帰り、触れ合うものへ変わっていく。 復讐と秘密から始まる、男二人の危険な関係性BL。 このお話は序盤から糖分高めです。 最終話に向けて恋愛描写はさらに濃くなり、身体的な関係も進展します。
BL 完結 長編 R18
文字数 100,210
愚王キケロの本懐~美貌の皇帝が悪役王様を幸せにするまで~ 表紙

愚王キケロの本懐~美貌の皇帝が悪役王様を幸せにするまで~

俺は明日殺される。 他でもない愛しい王国民たちの手で。 愚王キケロとは俺のことだ。 王が幸せなら季節や天候が正しく巡るという。 そんな伝承が残る王国でキケロは愚王と呼ばれながらも、飢えに苦しむ民に密かに想いを寄せていた。 しかし、ある日大臣に薬を盛られ眠りこけているうちに反乱軍に捕らえられてしまう。 牢に閉じ込められたキケロには水の一滴だって与えられない。 そして迎えた処刑当日の朝、キケロを迎えに来たのは見知らぬ美丈夫だった。 これは度重なる飢饉により圧政を敷く王国の主が紆余曲折の末に愛と幸せを知る話。 ※本作はムーンライトノベルズ様に掲載している『幸福な王様 』を大幅に加筆修正したものです
BL 連載中 短編 R15
文字数 15,803
栄光をあなたへ 表紙

栄光をあなたへ

崖っぷちなボクシングジムを営むおじさんに、長身の美男子がいきなり猛アプローチしてきた。 戸惑いつつも、チャンピオンを目指してともに励んでいく。
BL 連載中 長編 R18
文字数 29,493
モブおじLOVE 表紙

モブおじLOVE

 権田 平八は、中年の冴えない平凡なサラリーマン、そんな彼が、ある日職場の女性社員達が自分のことを『モブおじさん』と呼んでいたことを偶然聞いてしまう。落ち込む彼だったが、何と職場の年下イケメン社員やイケおじの同僚、更に更に、イケメン男子達から言い寄られて・・・・    冴えない平凡サラリーマンモブおじさん総受け
BL 連載中 長編 R18
文字数 110,622
「お前、誰?」――朝の光と、強面イケメンと、戻らない記憶。 表紙

「お前、誰?」――朝の光と、強面イケメンと、戻らない記憶。

目が覚めたら、自分の名前も、目の前にいる男のことも綺麗さっぱり忘れていた。騎士団の堅物優等生×楽天家の記憶喪失から始まるラブコメ。本編(全14話)。主人公の主観視点でお送りします。
BL 完結 短編 R15
文字数 13,992
お前のために咲きたい ~醜い王子、囚われの身で敵国の指揮官に恋をする~ 表紙

お前のために咲きたい ~醜い王子、囚われの身で敵国の指揮官に恋をする~

美しい花の氏族の中で醜い男として生まれた王子・弾正は、同胞を殺された恨みから前線に赴く。狙撃手として活躍するも、誰もその功績を認めることはなかった。 そんな中、負傷し弾正は敵国の捕虜となってしまう。 敵国の指揮官・エランは弾正が王子と知り、戦争を止めるために無事に返すという。 怪我が治るまでの間、エランとの触れ合いの中で弾正は心を開いていき――。 恋に落ちた二人は戦争を止めるために奔走する。 しかし、障害が二人の仲を裂く。 年上苦労人攻め×年下コンプレックス持ち強気受け/戦争ロミジュリ/王宮モノ 10/5に後日談短編を更新予定です。
BL 完結 長編 R18
文字数 83,255
悪役令息の僕がお兄様の愛に気づくまで 表紙

悪役令息の僕がお兄様の愛に気づくまで

ミリュア・フォン・アシュレイは、鉄格子の向こうから差し込むその白い筋を、ぼんやりと見つめていた。 今日、自分は処刑される。 ※主人公の処刑描写あり
BL 連載中 長編 R18
文字数 18,839