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第二章/葉月瑠璃
Episode028/グリーンモンスター
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(49.)
翌日の早朝、昨晩瑠璃からきたメールの内容を反芻していた。
『豊花の自宅に向かうから、家から出たら車前まで誘導して。車内に入ったら強制捜査を開始して取っ捕まえるから』
つまり、月影さんを自宅から出るところまで誘導し、そのままネタばらし。何の異能力なのだろうか、その辺りを知らないままなのは気にかかるけど、まあ、仕方ないか。
それよりも、瑠璃のメアドを知ることができたのは行幸だ。
見たことないメアドからメールが来たと思えばーーちなみにlapis_lazuli@……という、まさしく瑠璃まんまのアドレスだったーー内容を見ると瑠璃からのもので、思わずテンションが上がってしまった。
身支度すると、そういえばアルバイト時は瑠璃も制服着ていたな、と思いだし、それに習って僕も制服に腕を通す。
この女子用制服を着るのにも抵抗感がなくなってきたな……。
「ゆった? 日氷子っち準備できたよん」
裕希姉がノックもせずに部屋に入ってくる。
その後ろには、昨日のみすぼらしい姿から一変した、まともな成人女性らしい格好の月影さんが佇んでいる。
「うん、僕もちょうど着替え終わったところ」携帯を見て時間を確認した。「外に月影さんの住み処を用意してくれるって言ってくれた友人の車が停まってるから、そこまで送るよ」
「悪いわね、いろいろ世話になっちゃって」
「い、いや、べつに……」
そんな純粋そうな眼差しを向けられると、罪悪感で押し潰されそうになる。
というか、よく僕の嘘、信じてくれたなぁ……。
普通、『月影さんをしばらく泊めてくれるって友人が見つかったんだ。車で迎えに来てくれるらしいから、マンションの外まで送るよ』なんていきなり言われたら疑うだろうに……月影さんは疑うを知らない。
僕は月影さんを連れて部屋を出ると、マンションの外へ出た。
(50.)
「この車?」
マンションの前に停車している白いワゴン車を見るなり、月影さんは僕に聞いてくる。
「えっとーーう、うん。そうみたい」
助手席にこちらを見ている瑠璃の姿を見つけ僕は頷いた。
後部座席のドアを開けると、中には既にひとり、ありすにどことなく顔立ちの似ている二十歳前ほどの女性が、瞼を閉じて体を壁に預けて座っていた。どうやら寝ているらしく、小さな寝息が聞こえてくる。
「ん? やたら大人数なのね?」
「いいから早く行こうよ」
ついつい月影さんを逃がさないようにするため、背後に回り込んでしまう。背中を押すようにして車に乗せる。
「ちょっとなによ? そんなに急かしちゃって」
「あ、つい」
「つい?」
訝しむ顔をしながらも月影さんは乗車した。
「つ、ついにこの日が……ええっと」
適当なことを言って誤魔化そうとした。
そのときーー嫌な予感がして、僕は咄嗟に月影さんから離れ背後に下がった。
「そこの可愛いお嬢さぁああああんッ!」
ーー!?
「きゃあ!?」
嫌な予感の正体が、視界の左から右へと横切ると車の近くに降り立った。
きゃあ、だなんて恥ずかしい悲鳴をあげてしまったーーなんて羞恥心が吹き飛ぶくらい突飛な現象が起きたのだ。
どう考えても、遥か上空から飛んできたとしか思えない登場に驚きを隠せない。
カチューシャで飾る髪の毛が、なぜかモミアゲだけ緑色なのも凄い奇抜で違和感を覚えてしまう。
そんな中学生ほどの女の子が、いきなり空から落ちてきた、いや、舞い降りたと表現したほうが正しいかもしれない。
というより僕、危うく怪我するところだったんじゃ……?
「やっほほーい! やぁやぁ可愛いねー? いくつ? なんて名前? どの辺に住んでるの? 恋人いる?」
「え、ええ?」
は?
この子、いきなりなにを言っているんだろう?
不思議な魅力に包まれていて、自分でいうのもなんだけど、僕と同じくらい美少女といえるそんな子が、空から降ってきたと思えば……まさかのナンパ?
「ああ、めんごめんご! 名前を聞くときはまず自分からだったよね? わたしの名前は微風瑠奈。歳は二十代とだけ教えよう。詳細は秘密!」
は、二十代?
いやいや、どこからどう見ても高校生以上にすら見えないんだけど?
中学二年生か一年生どっちだろうーーぐらいに考える人はいるかもしれないけど、高校生かもしれない、と疑う人すらそうそういない幼い容姿である。
今の僕と同じ年代の容姿ともいえる。背丈も、僕に似ていて低いしーー。
「豊花早く乗って! そいつ、特殊指定異能力犯罪組織のメンバー、危険よ!」
「え……ええ!?」
あまりにも唐突すぎる情報に、僕は一瞬固まってしまう。
「そうだよ。で? なにか問題?」
飄々とした様子で、微風は首を傾げる。
それを無視して、瑠璃は僕の顔を見ながらつづけた。
「こいつらの仲間がいたら、私たちだけじゃ対処できない! 早く車に乗って! 待避して何とかするから!」
瑠璃は表情を曇らせながら僕に乗車を促す。
「なにそれ? 仲間がいなければ、あんたたちにわたしが対処できる……って?」
……あれ?
なんか聞き覚えがあるような?
ーーこの声、まえに大輝さんを苦しめた、ありすや瑠璃と会話していた相手の側から聞こえてきた、もうひとりの声にそっくりだ。
というか、特殊指定異能力犯罪組織の一員だとしたら、考えるまでもなくあの犯罪者の仲間本人じゃないか!
僕は瑠璃に言われたとおり、急いで車内に逃げ込む。大輝さんの指をあんなバキバキに折った奴の仲間だ。下手したら殺されかねない。
車内には僕と月影さんを含めて五人いた。
運転席には22、23歳くらいのチャラそうな男。助手席には瑠璃、後部座席には、輪郭や肌色がありすそっくりな二十歳前ほどの女性。その隣に月影さん、僕と並んで座る。
「総谷さん早く出して!」
僕がドアを閉めた直後、瑠璃は運転席にいる男ーー総谷という人に頼む。
「へいへいへーい!」
総谷さんは妙に高いテンションで合図する。
「へー、わたしと追いかけっこ、する気なんだ?」
総谷さんは一気にアクセルを踏む。
間近にいた微風という少女から離れていく。
……追いかけっこ?
「ーー来る! 総谷さんそこ曲がって!」
「ヒャッハ! 言われなくともわかってるっすよ! カモンガール!」
よくわからない返事をする総谷さんに、一瞬意識が移る。しかし、背後の様子を確かめた瞬間、一気に意識がそちらに戻った。
あの場にひとり佇んでいなければおかしい微風の姿は、いつの間にか車に向かって空を駆けるように接近していたのだ。
微風は地面に当たらない高さを水平に飛び、片腕を真っ直ぐ伸ばしながら車に迫り来る。
あと少しで腕が窓ガラスに!?
「ーーッ!?」
ガタンと車内が揺れる。
間一髪、微風の腕が危うく後ろの窓ガラスに激突する寸前、車が右折し細道に入ったことで、何とか難を逃れた。真っ直ぐ飛んでいく最中に曲がったことにより、相手は直線に進み細道を通りすぎていった。
安心したのもつかの間、通りすぎたと思うや否や、すぐに細道の前に跳ねるように着地。そのまま踊るように回るとこちらに体を向けて背を低くする。
「瑠璃、また来そう!」
思わず叫んでしまう。
「ねぇちょっと? これっていったいなんなのよ? こいつらが私を泊めてくれるわけ?」
「あんたは少し黙ってて!」瑠璃は月影さんを一喝し、ありすに似ている女性へ折り畳みナイフを投げ当てる。「河川さん起きて! 緊急事態!」
寝ている女性は、やはりありすの姉だったようだ。河川ありすの姉、河川なんと言うんだろう?
河川(かせん)さんはまぶたを擦りながら目を開くと、渡されたナイフの刃を出した。
「へいへいへーい! 曲がれ曲がれ曲がーれまくーれイェイ!」
総谷さん、チャラいといっても金沢みたいなチャラさじゃない。
単なるノリノリのバカっぽい人だった。無用な心配だったと直観する。
総谷さんはハンドルをテクニカルに切りながら、右折、直後左折、またまた角を曲がるーーと僕ですら知らない近所の道を、幾度となく曲がりくねり車を走らせる。
それでも、微風はこちらを見失ってはくれない。
あのモミアゲ緑も、負けじと小刻みに飛び跳ね追跡してくる。
「河川さん次の曲がり角で異能力おねがい! 未確認飛行色情狂を少しでも足止めして、その隙に距離を稼ぐから、総谷さんは速度落とさずに走りつづけて!」
「リョーカイッ! レディアンドガールたち四人の命は、俺が、守る! ハッハッハッヒャーッ!」
ガタンガタンと車が揺れまくり、早くも僕は酔いはじめる……というか、吐きそう……。
「……次の角……わかった……了解……」
河川さんは窓を降ろして全開にすると、おもむろに自らの手首をナイフで浅く切り裂いた。
血がにじみ出て溢れてくるのを、河川さんは至極当然といった顔で見ている。
窓を開けたことにより、外からの声が内部に届く。
「わたし相手にここまで逃げ切れたことは褒めてあげよう! さあ観念しろマイハニィイイイイ!」
うわっ!
なんか言っておられる!
微風はこちらに向かって飛来しながら、独り言のように意味のわからないセリフを吐きつづける。おそらく、窓を開けるまえからずっとペチャクチャ喋っていたのだろう。
そんな状況のなか、河川さんは徐に窓から外へ腕を出す。
「ちょっ!?」
「…………父よ。私の霊を御手にゆだねます。……ッ!」
ギリギリ微風にあたる直前、次の角を車が左折する。と同時に、河川さんは何かを呟きながら腕を振るい、自ら流した血を、窓の外に散らすようにばら撒いた。
その瞬間ーー。
「あッ? ああーーアッがぁああああアアアアァァァァッーーッ!?」
微風の雄叫びが背後から聞こえてきた。
「え、え?」
いったいなにをしたんだろう?
微風はいきなり追跡をやめたらしく、片目を抑え悶えている。
河川さんはというと、出血した箇所にガーゼを強く押し当て止血していた。
「相変わらず河川さんの異能力マジパネェ! ギャハハッ!」
車の速度を落とさず道をくねくね曲がると、やがて大通りにたどり着く。
異能力……なのだろうか?
「私は未来さんに緊急事態発生の連絡するから、総谷さんは特に前方注意しながら異能力者保護団体に急いで!」
「リョーカイ瑠璃パイセン格好良ィー!」
「河川さんと豊花は背後に注意して! アイツの姿を確認したら大声で報告して、OK?」
瑠璃はスマホを耳に当てながら、みんなにてきぱき指示を出す。
「う、うん。わかった」
「眠いけど……わかった……。父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか、自分でわからないのです……」
河川さんは眠そうな表情でガーゼを抑えながら、背後に振り向き、なにか意味のわからない言葉を唱える。
僕も慌てて後ろに目をやり、注意しようとする……が、ここにはひとり、状況を何一つ理解していない人がいるのを忘れていた。
「さっきからあんたたちなにやってんのよ? 私の衣食住を賄う友達は、いったいどこにいるのよ?」
月影さんは僕以上に状況を理解できていないらしい。無理もない。わざと嘘をつき連れてきたようなものなのだ。
なにがなにやらといった感じで月影さんは左右をキョロキョロ見て問いかけてきた。
「つ、月影さん。その、説明はあとでするから、今はごめん。あの微風ってひと、月影さんを泊めてくれるひとの命を狙う犯罪者なんだ」
自分で言っておきながら、すぐに恥ずかしくなり後悔してしまう。
なんか、半分真実のはずなのに、凄く嘘っぽい。
「ブヒャヒャなにそのジョーク! きみかわいいしイカしてるー惚れたわッギャヒャヒャッ!」
頭の螺がぶっ飛んでいるクレイジードライバーには言われたくない。
「そうだったのね! なんなら私が倒してあげるわよ?」
月影さんは、昨夜目にしたナイフを取り出して見せてくる。
いやいやいや、いやいやいやいや!
「今さっきの見てなかったの!? あの速さで空飛んでくるんだよ?」それに特殊指定異能力犯罪組織の一員だよ?「化け物だと思ったほうがいいよ。そんなナイフじゃ歯向かえないって!」
「フヒャー!? 通じんのかい通じんのかい!? 大切な子たちなので二回突っ込んでみましたサーセンキュー!」
……総谷さん、勝手に脳内で金沢みたいな人だと思っていたのを謝りたい。
僕の心配するような人種じゃなかった。
たしかに軽いは軽いでも、これは軽い男じゃなくて、脳ミソが軽い人だ。
「もしもし未来さん? 要警戒対象の緑髪の襲撃に遭いました。自称、微風瑠奈です。はい、応援と協力要請を……はい? え、ちょっと待ってください! 特殊指定異能力犯罪組織“愛のある我が家”のメンバーですよ!? どうしてですか!?」
なにやらいざこざがあるみたいだ。
瑠璃は通話口に向かって叫んでいる。
というより……さっき河川さんが使った異能力って、いったい何だったんだろう?
傍目からだと、河川さんがリストカットしたかと思えば、路上に血をばら蒔いただけにしか見えない。
「へいへいへーい! なんだか面白そうな展開じゃねーの!」
赤信号に停車しながら、総谷さんはやたらと笑顔を輝かせている。なんだろ、このひと?
「ちょっ!? そんなのおかしいじゃないですか! なら、私から警察に直に連絡します! はあ!? どうして無理なの!?」
「河川さん」瑠璃の声を聞きながら、河川さんに聞いてみることにした。「さっきなにをやったんですか?」
「……視覚……半分……奪った……私の……血漿の力……」
意味わからん。
「……あ……あれ……」
「へ?」
河川さんが窓の外を指差す。
「は?」
なにかが斜め上空に飛翔していた。
ここらで一番高いビルの壁面に“着地”するその姿は、さっきまで追いかけてきていた見覚えのある容姿ーーちょっ!?
「瑠璃! ああああそこ! 微風って子が!」
ビルの壁に佇み周囲を見渡していた。
と、動きがピタリと止まる。
こちらを向いて二秒ーービルからなにかをこちらに向けて投擲してくる。
車の隣にある電柱から炸裂音が発生。いきなり真横に切り跡が現れ、切断されたかのように電柱が転倒した。
「マジかよヤッベぇチョーピンチやんヒャッハーギャハハハハハ!」
「笑ってる暇じゃないでしょ! 総谷さん、どうにか逃げて! 無理なら全員車外へ待避!」
微風はビルの壁面を蹴ると、真っ直ぐこちらに向かって飛来してくる。
目前には信号待ちの車、左には歩行者道路、右側にも信号待ちの車の列ーー逃げ場がない!
「任せろい! ヒャッハー!」
「ちょっ!?」
総谷さんはアクセルを踏みながらハンドルを切り、歩行者道にタイヤを乗り上げた。
「何しやがったァアア!? こんのックソアマがァァァァァッ!」
ひぃ!
怒っていらっしゃる!
路肩に乗り上げ歩行者用の道路をギリギリすいすいと通過し、信号を無視して左折した。
直後、今まで車があった位置に微風は着地。地面に幾本もの地割れを巻き起こし、道路が陥没する。
「へいへいへーい! 鬼さんこーちら!」
そのままアクセル全快で道路を突っ走り、微風から距離を稼ぐ。
「……ようやく……止血……できたのに……はぁ……」
河川さんはガーゼで強く押さえていた手首を曝し、再びナイフを宛がう。
「このままじゃ私たち殺られちゃいます! 未来さん! 何でもいいから救援お願い! 早く! 場所!? 川崎市川崎区ーー」
車は猛スピードで道路を駆けていく。
前に車が現れたら車道を変え追い抜き、再び前に躍り出る。
こんなの、一般人がやったら即お縄じゃないか!
なにが川崎市のほうは安全だ、嘘ついていたのか未来さん?
と、背後からパトカーのサイレンが鳴り響く。
『そこの車、今すぐ停車しなさい! すぐに路肩に止めろ! 危ないぞ!』
「ヤッベぇマッポ来ちまったよどうする? 逃げるッきゃないべヒャハッハッハッ!」
なにが面白いんだ!
ていうか、警察も警察だ。
あんなのに追われているんだ。少しぐらい状況を理解してくれてもいいだろうに!
「まったくもう! 未来さん頼んだからね!? ーーあ、あー、あーてすてす!」
瑠璃はスマホに言い捨てると、メガホンを取り出し声だしのチェックを始める。
そもそも警察みたいにパトランプみたいなの付けたほうがいいんじゃないか?
連携がまるで取れていない!
『私たちは異能力者保護団体神奈川支部調査課の者です! 現在特殊指定異能力犯罪組織の一員から逃走中! ご助力願います!』
『なんだって!? だからといってそのような危険な運転許されるわけないだろ! 法廷速度を遵守し一度止まれ! 異能力者保護団体だからといって蛮行が許されるわけではないぞ止まれー!』
走りながら言い争いに発展してしまう。
「止まれっつってんだろ! クソどもがァアアッ!」
「!?」
背後から微風が突風のように突っ込んでくる。飛び込んできながら、微風は手を伸ばし真横に薙いだ。
すると、微風の目前に透明な……しかし、目視できる弓矢が何本も出現。一刻待たずして、全本同時に扇状に広がるよう射出された。
「わぁああ!? 当たる! 当たるッて!」
「あらよっと! ひゃっはーギリギリセーフ!」
車体に直撃しそうな空気の矢は、総谷がハンドルを切ったことでギリギリ当たらず隣に落下した。
直後、激しく鳴り響く刃の音。ナイフとナイフがぶつかりあったような金属音が、四方八方から聞こえてくる。
地面に鎌鼬が通過したかのような亀裂が入り、見知らぬひとの車の上半分が吹き飛び、マンションの壁面が抉れ、電柱がバラバラに細切れになり、コンビニのガラスが大破し中から商品が店外に吹き飛ぶように散らばっていく。
ーー辺りは酷い惨状を呈していた。
「なんなのよこれ!? ちょっと!? 私の衣食住は!?」
「あとで説明するから!」
「つーかまーえたッ!」
騒ぐ月影さんを制す。と、ガトンッという大きな音が車上から響き渡る。
たしかに矢のような物は防げた。
だが、しかし。だが、しかし、だ。
微風に障害物はない。
ここは真っ直ぐの大通り。
あの勢いのまま、ついに、追い付かれてしまったのだろう。
「ーー河川さん!」
「……血で……奪う……の……残った視界……ッ!」
河川さんはナイフを腕に当てたまま引き、多量に出血してみせた。
「総谷さん! 河川さんが異能力発動したら急ブレーキで頭上の落として!」
「へいへいへーひょーっ!?」
窓ガラスが砕ける音が響く。運転席の窓ガラスを頭上の怪物が腕で殴り叩き割ったのだ。
てか、警察はどうしたの!?
と振り向くと、空気の矢が直撃したのか、パトカーは炎上して停車してしまっている。
背筋がゾクッと冷える。
死の恐怖が身近に迫り来ていることを、強く実感してしまう。
「……エリ・エリ・レマ・サバクタニ……ッ」
河川さんは血を天井に撒き散らした。
血液が天井四散に染み着く。
微量の血が右頬に触れる。直後、僕の視界の斜め右上から中央下に線を引き、そこから右側が黒く塗り潰され見えなくなってしまう。
「なにこれーーッ!?」
視界の一部がなにも見えなくなったのを訴える僕の声を掻き消すように、ガラス片で血塗れになりながら総谷さんは思い切りブレーキを踏み込む。
車は一気に急停止する。
重心が崩れ、三分の一ほど真っ黒な視界から、掴める場所をどうにか探す。
やがて、目の前にある助手席の背もたれ後ろに両手をつけて支え、停車までどうにか姿勢を保つよう尽力する。
「ッざけんなァああクソがァアアアアッッ! マジで犯したあとでぶっ殺してやるからなァああッ!」
頭上から後方へ離れゆく怪物の声ーーそれを聞いていると、ようやく車は完全に停まった。
「はぁはぁ……皆、車から急いで降りて! この場を早く立ち去るから!」
瑠璃は車内を見渡し皆の無事を確かめると、ドアを開き車外に出て叫ぶ。
総谷さんはぜぇぜぇと息を漏らしながら、ガラス片で血塗れの腕を弱々しく動かしドアを開けると倒れるように降車した。
どうして車から降りたのかーーその疑問は、総谷さんの被害を視認して解消された。
あの怪我で、瑠璃はおそらく運転続行が不可能だと判断した。そして、実際にそうだったため、総谷さんは異議を唱えず停車したのだろう。
総谷さんにつづき、河川さんも出血が酷い左腕を抑えながら『エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ』と唱え車外に出た。
「な!? がァああああアアアアァァァァーーッ!」
いきなりの微風の慟哭に対して、ビクッとしてしまい僕は背後に目を向けた。
「ひぃッ!」
そこにはーー遥か後方とも寸での距離ともいえる地点には、竜巻を纏う少女の皮を被った緑の怪物が立ちふさがっていた。
こちらを睨み、なにかを唱えているのだろうかーー口がパクパク動いているが、それに関しては聞こえてこない。
そもそも、さっきまで緑なのはモミアゲだけだったのに、いつの間にやら髪の毛全体が染まり、色も浅緑に変わっていた。
それだけではない。肩までの長さに切り揃えてあった筈が、スッと腰まで伸びるのが、ちょうど目に映る。
周囲に風とライトグリーンに輝く粒子を漂わせている様は、異能力者や殺し屋といった存在が身近になった今ですら、異様にしか思えない。
「ちょっとちょっと! さっきからなに私のこと無視してんのよ!?」
「いいから早く降りて! ーーいッ!?」
自分の目を疑った。
空気の巨大な弾丸が、旋風を巻き起こしながら僕たちに向かって直進してくるではないか。
ーー当たれば即死。
ーーよくて重傷。
それらが予測できてしまう!
「早く出なきゃ!」
「ちょっと何なのよ!?」
月影さんを押し倒すように車外へ出ようとする。あの向きから考えるに、こっちのドアからじゃ月影さんを助けられない。
向こう側に脱出すれば、まだギリギリ当たらずに済む!
慌てながらも冷静に思考すると、月影さんを抱き締めるように車外へ跳び出す。
直ぐ様背後で風が暴れ狂う。
完全には避けきれず、強い風に背中を圧され勢いが増す。結果、まるでロケットのように路上へと投げ出された。
寸刻ーー車は前へ前へと回転しながら吹き飛んだ。
遠く前方の地面に落下し、スクラップに変わり果ててしまう。そのまま車は爆発し、やがて炎が燃え上がる。
ごおごお燃える非現実的なその光景に、堪らず嫌な汗が全身から噴き出す。
「いっつ……ぅぅ……つ、月影さん、大丈夫ですか?」
身体中についたかすり傷の痛みに耐えて立ち上がり、月影さんから手を離した。
「はぁああッはははッ! なあ? なあ、オイ! クソアマと私に操を奪われる予定の、ウザくてかわいい愉快で不愉快な仲間たちぃ?」
炎上した車やパトカー、破壊と切断に包まれた国道、強風に蝕まれた街並みーーそれらを一切意に介さず、ファンタジー世界の魔法少女のような見た目をしている怪物は、ゆらりゆらりと体を揺らし、こちらに向かって歩を踏み出す。
その顔は、欲望と殺意が混ざった喜色一面で染まっていた。
「男は要らねぇ! バラバラミンチにしてやるミートボールだぞヤったなオイ! 女は全員犯し尽くして文字どおり昇天させてやるから覚悟しろ? まあ、まずはわたしに、糞汚ねェ真似しやがったァ、クソッタレのクソアマからだ! 初っぱなからフィストファックしてやる! 泣いて感謝しろよクソガキがぁああああ
ッ!!」
その怪物は、愛らしい容姿で、幼くいたいけな声色をフル活用して、酷く下品なことを高らかに宣言したのであったーー。
翌日の早朝、昨晩瑠璃からきたメールの内容を反芻していた。
『豊花の自宅に向かうから、家から出たら車前まで誘導して。車内に入ったら強制捜査を開始して取っ捕まえるから』
つまり、月影さんを自宅から出るところまで誘導し、そのままネタばらし。何の異能力なのだろうか、その辺りを知らないままなのは気にかかるけど、まあ、仕方ないか。
それよりも、瑠璃のメアドを知ることができたのは行幸だ。
見たことないメアドからメールが来たと思えばーーちなみにlapis_lazuli@……という、まさしく瑠璃まんまのアドレスだったーー内容を見ると瑠璃からのもので、思わずテンションが上がってしまった。
身支度すると、そういえばアルバイト時は瑠璃も制服着ていたな、と思いだし、それに習って僕も制服に腕を通す。
この女子用制服を着るのにも抵抗感がなくなってきたな……。
「ゆった? 日氷子っち準備できたよん」
裕希姉がノックもせずに部屋に入ってくる。
その後ろには、昨日のみすぼらしい姿から一変した、まともな成人女性らしい格好の月影さんが佇んでいる。
「うん、僕もちょうど着替え終わったところ」携帯を見て時間を確認した。「外に月影さんの住み処を用意してくれるって言ってくれた友人の車が停まってるから、そこまで送るよ」
「悪いわね、いろいろ世話になっちゃって」
「い、いや、べつに……」
そんな純粋そうな眼差しを向けられると、罪悪感で押し潰されそうになる。
というか、よく僕の嘘、信じてくれたなぁ……。
普通、『月影さんをしばらく泊めてくれるって友人が見つかったんだ。車で迎えに来てくれるらしいから、マンションの外まで送るよ』なんていきなり言われたら疑うだろうに……月影さんは疑うを知らない。
僕は月影さんを連れて部屋を出ると、マンションの外へ出た。
(50.)
「この車?」
マンションの前に停車している白いワゴン車を見るなり、月影さんは僕に聞いてくる。
「えっとーーう、うん。そうみたい」
助手席にこちらを見ている瑠璃の姿を見つけ僕は頷いた。
後部座席のドアを開けると、中には既にひとり、ありすにどことなく顔立ちの似ている二十歳前ほどの女性が、瞼を閉じて体を壁に預けて座っていた。どうやら寝ているらしく、小さな寝息が聞こえてくる。
「ん? やたら大人数なのね?」
「いいから早く行こうよ」
ついつい月影さんを逃がさないようにするため、背後に回り込んでしまう。背中を押すようにして車に乗せる。
「ちょっとなによ? そんなに急かしちゃって」
「あ、つい」
「つい?」
訝しむ顔をしながらも月影さんは乗車した。
「つ、ついにこの日が……ええっと」
適当なことを言って誤魔化そうとした。
そのときーー嫌な予感がして、僕は咄嗟に月影さんから離れ背後に下がった。
「そこの可愛いお嬢さぁああああんッ!」
ーー!?
「きゃあ!?」
嫌な予感の正体が、視界の左から右へと横切ると車の近くに降り立った。
きゃあ、だなんて恥ずかしい悲鳴をあげてしまったーーなんて羞恥心が吹き飛ぶくらい突飛な現象が起きたのだ。
どう考えても、遥か上空から飛んできたとしか思えない登場に驚きを隠せない。
カチューシャで飾る髪の毛が、なぜかモミアゲだけ緑色なのも凄い奇抜で違和感を覚えてしまう。
そんな中学生ほどの女の子が、いきなり空から落ちてきた、いや、舞い降りたと表現したほうが正しいかもしれない。
というより僕、危うく怪我するところだったんじゃ……?
「やっほほーい! やぁやぁ可愛いねー? いくつ? なんて名前? どの辺に住んでるの? 恋人いる?」
「え、ええ?」
は?
この子、いきなりなにを言っているんだろう?
不思議な魅力に包まれていて、自分でいうのもなんだけど、僕と同じくらい美少女といえるそんな子が、空から降ってきたと思えば……まさかのナンパ?
「ああ、めんごめんご! 名前を聞くときはまず自分からだったよね? わたしの名前は微風瑠奈。歳は二十代とだけ教えよう。詳細は秘密!」
は、二十代?
いやいや、どこからどう見ても高校生以上にすら見えないんだけど?
中学二年生か一年生どっちだろうーーぐらいに考える人はいるかもしれないけど、高校生かもしれない、と疑う人すらそうそういない幼い容姿である。
今の僕と同じ年代の容姿ともいえる。背丈も、僕に似ていて低いしーー。
「豊花早く乗って! そいつ、特殊指定異能力犯罪組織のメンバー、危険よ!」
「え……ええ!?」
あまりにも唐突すぎる情報に、僕は一瞬固まってしまう。
「そうだよ。で? なにか問題?」
飄々とした様子で、微風は首を傾げる。
それを無視して、瑠璃は僕の顔を見ながらつづけた。
「こいつらの仲間がいたら、私たちだけじゃ対処できない! 早く車に乗って! 待避して何とかするから!」
瑠璃は表情を曇らせながら僕に乗車を促す。
「なにそれ? 仲間がいなければ、あんたたちにわたしが対処できる……って?」
……あれ?
なんか聞き覚えがあるような?
ーーこの声、まえに大輝さんを苦しめた、ありすや瑠璃と会話していた相手の側から聞こえてきた、もうひとりの声にそっくりだ。
というか、特殊指定異能力犯罪組織の一員だとしたら、考えるまでもなくあの犯罪者の仲間本人じゃないか!
僕は瑠璃に言われたとおり、急いで車内に逃げ込む。大輝さんの指をあんなバキバキに折った奴の仲間だ。下手したら殺されかねない。
車内には僕と月影さんを含めて五人いた。
運転席には22、23歳くらいのチャラそうな男。助手席には瑠璃、後部座席には、輪郭や肌色がありすそっくりな二十歳前ほどの女性。その隣に月影さん、僕と並んで座る。
「総谷さん早く出して!」
僕がドアを閉めた直後、瑠璃は運転席にいる男ーー総谷という人に頼む。
「へいへいへーい!」
総谷さんは妙に高いテンションで合図する。
「へー、わたしと追いかけっこ、する気なんだ?」
総谷さんは一気にアクセルを踏む。
間近にいた微風という少女から離れていく。
……追いかけっこ?
「ーー来る! 総谷さんそこ曲がって!」
「ヒャッハ! 言われなくともわかってるっすよ! カモンガール!」
よくわからない返事をする総谷さんに、一瞬意識が移る。しかし、背後の様子を確かめた瞬間、一気に意識がそちらに戻った。
あの場にひとり佇んでいなければおかしい微風の姿は、いつの間にか車に向かって空を駆けるように接近していたのだ。
微風は地面に当たらない高さを水平に飛び、片腕を真っ直ぐ伸ばしながら車に迫り来る。
あと少しで腕が窓ガラスに!?
「ーーッ!?」
ガタンと車内が揺れる。
間一髪、微風の腕が危うく後ろの窓ガラスに激突する寸前、車が右折し細道に入ったことで、何とか難を逃れた。真っ直ぐ飛んでいく最中に曲がったことにより、相手は直線に進み細道を通りすぎていった。
安心したのもつかの間、通りすぎたと思うや否や、すぐに細道の前に跳ねるように着地。そのまま踊るように回るとこちらに体を向けて背を低くする。
「瑠璃、また来そう!」
思わず叫んでしまう。
「ねぇちょっと? これっていったいなんなのよ? こいつらが私を泊めてくれるわけ?」
「あんたは少し黙ってて!」瑠璃は月影さんを一喝し、ありすに似ている女性へ折り畳みナイフを投げ当てる。「河川さん起きて! 緊急事態!」
寝ている女性は、やはりありすの姉だったようだ。河川ありすの姉、河川なんと言うんだろう?
河川(かせん)さんはまぶたを擦りながら目を開くと、渡されたナイフの刃を出した。
「へいへいへーい! 曲がれ曲がれ曲がーれまくーれイェイ!」
総谷さん、チャラいといっても金沢みたいなチャラさじゃない。
単なるノリノリのバカっぽい人だった。無用な心配だったと直観する。
総谷さんはハンドルをテクニカルに切りながら、右折、直後左折、またまた角を曲がるーーと僕ですら知らない近所の道を、幾度となく曲がりくねり車を走らせる。
それでも、微風はこちらを見失ってはくれない。
あのモミアゲ緑も、負けじと小刻みに飛び跳ね追跡してくる。
「河川さん次の曲がり角で異能力おねがい! 未確認飛行色情狂を少しでも足止めして、その隙に距離を稼ぐから、総谷さんは速度落とさずに走りつづけて!」
「リョーカイッ! レディアンドガールたち四人の命は、俺が、守る! ハッハッハッヒャーッ!」
ガタンガタンと車が揺れまくり、早くも僕は酔いはじめる……というか、吐きそう……。
「……次の角……わかった……了解……」
河川さんは窓を降ろして全開にすると、おもむろに自らの手首をナイフで浅く切り裂いた。
血がにじみ出て溢れてくるのを、河川さんは至極当然といった顔で見ている。
窓を開けたことにより、外からの声が内部に届く。
「わたし相手にここまで逃げ切れたことは褒めてあげよう! さあ観念しろマイハニィイイイイ!」
うわっ!
なんか言っておられる!
微風はこちらに向かって飛来しながら、独り言のように意味のわからないセリフを吐きつづける。おそらく、窓を開けるまえからずっとペチャクチャ喋っていたのだろう。
そんな状況のなか、河川さんは徐に窓から外へ腕を出す。
「ちょっ!?」
「…………父よ。私の霊を御手にゆだねます。……ッ!」
ギリギリ微風にあたる直前、次の角を車が左折する。と同時に、河川さんは何かを呟きながら腕を振るい、自ら流した血を、窓の外に散らすようにばら撒いた。
その瞬間ーー。
「あッ? ああーーアッがぁああああアアアアァァァァッーーッ!?」
微風の雄叫びが背後から聞こえてきた。
「え、え?」
いったいなにをしたんだろう?
微風はいきなり追跡をやめたらしく、片目を抑え悶えている。
河川さんはというと、出血した箇所にガーゼを強く押し当て止血していた。
「相変わらず河川さんの異能力マジパネェ! ギャハハッ!」
車の速度を落とさず道をくねくね曲がると、やがて大通りにたどり着く。
異能力……なのだろうか?
「私は未来さんに緊急事態発生の連絡するから、総谷さんは特に前方注意しながら異能力者保護団体に急いで!」
「リョーカイ瑠璃パイセン格好良ィー!」
「河川さんと豊花は背後に注意して! アイツの姿を確認したら大声で報告して、OK?」
瑠璃はスマホを耳に当てながら、みんなにてきぱき指示を出す。
「う、うん。わかった」
「眠いけど……わかった……。父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか、自分でわからないのです……」
河川さんは眠そうな表情でガーゼを抑えながら、背後に振り向き、なにか意味のわからない言葉を唱える。
僕も慌てて後ろに目をやり、注意しようとする……が、ここにはひとり、状況を何一つ理解していない人がいるのを忘れていた。
「さっきからあんたたちなにやってんのよ? 私の衣食住を賄う友達は、いったいどこにいるのよ?」
月影さんは僕以上に状況を理解できていないらしい。無理もない。わざと嘘をつき連れてきたようなものなのだ。
なにがなにやらといった感じで月影さんは左右をキョロキョロ見て問いかけてきた。
「つ、月影さん。その、説明はあとでするから、今はごめん。あの微風ってひと、月影さんを泊めてくれるひとの命を狙う犯罪者なんだ」
自分で言っておきながら、すぐに恥ずかしくなり後悔してしまう。
なんか、半分真実のはずなのに、凄く嘘っぽい。
「ブヒャヒャなにそのジョーク! きみかわいいしイカしてるー惚れたわッギャヒャヒャッ!」
頭の螺がぶっ飛んでいるクレイジードライバーには言われたくない。
「そうだったのね! なんなら私が倒してあげるわよ?」
月影さんは、昨夜目にしたナイフを取り出して見せてくる。
いやいやいや、いやいやいやいや!
「今さっきの見てなかったの!? あの速さで空飛んでくるんだよ?」それに特殊指定異能力犯罪組織の一員だよ?「化け物だと思ったほうがいいよ。そんなナイフじゃ歯向かえないって!」
「フヒャー!? 通じんのかい通じんのかい!? 大切な子たちなので二回突っ込んでみましたサーセンキュー!」
……総谷さん、勝手に脳内で金沢みたいな人だと思っていたのを謝りたい。
僕の心配するような人種じゃなかった。
たしかに軽いは軽いでも、これは軽い男じゃなくて、脳ミソが軽い人だ。
「もしもし未来さん? 要警戒対象の緑髪の襲撃に遭いました。自称、微風瑠奈です。はい、応援と協力要請を……はい? え、ちょっと待ってください! 特殊指定異能力犯罪組織“愛のある我が家”のメンバーですよ!? どうしてですか!?」
なにやらいざこざがあるみたいだ。
瑠璃は通話口に向かって叫んでいる。
というより……さっき河川さんが使った異能力って、いったい何だったんだろう?
傍目からだと、河川さんがリストカットしたかと思えば、路上に血をばら蒔いただけにしか見えない。
「へいへいへーい! なんだか面白そうな展開じゃねーの!」
赤信号に停車しながら、総谷さんはやたらと笑顔を輝かせている。なんだろ、このひと?
「ちょっ!? そんなのおかしいじゃないですか! なら、私から警察に直に連絡します! はあ!? どうして無理なの!?」
「河川さん」瑠璃の声を聞きながら、河川さんに聞いてみることにした。「さっきなにをやったんですか?」
「……視覚……半分……奪った……私の……血漿の力……」
意味わからん。
「……あ……あれ……」
「へ?」
河川さんが窓の外を指差す。
「は?」
なにかが斜め上空に飛翔していた。
ここらで一番高いビルの壁面に“着地”するその姿は、さっきまで追いかけてきていた見覚えのある容姿ーーちょっ!?
「瑠璃! ああああそこ! 微風って子が!」
ビルの壁に佇み周囲を見渡していた。
と、動きがピタリと止まる。
こちらを向いて二秒ーービルからなにかをこちらに向けて投擲してくる。
車の隣にある電柱から炸裂音が発生。いきなり真横に切り跡が現れ、切断されたかのように電柱が転倒した。
「マジかよヤッベぇチョーピンチやんヒャッハーギャハハハハハ!」
「笑ってる暇じゃないでしょ! 総谷さん、どうにか逃げて! 無理なら全員車外へ待避!」
微風はビルの壁面を蹴ると、真っ直ぐこちらに向かって飛来してくる。
目前には信号待ちの車、左には歩行者道路、右側にも信号待ちの車の列ーー逃げ場がない!
「任せろい! ヒャッハー!」
「ちょっ!?」
総谷さんはアクセルを踏みながらハンドルを切り、歩行者道にタイヤを乗り上げた。
「何しやがったァアア!? こんのックソアマがァァァァァッ!」
ひぃ!
怒っていらっしゃる!
路肩に乗り上げ歩行者用の道路をギリギリすいすいと通過し、信号を無視して左折した。
直後、今まで車があった位置に微風は着地。地面に幾本もの地割れを巻き起こし、道路が陥没する。
「へいへいへーい! 鬼さんこーちら!」
そのままアクセル全快で道路を突っ走り、微風から距離を稼ぐ。
「……ようやく……止血……できたのに……はぁ……」
河川さんはガーゼで強く押さえていた手首を曝し、再びナイフを宛がう。
「このままじゃ私たち殺られちゃいます! 未来さん! 何でもいいから救援お願い! 早く! 場所!? 川崎市川崎区ーー」
車は猛スピードで道路を駆けていく。
前に車が現れたら車道を変え追い抜き、再び前に躍り出る。
こんなの、一般人がやったら即お縄じゃないか!
なにが川崎市のほうは安全だ、嘘ついていたのか未来さん?
と、背後からパトカーのサイレンが鳴り響く。
『そこの車、今すぐ停車しなさい! すぐに路肩に止めろ! 危ないぞ!』
「ヤッベぇマッポ来ちまったよどうする? 逃げるッきゃないべヒャハッハッハッ!」
なにが面白いんだ!
ていうか、警察も警察だ。
あんなのに追われているんだ。少しぐらい状況を理解してくれてもいいだろうに!
「まったくもう! 未来さん頼んだからね!? ーーあ、あー、あーてすてす!」
瑠璃はスマホに言い捨てると、メガホンを取り出し声だしのチェックを始める。
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連携がまるで取れていない!
『私たちは異能力者保護団体神奈川支部調査課の者です! 現在特殊指定異能力犯罪組織の一員から逃走中! ご助力願います!』
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「止まれっつってんだろ! クソどもがァアアッ!」
「!?」
背後から微風が突風のように突っ込んでくる。飛び込んできながら、微風は手を伸ばし真横に薙いだ。
すると、微風の目前に透明な……しかし、目視できる弓矢が何本も出現。一刻待たずして、全本同時に扇状に広がるよう射出された。
「わぁああ!? 当たる! 当たるッて!」
「あらよっと! ひゃっはーギリギリセーフ!」
車体に直撃しそうな空気の矢は、総谷がハンドルを切ったことでギリギリ当たらず隣に落下した。
直後、激しく鳴り響く刃の音。ナイフとナイフがぶつかりあったような金属音が、四方八方から聞こえてくる。
地面に鎌鼬が通過したかのような亀裂が入り、見知らぬひとの車の上半分が吹き飛び、マンションの壁面が抉れ、電柱がバラバラに細切れになり、コンビニのガラスが大破し中から商品が店外に吹き飛ぶように散らばっていく。
ーー辺りは酷い惨状を呈していた。
「なんなのよこれ!? ちょっと!? 私の衣食住は!?」
「あとで説明するから!」
「つーかまーえたッ!」
騒ぐ月影さんを制す。と、ガトンッという大きな音が車上から響き渡る。
たしかに矢のような物は防げた。
だが、しかし。だが、しかし、だ。
微風に障害物はない。
ここは真っ直ぐの大通り。
あの勢いのまま、ついに、追い付かれてしまったのだろう。
「ーー河川さん!」
「……血で……奪う……の……残った視界……ッ!」
河川さんはナイフを腕に当てたまま引き、多量に出血してみせた。
「総谷さん! 河川さんが異能力発動したら急ブレーキで頭上の落として!」
「へいへいへーひょーっ!?」
窓ガラスが砕ける音が響く。運転席の窓ガラスを頭上の怪物が腕で殴り叩き割ったのだ。
てか、警察はどうしたの!?
と振り向くと、空気の矢が直撃したのか、パトカーは炎上して停車してしまっている。
背筋がゾクッと冷える。
死の恐怖が身近に迫り来ていることを、強く実感してしまう。
「……エリ・エリ・レマ・サバクタニ……ッ」
河川さんは血を天井に撒き散らした。
血液が天井四散に染み着く。
微量の血が右頬に触れる。直後、僕の視界の斜め右上から中央下に線を引き、そこから右側が黒く塗り潰され見えなくなってしまう。
「なにこれーーッ!?」
視界の一部がなにも見えなくなったのを訴える僕の声を掻き消すように、ガラス片で血塗れになりながら総谷さんは思い切りブレーキを踏み込む。
車は一気に急停止する。
重心が崩れ、三分の一ほど真っ黒な視界から、掴める場所をどうにか探す。
やがて、目の前にある助手席の背もたれ後ろに両手をつけて支え、停車までどうにか姿勢を保つよう尽力する。
「ッざけんなァああクソがァアアアアッッ! マジで犯したあとでぶっ殺してやるからなァああッ!」
頭上から後方へ離れゆく怪物の声ーーそれを聞いていると、ようやく車は完全に停まった。
「はぁはぁ……皆、車から急いで降りて! この場を早く立ち去るから!」
瑠璃は車内を見渡し皆の無事を確かめると、ドアを開き車外に出て叫ぶ。
総谷さんはぜぇぜぇと息を漏らしながら、ガラス片で血塗れの腕を弱々しく動かしドアを開けると倒れるように降車した。
どうして車から降りたのかーーその疑問は、総谷さんの被害を視認して解消された。
あの怪我で、瑠璃はおそらく運転続行が不可能だと判断した。そして、実際にそうだったため、総谷さんは異議を唱えず停車したのだろう。
総谷さんにつづき、河川さんも出血が酷い左腕を抑えながら『エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ』と唱え車外に出た。
「な!? がァああああアアアアァァァァーーッ!」
いきなりの微風の慟哭に対して、ビクッとしてしまい僕は背後に目を向けた。
「ひぃッ!」
そこにはーー遥か後方とも寸での距離ともいえる地点には、竜巻を纏う少女の皮を被った緑の怪物が立ちふさがっていた。
こちらを睨み、なにかを唱えているのだろうかーー口がパクパク動いているが、それに関しては聞こえてこない。
そもそも、さっきまで緑なのはモミアゲだけだったのに、いつの間にやら髪の毛全体が染まり、色も浅緑に変わっていた。
それだけではない。肩までの長さに切り揃えてあった筈が、スッと腰まで伸びるのが、ちょうど目に映る。
周囲に風とライトグリーンに輝く粒子を漂わせている様は、異能力者や殺し屋といった存在が身近になった今ですら、異様にしか思えない。
「ちょっとちょっと! さっきからなに私のこと無視してんのよ!?」
「いいから早く降りて! ーーいッ!?」
自分の目を疑った。
空気の巨大な弾丸が、旋風を巻き起こしながら僕たちに向かって直進してくるではないか。
ーー当たれば即死。
ーーよくて重傷。
それらが予測できてしまう!
「早く出なきゃ!」
「ちょっと何なのよ!?」
月影さんを押し倒すように車外へ出ようとする。あの向きから考えるに、こっちのドアからじゃ月影さんを助けられない。
向こう側に脱出すれば、まだギリギリ当たらずに済む!
慌てながらも冷静に思考すると、月影さんを抱き締めるように車外へ跳び出す。
直ぐ様背後で風が暴れ狂う。
完全には避けきれず、強い風に背中を圧され勢いが増す。結果、まるでロケットのように路上へと投げ出された。
寸刻ーー車は前へ前へと回転しながら吹き飛んだ。
遠く前方の地面に落下し、スクラップに変わり果ててしまう。そのまま車は爆発し、やがて炎が燃え上がる。
ごおごお燃える非現実的なその光景に、堪らず嫌な汗が全身から噴き出す。
「いっつ……ぅぅ……つ、月影さん、大丈夫ですか?」
身体中についたかすり傷の痛みに耐えて立ち上がり、月影さんから手を離した。
「はぁああッはははッ! なあ? なあ、オイ! クソアマと私に操を奪われる予定の、ウザくてかわいい愉快で不愉快な仲間たちぃ?」
炎上した車やパトカー、破壊と切断に包まれた国道、強風に蝕まれた街並みーーそれらを一切意に介さず、ファンタジー世界の魔法少女のような見た目をしている怪物は、ゆらりゆらりと体を揺らし、こちらに向かって歩を踏み出す。
その顔は、欲望と殺意が混ざった喜色一面で染まっていた。
「男は要らねぇ! バラバラミンチにしてやるミートボールだぞヤったなオイ! 女は全員犯し尽くして文字どおり昇天させてやるから覚悟しろ? まあ、まずはわたしに、糞汚ねェ真似しやがったァ、クソッタレのクソアマからだ! 初っぱなからフィストファックしてやる! 泣いて感謝しろよクソガキがぁああああ
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