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魔狼の森 ~ 朝靄の街(ティアルサーレ)

◆ 風の竜騎士: 星祭りと差し入れ

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※風(紫)の竜騎士ディルムッド視点です。
 芽芽が馬車で移動中、同時刻の王都の様子です。

◇.。.:*・°◇.。.:*・°◇.。.:*・°◇



 昼食は、神殿横の紫燕しえん亭で購入した。
 中身は大角牛の発泡酒煮。紫麦を捏ねた雑穀パンに包んである。

 俺は食べながら『眠る天道虫』通りを抜ける。
 風芋の比率が年々増えているのが世知辛せちがらい。
 
 鈴鳴り広場に面する聖女新聞本社へと赴いた。
 編集主幹のレドモンドが応接室に通してくれる。
 この男は、穀物街道沿いの街に詳しい。

 つい先月も取材記事を出している。
 ボゥモサーレの古い図書館についてだったか……。
 香妖こうようの森から一番近い街だ。
 もしや誘拐犯が隠れ家に出来そうな場所を見聞きしてはいまいか。
 そう思ったら居ても立っても居られなかった。

「うーん……あっしとしては、今回の嵐のほうが気になりますけどねぇ、

 レドモンドは巻き毛をいじりながら、細い眼をさらに細めた。
 笑っているつもりらしい。
 髪は変装しやすく、目立たない茶灰色にわざと染めている。

 一時期は従者に成りすまし、四大選帝公の各本家に潜入取材を試みていた。
 摘まみだした後も、『坊ちゃま』呼びを止めようとしない。
 いつも以上にイラっときた。
 なにが『正体を見破ったことへの敬意の表れ』だ。

「おおコワイコワイ。しかしねぇ、穀物庫にとっちゃ慶事っすよ。
 秋の雷が数年ぶりに派手に落ちてくれました。おまけに長雨となるかと思いきや、すぐに快晴。ティーギン様時代の秋が戻ったと農民は喜んでますよ」

 糸目のレイモンドは大袈裟おおげさに両手を天へと伸ばしてみせた。
 収穫祭のお決まりのポーズを真似しているらしい。

 穀物街道の続く一帯を『ヴァーレッフェの穀物庫』と呼ぶ。
 帝都新聞が騒ぐせいで、皆が五代前の聖女様の話題に毒されている。

「そこまで遡って称えることか」

「農業は天候に左右されますからねぇ。ティーギン様は庶民出身の最後の聖女っす。
 年寄りが集まれば、『お貴族様の聖女になってから、少しずつだが確実に穀物は痩せていき、果樹の実りも減った』と嘆くのが常態化してまして」

 奴は目を細めたまま、ニンマリと口の端を持ちあげる。

「でねっすね、『もしかして』って新たなうわさが生まれてましてねぇ――何だと思います?
 あ、コワイなぁーその顔。はいはい、言いますよ。
 貴族じゃない聖女が誕生したんじゃないかってねぇ。ほぉらほら、気になるでしょう?」

 まさか、ありえない。
 聖女が顕現すれば、神殿の魔導士たちが真っ先に気がつくはず。
 四大精霊はすべての魔素の源。
 そのいずれかのご加護を受けた方なのだ。
 魔導士と竜騎士で丁重にお守りせねばならない。

「帝都新聞は革命彗星すいせいや王都地震でヴァーレッフェわがくにに揺さぶりをかけているつもりでしょうが……別の事実もあぶりだしてしまったことを軽視してますねぇ」

 中肉中背の編集主幹は、お気に入りの筆をくるくると器用に回した。
 水や油を被った紙だろうと、石だろうと、木の葉の上だろうと書ける。
 天才魔導士グウェンフォール様が開発された特別な魔道文具だ。

 魔導学院の塔をふたたび訪ねたが、かの御仁は今週も不在でいらした。
 レイモンドをきつけて行方を探らせるのも一案かもしれない。
 なにせ魔道文具蒐集しゅうしゅうと歴史学が趣味な男だ。

 今現在も、1853年前の講釈をしていることだしな。
 その年に現れたのは緑に光る彗星すいせいだけではない。
 初代聖女様も時を同じくして現れたのだとまで言いだした。

「待て。神殿の礎に書かれた年度は――」

「ええ、1853年前に王家が神殿を建立し、それから数年後に初代聖女をお迎えしたと書かれていますよね。少なくとも王宮から支給される正規の教科書では。
 あの時代は王家も四大選帝公家も本家が腐敗しきって、あちこちで政変が起こりました。とうとう王都が大火で包まれ、外戚の一人が次期王となり、王朝の呼び名を変えて、神殿を調えて、やっと天下泰平の世を取り戻したと言われています」

 だがちまたには違った伝聞も残されているらしい。

「実のところ逆だった可能性が高いんす。
 つまり、1853年前に初代聖女が霊山から現れて、そして精霊の加護が田畑に実り、民心が戻り、数年後に神殿を建てられるまで国が復興した。
 ま、王家としては威信に関わりますからね。聖女や神殿側に花を持たせてたまるかって今の時代とは異なる反発心も、理解できなくはないんすけどね」

 現代の王家は、聖女の住まう神殿を手厚く保護することで国民の支持を得ている。

 聖女の名を冠する新聞を、代々発行してきた一族の人間が語る内容だ。
 普段なら面白いと思えたかもしれない。
 香妖の森周辺の話がほんのひと欠片でも聞きたかったのだが……。

「うーん、霊山の裏手の動向で新しいものといえば、ティアルサーレの庁舎が焼け落ちたくらいっすかねぇ」

 香妖の森よりも地理的に、ずいぶんと手前ではないか。

「守護板はどうなっていたんだ? 庁舎ならば火除けの術も施してあるはずだろ?」

「そこなんすよ、どうも領主のドラ息子が偽物とすり替えてたんじゃないかってうわさが立ちはじめていまして。そいつも失踪してるんすよ。婦女暴行で訴訟案件がいくつか握りつぶされてるって前からささやかれてましたしね。
 なので明日から現地で領主一家の汚職取材っす、火災を口実に」

 この男がそこに居合わせるとキナ臭くなる。
 先週末も神殿のすぐ裏手、朝焼けの街カハルサーレで大量逮捕があった。
 領主一家が巧妙に民を虐げ、私腹を肥やしていたのだ。

 深夜に決行された最初のガサ入れから、つぶさに見れたらしい。
 昼間に市場で補佐官の一人が香木を買ったのが合図だったとか。
 商人に偽装した捜査官が南国の装飾品や服を持ち込んだのだとか。
 記事には書けない情報を教えてくれる。

 今時、領主貴族の腐敗話なぞ珍しくはあるまい。
 そう言いたくなるのをみ込んだ。
 季節が変わり、王都の連続児童失踪事件が風化していく。



◇.。.:*・°◇.。.:*・°◇.。.:*・°◇



 王都ここは夏の間中、虱潰しらみつぶしに当たった。
 さらなる手掛かりは見込めそうもない。
 先週から何度も夢に現れる黒竜の導きに従おう。
 まずはまった雑務を処理し、休暇届を出さねば。

 もうすぐ午後の始業時間だ。
 東の通用門へ、俺と同じように駆け込んできた部下と目が合う。

「バノック、近々――」

 休暇を取りたいのだが、と確かめようとした瞬間。
 黒塗りの豪華な馬車がすぐ傍で止まった。

「ディルムッド様! 出迎えてくださるなんて感激ですわ!」

 赤毛のグローニャ嬢が顔をのぞかせる。
 厄介な相手に出会ってしまった。
 従者が慌てて踏み台を設置して扉を開ける。
 昼間から豪勢な赤いドレスをまとった若い女が自信たっぷりに降りてきた。

 ちょうど一週間前に神殿奥で遭遇したヘスティア様の妹だ。
 価値観も人生の優先順位も、姉妹で正反対という。
 正直、苦手だ。

 だが火の選定公本家の三女。
 無碍むげにも扱えない。

「これはグローニャ様、奇遇ですね」

 出迎えてなぞいない、とだけは明確に主張しておく。
 こんなことなら正門から神殿に戻るべきだったか。
 風の竜舎が近い東門は、第四師団に所属する竜騎士が多い。
 職場である風の塔も目と鼻の先。
 あと少しで門の内側に滑り込めたというのに。

「あら、なんだか表情がえないご様子。エルリース嬢の失踪以来、連日連夜の捜索を指揮されていると伺いましたわ。わたくし、もう心配で」

 魔導士に聞かれたら確実に批判をくらいそうな表現だ。
 公式の捜査は竜騎士ではなく、王都警察が指揮しているのだぞ。

 今げっそりしているのは、積み重なった疲労のせいではない。
 目の前に振って湧いた悪運のせいだ。

 面白がったバノックが距離を置こうとした。
 即座に奴のマントをつかむ。
 強力な後ろ盾を持つ独身貴族女性。
 往来の激しい屋外とはいえ、二人きりで話し込めるわけがない。
 どんなうわさを立てられるやら。

「ディルムッド様に差し入れをお持ちしましたの」

 従者が無言で豪華な蔓篭つるかごを差しだした。
 チーズやら加工肉やら精のつく食糧が詰め込まれているのだろう。
 布で覆われていても中身は察しがつく。
 女性が競って竜騎士へ差し入れをするのは日常茶飯事だ。

 だが空気のよどんだ王都では近年、すぐ物が腐る。
 早速、生々しい匂いに釣られたはえが一匹、寄ってきた。

「お心遣いは非常に有り難いのですが、めいの無事を祈願して、贅沢ぜいたく品を断っておりまして。
 ですがどうしてもとおっしゃるのでしたら、日々酷使してしまっております哀れな我が部下へ」

 突然巻き込まれたバノックが蒼白そうはくになった。
 差し入れをしてくれる自分の婚約者のことが頭をぎったのだろう。
 必死の形相で首を振っている。

「まぁ。そんなに思い詰めていらっしゃるだなんて、ますます心が痛みますわ」

「たった一人のめいですから」

 俺と同じ屋敷に住む兄家族には、息子も二人いた。
 しかし数年たって最後に生まれた娘。
 男ばかりの一族で皆が甘やかしてしまった。

 あの日もエルリースは買い物の途中で癇癪かんしゃくを起こしたらしい。
 使用人たちの制止を振りきって強引に駆けだし、行方知らずだ。
 『わがまま育ちの少女は、片耳の垂れた奇妙な灰色猫を追い駆けて人混みに紛れてしまった』と帝都新聞に書きたてられた。

「おまけに……ディルムッド様は部下思いでもあるのですね」

 グローニャがにっこりと笑いながら距離を縮めようとした。
 泣きそうな顔のバノックを、間に挟み込むべく腕を引っ張る。

「では、こちらは部下の皆様でお召し上がりくださいませ。どうかこれからも、ディルムッド様をよろしくお願いしますわね」

 まるで妻のような台詞に、背筋がぞっとする。
 従者が無表情のまま、蔓篭つるかごをバノックへ押しつけた。

「そういえば、もうすぐ王宮の舞踏会がございますけど……ディルムッド様は星祭りにも聖女様をエスコートされますの?」

「そのようなこと、恐れ多いことでございます」

 無邪気なさまを装い、グローニャが探りを入れてくる。
 『星祭り』の一言に慌てて否定した。
 秋の土の月、最後の聖女の日に催される伝統行事。
 普段の集まりなら業務命令だと言い繕えるが……。
 そんな夜に連れ歩くのは『恋人同士です』と宣言しまくるようなもの。

「では、お一人で?」

 気が緩んだのか、いつもの高慢な顔立ちにすぐ戻る。
 当代の聖女と同じ猛禽もうきん類の目。
 社交界では致し方ないのかもしれないが、どうにも苦手だ。

「奇遇ですこと。じつはわたくしも従兄弟の都合がつかず――」

「いえ。自分は仕事が山積しておりまして、残念ながら出席はかなわぬかと」

「でもあのようなご不幸が起こりましたもの。お兄様ご夫妻はいらっしゃられないのでしょう? その名代としてディルムッド様が――」

「風の選定公である伯父が、代表して顔を出すことになるかと存じます」

 常日頃から『宮廷の面倒なごたごたは任せろ』と言ってくれている。
 海千山千の伯父貴だ。
 次の舞踏会も、おそらく一人で引き受けてくれるだろう。

「本日も火急の仕事に追われておりますので、これにて失礼いたします」

 甘ったるい香水の匂いでむせそうだ。
 さっと腰を屈めて礼をし、きびすを返して早足でその場を去った。

 こういうときだけは、同等の選定公家出身であることが有りがたい。
 バノックのように平民だと、場に留まって見送るのが礼儀とされる。
 今の世でむち打ち刑はありえないが、社交界では致命傷だ。






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