幕末任侠伝 甲斐の黒駒勝蔵

海野 次朗

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第二章・激闘

第31話 横浜の加納と篠原(一)

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 次郎長の襲撃によって股肱ここうの臣とも言うべき大岩を殺され、小岩は行方不明となった。そして綱五郎たちも負傷させられた。
 勝蔵にとっては両腕をもがれたに等しい。まったく目も当てられない有り様だ。
 先だっては甲州で祐天、三蔵、犬上たちによって親分の安五郎を殺され、兼吉たち子分も殺された。その結果、勝蔵は甲州を追われた。
 そして今また大岩を殺され、今度は東海道からも追われることになった。
 まさに弱り目にたたり目とはこの事である。「武田信玄のような強い男になりたい」と思っていた勝蔵としては、ありうべからざる惨状だ。
(畜生。てめえら、今に見ていやがれ。この借りは必ず返す……!)
 こうして胸の内で復讐を誓い、勝蔵や猪之吉たちは信州や美濃を半年ほど流浪した。美濃では岐阜の水野弥太郎の世話になった。
 ほとぼりが冷めるまでは東海道へ戻らないつもりである。それで、年内は信州と美濃で潜伏生活を送ることにした。

 この文久三年(1863年)は、幕末の政局を見る上では一つの分岐点とも言える年である。
 八月に京都で政変があった。いわゆる「八月十八日の政変」だ。
 京都で日の出の勢いだった長州藩が会津・薩摩の両藩によって京都から追放されたクーデター事件である。
 この事件とほぼ同じ頃に尊王攘夷派が大和五条で大和挙兵(天誅組の変)を起こした。
 尊王攘夷派が孝明天皇を大和行幸ぎょうこうに連れ出し、天皇の名の下に「攘夷親征」を実行しようと計画したのだが、孝明天皇はこれを拒否。逆に天皇は会津・薩摩の両藩を支持して尊王攘夷派(長州藩および三条実美ら七卿)を京都から追放した。
 この状況では大和で挙兵した人々が戦いつづけられるはずもなく、一月余りで彼らは鎮圧された。
 甲州で勝蔵と面会した土佐人の那須信吾も、この戦いで戦死した。

 この八月を境にして、それまで猛烈な勢いで政局を引っ張り回していた尊王攘夷派が、一転して劣勢に立たされることになった。



 ここで少しだけ勝蔵の話から離れて脇道へと流れてみたい。
 物語の舞台はいったん横浜へ移る。
 勝蔵自身は横浜とほとんど関わりがないのだが、後々の話のためにここで少しだけ触れておきたいのだ。

 安政六年(1859年)に開港して以来、横浜は凄まじい勢いで発展している。
 それまで海外との貿易と言えば長崎がその役目を独占していたものだったが、横浜が開港した途端に輸出の八割、輸入の六割を横浜が占めるようになった。
 貿易の門戸が開かれた横浜には一獲千金を狙った多くの外国商人および日本商人が押し寄せ、空前の賑わいを見せている。
 このころの日本の輸出品といえば、もちろん生糸である。
 その状況は幕末に限らず、明治になっても変わらない。生糸は貴重な外貨獲得の資源であり、のちに「生糸で軍艦を造った」とまで言われるようになる。

 ただしこの横浜の繁栄は危うい均衡の上で成り立っている。
 京都で八月十八日の政変があったといっても、いまだ尊王攘夷の熱は冷めていない。
 幕府はこの年の五月に生麦事件の賠償金をイギリスに支払うのと同時に、欧米各国に対して「外国人追放(鎖港)令」を通告した。
 鎖港とは港を閉ざすことを意味する。
 むろん各国がそんな命令に応じるはずもなく、幕府もそれを承知のうえで、ただ朝廷の顔を立てるために通告したにすぎない。
 が、幕府はそのあと正式に「横浜鎖港」を朝廷に約束し、さらにヨーロッパへ横浜鎖港の談判使節を送ることも決定した。とはいえこれも、本気で鎖港ができるなどとは幕府も思ってはいない。
 なんにせよ、実現可能かどうかはさておき、横浜鎖港という言葉がこのように政治の表舞台で取り沙汰されるぐらい、横浜の貿易は容易ならざる状況に直面していたのである。

 おまけにこの頃、横浜には外国の軍隊、すなわち英仏の軍隊が駐留し始めていた。
 五月にくだんの生麦賠償金騒動があった際、横浜では一時、日英が戦争寸前の状態となった。
 そのドサクサにまぎれてイギリスとフランスが、横浜での軍隊の駐留を幕府に認めさせたのである。具体的には横浜(関内)の南に隣接する山手の丘に駐留することになる。フランスはすでに数百人の部隊を駐留させ、イギリスもこれから駐留する予定だ。
 余談ながら、この駐留は明治八年(1875年)まで十二年間つづくことになるのだが、明治政府の強い意向によって自国内における外国軍隊の駐留を拒絶し、現在の沖縄をはじめとした在日米軍のようにはならなかった。

 で、話を元へ戻すと、この年の五月と六月に下関で米・仏・蘭の艦船が長州藩と砲撃戦を展開し、さらに七月には鹿児島湾で薩英戦争がおこなわれた。イギリス軍はその戦闘から横浜へ戻って来てまだそれほど時間が経っていない。
 薩英戦争は両者痛み分けというかたちで終わった。イギリス軍としては屈辱的な結果と言うべきだろう。それでイギリス軍はいくぶん欲求不満を抱えており、このあと再度、薩摩か長州へ攻め込むつもりでいる。
 要するに、この横浜にいるイギリス人をはじめとした外国人兵士たちは、体から火薬の臭いがたちこめるぐらい戦争と隣り合わせの状態にあるということだ。
 そんな連中が久しぶりにおかへ上がれば、大酒は飲むわ、女を抱きに遊女屋(例えば岩亀楼がんきろう)へ行くわ、となるのが当たり前で、町の風紀はまったく嘆かわしい状態となっている。
 もとよりこの横浜は、当時ここにいたイギリス人通訳のアーネスト・サトウに言わせると「ヨーロッパ人のはきだめ」、つまり冒険商人や山師といったいかがわしい連中のふきだまりと化していた。
 そういった有象無象うぞうむぞうと海軍の荒くれ者ばかりが集まっていたのだから、ケンカや暴力事件などは日常茶飯事だった。

 ちなみに筆者の前作『北武の寅』で描いたように、また大河ドラマ『青天を衝け』でもやっていたように、渋沢栄一の一族が「横浜焼き討ち」を計画したのも、ちょうどこの頃のことである。また、それ以前には清河八郎なども焼き討ちを計画したことがあり、横浜は常に攘夷派の標的だった。
 さらにこの先月の九月には江戸や横浜で貿易に従事している者を狙って「我が国の利害を忘却する者には天誅を加える」といった張り紙が張られた。貿易商人を狙った暗殺予告である。この脅しによって多くの商人が貿易活動を取り止め、三井などもこれで生糸貿易から手を引いたという。

 当時の横浜は周囲を堀で囲って簡単には入れないようになっていた。長崎の出島がかつて鎖国時代そうだったように、横浜も「横浜島」として陸地から隔離していたのだ。
 入り口は正門にあたる吉田橋などいくつかの関門に限られており、その関門の内にあったので横浜居留地は「関内かんない」と呼ばれた。現在、その吉田橋があったすぐ近くにJRの関内駅がある。

 開港以来、横浜では攘夷派浪士による外国人殺傷事件が相次いだ。そのため浪士たちが刀を持って関内に入ることはできなくなった。
 刀は大小ともに吉田橋などの関門に預けなければならないのだ。

 加納道之助と篠原泰之進たいのしんの二人は今、その吉田橋の関門で関守の仕事に就いていた。
 この関守の仕事をしている連中は青い羽織の制服を着ているため、近隣の人々からは「隊」と呼ばれている。
 人々が吉田橋を渡ってくると、外国人は別として、日本人であればこの関所で身分を改められることになる。
 別に横浜でなくても一般の街道、例えば東海道の箱根を筆頭に関所など各街道の至るところにあり、さらに言えば江戸の町中にも辻々には辻番と呼ばれる関所はあるので、これはこの時代の人々にとってそれほど珍しい光景ではない。
 ただ、それでも当時の横浜は異例であったと言うべきだろう。少なからぬ攘夷派の連中が焼き討ちの標的としており、だからこそ刀を持ち込むことを禁じたりして厳重に関所で侵入者を監視していたのである。

 加納と篠原も元は「焼き討ちする側」の人間だった。
 この当時、刀を持って行動しようとする人間、つまり武士であれば「尊王攘夷」は、ごく自然な感覚である。といって、実際に横浜焼き討ちを実行しようとする人間はもちろん少数派だ。
(篠原さんを信用して菜っ葉隊に入ったのは間違いだったかな……)
 と加納は最近、思い始めている。
 二人とも武士の生まれではない。
 加納道之助は伊豆の農家の出だ。歳は二十五。下田のさらに奥のほうにある賀茂かも郡加納村で生まれた。それで、十六歳の時に下田でペリーを見かけ、「我が国を騒がせる憎たらしい奴だ」と感じ、そういったことも契機として後に江戸で剣術修行に励むようになった。流派は北辰一刀流である。
 篠原泰之進は筑後久留米の農家の出だが父は石屋(石工)だった。久留米と言ってもかなり東の、現在のうきは市の辺りの出身で、久留米よりも豊後の日田のほうが近い。歳はもう三十六になる。幼少から武芸を好み、九州や江戸で剣術や柔術を学んだ。いっとき久留米藩の奉公人になったりもしたが今は脱藩して江戸の道場をふらふらと渡り歩いている。要は浪士ということだが当時の浪士の常として、水戸の浪士などと一緒に尊王攘夷活動に明け暮れている。加納と篠原の出会いも、そんな活動の最中のことだった。

 二人が関所の見張り番として座っていると、農民の母と娘とおぼしき二人が吉田橋を渡ってきて「あの、もし……、お頼み申します」というので、篠原が「どうれ」と腰をあげて彼女たちのところへ行って「どこへ、何の用事で行くのか」と尋ねた。
 するとその母親らしき女が「港崎みよざき遊郭の岩亀楼がんきろうで下女として下働きするのでございます」と答え、篠原は「それでは通ってよし」と言って彼女たちの通行を許可した。

 一仕事終えた篠原は奥へ戻って来て加納の隣りに座った。
「篠原さん、我々はこんなことをしていても良いのでしょうか?」
 と加納が憮然ぶぜんとした表情で篠原に言った。
「なんだ、もう腹が減ったのか、加納君。今日はどこへ昼飯を食いに行く?またシナ(中国)人がやっている豚肉屋でも食いに行くか」
「嫌ですよ、あんな臭いもの……。いや、そうじゃなくて!我々はこんなところで、こんなノンキなことをしていても良いんですか?という意味ですよ」
「ああ、そんなことか。まあ、あせっても仕方あるまい。こうしてこの横浜にいれば、いずれ誰かが事を起こした時に、きっと役に立てるだろうよ」
「本当にそんな時が来るんですかねえ……。出羽の先生(清河八郎)だって結局、事を起こす前に失敗してしまったし、皆やるやる言ってるだけで、誰もやらないじゃないですか」
 ここで「事を起こす」とか「やる」とか言っているのは「横浜焼き討ち」のことを指している。ただ仕事柄、そんな事は口にできないので婉曲えんきょく的に言っているだけのことだ。
「大丈夫。いずれ水戸の人々がきっと立つさ。彼らからそういう話を聞いたからな」
「本当かなあ。まったく、篠原さんがもたもたしていなければ、我々も浪士組に入ることができていたのに……」
「そうは言うが加納君、もしあのとき浪士組に入っていれば、出羽の先生のように殺されないまでも、今ごろ酷い目に遭っていたかもしれんぞ。彼の取り巻きだった石坂たちは幽閉されたし、山岡氏、高橋氏、それに我が師の窪田先生でさえあの件でお上から罰せられたからな」
「それはまあ、そうですけど……」
「もっとも窪田先生の処罰が軽く済んで、そのあとこの神奈川奉行所へ転属になったから今、我々もこうして横浜にいるわけだが……。それとも何かね?加納君は新徴組しんちょうぐみに入って江戸の市中警備でもやりたかったのかね?」
「いや。そういう訳では……。ただ、京都に残っている藤堂君からの知らせでは、壬生みぶ浪士組は名を改めて新選組と名乗るようになっているらしいですよ」
「ふうん、新選組ねえ。どのみち今さら、我々には関係のない話さ」

 清河八郎が率いて京都へ行った浪士組は近藤勇、芹沢鴨、根岸友山などが京都に残留して壬生浪士組となったが、本隊は清河が率いて江戸へ戻り、横浜焼き討ち計画の直前に清河が幕府の手で暗殺されて以降、庄内藩お預かりの新徴組となって江戸の市中警備をすることになった。
 一方、京都に残った壬生浪士組は会津藩のお預かりとなり、近藤が根岸一派を追い出し、さらに九月には芹沢一派も粛清して近藤が新選組の組長となったのだった。
 加納としては、江戸で新徴組に入るにせよ、あるいは京都で新選組に入るにせよ、この横浜でグズグズとくすぶっているよりは、よほど武士らしい仕事ができるだろうに、と少しうらやましく思っている。

 ちなみに篠原が述べている窪田先生とは幕臣の窪田治部右衛門じぶえもんのことを指している。窪田も筑後にゆかりのある人物だったので篠原がその縁を頼ったのかどうか、その辺は定かではないが篠原は江戸で彼から柔術を習うなどいろいろと世話になっていた。窪田は清河の浪士組結成に関与したあと神奈川奉行所、つまり横浜を管轄する部署へ左遷された。その縁で篠原と加納も一緒に横浜で仕事をするようになったのだった。
 余談だが、治部右衛門の息子は泉太郎せんたろうといい、彼も父と同様幕臣として横浜へ異動となり、以後、横浜で外国人から洋式兵制を学んで幕府洋式部隊の幹部となる。そして後年、鳥羽伏見の戦いで戦死する。
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