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朝焼けの街 (カハルサーレ)
◆ 風の竜騎士: 風の竜舎と帝都新聞
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※風(紫)の竜騎士ディルムッド視点です。
同日の早朝まで巻き戻ります。
◇.。.:*・°◇.。.:*・°◇.。.:*・°◇
一昨日の深夜に訪れた、革命彗星と直下型地震。
そこから何かが変わった。
空気が違う。水が違う。樹々の輝きが違う。
なのに人間だけが、まだ来ぬ冬を勝手に想像して怯えている。
大吹雪に見舞われ極寒になるだろう。
魔獣が襲って災害続きになるだろう。
そう決めつけては騒いでいた。
倒壊した建造物の後片づけやら被害調査やらで、王都は特に慌ただしい。
古参の兵士まで駆り出される始末だ。
霊山ですら通常警備はロクに訓練を施していない新米に丸投げだという。
神殿長の指示が錯綜している。
だが逆に、騎竜や軍馬は憑き物が取れたかのように大人しくなった。
そして秋なのに、昨日・今日と珍しく快晴が続いている。
「クルルルル……」
契約竜のダールが薄暗い竜房の隅で丸まりながら喉を鳴らした。
機嫌良さそうな視線の先は澄み渡った青空。
こちらに向けた濃い紫の尻尾が、床石を軽く叩いている。
――後で連れていけ、ということなのだろう。
空き時間は行方不明となった姪の捜査に充てたいが、仕方あるまい。
従騎士に手綱を押しつければ、この前のように竜房で暴れそうだ。
そういえば……黄金倶楽部の連中も様子がおかしい。
深夜に神殿奥から出てきた直後は、異様なくらい上機嫌だった。
そしてその後、何故か次々に総崩れしていっている。
聖女のは、毎度の侍女不足による癇癪だからいいとして。
影の神殿長と呼ばれるアルキビアデスが、意識不明に陥った。
やたら腰の低い司書次長グナエウスは、周囲に当たり散らすようになった。
事務代理ルキヌスは、こそこそと霊山に出入りを繰り返している。
おまけに昨日から、王都内で帝国魔導士の不審死が次々に報告されていく。
真っ先に動じそうな神殿長が不慮の事故だと決めつけた。
死体解剖も竜騎士の捜査も不要だとまで宣言して。
まるでこうなることを予期していたかのように、明らかにニヤついていた。
「ディルムッド閣下、いいご身分ですね? 平民にお掃除をさせて、ご自分は優雅に新聞ですか?」
親友のクウィーヴィンが藁箒を剣のように構えてくる。
同じ竜騎士の黒い制服でも、向こうは紺の縁取り。
水の第二師団所属だ。
風の竜舎まできて俺が溜め込んだ掃除を手伝ってくれていた。
「すまん、どうにも気になってな」
「一応どれも事故なんでしょう? 亡くなったのは下級魔導士のみ。誰もが属国出身の平民。帝国からすれば捨て駒でしょうから、大事にしないのですよ」
そこが逆に引っ掛かる。
帝国貴族が犠牲になったわけではないとはいえ、この王都での事件だ。
普段なら難癖をつけてくる帝国が妙に大人しい。
昨日すぐさま事故扱いで数行が充てられただけ。
今日の新聞には話題にすら上っていない。
「すぐに域外管轄権を主張して捜査官を送り込んでくると思ったのだが……」
「まあねぇ。この天気といい、『精霊が暴れる一歩手前』でないといいのですけど。
でもディードが今、気にするべきはそっちじゃありませんよね?」
銀髪の男が、極上の笑みをこちらに向けてくる。
社交界では『氷の貴公子様』と褒めそやされている。
ご婦人なら歓声を上げそうだが、青い目の奥がまったく笑っていない。
「……掃除シマス」
帝都新聞を転写した魔紙を手押し車の上に置き直す。
バケツに突っ込んだままの糸箒を掴んで、水気を絞った。
本来、竜の世話は契約を交わした竜騎士がする。
なのに最近は姪っ子の事件のせいで、竜房にもロクに来れずじまい。
今朝は、とうとう大掃除に追い込まれていた。
昔は数日サボろうが、竜舎でこれほど黒カビが発生しなかったらしい。
引退した竜騎士から若い頃の話として聞かされた。
ようは数十年で気候が大きく変化したということだ。
それも悪い方向に。
五代前の聖女ティーギン様の傍近くで仕えたことが自慢の先輩だった。
「しかし享年81歳だぞ!?」
壁の吐き出し口に汚水を押し出しつつ、ふたたび愚痴ってしまう。
どうしても帝都新聞の特集が頭から離れない。
いや、まぁ、御年81歳で亡くなられた我が国の聖女様に罪はない。
だが他国の新聞に面白おかしく取り上げられると、腹が立つ。
「今朝の一面の表題は『ヒキガエルの謎を追え』でしたよ。噂の的はすでに、聖女本人ですらありませんって」
クウィンが、至極つまらなさそうに指摘した。
紫針草を束ねた箒の長柄の上。
無造作に顎を乗せるヤツの姿が、やたら気障に見える。
まともに寝れていないせいか、何もかもが気に食わない。
「帝国貴族ではないかもしれんが、自国に所属する現役魔導士が相次いで死んだんだ。
他国の聖女様に仕えた精霊の眷属が、それを押しのけて帝都新聞の一面を独占って変だろ? 五代前の聖女だぞ? 俺らが生まれる前の。
だったら、同じ王都の子どもたちを案じてやればいいだろうに!」
感情に任せて梯子を動かし、竜房の仕切りに登った。
ダールが拗ねて、壁にぶつけた餌の断片をこすり取らねば。
カビの原因になってしまう。
「イラつくのは解りますが、王都の連続児童失踪事件ばかり取り上げても、読者は飽きるんです。
夏の間ずっと各紙が特集を組んでましたからね。新たな犠牲者が出ても、今までと同じような調子なら報道は下火になりますって。ネタが尽きてきたってことですよ。
最初の失踪から、もうふた月。六人目だって先月末の話。金目当ての誘拐ならば貧民街の平民は狙いませんし、児童奴隷にするならば目立つ貴族の子どもは狙いません。整合性が無さすぎるんです」
手際よく床を掃くクウィンの指摘は正しい。
夏の火の月半ば、水の週の水の日に始まった王都連続児童行方不明事件。
最初の失踪者が俺の姪、次期選定公の娘だった。
身代金目的の誘拐かと思われたが、犯人からの連絡はなかった。
当代の風の選帝公である伯父は、温厚な人格者で知られている。
独身で婚外子もいない。
その跡を継ぐ兄さんも恨みを買うような性格ではない。
親戚縁者も良好な関係だし、誰かの野心を刺激するほどの利権もない。
以降ほぼ一週間毎に一人ずつ、王都の中で五人の子どもが消息を絶った。
そして二週間弱置いて、六人目が失踪。
この夏最後の聖女の日のことだ。
「たった一つの共通点を、『耳の形のおかしな灰色猫だ』と言いだしても、記事に取り上げるくらい手掛かりがないのですからね」
クウィンが整った顔をしかめた。
部下のボイドが記事を書いた連中を直にあたると、裏づけは皆無。
目撃証人は行方をくらましていた。
噂の発生源は神殿の魔導士らだった。
グウェンフォール様の魔獣契約が妬ましかったからと。
捜査の混乱もかまわず、偽情報を捩じ込んだらしい。
あの灰色猫の正体を何だと思っているんだ、まったく。
クウィンの言うとおりならば、皆の関心が戻ることはないのかもしれない。
この二日間、紙面は彗星と地震一色になってしまった。
帝国の気分次第で、次は魔導士の連続不審死が注目の的にされかねない。
曰く、1853年ぶりに天の異変が起きた。
革命彗星が我が国に最接近したのだ。
緑に光る星は、精霊の加護を受けられる四色のどれでもない。
しかも誰もが体感できる大規模地震が王都で同時に発生した。
そちらは五代前の聖女様が亡くなる少し前、つまり74年ぶりの地の異変。
土魔法の研究者らによると、震源地は神殿直下だという。
最近の春は決まって吹雪になり、夏に害虫が作物を蝕む。
秋は洪水が頻発し、冬に魔獣の大量発生が街を襲う。
異常気象は年々悪化する一方だ。
国が亡ぶ前兆ではないかと、皆が危惧していた。
「冬が迫っているし、ヴァーレッフェの民が不安になるのは解るが……豪雪に埋まりもしない帝国は無関係だろうに」
俺が壁をこすりながら愚痴ると、足掛かりにしている梯子が揺れた。
紫竜のダールが鼻先で小突いてくる。
倒れないように手加減してはいるが、鼻息をわざとらしく鳴らす。
俺が姪のエルリースを探し回っているせいだな。
ダールが大空を飛ぶときには不在続き。
騎士学校を卒業して間もないイーロスが、騎手を務めることが増えた。
不満が溜まっているのだろう。
従騎士では、まだ竜と一体にはなれないのだ。
「……埒が明かない。香妖の森に行ってくる」
「魔猪の巣窟なぞ、正気の沙汰ですか」
クウィンが顔をしかめるが、王都で考えられる場所はすべてあたった。
確かに神殿長や聖女と繋がっている商人の言うことだ。
罠かもしれないし、嘘八百かもしれない。
それでも姪の落とした耳飾りは唯一本物の手掛かりなのだ。
「ダールも連れていくよ。多少は運動になるだろう」
昨夜また夢を見た。
霊山の裏手から巨大な猪が待つ森へ。
黒竜が朝日を浴びて悠々と飛翔していく。
あれは香妖の森に違いない。
「自重しなさいディルムッド、風の師団に迷惑をかける前に。朝も昼も夜も、仕事がない時間はすべて捜索に充てるなんて無茶でしょう。
せめて睡眠時間は確保しないと。ひどい顔していますよ、鏡をご覧なさい!」
命令口調で立てつづけに言われてムッとした。
同い年で同期なのに――いや、寝不足のせいだな。
紫色の雑巾を握る手に力を込めて、怒りをやり過ごそうとした。
「解っている」
「いいえ、ディードは解っていません。君の部下も休日返上で動いてくれているというのに。このまま一人一人が闇雲に動いても自己満足で終わるだけ。
自分まで倒れたらどうするのです。風の選帝公家の皆さんがさらに心労を重ねるだけとは思わないのですか」
~~~解っている。
ボイドやバノックたちが王都警察の知り合いと探してくれていることは。
クウィンが名家令嬢との見合いを断り、王都中を調べてくれていることも。
家の者たちが心配してくれていることも。
「だが、二か月間で得た物的証拠は耳飾りだけなんだ」
正式な捜査じゃないからボゥモサーレの街警察にも依頼できない。
俺はクウィンみたいに勘が鋭いわけでも、推理が得意なわけでもない。
地道に発見現場へ足を運ぶしかないではないか。
それが単に可能性を潰すためだったとしても、だ。
「王都警察の初動捜査は適確でした。あれから王都の警備は最大限引き上げられています。認めるのが難しいのは解りますが……生きた子どもを六人もどこに押し込めるというのです」
「部外者のお前に何が解る」
駄目だ、険悪な声音でしか話せない。
あまり笑わなくなった伯父。
憔悴しきった兄夫婦。
大人の顔色を窺うようになった甥っ子たち。
生死がはっきりしてくれたほうが、どれだけマシか。
「寝不足の頭でいくら考えても妙案は出ません。そのくらいは解るつもりです、ディード!」
「わからず屋の阿呆で悪かったな、クウィン!」
気がついたら、親友と睨み合っていた。
始業の鐘が遠くで鳴る。
俺が雑巾を床に叩きつけると、向こうも箒を蹴った。
間に挟まれたダールが、『いい加減にしろ』とばかりに尾を振り下ろした。
◇.。.:*・°◇.。.:*・°◇.。.:*・°◇
※ということで、王国は別件がテンコ盛りで大忙し。
人々の表情が暗いのは、不吉な彗星と地震のダブルパンチで今年の冬の厄災が怖いから。
逆に、神殿の上級魔導士たちは、何やら目論見が成功したと上機嫌。
王都に滞在していた帝国の下級魔導士が不審死した原因のせいですかねぇ。
まだ霊山から古代竜がいなくなったのはバレてません。
芽芽は巣に連れ去られて、食べられたと思われています(笑)
同日の早朝まで巻き戻ります。
◇.。.:*・°◇.。.:*・°◇.。.:*・°◇
一昨日の深夜に訪れた、革命彗星と直下型地震。
そこから何かが変わった。
空気が違う。水が違う。樹々の輝きが違う。
なのに人間だけが、まだ来ぬ冬を勝手に想像して怯えている。
大吹雪に見舞われ極寒になるだろう。
魔獣が襲って災害続きになるだろう。
そう決めつけては騒いでいた。
倒壊した建造物の後片づけやら被害調査やらで、王都は特に慌ただしい。
古参の兵士まで駆り出される始末だ。
霊山ですら通常警備はロクに訓練を施していない新米に丸投げだという。
神殿長の指示が錯綜している。
だが逆に、騎竜や軍馬は憑き物が取れたかのように大人しくなった。
そして秋なのに、昨日・今日と珍しく快晴が続いている。
「クルルルル……」
契約竜のダールが薄暗い竜房の隅で丸まりながら喉を鳴らした。
機嫌良さそうな視線の先は澄み渡った青空。
こちらに向けた濃い紫の尻尾が、床石を軽く叩いている。
――後で連れていけ、ということなのだろう。
空き時間は行方不明となった姪の捜査に充てたいが、仕方あるまい。
従騎士に手綱を押しつければ、この前のように竜房で暴れそうだ。
そういえば……黄金倶楽部の連中も様子がおかしい。
深夜に神殿奥から出てきた直後は、異様なくらい上機嫌だった。
そしてその後、何故か次々に総崩れしていっている。
聖女のは、毎度の侍女不足による癇癪だからいいとして。
影の神殿長と呼ばれるアルキビアデスが、意識不明に陥った。
やたら腰の低い司書次長グナエウスは、周囲に当たり散らすようになった。
事務代理ルキヌスは、こそこそと霊山に出入りを繰り返している。
おまけに昨日から、王都内で帝国魔導士の不審死が次々に報告されていく。
真っ先に動じそうな神殿長が不慮の事故だと決めつけた。
死体解剖も竜騎士の捜査も不要だとまで宣言して。
まるでこうなることを予期していたかのように、明らかにニヤついていた。
「ディルムッド閣下、いいご身分ですね? 平民にお掃除をさせて、ご自分は優雅に新聞ですか?」
親友のクウィーヴィンが藁箒を剣のように構えてくる。
同じ竜騎士の黒い制服でも、向こうは紺の縁取り。
水の第二師団所属だ。
風の竜舎まできて俺が溜め込んだ掃除を手伝ってくれていた。
「すまん、どうにも気になってな」
「一応どれも事故なんでしょう? 亡くなったのは下級魔導士のみ。誰もが属国出身の平民。帝国からすれば捨て駒でしょうから、大事にしないのですよ」
そこが逆に引っ掛かる。
帝国貴族が犠牲になったわけではないとはいえ、この王都での事件だ。
普段なら難癖をつけてくる帝国が妙に大人しい。
昨日すぐさま事故扱いで数行が充てられただけ。
今日の新聞には話題にすら上っていない。
「すぐに域外管轄権を主張して捜査官を送り込んでくると思ったのだが……」
「まあねぇ。この天気といい、『精霊が暴れる一歩手前』でないといいのですけど。
でもディードが今、気にするべきはそっちじゃありませんよね?」
銀髪の男が、極上の笑みをこちらに向けてくる。
社交界では『氷の貴公子様』と褒めそやされている。
ご婦人なら歓声を上げそうだが、青い目の奥がまったく笑っていない。
「……掃除シマス」
帝都新聞を転写した魔紙を手押し車の上に置き直す。
バケツに突っ込んだままの糸箒を掴んで、水気を絞った。
本来、竜の世話は契約を交わした竜騎士がする。
なのに最近は姪っ子の事件のせいで、竜房にもロクに来れずじまい。
今朝は、とうとう大掃除に追い込まれていた。
昔は数日サボろうが、竜舎でこれほど黒カビが発生しなかったらしい。
引退した竜騎士から若い頃の話として聞かされた。
ようは数十年で気候が大きく変化したということだ。
それも悪い方向に。
五代前の聖女ティーギン様の傍近くで仕えたことが自慢の先輩だった。
「しかし享年81歳だぞ!?」
壁の吐き出し口に汚水を押し出しつつ、ふたたび愚痴ってしまう。
どうしても帝都新聞の特集が頭から離れない。
いや、まぁ、御年81歳で亡くなられた我が国の聖女様に罪はない。
だが他国の新聞に面白おかしく取り上げられると、腹が立つ。
「今朝の一面の表題は『ヒキガエルの謎を追え』でしたよ。噂の的はすでに、聖女本人ですらありませんって」
クウィンが、至極つまらなさそうに指摘した。
紫針草を束ねた箒の長柄の上。
無造作に顎を乗せるヤツの姿が、やたら気障に見える。
まともに寝れていないせいか、何もかもが気に食わない。
「帝国貴族ではないかもしれんが、自国に所属する現役魔導士が相次いで死んだんだ。
他国の聖女様に仕えた精霊の眷属が、それを押しのけて帝都新聞の一面を独占って変だろ? 五代前の聖女だぞ? 俺らが生まれる前の。
だったら、同じ王都の子どもたちを案じてやればいいだろうに!」
感情に任せて梯子を動かし、竜房の仕切りに登った。
ダールが拗ねて、壁にぶつけた餌の断片をこすり取らねば。
カビの原因になってしまう。
「イラつくのは解りますが、王都の連続児童失踪事件ばかり取り上げても、読者は飽きるんです。
夏の間ずっと各紙が特集を組んでましたからね。新たな犠牲者が出ても、今までと同じような調子なら報道は下火になりますって。ネタが尽きてきたってことですよ。
最初の失踪から、もうふた月。六人目だって先月末の話。金目当ての誘拐ならば貧民街の平民は狙いませんし、児童奴隷にするならば目立つ貴族の子どもは狙いません。整合性が無さすぎるんです」
手際よく床を掃くクウィンの指摘は正しい。
夏の火の月半ば、水の週の水の日に始まった王都連続児童行方不明事件。
最初の失踪者が俺の姪、次期選定公の娘だった。
身代金目的の誘拐かと思われたが、犯人からの連絡はなかった。
当代の風の選帝公である伯父は、温厚な人格者で知られている。
独身で婚外子もいない。
その跡を継ぐ兄さんも恨みを買うような性格ではない。
親戚縁者も良好な関係だし、誰かの野心を刺激するほどの利権もない。
以降ほぼ一週間毎に一人ずつ、王都の中で五人の子どもが消息を絶った。
そして二週間弱置いて、六人目が失踪。
この夏最後の聖女の日のことだ。
「たった一つの共通点を、『耳の形のおかしな灰色猫だ』と言いだしても、記事に取り上げるくらい手掛かりがないのですからね」
クウィンが整った顔をしかめた。
部下のボイドが記事を書いた連中を直にあたると、裏づけは皆無。
目撃証人は行方をくらましていた。
噂の発生源は神殿の魔導士らだった。
グウェンフォール様の魔獣契約が妬ましかったからと。
捜査の混乱もかまわず、偽情報を捩じ込んだらしい。
あの灰色猫の正体を何だと思っているんだ、まったく。
クウィンの言うとおりならば、皆の関心が戻ることはないのかもしれない。
この二日間、紙面は彗星と地震一色になってしまった。
帝国の気分次第で、次は魔導士の連続不審死が注目の的にされかねない。
曰く、1853年ぶりに天の異変が起きた。
革命彗星が我が国に最接近したのだ。
緑に光る星は、精霊の加護を受けられる四色のどれでもない。
しかも誰もが体感できる大規模地震が王都で同時に発生した。
そちらは五代前の聖女様が亡くなる少し前、つまり74年ぶりの地の異変。
土魔法の研究者らによると、震源地は神殿直下だという。
最近の春は決まって吹雪になり、夏に害虫が作物を蝕む。
秋は洪水が頻発し、冬に魔獣の大量発生が街を襲う。
異常気象は年々悪化する一方だ。
国が亡ぶ前兆ではないかと、皆が危惧していた。
「冬が迫っているし、ヴァーレッフェの民が不安になるのは解るが……豪雪に埋まりもしない帝国は無関係だろうに」
俺が壁をこすりながら愚痴ると、足掛かりにしている梯子が揺れた。
紫竜のダールが鼻先で小突いてくる。
倒れないように手加減してはいるが、鼻息をわざとらしく鳴らす。
俺が姪のエルリースを探し回っているせいだな。
ダールが大空を飛ぶときには不在続き。
騎士学校を卒業して間もないイーロスが、騎手を務めることが増えた。
不満が溜まっているのだろう。
従騎士では、まだ竜と一体にはなれないのだ。
「……埒が明かない。香妖の森に行ってくる」
「魔猪の巣窟なぞ、正気の沙汰ですか」
クウィンが顔をしかめるが、王都で考えられる場所はすべてあたった。
確かに神殿長や聖女と繋がっている商人の言うことだ。
罠かもしれないし、嘘八百かもしれない。
それでも姪の落とした耳飾りは唯一本物の手掛かりなのだ。
「ダールも連れていくよ。多少は運動になるだろう」
昨夜また夢を見た。
霊山の裏手から巨大な猪が待つ森へ。
黒竜が朝日を浴びて悠々と飛翔していく。
あれは香妖の森に違いない。
「自重しなさいディルムッド、風の師団に迷惑をかける前に。朝も昼も夜も、仕事がない時間はすべて捜索に充てるなんて無茶でしょう。
せめて睡眠時間は確保しないと。ひどい顔していますよ、鏡をご覧なさい!」
命令口調で立てつづけに言われてムッとした。
同い年で同期なのに――いや、寝不足のせいだな。
紫色の雑巾を握る手に力を込めて、怒りをやり過ごそうとした。
「解っている」
「いいえ、ディードは解っていません。君の部下も休日返上で動いてくれているというのに。このまま一人一人が闇雲に動いても自己満足で終わるだけ。
自分まで倒れたらどうするのです。風の選帝公家の皆さんがさらに心労を重ねるだけとは思わないのですか」
~~~解っている。
ボイドやバノックたちが王都警察の知り合いと探してくれていることは。
クウィンが名家令嬢との見合いを断り、王都中を調べてくれていることも。
家の者たちが心配してくれていることも。
「だが、二か月間で得た物的証拠は耳飾りだけなんだ」
正式な捜査じゃないからボゥモサーレの街警察にも依頼できない。
俺はクウィンみたいに勘が鋭いわけでも、推理が得意なわけでもない。
地道に発見現場へ足を運ぶしかないではないか。
それが単に可能性を潰すためだったとしても、だ。
「王都警察の初動捜査は適確でした。あれから王都の警備は最大限引き上げられています。認めるのが難しいのは解りますが……生きた子どもを六人もどこに押し込めるというのです」
「部外者のお前に何が解る」
駄目だ、険悪な声音でしか話せない。
あまり笑わなくなった伯父。
憔悴しきった兄夫婦。
大人の顔色を窺うようになった甥っ子たち。
生死がはっきりしてくれたほうが、どれだけマシか。
「寝不足の頭でいくら考えても妙案は出ません。そのくらいは解るつもりです、ディード!」
「わからず屋の阿呆で悪かったな、クウィン!」
気がついたら、親友と睨み合っていた。
始業の鐘が遠くで鳴る。
俺が雑巾を床に叩きつけると、向こうも箒を蹴った。
間に挟まれたダールが、『いい加減にしろ』とばかりに尾を振り下ろした。
◇.。.:*・°◇.。.:*・°◇.。.:*・°◇
※ということで、王国は別件がテンコ盛りで大忙し。
人々の表情が暗いのは、不吉な彗星と地震のダブルパンチで今年の冬の厄災が怖いから。
逆に、神殿の上級魔導士たちは、何やら目論見が成功したと上機嫌。
王都に滞在していた帝国の下級魔導士が不審死した原因のせいですかねぇ。
まだ霊山から古代竜がいなくなったのはバレてません。
芽芽は巣に連れ去られて、食べられたと思われています(笑)
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