無意識 悪役公爵令嬢は成長途中でございます! ーヘイズ留学 過去から未来編ー

愚者 (フール)

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第4章 騎士道を学べ

第7話 惻隠之心 

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 店の中を踊るような華麗な足裁きで、右往左往しきびきび動く従業員たち。  
木製のトレーに乗せて運ばれる品からは、お菓子の甘さと紅茶の香りを漂わせる。
頼んだ品が机の上に並べられると、待ちに待っていた客たちはキタキタと目を輝かしては大喜び。

そんな明るい店内の空気と違って、この空間だけ違う場所へ紛れ込んでいるようだった。
プリムローズたちは、ロッタの話す言葉に耳を傾けていた。

琥珀色の瞳を瞼で閉じてその向こうでは、10年の時を経っても忘れられない状況を思い返す。

「8歳になった夏の季節。
毎年、暑い時期になると……。
思い出したくないのに、やはり思い出してしまう」

閉じていた瞳を、瞬きしないでゆっくりと開く。
これから話してくれる思い出は、子供らしい楽しいものではなさそうだ。

「この国は、いつでもどこでも暑いけどさ」

彼女らしい冗談を言ってくれている。
乾いた笑い声と空笑いは、悲しみを押し殺しているように見えた。

プリムローズは、それにどう反応していいかわからない。
わざと無表情な顔つきで、ロッタ先輩を見ていると思う。
胸がチクリと痛む。
この先、もっと強い痛みになっていくはずだ。

「その年、隣の領地に…。
彼が避暑に訪れていた。
親同士が友人で、誘われて遊びに来ていたからね。
これは、運命だったのかもしれない」

彼の正体はブルムヘル伯爵令息で間違いないと、プリムローズは確信してロッタが語る話の続きを待つ。

 
    コップに入った水を一口飲み干し、当時の様子から語り出す。
少し動くだけで汗が滲み出て、滝のように額から頬へ流れ落ちる。
体内に籠る熱を解き放つために、ロッタは弟を連れて向かう。
そこは、領地の境目で川が流れてる場所だった。

「危険だと思ってなかった。
水の流れは穏やかで、川はいつもと変わらない。
疑いもせずに、川遊びをしていたんだ」

上流の山で前日雨が降っていたが、下流の方では天気は晴れていたのだった。
大量の雨降った事すら知らず、子供らしく無邪気に遊んでいた。
ロッタたちは夢中になり、水かさが増していたのに気づいてない。

「もちろん、私は弟から目を離さずにしていた。
陽が肌に突き刺し焼かれるような暑さの中で、川の水の冷たさを楽しんでいたよ」

不安定な足元で転びそうになる度に、自分より小さな弟の手を掴み支えていた。

「あの時は、川で泳ぐ魚を追っていて足を滑らしてしまった。
そこは浅瀬に見えていて、じつは水深の落差がある場所だったんだ」

口を固く結んでいたプリムローズは、酸欠になっていく気がして鼻から大きく息を吸って吐き出した。
ロッタは黙ってしまっているせいで、その間は胸の中が重苦しさを感じていた。
続きを聞かなくとも、結果が悪いことだけは予想できる。

「弟を急ぎ助けようとした私も、一緒に転び流されそうになってしまう。
必死に助けを求めて、大声で張りあげていた。
まだはっきり、あのときの事を覚えているよ」

目の前に座るロッタの体が、微かに震えている。
記憶の奥に隠れていた恐怖が、
この場でよみがえってしまったようだ。
溺れかけている姿を見つけたのが、一人で散歩していたブルムヘル伯爵の嫡男であった。

「彼は戸惑いもせず川に飛び込んで、弟を私と一緒に引き上げようとしてくれた。
なんとか自力で立ち上がれたが、手が離れてしまった弟だけが流されていく。
彼が背後に回り込み、後ろから弟を押し止めてくれた」

心配でドキドキしていたが、話の流れでは3人は溺れないで助かったみたいだ。
安心したプリムローズも、脇に置いてあるコップの水を一口飲んでからロッタに話しかける。

「足を滑らせてしまった弟さんは、ブルムヘル伯爵令息のお陰で助かりましたのね。
大事なさそうで、良かったですわ」

聞いていて我が身のような気持ちになり、プリムローズは良い結末を信じて彼女に話しかけた。
最初出会ったロッタの挨拶では、弟がいると紹介してくれたのを覚えていたからだ。

「うん…、彼のお陰で助かった。
川の流れに逆らい弟を抱き支えるのに、耐えきれないほどの力が加わる。
彼の足が、とうとう折れてしまったんだ!」

「ああ、ロッタ。
自分をそんなに責めないで」

沈黙を破ってジャンヌが、悲痛な声で親友の名を呼んだ。

その声を聞いて堪らずに、テーブルに両ひじをつき頭を抱えた状態で身動きもしない。

二人は親友同士で、この話はしていてもおかしくない。
プリムローズは目を見張り、顔を隠しながら下を向くロッタの頭髪を眺めていた。

籠る震え声は、誰の声だろう。
ロッタ先輩の朗らかな声ではない。
他人の声に聞こえた。

「弟を必死に川岸まで押すと、彼は這って川から出た。
真っ青な顔色で、歯を食いしばる。
彼が怪我をしたと分かって、私は弟に其処に居ろと命じた。
大人の助けを呼びに、全力で屋敷へ走った」

足がもつれて転んでも、必死に走り屋敷に到着する。
驚いてロッタに駆け寄る使用人に、慌てて話し懇願した。

「助けてー、誰かお願い!
弟が、川でおぼれかけたの。
助けてくれた男の子が、怪我して痛がっているの!
助けてあげてー!!」

男たちは、ロッタと一緒に救助に出向いた。
女たちは、屋敷に知らせに向かう。
コートン子爵家は、これから先は大騒ぎになる。

「どう叫んでいたか。
あまり覚えていない。
膝が血だらけになっている状態で、おんぶされ泣きながら道案内した」

助けに向かった者は、彼の側で泣き叫ぶ弟と意識ない見知らぬ男の子を見て驚いたと言う。
急いで屋敷に運び、彼のために医者を呼んだ。

ロッタたちの父コートン子爵は、隣の伯爵領に知らせに行かせてる間に事情を聞き取る。
運ばれた男の子は、医師に診察してもらっていた。
弟は痛がる彼と一緒にいて、ショックで泣き続けて母から離れない。
私だけが、父にこれまでの経緯を報告した。

「父のあの顔をー。
今でも、鮮明に思い出せる。
安堵あんどの後、すぐにやって来た。
絶望と憔悴しょうすい
ブルムヘル伯爵は、代々王室に仕えている近衛このえの家系だった。
だったひとつの身分差でも、子爵と伯爵では圧倒的に違うんだ」

テーブルへ向かい口から出す言葉には、過去に戻り客観的に説明しているようにみえた。
男爵家の出身であるジャンヌは、貴族の階級で格差があることを骨身に染みている。

これに関しては、プリムローズは理解に苦しむであろう。
公爵の上は、王家のみ。
王家すらクラレンス公爵には、よほどでない限り手出しはできない。

「使いに出した者と一緒に、隣の伯爵夫妻とカルヴィ様の母上ブルムヘル伯爵夫人がけつけていた」

居間に入ってきたブルムヘル伯爵夫人は、私たちを見るや否や挨拶なしに興奮ぎみに話し出した。

「あの子は、何処どこなの!?
急ぎ会わせなさい!」

ブルムヘル伯爵夫人は、たいそう急いだのか顔に汗がにじんでいた。
そして、瞳は不安げにらいでいた。
 
治療され横になっている部屋に入ると、息子の安らかな寝息を聞き堪らずに泣きだす。

「カルヴィ、カルヴィ!
良かった…、生きているのね。
川で溺れたと知り、生きた心地がしませんでしたよ」

ハンカチで涙をいて、ブルムヘル伯爵夫人は詳しく経緯けいいうかがう。

「父は、終始しゅうし頭を下げていたよ。
子供の私は、部屋から追い出されてしまった。
大人たちが中で、何を話しているかは分からない。
使用人たちの不安げな様子が、恐ろしく思えて怯えていた」

ジャンヌは椅子を側まで移動させ、うつ向き顔を挙げない友人の背中をさすり続ける。
労りながら慰める言葉を、ジャンヌはロッタに投げかけた。

「貴女がここにいるのは、ブルムヘル伯爵がお許しになられたからでしょう!?」

「うん、ジャンヌ。
話してなかったが伯爵ではなく、カルヴィ様が許すようにご両親に頼んでくれたからだよ」

彼は左足の骨を折り、痛いはずなのに笑って言ってくれた。
川遊びをしたいと考えていたから、あの事故は自分にも当てはまっていたかもしれない。
自分が起こり得る事故だったから、これ以上は責めないであげて欲しいとー。

「怪我して痛みを伴うのに、相手を思いやられる。
ブルムヘル伯爵令息は、子供とは思えない人格者です。
あなた方を責めるわけでなく、両親へ話をされたのですね」

8歳の彼がその年で、足がケガして痛いのに他人に対して思いやる話に感心させられた。
プリムローズは同年代の時
どう過ごしていたか。
置きえてみると、いたらないと恥ずかしくなる。

「【惻隠之心そくいんのこころ】。
相手の身になり同情する心。
コートン子爵は、彼に助けられたんだ」

「ブルムヘル伯爵家から、コートン子爵家に咎めがなかったのですね」

この後を知らないプリムローズは、安易にロッタに告げると雲行きがまた怪しくなる。

「表立ってはなかったよ。
父は全てを投げ出す覚悟で、名医と呼ばれている人にお願いした。
その医師は、完治したと言ってくれたんだけどー。
カルヴィ様の足は、完全には治ってくれなかったんだ」

『全てを投げ出す覚悟』

ロッタの実家、コートン子爵家が貧しい理由が分かった。
子供がしてしまった償いの為、医師の診察を受けるのに莫大な資産を出費していたからだ。

「えっ、医師は完治したと言われたのに治らなかったの?」

授業で剣の手合わせをしたプリムローズは、カルヴィの様子を思い出して自然に言ってしまう。

「よく見ないと、知らない人は気づかないと思います。
ブルムヘル伯爵令息は、早歩きする時に足を引きずるのです」

ロッタの代わりに、ジャンヌがプリムローズに返事する。
親友の口からは、言わせたくなかった配慮だろう。
医師のお墨付きを貰って全てが終わりでないと知らされて、プリムローズは沈黙するしかなかった。

「コートン家を助けてくれた。
そんな彼に何をしてあげられるかは分からない。
一生をかけて、あの恩を返さなくてはならない」

彼女の話す小さな声は、周りの騒がしい音でかき消されそう。
かろうじて理解できたのは集中して聞き、ロッタの気持ちを汲み取ったからだ。

「ブルムヘル伯爵は、代々王室に仕えている近衛このえの家系って仰いましたよね。
ロッタ先輩は、だから王妃付きの近衛になりたかったの?」

不幸な王妃の話で近衛になりたいと言っていたが、本当はカルヴィ様の件が切っ掛けだったのではと考え始めていた。

「それは違う、プリムローズ嬢。
ブルムヘル伯爵家とは、これは別問題だ。
偶然にも、近衛になりたい動機と同じになってしまったが…。
本当の願いは、どんなに願っていてもー。
足だけは、どうしても治せないんだ!」

ロッタの声で、周辺の喋り声がパタリと止んだ。
しかし、ほんの一瞬だけで平常に戻る。

『幼い子供たちの過ちが、ここまで引きずっている。
ずっと、悔やんでも悔やみきれず。
毎日の日々を、懺悔して暮らしているんだわ』

カルヴィ様を見掛けた時。
自分の足すら見ても、こうして悔やみ続けていたかもしれない。
これを恋心と勘ぐって、バカみたいにひとりで喜んでいた。

彼女は、まだ恋愛を経験していない。
恋とはどんな切っ掛けで、突然に恋の炎が燃えることを知らない。
ロッタとカルヴィの間に、まだその可能性が残されていた。




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