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第11章
精霊の花嫁㉙
遠い記憶。
もう、自分しか覚えていない、そして覚えていても仕方のない記憶。
けれど忘れられる、はずもない。
シェラ様は、かつて、わたくしに好意を寄せてくれていた。
そして、自覚はなかったけれど、自分も。
あの時に自分がもう少し心を理解していれば、何かが違っていたかもしれないと。
そんなくだらないことを、今日もまた考えている。
――アクアさん!
碧銀の髪を風に揺らし、静かに佇む自分を見上げるのは、まだあどけなさの残る黒髪の少女。
人間でいえば十五、けれどその黒曜石のように輝く瞳は、決して子供のものではなかった。
アウロラに呼び出され、シェラの記憶を奪われて人間界へと送られる――あの日の、数週間前。
アクアリアスは、シェラに呼び出されて精霊境の湖のほとりにいた。
水の微精霊がさやかに飛び交う神秘的な場所。夜のない精霊界だが、湖の近くは木が生い茂っており、どこか薄暗い。落ち着いたその光の中、シェラは自分を見上げて唇を開いた。
――わたし、あのね……アクアさんのことが、好きなの。
いつもは白い頬が、赤く染まっている。
そして、緊張からか震える声。
好き。それが、自分を育てた者への「家族としての好意」などではないと、声音と表情からわかるほどには、アクアリアスは人間を識っていた。
十五年間、守り、育ててきた、ある意味娘のような存在。
そんなシェラが、今真っ直ぐに、異性として自分を見ていると、あの時の自分にははっきりとわかっていた。
アクアリアス自身も、目の前のシェラを憎からず思っていた。
娘としてみたことなど、一度もない。幼いころから自分が守り、育て、そしてひたすらに自分を慕ってくれるこの美しい少女に対して、他の人間とは違う思いを持っていることは自覚していた。
ただ、当時の自分はそれが、愛と呼べるものなのかははっきりわかっていなかった。
そして、受け入れてはならない、とただそれだけを頭で理解していた。
精霊王・アウロラの血を引く人と精霊の狭間の子。母に捨てられた、あまりにも孤独な存在だ。育てている自分達四大精霊に、情が移っただけだろう。そう冷静な頭で理論づける。
愛を交わすなど、あまりに禁忌に等しい。
――何を言っているのですか、シェラ様。気の迷いですよ。
微笑んで受け流した。自分の言葉に、目の前の黒髪の少女は明らかに瞳の色を昏くした。そして必死に首を振って否定の言葉を紡いできたけれど、自分の本心すらもわからないまま、当時のアクアリアスはただ優しくその髪を撫でてあやした。
――ここは冷えますから。早く戻りましょう。
――違うの! 気の迷いなんかじゃない! だってわたし、アクアさんのことを考えると胸が苦しくなって、あなたが笑うとすごく嬉しくて……、あなたのこと、考えると眠れなくなるくらい、ドキドキ、するの。
その瞳からこぼれる涙を、拭ってやりたいと思う。
それでも、シェラの言葉は、当時の自分には理解できなかった。
――シェラ様、わたくしには、わかりかねます。
――……じゃあ、一度だけでいい。シェラって呼んで。お母様から押し付けられた”シェラ様”じゃなくて、ただのシェラとして呼んで。ねえ、アクアさん――ううん、アクアリアス。
その瞬間、飛びつかれて抱きつかれた。目の前の小さな身体が、全身で自分にしがみついて、必死に想いを伝えてくる。
――貴方を、愛しているの。
大切な少女。
愛しているの意味は、わからなかったけれど、当時の自分は乞われるままにそう呼んだ。
――……シェラ。
アクアリアスはただ、そっとその身体を抱きとめて、ただ、そっとその髪に口づけを落とした。
そう、したかった。体が勝手に動いていた。
今ならわかる。自分は、いや、自分も、シェラ様のことを、ずっと愛していたのだ。
抱き締め、髪に口づけを落とされたシェラは体をびくりと跳ねさせた。
――好き、はよくわかりませんが、わたくしはあなたを大切に思っていますよ。
――それで、いいの。いいの……嬉しい。
そう伝えた言葉に、シェラはただ小さく頷いていた。
あの時の温度と震える小さな体を、忘れたことは一度もない。
だがその記憶は、シェラの中からアウロラによって奪われた。
彼女はすべてを忘れた。だからアクアリアスも忘れると決めた。自分は、ただの一契約相手として振る舞おうと。シェラから完全に距離と取ろうと決めた。四大のひとりとしての距離にとどまろうとし、そしてそれは成功したはずなのに――。
紋章を受けて発情したシェラは、なぜか自分を頼ってきた。理由は「自分に一番興味がないから」という聞き捨てならないものだったけれど。
発情紋章の治癒のためという大義名分をもって散々シェラに触れ、唇を重ね、欲じみた行為を繰り返すうちに過去の記憶がはっきりと蘇ってくる。シェラは確かに自分を愛してくれていたのだ、と。
今こうして、彼女の柔らかな頬に触れてしまうと、忘れようとしていた心はたやすく疼き始めてしまう。けれど、抑える。この思い出は、もう自分だけのものだ。
「……? どうしたの、アクアさん? 大丈夫?」
「……なんでもありませんよ、シェラ様」
全てを隠し、アクアリアスは綺麗に微笑んだ。
もう、自分しか覚えていない、そして覚えていても仕方のない記憶。
けれど忘れられる、はずもない。
シェラ様は、かつて、わたくしに好意を寄せてくれていた。
そして、自覚はなかったけれど、自分も。
あの時に自分がもう少し心を理解していれば、何かが違っていたかもしれないと。
そんなくだらないことを、今日もまた考えている。
――アクアさん!
碧銀の髪を風に揺らし、静かに佇む自分を見上げるのは、まだあどけなさの残る黒髪の少女。
人間でいえば十五、けれどその黒曜石のように輝く瞳は、決して子供のものではなかった。
アウロラに呼び出され、シェラの記憶を奪われて人間界へと送られる――あの日の、数週間前。
アクアリアスは、シェラに呼び出されて精霊境の湖のほとりにいた。
水の微精霊がさやかに飛び交う神秘的な場所。夜のない精霊界だが、湖の近くは木が生い茂っており、どこか薄暗い。落ち着いたその光の中、シェラは自分を見上げて唇を開いた。
――わたし、あのね……アクアさんのことが、好きなの。
いつもは白い頬が、赤く染まっている。
そして、緊張からか震える声。
好き。それが、自分を育てた者への「家族としての好意」などではないと、声音と表情からわかるほどには、アクアリアスは人間を識っていた。
十五年間、守り、育ててきた、ある意味娘のような存在。
そんなシェラが、今真っ直ぐに、異性として自分を見ていると、あの時の自分にははっきりとわかっていた。
アクアリアス自身も、目の前のシェラを憎からず思っていた。
娘としてみたことなど、一度もない。幼いころから自分が守り、育て、そしてひたすらに自分を慕ってくれるこの美しい少女に対して、他の人間とは違う思いを持っていることは自覚していた。
ただ、当時の自分はそれが、愛と呼べるものなのかははっきりわかっていなかった。
そして、受け入れてはならない、とただそれだけを頭で理解していた。
精霊王・アウロラの血を引く人と精霊の狭間の子。母に捨てられた、あまりにも孤独な存在だ。育てている自分達四大精霊に、情が移っただけだろう。そう冷静な頭で理論づける。
愛を交わすなど、あまりに禁忌に等しい。
――何を言っているのですか、シェラ様。気の迷いですよ。
微笑んで受け流した。自分の言葉に、目の前の黒髪の少女は明らかに瞳の色を昏くした。そして必死に首を振って否定の言葉を紡いできたけれど、自分の本心すらもわからないまま、当時のアクアリアスはただ優しくその髪を撫でてあやした。
――ここは冷えますから。早く戻りましょう。
――違うの! 気の迷いなんかじゃない! だってわたし、アクアさんのことを考えると胸が苦しくなって、あなたが笑うとすごく嬉しくて……、あなたのこと、考えると眠れなくなるくらい、ドキドキ、するの。
その瞳からこぼれる涙を、拭ってやりたいと思う。
それでも、シェラの言葉は、当時の自分には理解できなかった。
――シェラ様、わたくしには、わかりかねます。
――……じゃあ、一度だけでいい。シェラって呼んで。お母様から押し付けられた”シェラ様”じゃなくて、ただのシェラとして呼んで。ねえ、アクアさん――ううん、アクアリアス。
その瞬間、飛びつかれて抱きつかれた。目の前の小さな身体が、全身で自分にしがみついて、必死に想いを伝えてくる。
――貴方を、愛しているの。
大切な少女。
愛しているの意味は、わからなかったけれど、当時の自分は乞われるままにそう呼んだ。
――……シェラ。
アクアリアスはただ、そっとその身体を抱きとめて、ただ、そっとその髪に口づけを落とした。
そう、したかった。体が勝手に動いていた。
今ならわかる。自分は、いや、自分も、シェラ様のことを、ずっと愛していたのだ。
抱き締め、髪に口づけを落とされたシェラは体をびくりと跳ねさせた。
――好き、はよくわかりませんが、わたくしはあなたを大切に思っていますよ。
――それで、いいの。いいの……嬉しい。
そう伝えた言葉に、シェラはただ小さく頷いていた。
あの時の温度と震える小さな体を、忘れたことは一度もない。
だがその記憶は、シェラの中からアウロラによって奪われた。
彼女はすべてを忘れた。だからアクアリアスも忘れると決めた。自分は、ただの一契約相手として振る舞おうと。シェラから完全に距離と取ろうと決めた。四大のひとりとしての距離にとどまろうとし、そしてそれは成功したはずなのに――。
紋章を受けて発情したシェラは、なぜか自分を頼ってきた。理由は「自分に一番興味がないから」という聞き捨てならないものだったけれど。
発情紋章の治癒のためという大義名分をもって散々シェラに触れ、唇を重ね、欲じみた行為を繰り返すうちに過去の記憶がはっきりと蘇ってくる。シェラは確かに自分を愛してくれていたのだ、と。
今こうして、彼女の柔らかな頬に触れてしまうと、忘れようとしていた心はたやすく疼き始めてしまう。けれど、抑える。この思い出は、もう自分だけのものだ。
「……? どうしたの、アクアさん? 大丈夫?」
「……なんでもありませんよ、シェラ様」
全てを隠し、アクアリアスは綺麗に微笑んだ。
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