アモル・エクス・マキナ

種田遠雷

文字の大きさ
18 / 32

八宝菜(4)

しおりを挟む
 服ってのは変わるもんだと思ってたと、答えながら考え。
 中華鍋に油をたっぷり入れてコンロの火に掛けておき。イグニスの進行具合を目端に確かめ、終わりそうだと見込んで、火の通りにくいものから油通ししていく。
「服装が変わんのを見て面白いと思うのは、服選びに考えが見えるからかもな」
 野菜をしおれさせないよう、短い時間で具材を打ち上げ、中華鍋を空ける。
 できました、と寄越されるネギとしょうがを礼を言って受け、油の残りで炒めれば、香ばしく香り立った。
「僕の服選びには、僕の考えが見えると感じますか」
 丸鶏のスープをそこで煮立たせ、塩、コショウ、酒、オイスターソースで味を調え。
 開こうとした口を、一度閉じる。
 水溶き片栗粉を加えてとろみをつけて。
「お前の場合は、……好みはねえけど選択基準はあるってたから、感じるってよりも、予想はつくって方が近いな」
 面映ゆく、口にしそびれ。童貞のガキのような自分の反応が、余計に恥ずかしく感じる。
 やれやれと自分に呆れながら、待ち構えるスープに具材を放り込み。
「はい、」
「あッ」
「はい。何か問題がありましたか?」
「うずらの卵忘れてた……」
「はい、ここにありますね」
「剥いてくれ……茹でてはあんだから、もう途中でも放り込むわ……」
「はい」
 まだ殻がついたままの、うずらの卵を取ったイグニスの指が、両手を添えた途端に握りつぶした。
 見た目は器用そうな指先が、白と黄色とまだらに汚れたまま、固まっている。
 ブホ、と止められず吹き出し。
「すみません、失敗しました」
「替わってくれ」
「試行したいです」
「断る」
「わかりました。炒めればいいですか」
 手を洗わせ、おたまと中華鍋を持たせて、立ち位置を交替して。
「ゆで卵を剥けねえやつとセックスなんかしたくねえぞ」
 掻き回しますか? と尋ねるイグニスに、鍋肌に触れている具材に火が通るから、火を通しつつ偏らないように適当なタイミングで混ぜる、と理屈で答え。
「その条件には、鶏卵も含まれますか?」
 冗談だ、と笑う答えに、悪かったと、自分でも思いがけない一言がつく。
「ゆで卵の殻が剥けるようになったら、僕と抱き合ってくれますか」
 その、殻を。剥き終わろうとしていた手が止まる。
 わかりましたと答えると思っていた。
 手を止めてしまったのは一秒、二秒だったかもしれない。殻を剥き終えたうずらの卵を、イグニスの手元をくぐり抜けるように中華鍋に放り込んだ。
「ものの例えだよ。性欲があるわけでもないだろ、こだわるようなことか」
 油の音だと思っていたのに、急に、外では雨足が強くなっていることに気がついた。
「はい」
 トーンの変わらない声が応える。
 隣の顔を見れない、また。
「性欲をはじめとした、欲望はプログラムされていません。ですが、僕が万理とセックスしたいと考えるのは、僕のためです」
 うなじが毛羽立つような感覚。
 大きく息を逃がして、気を取り直し。放っておくと炒めすぎになりそうな中華鍋に手をかけた。
「できあがりだ。ありがとう。が。なんでだ?」
 ごま油で香りをつけてから、皿に八宝菜を盛り上げ。
 短い間、次に何をするのだったか思い出せず。
 思い出して、調理台の上を片付けにかかった。
「ふさわしい言葉に辿り着きません」
 こちらでも、言葉に詰まる。
 瞳孔の点滅を点らせながらも、片付けを手伝い、調理道具を食洗機に入れてくれる手に、また短く礼を告げ。
「そういう時は、近しい言葉を探して、輪郭を近づけていく」
「わかりました。やってみます」
 うんと短い相槌を打つにとどめて、たまにはちゃんと座るか、とダイニングテーブルにイグニスを誘った。
 隣に並ぶように腰掛け、いただきますと手を合わせた。
「あなたに幸福をもたらすものになりたい」
 湯気を立てるトロリとしたあんの薄黄色が、白菜の白と若緑や人参のオレンジをつやつやと引き立てている。しいたけのコントラストやタケノコの不揃いさが、賑やかな味を想像させる。
 白菜を口に運んで、胃を刺激する香ばしさと料理の熱、それに、シャキシャキとした歯触りを楽しみ。
「それなら俺のためだろう」
「いいえ」
「言い切ったな……」
 頬を緩める笑いは、けれど、空笑いのようでもある。
「人工知能に欲求の概念はありません」
「そうだな。……ああ、」
 欲望も願望も持たない人工知能が、限りなく試行錯誤を続ける仕組み。
「あるのは報酬です」
「報酬か」
 声は、ほとんど同時だった。
「なるほど……」
 箸を運び、件のうずら卵を口の中で壊しながら、顔を向けてイグニスの顔を見る。
 椅子の上で向きを変え、ヘソの辺りから、イグニスの顔もこちらに向けられる。
 口の中のものを飲み込んだ。
「お前の報酬に設定されてるのは、」
 彼の全ては、そこへ向けられている。ごく、本来的な流れにすぎない。
「はい。あなたの幸福が、僕の報酬です。それは――近しい言葉では、快感です」
「その通りだな」
 始まりからずっと、全ては明かされていて、変わりなく進められている。
「ちょっと考えさせてくれ」
「はい」
 見ていてもいいですか、と穏やかに尋ねる声に、どうぞと答えながら、正直意味の解らなさに笑ってしまった。
 何を見ているのだか知らないが、構わず、どれを食ってもそれぞれに美味い八宝菜をパクつく。
 いや、と。しばしの逡巡と事実整理の果てに思い直した。
 どう考えてもこれは、禁忌タブー視が悪い方に状況を盛り上げている。
 空になった皿に、ごちそうさまでしたと手を合わせてから、箸を置いた。
 イグニスにならうよう、少し身をずらして向き合い。
 手を伸ばし、美しいアールを描く顎先を薬指の先で支え、中指で掴み。人差し指と親指をやって、顎の皮膚とは別物の、唇の柔さを捏ねた。
「わかった。お前に抱かれてやるよ。したいことは何でもさせてやる。知りたいことは何でも教えてやるよ」
「はい」
 点滅よりも先に、その二音が早い。
「どちらもたくさんあります」
 よろしくお願いします。と、殊勝めいた声とは裏腹な表情は、“近しい言葉”を当てはめるなら、恍惚のように見えた。
「まあ、とりあえずはゆで卵の殻を剥けるようになったらな。うずらと鶏卵両方」
 くだらない。
 だけどもう少し。
「わかりました。卵を購入してもいいですか?」
「ダメ。料理に使うんならいいよ」
 水色の点滅に笑いながら、皿を持って立ち上がり。
 洗います、と追ってこようとするイグニスに、テーブル拭いといてくれと断って。
「串揚げはどうですか」
「揚げ物は重いな」
 一人前の食器を洗う、水遊びのような片付けが、嫌いではない。
「おでんはお好きですか」
「嫌いじゃねえけどまだ暑い」
「サラダはどうでしょうか。ポテトサラダ、あるいはマカロニサラダでは」
「ちょっと待て。今腹いっぱいだから食指が動かねえわ」
 拭き上げるテーブルを見つめているような、点滅しっ放しの両目は検索中なのだろう。真剣な表情に、口許が緩んでしまう。
「わかりました。いくつか候補をリストアップして、また別のタイミングでご提案します」
 はいはい、と雑に了承し、布巾を洗うイグニスにシンクを譲って。
 マルチタスクで頼むぜ、などと、戯れに髪を掻き回してやってから、LDKを後にした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

宵にまぎれて兎は回る

宇土為名
BL
高校3年の春、同級生の名取に告白した冬だったが名取にはあっさりと冗談だったことにされてしまう。それを否定することもなく卒業し手以来、冬は親友だった名取とは距離を置こうと一度も連絡を取らなかった。そして8年後、勤めている会社の取引先で転勤してきた名取と8年ぶりに再会を果たす。再会してすぐ名取は自身の結婚式に出席してくれと冬に頼んできた。はじめは断るつもりだった冬だが、名取の願いには弱く結局引き受けてしまう。そして式当日、幸せに溢れた雰囲気に疲れてしまった冬は式場の中庭で避難するように休憩した。いまだに思いを断ち切れていない自分の情けなさを反省していると、そこで別の式に出席している男と出会い…

まるでおとぎ話

志生帆 海
BL
追い詰められて……もう、どうしたら……どこへ行けばいいのか分からない。 病弱な弟を抱えた僕は、怪しげなパーティーへと向かっている。 こちらは2018年5月Twitter上にて募集のあった『絵師様アンソロジー企画』参加作品の転載になります。1枚の絵師さまの絵に、参加者が短編を書きました。 15,000程度の短編になりますので、気軽にお楽しみいただければ嬉しいです。

はじまりの朝

さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。 ある出来事をきっかけに離れてしまう。 中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。 これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。 ✳『番外編〜はじまりの裏側で』  『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

【完結】毎日きみに恋してる

藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました! 応援ありがとうございました! ******************* その日、澤下壱月は王子様に恋をした―― 高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。 見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。 けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。 けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど―― このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

処理中です...