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第三章・志士寅之助、誕生
第9話 長州藩、動く
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横浜で斎藤健次郎と永訣の言葉を交わした寅之助は、その後、江戸へ戻ってきた。
この頃になると、もう二十歳を過ぎた寅之助はお玉が池の千葉道場を出て、一人暮らしをするようになっていた。
転居先は浅草だった。浅草には清水卯三郎の店「瑞穂屋」があった。卯三郎は江戸と横浜の両方に店を出し、それらを時々行き来していた。そこで寅之助は親戚の卯三郎に頼み込んで、浅草の瑞穂屋の二階に住み込ませてもらった。そしてここからお玉が池の千葉道場へ通うようになっていた。
文久二年(1862年)秋のある日。
この日、卯三郎は浅草の店に来ていた。そして店に届いた手紙を読んで、その内容を寅之助にも聞かせてやった。
「今度、叔父上が江戸へ出て来られるそうだ。その際、寅之助にも話があるとのことだよ。まあ叔父上が来たら、千葉道場でお迎えしてあげることだな」
「そりゃあ友山先生はうちの道場の古い門人だから、江戸へ出てくるなら必ず寄るでしょうけど。で、どんなご用なんですかね?」
「さあな。そこまで詳しくは書いてない。でも、大体の想像はつくよ。おそらく“志士”の方々に会いに来られるんだろうさ。こういうご時世だからな」
「なんだか引っかかる言い方じゃないですか、卯三郎さん。そりゃ友山先生が江戸へ出てくるとなれば、そういう方々と会うに決まってますよ」
「叔父上やお前が何をやろうと私の知ったこっちゃない。ただ、叔父上から私の横浜出店にたびたび文句を言われるのが嫌なだけさ」
「やはり友山先生は、卯三郎さんの横浜出店の件で怒ってるんですか?」
「国賊!とまでは書いてないが、散々嫌味を書いてきているよ。まったく、困ったジイさんだ」
数日後、その根岸友山が甲山から江戸へ出て来た。根岸友山、この年五十四歳。
千葉道場では寅之助が友山を出迎えた。
「お久しぶりでございます、友山先生。わざわざ遠いところまでご足労いただき、恐悦至極でございます」
「寅之助、お前も立派になったな。千葉道場での活躍を聞いて、ワシも鼻が高いぞ。しかし返す返すも残念なのは多門四郎殿、栄次郎殿と続けざまに亡くしたことだ。寅之助、お前たち千葉塾生が一丸となって力を合わせ、道三郎殿を盛り立てていかなくてはならんぞ」
「承知つかまつりました」
寅之助が子どもの頃、最初に剣術を習ったのは友山の道場だった。そして友山も寅之助を手塩にかけて一人前の剣士に育て上げた。それゆえ、この二人は深い師弟関係で結ばれていた。
このあと二人は道場内の座敷へ移って話を続けた。
「寅之助。聞くところによるとお前は最近、横浜などへ出かけて夷狄の文物にうつつを抜かしているらしいではないか。卯三郎と同じく、お前も西洋にかぶれたか」
「いえいえ、決してそうではありません。私は異人の勢力がどのようなものか視察するために、横浜へ行ってみただけです」
「ふん。あやしいものだ。お前は昔から余計なことを考え過ぎるきらいがある。そんなことでは尊王攘夷を貫徹できんぞ」
「私は誓って尊王攘夷をやり通します」
「実は今回ワシが出府してきたのは大事な人と会うためなのだ。そこへお前も連れて行ってやる。きっといい勉強になるだろう」
「どちらへ行かれるおつもりなのですか?」
「桜田の長州藩邸だ」
このあと二人は連れ立って桜田の長州藩邸へ向かった。現在の場所で言えば日比谷公園のあたりである。
友山は事前に久坂玄瑞と連絡をとって訪問することを告げてあり、門をくぐって邸内に入ると久坂が二人を出向かえ、そのあと部屋へ案内してくれた。
長州藩はこの頃、まさに昇り竜の勢いで中央政局に進出していた。
航海遠略策という公武合体策を捨てて、藩論を尊王攘夷に転換したのはこの少し前のことである。
そしてライバルの薩摩藩は、生麦事件で外国人を斬り捨てて「攘夷の王者」として人々から喝采を浴びたものの、しばらくはイギリスからの報復にそなえて鹿児島に立てこもらねばならず、中央政局に乗り出す余裕がなくなった。
言うなれば「鬼の居ぬ間の洗濯」である。棚ぼた式に、中央政局の主導権を握るチャンスが長州藩に転がり込んできたのだった。
ちなみに根岸友山と長州藩の関係はこの二年前から始まっており、友山は以前にも何度かこの桜田の藩邸を訪れていた。かたや長州藩士たちも甲山の根岸邸を何度も訪れており、その内の一人が久坂玄瑞だった。
長州人の抜け目のなさはこの時代、つとに有名であった。
長州藩は友山と協議して、長州藩の江戸での商売(物産交易)に、豪農である友山に協力してもらうことになったのだが、その陰では、江戸で戦争(例えば西洋列強との戦争)が起きた場合、藩主親子やその家族の避難先として、甲山の根岸邸を用意させていたのである。ここまで細かく配慮して戦争に備えていたのは、全国数ある藩の中でも長州藩だけだったであろう。
そして友山はその間、長州藩内の尊王攘夷派と緊密に連携して、長州藩との関係を深めてきたのだった。
「本日はようこそお越しくださいました、根岸先生」
「最近の京の様子はいかがですかな、久坂さん。本日は厚かましくも弟子を連れてお話を聞きに参りました」
と久坂と友山があいさつを交わしたのち、寅之助が久坂にあいさつの言葉を述べた。
「四方寺村の吉田寅之助と申します。現在、千葉道場で剣術の修行をしております。以後、お見知りおきのほど、よろしくお願い申し上げます」
この寅之助のあいさつを聞いて、久坂がピクッと反応した。そして、あいさつを返した。
「久坂玄瑞と申します。こちらこそよろしく。ところで吉田さん。あなたは良い名前をお持ちだ。三年前に亡くなった、私が尊敬してやまない兄と同じ名前とは、これも何かの縁かも知れませんな」
寅之助は久坂の言った言葉の意味が理解できず、「……は?はあ……」と相づちを返すしかなかった。
久坂が尊敬してやまない兄(義兄)とは吉田松陰のことである。
言うまでもなく久坂が通っていた松下村塾の先生であり、(数年前大河ドラマにもなった)久坂の妻、文の兄である。
松陰、吉田寅次郎。幼名は寅之助といった。すなわち、吉田寅之助である。
しかし今、久坂の目の前にいる吉田寅之助は、もちろんそんな吉田松陰のことは何も知らなかった。
で、すぐにこのやり取りは聞き流されて、友山と久坂は最近の政治状況について話し始めた。友山が久坂に聞いた。
「それで、京の様子はいかがでしたかな?」
「重畳です。京ではいよいよ尊王攘夷の気運が高まっています。我が神州を異国に売り渡すが如き幕府の勢力は、日々取り除かれております。あとは将軍を京へ呼んで、帝の命によって攘夷実行を申し渡せば……」
と話しているところにドスドスと足音が聞こえてきた。
「おいっ、久坂、いるか!入るぞ!」
と言って、その男はガラッと戸を開けた。
「おっと、失礼。来客中だったか」
「おう、高杉ではないか」
と久坂が言った。そして友山に尋ねた。
「根岸先生は高杉とは初めてでしたかな?」
「はい」
それでその男も、この談議の中に加わることになった。
その男とはもちろん、高杉晋作である。
「高杉晋作です。よろしく」
高杉は寅之助たちの前に座ると、そう、あいさつした。そして友山と寅之助もあいさつを返した。
寅之助は、この異様に顔の長い男から、ただならぬ雰囲気を感じた。
(高杉晋作……)
「この高杉はこの前、上海へ渡航して、彼の地がいかに西洋に侵されているかを見て来ております」
この久坂の説明を受けて、友山が高杉に問いかけた。
「ほお。では、我が国の取るべき方策など、一つお聞かせ願いますかな」
「我が国と申されても、今の幕府がある限り、この国は何も動きますまい」
「では尊藩(長州藩)としては、どのようになさるおつもりか?」
「そうですな。我が長州がやるべき事はさしあたり、薩摩の生麦を上回る『異人殺し』でござろうよ!」
高杉はそう言って、ハッハッハと高笑いした。
久坂としては「また高杉のいつもの高言が始まったか」と呆れた表情をしているが、友山と寅之助は、この初めて見る規格外の男に圧倒された。
それから高杉は、あらためて上海で見てきた様子を友山と寅之助に語って聞かせた。
上海では西洋人が我が物顔で町を闊歩している。そして彼らは清国人(中国人)苦力(労働者)を使役し、すでに上海は西欧列強の半植民地状態である。そのうえ長髪賊(太平天国)の乱も猛威をふるっており、時々上海近郊まで攻め寄せている。清国は内政、外交ともにガタガタの状態である。日本も放っておけば、特に幕府をこのまま放っておけば、遠からず清国の二の舞になるであろう、という話だった。
この話を聞いて友山と寅之助は、いっそう尊王攘夷の念に燃え「西欧列強を絶対に打ち払わねばならぬ」と決意したのだった。
そしてこのあと寅之助と高杉が少し話をすると、自然と剣術の話になった。高杉も二年前に「試撃行」という剣術修行の旅をおこなったぐらい剣術には熱心な男だったので、千葉道場の高弟である寅之助を「番町の練兵館へ招待する」と言い出した。
この当時、例えば渋沢栄一郎は元々神道無念流を学んでいながら、この前年、江戸で北辰一刀流の千葉道場へやって来ており、また真田範之助は元々天然理心流を学んでいながら、のちに千葉道場で師範をつとめるなど、一人の剣士が複数の流派を学ぶことはよくあることだった。要するに流派間のすみ分けはそれほど厳格ではなかったということである。ただし、寅之助としては千葉道場の高弟としての立場もあるので、神道無念流の練兵館に足を運ぶのは少し敷居が高いような気もした。
「玄武館(千葉道場)は水戸と、練兵館は長州と関係が深い。どっちも尊王攘夷の藩なんだから、別に気にすることもないでしょう」
と高杉は気楽に言った。
この男がそう言うと、寅之助としても「まあ、そう言われてみれば確かにそうかもしれないな」と妙に納得させられてしまう、不思議な説得力があった。
そのような訳で、この年の冬、寅之助は高杉からの紹介状を持って番町の練兵館を訪れた。現在の場所で言えば、九段の靖国神社の中である。
練兵館は神道無念流の斎藤弥九郎が創始した道場で、この時は息子で二代目の斎藤新太郎が当主をつとめていた。新太郎は千葉道場の「小天狗」こと故千葉栄次郎と腕を競いあった剣の達人である。そして前当主の弥九郎はこの年六十五歳で、すでに代々木へ移って引退していた。
斎藤家は長州藩と関係が深かったが、他に肥前大村藩とも関係が深った。新太郎の弟歓之助は突きの名手で「鬼歓」と異名を取った達人だが、この頃大村藩に仕官して、その地に移って剣術の指導をしていた。そしてこのとき練兵館の塾頭をつとめていたのは大村藩士の渡辺昇だった。大兵肥満で、ダルマのように丸い顔をした男だった。ちなみにそれ以前(特に安政の頃)には長州藩士の桂小五郎(後の木戸孝允)が塾頭をつとめていた。
寅之助が練兵館の道場に入ると、その丸顔で大兵肥満の渡辺が傷だらけの腕を振りあげて
「オシコト、オシコト!」
と叫びながら打ち込み稽古を指導していた。この「オシコト!」というのは「それでは一本にならん。惜しい!」という意味で叫んでいるらしい。渡辺の腕は、小手の防具のない部分を打たれ続けたせいでところどころ膿になるほど腫れあがっており、この男の稽古の激しさを物語っていた。
寅之助は、その塾頭の渡辺に高杉からの紹介状を見せて、稽古を見学、または稽古に参加させてもらう了承を得た。ちなみにこの日、高杉本人は道場にいなかった。
ざっと稽古を見学してみて寅之助は、なるほど千葉道場とはいろいろ違いもあって参考にすべき点もあるな、と感じた。
そんな中、道場の隅のほうでひどく下手くそな男がいたので、寅之助はしばらくその男の様子を眺めていた。
歳は自分と同じくらいで、目は細くややつり上がっており、アゴは頑丈そうで四角い顔をした男なのだが、剣術の初歩も知らないらしく、無手勝流で竹刀を振り回していた。
あまりに下手くそなので逆に教え甲斐があると思い、寅之助はその男に竹刀の握り方、構え方、そして振り方を懇切丁寧に教えてやった。
するとその男は寅之助の指導の上手さに感激して、感謝の言葉を述べた。
「本当にありがとうございました。私は長州藩の者ですが今日初めて、ここへ稽古に来たんです。名前は伊藤俊輔と言います。失礼ですが、あなたはどちらの方ですか?」
伊藤俊輔。後の初代総理大臣、伊藤博文である。歳は寅之助より一つ年上でこの時二十二歳。
「私は今日、飛び入りで稽古させてもらっている者で、吉田寅之助と申します。普段はお玉が池の千葉道場で稽古しています」
「吉田寅之助?あなたは良い名前をお持ちですね。私の師匠の名前と同じです」
「それはこの前、桜田の藩邸で久坂殿にも言われましたよ」
「なるほど、そうでしょう。久坂は私の同志ですから。それはともかく、さすが『技の千葉』と呼ばれる千葉道場から来られただけのことはあります。あなたは教え方が実にうまい!」
「いやいや。別に大したことはお教えしていませんよ」
「そんなことはありません。ここでは誰も私に基本を教えてくれなかったのです。……ところで、一つお尋ねしてもよろしいですか?」
「何でしょう?」
「吉田さんは、実際に人を斬り殺したことがありますか?」
さすがにこの問いかけは寅之助にとっても意外だったので、少々驚いた。
「……いえ、実はありません」
「そうですか……。それでは仕方がありません……」
「まあ、いくら剣術家といっても、こればかりは、なかなか経験している人は少ないでしょう。伊藤さんは何か特別な事情でもあるんですか?敵討ちをされる、とか」
「いえ、別に。ただ、私も武士になろうとしている身ですから、いつかは実際に人を斬ることになるでしょう。なんせ、こういうご時世ですから。例えば桜田門や坂下門のような義挙に参加するかも知れませんしね。それでその時のために、一応コツを聞いておこうと思っただけです」
「もしそうなったら、度胸一番、覚悟を決めてやるしかないでしょうなあ。いつも稽古でやっているようにやるだけです」
「やはり、そうですよね……。分かりました。……ついでに、もう一つうかがってもいいですか?」
「はあ……、何でしょう?」
「吉田さんは女子は好きですか?」
「嫌いな男などいるはずがないでしょう」
このあと伊藤は寅之助を品川の遊郭へ案内することになった。
この伊藤という男は、人を懐に誘い込む妙な才能を持っているようで、俗な言い方をすれば「人をたらしこむ才能」とでも言おうか、寅之助も、誘われるとその誘いに乗らざるを得ない心持ちにさせられてしまった。まったく不思議な男だ、と寅之助は思った。
浅草に住んでいる寅之助としては当然、時々吉原へ足を運んでいる。以前のうぶだった頃の寅之助と違って、この頃にはもう、遊女屋遊びなど手慣れたものだった。
この当時、浅草の吉原は「北国」、品川の遊郭は「南国」と呼ばれるほど、この二つの遊郭は江戸を代表する繁華な遊郭だった。「北国」の常連者である寅之助としては「南国」まで足を運ぶことは滅多にない。逆に伊藤はこの「南国」の常連者で、寅之助を「南国」の楽しい店へ連れて行って喜ばせてやろうと意気込んでいた。
二人は番町を出発して品川へ向かった。
そして品川の宿場に着くと寅之助は、品川のすぐ目の前にある御殿山に、異様な建物がそびえ立っていることに気がついた。
それは建設中のイギリス公使館で、すでにほとんどが完成しているようだった。
二階建ての建物が二棟あり、それが一階部分でつながって、宮殿が二つ建っているように見えるほど大きな建物で、しかも全体が西洋風に装飾されていた。江戸湾の要衝である品川港と、東海道の要衝である品川宿を眼下に見下ろす絶好の場所に、そのイギリス公使館は建っていた。
「あれを見て、どう思いますか?吉田さん」
「非常に腹が立ちます」
「やはり、そう思うでしょう。まったくイギリスという国はけしからん。あそこから我々を見下ろして支配した気分を味わうつもりなんでしょう。しかしあそこは元々、江戸っ子の花見の名所だったので、皆が怒ってます。さらに京の帝や朝廷も、この建設にはお怒りです」
「まったくもってイギリスは許せませんな」
「吉田さんなら、どうします?」
「どう、と言われると?」
「あのイギリス公使館をあのまま放置しますか?それとも……」
「それとも?」
伊藤からそう言われて、寅之助もいろいろと考えてみた。
やはり最初に思い浮かんだのは、このすぐ近くの東禅寺で前年に起きたイギリス公使館襲撃事件だった。しかし今度作られている御殿山のイギリス公使館は周囲に堀をめぐらせて、山の上にも厳重な柵を張りめぐらせている。まるで城のように堅牢な守りだった。
「残念ながら、これだけ厳重に守られていては、東禅寺を攻めた浪士たちのようなやり方ではビクともしないんじゃないですか?実際、東禅寺の襲撃ですら失敗に終わりましたし……」
「他に何か良い方法はありませんか?」
「うーん、ちょっと難しいでしょう」
「まあ、普通はそう考えますよね」
「何か妙案があるのですか?」
「賢い人間なら、こうするでしょう。イギリス人たちが入居する前なら、まだ警戒がゆるい。その隙をついて、闇夜にまぎれて数人で奇襲をかけ、火薬をしかけて焼き払ってしまうのです」
「あっ!」
その手があったか!と寅之助はハッとした。
江戸は過去に何度も大火災で町を焼いているので放火の罪は重い。犯人は火あぶりの刑に処される。だからこの江戸で「焼き討ちをかける」という発想は普通あまり出てこないものだが、確かにあの御殿山の上で火事が起きたとしても周りに延焼する建物がないのだから燃え広がる可能性は低いだろう。大火災を引き起こして住民から怒りを買うという恐れは、まずない。
「なるほど、それは確かに妙案かも知れません。しかし、志士たちは討ち入りの栄誉が欲しいのです。火付け盗賊の類いはやりたがらないでしょう。放火では名乗り出るのも難しいでしょうし、栄誉になるとも思えません」
「そのようなことは『どこに目的を置くか』によって容易に解消される話です。幕府を窮地に追い込み、イギリスに攘夷の意志を示しさえすれば、それで良いのです。しかも朝廷や民衆など皆が喜ぶのだから、良いこと尽くめではないですか」
「まるであなたがそれを実行するかのような口ぶりですね」
「実行するのです」
「えっ!?」
「まさか、冗談ですよ。ハッハッハ。いくらなんでもそのような大罪を、まともな人間だったらするわけがないでしょう?ハッハッハ」
ふと寅之助が伊藤の表情を見てみると、確かに顔は笑っているものの、なぜか目だけが不気味に輝いているようにも見えた。
そのあと寅之助は伊藤の案内で品川遊郭をはしごして、酒や女を堪能した。長州藩の男どもは藩の機密費を江戸や京で湯水のように使い、この伊藤も、まだ正式な藩士でもないくせに、そういった藩の機密費を散々流用して遊び回っていた。それでこの寅之助との遊興もすべて機密費で賄った。
寅之助が見るところ、この伊藤の女好き、遊び好きは異常なほどで「この男にとっては本当にこれが生き甲斐なんだろう」と感じた。
(この男は人を殺すだの、公使館を焼き討ちするだのと、やたら物騒なことばかり口にするが、どう見てもただの助平な放蕩青年で、到底そんな危ないことをする人間とは思えん……)
こうやって伊藤と遊び回っているうちに、寅之助も伊藤と話した危ない話などすっかり忘れてしまった。
それから数日が経ち、寅之助は「御殿山のイギリス公使館が何者かによって放火された」という話を人づてに聞いた。
このとき寅之助はふと、数日前に品川で伊藤と話したことを思い出した。
(そういえば伊藤さんもそんな事を言ってたっけな……。しかしまあ、世の中には伊藤さんと同じ事を考える奴もいるんだなあ……)
さらにこの事件の八日後、番町の練兵館のすぐ近くで国学者塙次郎が何者かによって暗殺された。寅之助はこの事件のことも後に人づてに聞いた。
実はこのどちらの事件にも伊藤俊輔が実行犯として加わっていた。
けれども寅之助は、そんなことは知る由もなかった。
この頃になると、もう二十歳を過ぎた寅之助はお玉が池の千葉道場を出て、一人暮らしをするようになっていた。
転居先は浅草だった。浅草には清水卯三郎の店「瑞穂屋」があった。卯三郎は江戸と横浜の両方に店を出し、それらを時々行き来していた。そこで寅之助は親戚の卯三郎に頼み込んで、浅草の瑞穂屋の二階に住み込ませてもらった。そしてここからお玉が池の千葉道場へ通うようになっていた。
文久二年(1862年)秋のある日。
この日、卯三郎は浅草の店に来ていた。そして店に届いた手紙を読んで、その内容を寅之助にも聞かせてやった。
「今度、叔父上が江戸へ出て来られるそうだ。その際、寅之助にも話があるとのことだよ。まあ叔父上が来たら、千葉道場でお迎えしてあげることだな」
「そりゃあ友山先生はうちの道場の古い門人だから、江戸へ出てくるなら必ず寄るでしょうけど。で、どんなご用なんですかね?」
「さあな。そこまで詳しくは書いてない。でも、大体の想像はつくよ。おそらく“志士”の方々に会いに来られるんだろうさ。こういうご時世だからな」
「なんだか引っかかる言い方じゃないですか、卯三郎さん。そりゃ友山先生が江戸へ出てくるとなれば、そういう方々と会うに決まってますよ」
「叔父上やお前が何をやろうと私の知ったこっちゃない。ただ、叔父上から私の横浜出店にたびたび文句を言われるのが嫌なだけさ」
「やはり友山先生は、卯三郎さんの横浜出店の件で怒ってるんですか?」
「国賊!とまでは書いてないが、散々嫌味を書いてきているよ。まったく、困ったジイさんだ」
数日後、その根岸友山が甲山から江戸へ出て来た。根岸友山、この年五十四歳。
千葉道場では寅之助が友山を出迎えた。
「お久しぶりでございます、友山先生。わざわざ遠いところまでご足労いただき、恐悦至極でございます」
「寅之助、お前も立派になったな。千葉道場での活躍を聞いて、ワシも鼻が高いぞ。しかし返す返すも残念なのは多門四郎殿、栄次郎殿と続けざまに亡くしたことだ。寅之助、お前たち千葉塾生が一丸となって力を合わせ、道三郎殿を盛り立てていかなくてはならんぞ」
「承知つかまつりました」
寅之助が子どもの頃、最初に剣術を習ったのは友山の道場だった。そして友山も寅之助を手塩にかけて一人前の剣士に育て上げた。それゆえ、この二人は深い師弟関係で結ばれていた。
このあと二人は道場内の座敷へ移って話を続けた。
「寅之助。聞くところによるとお前は最近、横浜などへ出かけて夷狄の文物にうつつを抜かしているらしいではないか。卯三郎と同じく、お前も西洋にかぶれたか」
「いえいえ、決してそうではありません。私は異人の勢力がどのようなものか視察するために、横浜へ行ってみただけです」
「ふん。あやしいものだ。お前は昔から余計なことを考え過ぎるきらいがある。そんなことでは尊王攘夷を貫徹できんぞ」
「私は誓って尊王攘夷をやり通します」
「実は今回ワシが出府してきたのは大事な人と会うためなのだ。そこへお前も連れて行ってやる。きっといい勉強になるだろう」
「どちらへ行かれるおつもりなのですか?」
「桜田の長州藩邸だ」
このあと二人は連れ立って桜田の長州藩邸へ向かった。現在の場所で言えば日比谷公園のあたりである。
友山は事前に久坂玄瑞と連絡をとって訪問することを告げてあり、門をくぐって邸内に入ると久坂が二人を出向かえ、そのあと部屋へ案内してくれた。
長州藩はこの頃、まさに昇り竜の勢いで中央政局に進出していた。
航海遠略策という公武合体策を捨てて、藩論を尊王攘夷に転換したのはこの少し前のことである。
そしてライバルの薩摩藩は、生麦事件で外国人を斬り捨てて「攘夷の王者」として人々から喝采を浴びたものの、しばらくはイギリスからの報復にそなえて鹿児島に立てこもらねばならず、中央政局に乗り出す余裕がなくなった。
言うなれば「鬼の居ぬ間の洗濯」である。棚ぼた式に、中央政局の主導権を握るチャンスが長州藩に転がり込んできたのだった。
ちなみに根岸友山と長州藩の関係はこの二年前から始まっており、友山は以前にも何度かこの桜田の藩邸を訪れていた。かたや長州藩士たちも甲山の根岸邸を何度も訪れており、その内の一人が久坂玄瑞だった。
長州人の抜け目のなさはこの時代、つとに有名であった。
長州藩は友山と協議して、長州藩の江戸での商売(物産交易)に、豪農である友山に協力してもらうことになったのだが、その陰では、江戸で戦争(例えば西洋列強との戦争)が起きた場合、藩主親子やその家族の避難先として、甲山の根岸邸を用意させていたのである。ここまで細かく配慮して戦争に備えていたのは、全国数ある藩の中でも長州藩だけだったであろう。
そして友山はその間、長州藩内の尊王攘夷派と緊密に連携して、長州藩との関係を深めてきたのだった。
「本日はようこそお越しくださいました、根岸先生」
「最近の京の様子はいかがですかな、久坂さん。本日は厚かましくも弟子を連れてお話を聞きに参りました」
と久坂と友山があいさつを交わしたのち、寅之助が久坂にあいさつの言葉を述べた。
「四方寺村の吉田寅之助と申します。現在、千葉道場で剣術の修行をしております。以後、お見知りおきのほど、よろしくお願い申し上げます」
この寅之助のあいさつを聞いて、久坂がピクッと反応した。そして、あいさつを返した。
「久坂玄瑞と申します。こちらこそよろしく。ところで吉田さん。あなたは良い名前をお持ちだ。三年前に亡くなった、私が尊敬してやまない兄と同じ名前とは、これも何かの縁かも知れませんな」
寅之助は久坂の言った言葉の意味が理解できず、「……は?はあ……」と相づちを返すしかなかった。
久坂が尊敬してやまない兄(義兄)とは吉田松陰のことである。
言うまでもなく久坂が通っていた松下村塾の先生であり、(数年前大河ドラマにもなった)久坂の妻、文の兄である。
松陰、吉田寅次郎。幼名は寅之助といった。すなわち、吉田寅之助である。
しかし今、久坂の目の前にいる吉田寅之助は、もちろんそんな吉田松陰のことは何も知らなかった。
で、すぐにこのやり取りは聞き流されて、友山と久坂は最近の政治状況について話し始めた。友山が久坂に聞いた。
「それで、京の様子はいかがでしたかな?」
「重畳です。京ではいよいよ尊王攘夷の気運が高まっています。我が神州を異国に売り渡すが如き幕府の勢力は、日々取り除かれております。あとは将軍を京へ呼んで、帝の命によって攘夷実行を申し渡せば……」
と話しているところにドスドスと足音が聞こえてきた。
「おいっ、久坂、いるか!入るぞ!」
と言って、その男はガラッと戸を開けた。
「おっと、失礼。来客中だったか」
「おう、高杉ではないか」
と久坂が言った。そして友山に尋ねた。
「根岸先生は高杉とは初めてでしたかな?」
「はい」
それでその男も、この談議の中に加わることになった。
その男とはもちろん、高杉晋作である。
「高杉晋作です。よろしく」
高杉は寅之助たちの前に座ると、そう、あいさつした。そして友山と寅之助もあいさつを返した。
寅之助は、この異様に顔の長い男から、ただならぬ雰囲気を感じた。
(高杉晋作……)
「この高杉はこの前、上海へ渡航して、彼の地がいかに西洋に侵されているかを見て来ております」
この久坂の説明を受けて、友山が高杉に問いかけた。
「ほお。では、我が国の取るべき方策など、一つお聞かせ願いますかな」
「我が国と申されても、今の幕府がある限り、この国は何も動きますまい」
「では尊藩(長州藩)としては、どのようになさるおつもりか?」
「そうですな。我が長州がやるべき事はさしあたり、薩摩の生麦を上回る『異人殺し』でござろうよ!」
高杉はそう言って、ハッハッハと高笑いした。
久坂としては「また高杉のいつもの高言が始まったか」と呆れた表情をしているが、友山と寅之助は、この初めて見る規格外の男に圧倒された。
それから高杉は、あらためて上海で見てきた様子を友山と寅之助に語って聞かせた。
上海では西洋人が我が物顔で町を闊歩している。そして彼らは清国人(中国人)苦力(労働者)を使役し、すでに上海は西欧列強の半植民地状態である。そのうえ長髪賊(太平天国)の乱も猛威をふるっており、時々上海近郊まで攻め寄せている。清国は内政、外交ともにガタガタの状態である。日本も放っておけば、特に幕府をこのまま放っておけば、遠からず清国の二の舞になるであろう、という話だった。
この話を聞いて友山と寅之助は、いっそう尊王攘夷の念に燃え「西欧列強を絶対に打ち払わねばならぬ」と決意したのだった。
そしてこのあと寅之助と高杉が少し話をすると、自然と剣術の話になった。高杉も二年前に「試撃行」という剣術修行の旅をおこなったぐらい剣術には熱心な男だったので、千葉道場の高弟である寅之助を「番町の練兵館へ招待する」と言い出した。
この当時、例えば渋沢栄一郎は元々神道無念流を学んでいながら、この前年、江戸で北辰一刀流の千葉道場へやって来ており、また真田範之助は元々天然理心流を学んでいながら、のちに千葉道場で師範をつとめるなど、一人の剣士が複数の流派を学ぶことはよくあることだった。要するに流派間のすみ分けはそれほど厳格ではなかったということである。ただし、寅之助としては千葉道場の高弟としての立場もあるので、神道無念流の練兵館に足を運ぶのは少し敷居が高いような気もした。
「玄武館(千葉道場)は水戸と、練兵館は長州と関係が深い。どっちも尊王攘夷の藩なんだから、別に気にすることもないでしょう」
と高杉は気楽に言った。
この男がそう言うと、寅之助としても「まあ、そう言われてみれば確かにそうかもしれないな」と妙に納得させられてしまう、不思議な説得力があった。
そのような訳で、この年の冬、寅之助は高杉からの紹介状を持って番町の練兵館を訪れた。現在の場所で言えば、九段の靖国神社の中である。
練兵館は神道無念流の斎藤弥九郎が創始した道場で、この時は息子で二代目の斎藤新太郎が当主をつとめていた。新太郎は千葉道場の「小天狗」こと故千葉栄次郎と腕を競いあった剣の達人である。そして前当主の弥九郎はこの年六十五歳で、すでに代々木へ移って引退していた。
斎藤家は長州藩と関係が深かったが、他に肥前大村藩とも関係が深った。新太郎の弟歓之助は突きの名手で「鬼歓」と異名を取った達人だが、この頃大村藩に仕官して、その地に移って剣術の指導をしていた。そしてこのとき練兵館の塾頭をつとめていたのは大村藩士の渡辺昇だった。大兵肥満で、ダルマのように丸い顔をした男だった。ちなみにそれ以前(特に安政の頃)には長州藩士の桂小五郎(後の木戸孝允)が塾頭をつとめていた。
寅之助が練兵館の道場に入ると、その丸顔で大兵肥満の渡辺が傷だらけの腕を振りあげて
「オシコト、オシコト!」
と叫びながら打ち込み稽古を指導していた。この「オシコト!」というのは「それでは一本にならん。惜しい!」という意味で叫んでいるらしい。渡辺の腕は、小手の防具のない部分を打たれ続けたせいでところどころ膿になるほど腫れあがっており、この男の稽古の激しさを物語っていた。
寅之助は、その塾頭の渡辺に高杉からの紹介状を見せて、稽古を見学、または稽古に参加させてもらう了承を得た。ちなみにこの日、高杉本人は道場にいなかった。
ざっと稽古を見学してみて寅之助は、なるほど千葉道場とはいろいろ違いもあって参考にすべき点もあるな、と感じた。
そんな中、道場の隅のほうでひどく下手くそな男がいたので、寅之助はしばらくその男の様子を眺めていた。
歳は自分と同じくらいで、目は細くややつり上がっており、アゴは頑丈そうで四角い顔をした男なのだが、剣術の初歩も知らないらしく、無手勝流で竹刀を振り回していた。
あまりに下手くそなので逆に教え甲斐があると思い、寅之助はその男に竹刀の握り方、構え方、そして振り方を懇切丁寧に教えてやった。
するとその男は寅之助の指導の上手さに感激して、感謝の言葉を述べた。
「本当にありがとうございました。私は長州藩の者ですが今日初めて、ここへ稽古に来たんです。名前は伊藤俊輔と言います。失礼ですが、あなたはどちらの方ですか?」
伊藤俊輔。後の初代総理大臣、伊藤博文である。歳は寅之助より一つ年上でこの時二十二歳。
「私は今日、飛び入りで稽古させてもらっている者で、吉田寅之助と申します。普段はお玉が池の千葉道場で稽古しています」
「吉田寅之助?あなたは良い名前をお持ちですね。私の師匠の名前と同じです」
「それはこの前、桜田の藩邸で久坂殿にも言われましたよ」
「なるほど、そうでしょう。久坂は私の同志ですから。それはともかく、さすが『技の千葉』と呼ばれる千葉道場から来られただけのことはあります。あなたは教え方が実にうまい!」
「いやいや。別に大したことはお教えしていませんよ」
「そんなことはありません。ここでは誰も私に基本を教えてくれなかったのです。……ところで、一つお尋ねしてもよろしいですか?」
「何でしょう?」
「吉田さんは、実際に人を斬り殺したことがありますか?」
さすがにこの問いかけは寅之助にとっても意外だったので、少々驚いた。
「……いえ、実はありません」
「そうですか……。それでは仕方がありません……」
「まあ、いくら剣術家といっても、こればかりは、なかなか経験している人は少ないでしょう。伊藤さんは何か特別な事情でもあるんですか?敵討ちをされる、とか」
「いえ、別に。ただ、私も武士になろうとしている身ですから、いつかは実際に人を斬ることになるでしょう。なんせ、こういうご時世ですから。例えば桜田門や坂下門のような義挙に参加するかも知れませんしね。それでその時のために、一応コツを聞いておこうと思っただけです」
「もしそうなったら、度胸一番、覚悟を決めてやるしかないでしょうなあ。いつも稽古でやっているようにやるだけです」
「やはり、そうですよね……。分かりました。……ついでに、もう一つうかがってもいいですか?」
「はあ……、何でしょう?」
「吉田さんは女子は好きですか?」
「嫌いな男などいるはずがないでしょう」
このあと伊藤は寅之助を品川の遊郭へ案内することになった。
この伊藤という男は、人を懐に誘い込む妙な才能を持っているようで、俗な言い方をすれば「人をたらしこむ才能」とでも言おうか、寅之助も、誘われるとその誘いに乗らざるを得ない心持ちにさせられてしまった。まったく不思議な男だ、と寅之助は思った。
浅草に住んでいる寅之助としては当然、時々吉原へ足を運んでいる。以前のうぶだった頃の寅之助と違って、この頃にはもう、遊女屋遊びなど手慣れたものだった。
この当時、浅草の吉原は「北国」、品川の遊郭は「南国」と呼ばれるほど、この二つの遊郭は江戸を代表する繁華な遊郭だった。「北国」の常連者である寅之助としては「南国」まで足を運ぶことは滅多にない。逆に伊藤はこの「南国」の常連者で、寅之助を「南国」の楽しい店へ連れて行って喜ばせてやろうと意気込んでいた。
二人は番町を出発して品川へ向かった。
そして品川の宿場に着くと寅之助は、品川のすぐ目の前にある御殿山に、異様な建物がそびえ立っていることに気がついた。
それは建設中のイギリス公使館で、すでにほとんどが完成しているようだった。
二階建ての建物が二棟あり、それが一階部分でつながって、宮殿が二つ建っているように見えるほど大きな建物で、しかも全体が西洋風に装飾されていた。江戸湾の要衝である品川港と、東海道の要衝である品川宿を眼下に見下ろす絶好の場所に、そのイギリス公使館は建っていた。
「あれを見て、どう思いますか?吉田さん」
「非常に腹が立ちます」
「やはり、そう思うでしょう。まったくイギリスという国はけしからん。あそこから我々を見下ろして支配した気分を味わうつもりなんでしょう。しかしあそこは元々、江戸っ子の花見の名所だったので、皆が怒ってます。さらに京の帝や朝廷も、この建設にはお怒りです」
「まったくもってイギリスは許せませんな」
「吉田さんなら、どうします?」
「どう、と言われると?」
「あのイギリス公使館をあのまま放置しますか?それとも……」
「それとも?」
伊藤からそう言われて、寅之助もいろいろと考えてみた。
やはり最初に思い浮かんだのは、このすぐ近くの東禅寺で前年に起きたイギリス公使館襲撃事件だった。しかし今度作られている御殿山のイギリス公使館は周囲に堀をめぐらせて、山の上にも厳重な柵を張りめぐらせている。まるで城のように堅牢な守りだった。
「残念ながら、これだけ厳重に守られていては、東禅寺を攻めた浪士たちのようなやり方ではビクともしないんじゃないですか?実際、東禅寺の襲撃ですら失敗に終わりましたし……」
「他に何か良い方法はありませんか?」
「うーん、ちょっと難しいでしょう」
「まあ、普通はそう考えますよね」
「何か妙案があるのですか?」
「賢い人間なら、こうするでしょう。イギリス人たちが入居する前なら、まだ警戒がゆるい。その隙をついて、闇夜にまぎれて数人で奇襲をかけ、火薬をしかけて焼き払ってしまうのです」
「あっ!」
その手があったか!と寅之助はハッとした。
江戸は過去に何度も大火災で町を焼いているので放火の罪は重い。犯人は火あぶりの刑に処される。だからこの江戸で「焼き討ちをかける」という発想は普通あまり出てこないものだが、確かにあの御殿山の上で火事が起きたとしても周りに延焼する建物がないのだから燃え広がる可能性は低いだろう。大火災を引き起こして住民から怒りを買うという恐れは、まずない。
「なるほど、それは確かに妙案かも知れません。しかし、志士たちは討ち入りの栄誉が欲しいのです。火付け盗賊の類いはやりたがらないでしょう。放火では名乗り出るのも難しいでしょうし、栄誉になるとも思えません」
「そのようなことは『どこに目的を置くか』によって容易に解消される話です。幕府を窮地に追い込み、イギリスに攘夷の意志を示しさえすれば、それで良いのです。しかも朝廷や民衆など皆が喜ぶのだから、良いこと尽くめではないですか」
「まるであなたがそれを実行するかのような口ぶりですね」
「実行するのです」
「えっ!?」
「まさか、冗談ですよ。ハッハッハ。いくらなんでもそのような大罪を、まともな人間だったらするわけがないでしょう?ハッハッハ」
ふと寅之助が伊藤の表情を見てみると、確かに顔は笑っているものの、なぜか目だけが不気味に輝いているようにも見えた。
そのあと寅之助は伊藤の案内で品川遊郭をはしごして、酒や女を堪能した。長州藩の男どもは藩の機密費を江戸や京で湯水のように使い、この伊藤も、まだ正式な藩士でもないくせに、そういった藩の機密費を散々流用して遊び回っていた。それでこの寅之助との遊興もすべて機密費で賄った。
寅之助が見るところ、この伊藤の女好き、遊び好きは異常なほどで「この男にとっては本当にこれが生き甲斐なんだろう」と感じた。
(この男は人を殺すだの、公使館を焼き討ちするだのと、やたら物騒なことばかり口にするが、どう見てもただの助平な放蕩青年で、到底そんな危ないことをする人間とは思えん……)
こうやって伊藤と遊び回っているうちに、寅之助も伊藤と話した危ない話などすっかり忘れてしまった。
それから数日が経ち、寅之助は「御殿山のイギリス公使館が何者かによって放火された」という話を人づてに聞いた。
このとき寅之助はふと、数日前に品川で伊藤と話したことを思い出した。
(そういえば伊藤さんもそんな事を言ってたっけな……。しかしまあ、世の中には伊藤さんと同じ事を考える奴もいるんだなあ……)
さらにこの事件の八日後、番町の練兵館のすぐ近くで国学者塙次郎が何者かによって暗殺された。寅之助はこの事件のことも後に人づてに聞いた。
実はこのどちらの事件にも伊藤俊輔が実行犯として加わっていた。
けれども寅之助は、そんなことは知る由もなかった。
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