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第十章
第十章
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全てが暗転し、真っ暗になった艦橋でヨアキムはパニック状態に陥っていた。
しかもヨアキムの耳には女の声としか思えない音が聞こえはじめていた。そしてそれは徐々にヨアキムの居る艦橋へ近づいていた。
しばらくするとその女の声が、何と言っているのかまで分かるのは聞き取れるほどの大きさになった。
その声は〝私とあの人の大切なペンダントを返して…〟と訴えかけていた。
そして突如、その女の声が途絶えた。
そして次の瞬間、ヨアキムの目の前に自分を見つめる女の顔が突如として浮かび上がった。それはそこが暗闇とは思えないほど鮮明にヨアキムの目にクッキリと映った。次の瞬間、ヨアキムは男が絶叫する声を聞いた。それが自分の声だと気が付いた時には、すでにヨアキムの意識は薄らぎはじめていた。
しばらく前まで爆発の火急が虚空を彩っていた空間は、いまは静寂の中にあった。
それはまさに花火大会が終わった直後の夏の夜空だった。もちろんアジア圏では、昔から今も夏気候が残る地域、星域では今も行われている風物の一つだった。ほとんどの出来事をデジタルで済ませてしまう時代だからそこ、数少ないアナログの風物が人々の心を和ましていた。
しかしこの空間には和みなどはなかった。ヨアキムは恐怖のあまり声さえ出せず身体を震わせ、今にはしゃがみ込んでしまいそうな自分にかろうじて抗っていた。
その頃JBも、そんなヨアキムののる航宙艦の隣で、全ての動力が止まり、ウンともスンともいわなくなった真っ暗闇のレギュアスの操縦席でマーナガルムの到着を待つことしかできない情況にあった。
パイロットスーツの酸素残量が満タンであることを確認し、まったく慌てることもなくお手上げ状態を示すかのように組んだ両手を頭の後ろに回してシートに座り込み、キャノピーから見えるヨアキムの航宙艦を眺めていた。
その時、JBの目に驚愕の光景が映った。
全機能を停止したはずのヨアキムの航宙艦がゆっくりと向きを変えはじめていた。ただしJBの目は、航宙艦のスラスターが全く作動していないことを確認していた。
もちろんJBも、機能が復帰したことを確認するべく、自らが乗るレギュアスが作動可能な状態に戻ったのかを素早く確かめる。しかしレギュアスは動く気配さえ示さなかった。
その間にも、スラスターを使用することもなく方向を変え始めたヨアキムの航宙艦が、JBのレギュアスの方向へゆっくりと船首を向けていた。
JBの脳裏には半年前の悪夢が広がっていた。レギュアスのキャノピーから見えるヨアキムの航宙艦の前面の部分に、JBが〝黒大男〟と呼び、2度と見たくないと思った世にも邪悪な顔が浮かんでいた。
その直後にはJBの頭の中に〝我はおまえを許さん〟という地獄の底から聞こえてきたような憎悪しか感じられない声が響いた。JBは、100敵機に囲まれた時でもこれほどの怖さを感じる事はないだろう…と思わせるほど絶望的な恐怖を感じていた。
マーナガルムが機首を向けて目指していた宙域は、先ほどま虚空に小さな火急の花をいくつも瞬かせていたが、今は一転、遠い星々の瞬きのみが広がる虚空と化していた。
おやっさんの指示の元、ユリに操船されたマーナガルムも、ぐんぐんとヨアキムの航宙艦とJBのレギュアスを望遠カメラに捉えられる地点にまで近づいていた。
外部カメラによってキャノピー型モニターの隅に映し出される望遠カメラの映像の中ではすでに、ヨアキムの航宙艦もJBのレギュアスも動きを止め、無機物の固まりと化していた。
ユリはその光景に胸騒ぎを覚えていた。しばらくすると、軽い頭痛と共に、頭の中に〝我はおまえを許さん〟という憎悪に満ちあふれた声が響いた。
ユリは思わず叫んだ。
「どうしてここに!」
その顔には驚愕の表情が浮かび上がっていた。
おやっさんが船内スピーカーから心配げな声音でユリに問いかける。
「どうしたんじゃ、ユリ。何事じゃ」
ユリが悲痛な声で応じる。
「あそこに〝アイツ〟がいるの。どうして…」
「〝アイツ〟とは、もしかしたら、あのおまえさんが悪しき残留思念の集まりと呼んだアレか」
「そう。その〝アイツ〟よ。JBが危ない。急がなきゃ」
「確かに変じゃ。動力反応が全く無いんじゃが、航宙艦が旋回をはじめとるぞ」
「おやじさん、急がないとJBが…」
「ユリ、シートに座って耐Gベルトをするんじゃ。減速距離を縮めて、少しでも早くJBの居る地点に向かうぞ」
ユリが急減速による激しいGに耐えながらマーナガルムをJBのレギュアスに急接近させた時、〝アイツ〟に乗ってられた航宙艦はすでに船首をJBの乗るレギュアスに向け、メインエンジンをさどうさせることなく前方へと進みはじめていた。
ユリが操るマーナガルムは、JBのレギュアスの左斜め後方から〝アイツ〟に乗っ取られた航宙艦に接近する形になった。
ユリは即座にマーナガルムのFCSを作動させる。マーナガルムの船体からレーザー砲がせり出し、まばゆい光を放つ。レーザー砲は、航宙艦の船体の右側前部に命中し、船体を擦過させる。ユリは航宙艦の進行方向を変えさせるための目的で、レーザーの出力レベルを下げていた。
しかし、航宙艦は船体を焼かれながらも進行方向を変えることなく進んだ。航宙艦がJBの乗るレギュアスに向かって、速度を上げ迫る。
ユリは内なる力を頼るべく、目を閉じて精神を自らの心の内に凝らした。
誰も見る者はいなかったが、ユリの身体から白い光が飛び立つ、それがマーナガルムの船体から飛び出し、レギュアスの操縦席に突き刺さるように入り込む。
暗闇と化したレギュアスの操縦席でJBが驚いた顔で声を上げる。
「ユリ…なのか。そうか分かった、頼むよ。俺はいつでも準備OKだ」
レギュアスの操縦席に入り込んだ光は、その輝きを増し、レギュアス全体を包み込むまでの大きさになった。
レギュアスの動力が復活し、次々と操縦席の計器が作動を始める。
「よし、いける」
〝アイツ〟に操られた航宙艦はレギュアスの目前に迫っていた。
しかし衝突寸前、JBは動力の復活したレギュアスのスラスターを作動させ、風に煽られた木の葉のごとく、航宙艦をひらりと交わした。
「助かったぜ、ユリ。あんがとよ。それにしても、この後、どうする? こうなったってことは、ヨアキムのヤツが黒大男に取り憑かれちまったってことなんだろう?」
通信機から聞こえたJBのいつにもない素直な礼の言葉に驚いたユリは、即座に返答が出来なかった。
「あっ、え~と。そうよね」
「なんだよ、ユリ。やっぱりヒロがいないと何の作戦も無しか」
「なによ、自分は何か考えがあるの!」
いつもの悪態をついたJBに、ユリもいつもの調子をとり戻し応じる。
「いや、変に近づくと、またレギュアスが動かなくなる危険があると思うと、ちょっとなぁ…。その辺はお前に聞いた方がいいんじゃねえか…と思ってさ」
「そのことね。それは私の力で何とか大丈夫…だと思う。現に今もレギュアスは動かせているでしょ。それにさっきJBは「ヨアキムが〝アイツ〟に取り憑かれている」って言ったけど、私は違うと思う。私が冷凍睡眠状態だった船の時もそうだったけど、他人の事を思いやる心を持った〝彼女〟と違って、人間の悪しき心の集合体である〝アイツ〟は無機物に取り憑くはずだから」
「無機物に取り憑くって…。それってのは確実な話なのか?」
「多分…。〝彼女〟の記憶ではそう」
「なるほど、それで船を操ったりできるわけか。ってことは、今回もヨアキム自身にじゃなく、ヤツの船に取り憑いてるってことかい?」
「だと思うんだけど…」
その時、別の声がJBとユリの通信に割り込んできた。
「そういうこなら、話は決まりだ。JB、気が進まないと思うが、ヨアキムを航宙艦から救出して、その後に〝アイツ〟ごと航宙艦を破壊するぞ」
「ヒロ!」
JBとユリの声が見事に重なり、2重奏のように通信機から響く。
「おい、ヒロ。おまえ、いまどこに居るんだよ」
「ギョーム議長が高速輸送艦を手配してくれてね。もう少しでその宙域に到着する」
「やっぱ、ヒロがいると話が早ええや」
「おい、JB。今は長々としゃべってる時間はないだろう。ユリに協力してもらって、おまえが航宙艦に乗り込んでヨアキムを救出してくれ」
「えっ、俺1人で乗り込むのか…」
「何か問題があるか?」
ヒロがちょっと意地悪く言う。
「私がしっかりサポートするわ」
逆にユリは、今回はからかうそぶりもなく口にする。
「えっ。あっ、いや…問題はねぇな。ただヨアキムを救うって事がちょっと…な。決まったからには、おまえが到着するまでには済ませとくよ」
「頼んだぞ」
作戦が決まれば、JBは素早かった。レギュアスとの衝突を狙うもかわされ、1度停止。律儀にも向きを変えていた航宙艦に向かって、すぐにレギュアスを向かわせた。
ユリに通信を送る。
「レギュアスが作動停止状態に追い込まれないように、サポートよろしくな」
「大丈夫よ。ただし十分に気をつけてね」
そう答えたユリは、マーナガルムの操縦室ですぐに、〝アイツ〟がJBの乗るレギュアスに影響を及ぼさないように思念のバリアーのようなものを張るため意識を集中させた。
「それとおやっさん、緊急なんで格納庫の扉を吹っ飛ばして進入しようと思ってるんだ。それと救出カプセルの射出よろしく。んで、そっちのセンサーではあちらさんの船内の状況は確認できるかい?」
「いま各種センサーで試捜しとるよ、ちょっと待ってくれ…。、その船はヨアキム以外は乗っておらんようじゃ。格納庫のハッチを吹き飛ばしても大丈夫じゃろ。あとはそこからレギュアスの電源を使って、与圧室を作動させて船内に侵入するのがよかろう。センサーで探った限りの船内図はそちらに送るぞ。」
「さすが話が早い、了解だ、おやっさん」
チームJAMも面々が口を揃えて〝アイツ〟と呼ぶ存在が操る航宙艦は、まだ旋回途上にあった。JBの居る方向に船体の横腹を見せている。JBは素早く航宙艦の下部へと向かう。
彼の操縦を見たことが無い者からすれば、よもや衝突…と思うほどの速度でレギュアスは航宙艦に近づいた。ぶつかると思わせた寸前、レギュアスは飛行形態から人型形態へと変形させる。飛行形態では機首部部分にあり、人型形態では腕部分に装着されるレーザーガトリングで巧みに狙いを定め、格納庫のハッチをレーザーの出力を弱めた状態で撃ち、ハッチの縁に隙間を生じさせると、その開口部に取り付く。そしてマニピュレーターで掴むとスラスターを巧みに操作し、人が通れる隙間を作り上げる。
そうしてJBは、作戦通り素早く航宙艦に入り込む。
船体にしがみつく形になっている人型レギュアスを船内に入り込んだJBは、真っ暗闇で無重力状態の船内通路を、小型サーチライトを装着したレーザーガンとを手にし、ヘルメットのキャノピーの端に小さく映し出されるおやっさんから送られてきた船内図を確認しながら、マグネット式の誘導ワイヤーを巧みに使い艦橋へと向かった。
「何か嫌な感じだ、怖いってわけじゃないだが…」
「通信機生きてるよ、大丈夫だから、JB」
神経を張り詰めさせながら慎重に通路を進むJBに既に習慣のように耳に装着しているイヤーピース型通信機から急に声が響いた。
思わずJBは、無重力状態では回転してしまいそうなほど身体を振るわせ驚いてしまった。
「おい、急に何だ、ビックリすんだろうが、まったく…」
「航宙艦が急に動きを止めたわ。多分〝アイツ〟はいま船内に入ったJBに何かしようとしはじめてていると思う。今の〝アイツ〟は、船を動かしながらあなたに対処するほどの力が無いのよ」
「つまり、どういうことなんだい」
「そうね…。いまの〝アイツ〟の力は、あなたが素手で殴り合いができる程度ってところかしら」
「素手で殴り合いね…。俺としてはできれば会いたくもないけどな。まぁ、ちょっとはありがてぇ話…かな」
「ごめん、こんなことしか言えなくて」
「やめろよ、いつもように悪態ついてくれないと、調子が狂っちまうぜ」
「ごめん、一緒に行ければ…」
「だから、それをヤメロって…。おっと、そろそろ艦橋だ」
JBは艦橋の扉の前に到着した。扉にある直径15cmほどの小さな窓から中を覗く。
もちろん艦橋も闇の世界だった。JBは、黒大男が通常の動力を使って航宙艦を動かしたのでは無いことを改めて認識した。
「さて見たところは何も無しか…。あとは出たとこ勝負。こりゃもう、いくしかないよな」
そう言うが早いか、JBは扉を開け、艦橋へと勢いよく飛び込んだ。
多分無益だろうと思いながらレーザーガンを構える。周囲を警戒しながらヨアキムの姿を探す。
レーザーガンに取り付けられているサーチライトの光の中に、メインパイロット席と思える艦橋の中心部の椅子で倒れ込んむようにうつぶせで倒れている人影が浮かぶ。
ただし、その横にサーチライトの光さえも飲み込んでしまうような黒い靄が浮かんでいる。JBの目にはその光景も映っていた。
「アレと素手で殴り合うのかよ。勘弁してくれよ、ユリ」
「ダイ…ブヨ…アイ…カラ…ヨ…マ…ルワ」
通信機から聞こえていたユリの声は途切れがちだった。もはや何を言っているのかも分からない程に。そしていつしか声さえもまったく聞こえなくなる。
「ユリ、なんだって…」
そんな自分の言葉と重なるように、JBの頭の中にくぐもった声が響いた。
〝我はおまえを許さん〟
「クソ! こうなりゃ、死なばもろともだぜ」
そんな言葉を吐き捨てると同時に、JBは倒れ込んでいるヨアキムの側に、背後にあった操縦室の壁を手で押すようにして勢い良く近づく。
もやもやとわだかまった黒い靄がJBの目の前に迫る。
しかし黒い靄は、以前JBがソレと出会った時のように人の姿をなすことはなかった。あくまで黒くわだかまる靄のままJBの目の前に迫ってくるだけだった。
しかし、以前感じた恐怖がJBを怯ませる。腰を抜かすまでにはいたらなかったが、手足が揺れる。その揺れがわずかにJBの身体を回転させてしまう。ただし今のJBはその物体との対面が二度目であったこともあり、以前ほどの激しい恐怖に我を忘れるようなことはなかった。回転しそうになる身体を自分で意思で手足を動かし制御する。そして見事にヨアキムの傍らに向かい止まる。そしてJBは、ヨアキムを助け起こすと、ぐったりしたままの彼を巧みに担ぎ上げる。
〝我はおまえを許さん〟
恐怖を追い払うようにただひたすら目前の作業に没頭しようと努めるJBの頭の中に、再び嫌悪感を呼び覚ますような声が響いた。
思JBがわず怯み、ヨアキムを背負って操縦席のコンソールを蹴ろうとした脚をもつれさせてしまう。
JBは壁に手を付き、かろうじて身体が回転しそうになることを止める。
「クソ…コイツを素手で殴れりゃ、苦労はないぜ、まったく…」
そう言いながらJBは、今度こそ確実に操縦席のコンソールの側面を蹴って、今度は出口へと無重力空間を移動する。
すると背後から寒気を感じるように背後から何かが迫ってくる感覚が襲う。
そしてJBは、何となく…の対抗措置ではあったが、背後から迫ってくる黒い靄の気配に対し、左手で捕まえながら拳を振り下ろすような想像を巡らせた。
すると、頭の中に声が響いた。
〝貴様は我を止めるか!〟
その声は明らかに動揺の色を現していた。
まさに拳に殴られ、狼狽しているような気配をJBに感じさせた。
「マジか! 何か効果あったのか? もうこうなりゃ、何でもいい、やってみるしかねぇ」
そう言うとJBは再び黒い靄を殴っているイメージを頭の中に思い描いた。
〝貴様、いつの間にそんな力を…〟
JBの頭の中に響く声は、さらに狼狽を顕わにした。
JBは背後に迫る気配を。そうして何とか振り払いながら格納庫の方向へと急いだ。
JBが格納庫にたどり着いた時、イヤーピース型通信機からユリの声が響いた。
「大丈夫なの、JB。返事をして!」
JBは、宇宙服の腰の部分に応急用として装着されている空気を噴射させるタイプのスラスターをヨアキムを片側にかついだ状態のまま、片手でベルトのバックルの部分にあるタッチパネルを器用に操作して方向を修正しながら、格納庫ハッチの隙間から外に出ると、おやっさんの操作によってすでにそこまで飛ばされてきていた救出カプセルに乗せる。その作業に取り組みながら通信に応える。
「大丈夫だぜ、ヤツを素手で殴ってやったよ」
「えっ、どういうことなの、それ?」
「俺にもよくは分かんないんだが、頭の中でそんなイメージをしたら、ヤツが怯んだのさ。その隙にヨアキムを運び出したって寸法さ」
「すごいわ、JB。あなたも思念を操れるようになったのね」
「よく分からんけど、とりあえず現状はそんなところだ。とにかく、いまヨアキムを救出カプセルに乗せてる。もうすぐ脱出できる…と思う。ユリとおやっさんは、航宙艦破壊の準備にかかってくれ」
「分かったわ、ヒロもここに到着して、いま輸送船からマーナガルムに移乗中よ。もうちょっとでコクピットに来ると思う。3人で準備にかかるわ」
「OK、こちらも作業を急ぐ。そちらも準備よろしく」
JBとユリの通信の直後にヒロは、マーナガルムの操縦室に到着した。ユリがすぐに現状を報告する。
「JBが化け物を殴って、その隙に逃げ切った…だって!? アイツもすごい事をするようになったな。よし、こちらも負けられないな。航宙艦攻撃準備だ。JBが脱出したらすぐにでも攻撃だな。おやっさん、主砲の準備よろしく。第2波としてミサイルの準備も頼む。ユリは…」
「ヒロ、そちらは任せるわ。私はJBがまた〝アイツ〟に邪魔されないように、思念でサポートする」
「OK。ユリはJBをサポートしてやってくれ」
ヒロがユリに話しかけている間にも、おやっさんの声がスピーカーから響いた。
「もうこちらの準備はOKじゃ。メインコックピットのFCSでターゲットを捕らえとるよ。ヒロ、熱量の高いエンジンと武器庫を狙うんじゃ」
「了解、熱センサーと赤外線の画像を出してくれ。ターゲットをロックオンする」
すぐにヒロの座るメインコックピットのコンソールのモニター画面が切り替わる。
ヒロは素早くタッチパネル式モニターを操作する。
「OK、ロックオン完了。さあJB、いつでも飛び出してこい」
ヨアキムを乗せた救出カプセルをレギュアスに装着したJBは、航宙艦からの脱出準備にかかっていた。レギュアスの起動スイッチを操作する。しかしレギュアスのコックピットは明かり1つ灯らなかった。同時にユリの声が通信機から響く。
「強い…力。〝アイツ〟だけの力じゃないわ。これはベラールさんの憎悪…。〝アイツ〟が、ベラールさんを取り込んだんだわ。ダメ、今の私だけの力じゃ押さえきれない」
「クソ! 何とかならないのかよ、ユリ」
JBの通信機からユリの切羽詰まった声が響く。
「私はベラールさんの残留思念に呼びかけてみるわ。JBも、もう1度〝アイツ〟と思念で戦ってみて」
JBが恐怖心を押し殺しつつ驚きの態で言葉を漏らす。
「マジ! さっきのは偶然だと思うんだけどな。まあ、やるだけはやってみるけどさ」
そういうとJBは早速、頭の中に再び、黒い靄を左手で捕まえて右手で殴っているイメージを思い浮かべた。
「やっぱ、ダメだ。さっきと何か勝手が違うぜ、イメージが浮かばねぇ。ヤツが目の前に居ねぇと気持ちが入らねぇよ」
JBが自らの頭の中で悪戦苦闘している間、ユリも必死に思念を凝らし、ベラールの残留思念に呼びかけた。
「答えて、ベラールさん! 〝アイツ〟に取り込まれちゃ、ダメ…」
ユリの頭の中に、黒い靄に覆われるベラールの姿が浮かんだ。ユリはさらにベラールの残留思念に呼びかける。
「ベラールさん、真実から逃げちゃダメ。あなたもミックさんも、もう死んだの。そして多分ペンダントも、もう形のある物としてはこの世に残っていないわ。だけど2人の思いはいまでもつながっているはず」
その時、ユリの頭の中のイメージがはじけた。
目の前に、まるでその場に居るような映像が浮かぶ。
その中では、いまだベラールは黒い靄に包み込まれていた。
ただし立ちすくんでそれを見つめている自分の背後から、見たことのない男がベラールに優しく微笑みかける姿を見た。ユリはすぐに気付いた。
「あなたがミックさんね」
男はユリに振り向いて微笑むと、黒い靄に包まれているベラールに近づき、手を伸ばす。映像の中に優しい男の声が響く。
〝さあ、一緒に行こう、ベラ〟
その瞬間、ベラールを包んでいた黒い靄が何かに弾かれたように後退した。ベラールは顔を上げ、ミックに微笑みかけながら手を伸ばす。
〝さあ、行こう〟
再び映像の中に優しい男の声が響く。手を取り合ったミックとベラールの身体が光り輝きながら消えた。
「おい、大丈夫なのか、ユリ!」
ヒロの呼ぶ声に、ユリは現実に引き戻された。そこはもちろんマーナガルムの通信士シートだった。
「私、どれぐらいの時間気を失っていたの?」
「多分、ほんの数10秒ぐらいだと思う」
ユリの言葉に、ヒロが応える。
「そう…。いまだわ」
そう呟くと、ユリは急いで通信機のスイッチを入れた。JBとの通信回線を開く。
「JB、いまよ。急いでレギュアスを起動させて。いまなら大丈夫」
「OK、分かった」
ユリからの通信を受けたJBは、すぐにレギュアスの起動スイッチを入れた。コックピットの計器類が次々と点り、ハイパーイオンエンジンが小さな咆哮を上げて駆動を開始した。
「よし、いける」
JBはユリに向け、即座に通信を送る。
「ユリ、起動完了。すぐ脱出する。ヒロ、タイミングを合わせて、すぐに航宙艦を吹っ飛ばしてくれ。今度は絶対に〝黒男〟を逃がしやしねぇ」
「こっちは準備OKよ、ヒロがもうスタンバイしてる」
「了解。クソ、やべぇ、出てきやがった…」
JBの恐怖心を露わにした声を残し、しばらくマーナガルムの通信機が沈黙した。
ヒロもユリも、固唾を呑んで言葉に詰まる。
マーナガルムの通信機からJBの声が再び聞こえたのは、30秒の静寂の後だった。
「ちきしょう! また殴り倒してやったぜ…でも何でこんなことが俺に…。まあいい、それは後だ。マーナガルム、聞こえてるか。もうすぐ脱出する。カウントダウンするから、俺の脱出直後に航宙艦を破壊してくれ」
低い呟きの後、ヒロとユリに呼びかけるJBの声がマーナガルムの船内に響く。
「こっちはいつでもいいぞ、JB」
「よし、いくぜ! 5、4、3、2、1、0」
ヒロとJBの声が交差する。ヒロは、JBの「0」の声と共に、レーザー砲の発射ボタンを押した。
ヨアキムの航宙艦だった固まりが、熱量の高いエンジン部を打ち抜かれて火球を作る。小さな火球が瞬く間に連鎖し、瞬く間に大きな火球へと変わった。
「おやっさん、そっちでJBの脱出は確認できてるだろ」
船内スピーカーから、電子頭脳とは思えない心配げな声が響く。
「まだじゃ、爆発の余波でまだセンサーが使えん」
その時、マーナガルムの通信用スピーカーからJBの声が響いた。
「完璧なタイミングだったぜ、ヒロ。それに…助かったぜ、ユリ」
JBの言葉の後半は、大いにテレを含んでいた。
全てが暗転し、真っ暗になった艦橋でヨアキムはパニック状態に陥っていた。
しかもヨアキムの耳には女の声としか思えない音が聞こえはじめていた。そしてそれは徐々にヨアキムの居る艦橋へ近づいていた。
しばらくするとその女の声が、何と言っているのかまで分かるのは聞き取れるほどの大きさになった。
その声は〝私とあの人の大切なペンダントを返して…〟と訴えかけていた。
そして突如、その女の声が途絶えた。
そして次の瞬間、ヨアキムの目の前に自分を見つめる女の顔が突如として浮かび上がった。それはそこが暗闇とは思えないほど鮮明にヨアキムの目にクッキリと映った。次の瞬間、ヨアキムは男が絶叫する声を聞いた。それが自分の声だと気が付いた時には、すでにヨアキムの意識は薄らぎはじめていた。
しばらく前まで爆発の火急が虚空を彩っていた空間は、いまは静寂の中にあった。
それはまさに花火大会が終わった直後の夏の夜空だった。もちろんアジア圏では、昔から今も夏気候が残る地域、星域では今も行われている風物の一つだった。ほとんどの出来事をデジタルで済ませてしまう時代だからそこ、数少ないアナログの風物が人々の心を和ましていた。
しかしこの空間には和みなどはなかった。ヨアキムは恐怖のあまり声さえ出せず身体を震わせ、今にはしゃがみ込んでしまいそうな自分にかろうじて抗っていた。
その頃JBも、そんなヨアキムののる航宙艦の隣で、全ての動力が止まり、ウンともスンともいわなくなった真っ暗闇のレギュアスの操縦席でマーナガルムの到着を待つことしかできない情況にあった。
パイロットスーツの酸素残量が満タンであることを確認し、まったく慌てることもなくお手上げ状態を示すかのように組んだ両手を頭の後ろに回してシートに座り込み、キャノピーから見えるヨアキムの航宙艦を眺めていた。
その時、JBの目に驚愕の光景が映った。
全機能を停止したはずのヨアキムの航宙艦がゆっくりと向きを変えはじめていた。ただしJBの目は、航宙艦のスラスターが全く作動していないことを確認していた。
もちろんJBも、機能が復帰したことを確認するべく、自らが乗るレギュアスが作動可能な状態に戻ったのかを素早く確かめる。しかしレギュアスは動く気配さえ示さなかった。
その間にも、スラスターを使用することもなく方向を変え始めたヨアキムの航宙艦が、JBのレギュアスの方向へゆっくりと船首を向けていた。
JBの脳裏には半年前の悪夢が広がっていた。レギュアスのキャノピーから見えるヨアキムの航宙艦の前面の部分に、JBが〝黒大男〟と呼び、2度と見たくないと思った世にも邪悪な顔が浮かんでいた。
その直後にはJBの頭の中に〝我はおまえを許さん〟という地獄の底から聞こえてきたような憎悪しか感じられない声が響いた。JBは、100敵機に囲まれた時でもこれほどの怖さを感じる事はないだろう…と思わせるほど絶望的な恐怖を感じていた。
マーナガルムが機首を向けて目指していた宙域は、先ほどま虚空に小さな火急の花をいくつも瞬かせていたが、今は一転、遠い星々の瞬きのみが広がる虚空と化していた。
おやっさんの指示の元、ユリに操船されたマーナガルムも、ぐんぐんとヨアキムの航宙艦とJBのレギュアスを望遠カメラに捉えられる地点にまで近づいていた。
外部カメラによってキャノピー型モニターの隅に映し出される望遠カメラの映像の中ではすでに、ヨアキムの航宙艦もJBのレギュアスも動きを止め、無機物の固まりと化していた。
ユリはその光景に胸騒ぎを覚えていた。しばらくすると、軽い頭痛と共に、頭の中に〝我はおまえを許さん〟という憎悪に満ちあふれた声が響いた。
ユリは思わず叫んだ。
「どうしてここに!」
その顔には驚愕の表情が浮かび上がっていた。
おやっさんが船内スピーカーから心配げな声音でユリに問いかける。
「どうしたんじゃ、ユリ。何事じゃ」
ユリが悲痛な声で応じる。
「あそこに〝アイツ〟がいるの。どうして…」
「〝アイツ〟とは、もしかしたら、あのおまえさんが悪しき残留思念の集まりと呼んだアレか」
「そう。その〝アイツ〟よ。JBが危ない。急がなきゃ」
「確かに変じゃ。動力反応が全く無いんじゃが、航宙艦が旋回をはじめとるぞ」
「おやじさん、急がないとJBが…」
「ユリ、シートに座って耐Gベルトをするんじゃ。減速距離を縮めて、少しでも早くJBの居る地点に向かうぞ」
ユリが急減速による激しいGに耐えながらマーナガルムをJBのレギュアスに急接近させた時、〝アイツ〟に乗ってられた航宙艦はすでに船首をJBの乗るレギュアスに向け、メインエンジンをさどうさせることなく前方へと進みはじめていた。
ユリが操るマーナガルムは、JBのレギュアスの左斜め後方から〝アイツ〟に乗っ取られた航宙艦に接近する形になった。
ユリは即座にマーナガルムのFCSを作動させる。マーナガルムの船体からレーザー砲がせり出し、まばゆい光を放つ。レーザー砲は、航宙艦の船体の右側前部に命中し、船体を擦過させる。ユリは航宙艦の進行方向を変えさせるための目的で、レーザーの出力レベルを下げていた。
しかし、航宙艦は船体を焼かれながらも進行方向を変えることなく進んだ。航宙艦がJBの乗るレギュアスに向かって、速度を上げ迫る。
ユリは内なる力を頼るべく、目を閉じて精神を自らの心の内に凝らした。
誰も見る者はいなかったが、ユリの身体から白い光が飛び立つ、それがマーナガルムの船体から飛び出し、レギュアスの操縦席に突き刺さるように入り込む。
暗闇と化したレギュアスの操縦席でJBが驚いた顔で声を上げる。
「ユリ…なのか。そうか分かった、頼むよ。俺はいつでも準備OKだ」
レギュアスの操縦席に入り込んだ光は、その輝きを増し、レギュアス全体を包み込むまでの大きさになった。
レギュアスの動力が復活し、次々と操縦席の計器が作動を始める。
「よし、いける」
〝アイツ〟に操られた航宙艦はレギュアスの目前に迫っていた。
しかし衝突寸前、JBは動力の復活したレギュアスのスラスターを作動させ、風に煽られた木の葉のごとく、航宙艦をひらりと交わした。
「助かったぜ、ユリ。あんがとよ。それにしても、この後、どうする? こうなったってことは、ヨアキムのヤツが黒大男に取り憑かれちまったってことなんだろう?」
通信機から聞こえたJBのいつにもない素直な礼の言葉に驚いたユリは、即座に返答が出来なかった。
「あっ、え~と。そうよね」
「なんだよ、ユリ。やっぱりヒロがいないと何の作戦も無しか」
「なによ、自分は何か考えがあるの!」
いつもの悪態をついたJBに、ユリもいつもの調子をとり戻し応じる。
「いや、変に近づくと、またレギュアスが動かなくなる危険があると思うと、ちょっとなぁ…。その辺はお前に聞いた方がいいんじゃねえか…と思ってさ」
「そのことね。それは私の力で何とか大丈夫…だと思う。現に今もレギュアスは動かせているでしょ。それにさっきJBは「ヨアキムが〝アイツ〟に取り憑かれている」って言ったけど、私は違うと思う。私が冷凍睡眠状態だった船の時もそうだったけど、他人の事を思いやる心を持った〝彼女〟と違って、人間の悪しき心の集合体である〝アイツ〟は無機物に取り憑くはずだから」
「無機物に取り憑くって…。それってのは確実な話なのか?」
「多分…。〝彼女〟の記憶ではそう」
「なるほど、それで船を操ったりできるわけか。ってことは、今回もヨアキム自身にじゃなく、ヤツの船に取り憑いてるってことかい?」
「だと思うんだけど…」
その時、別の声がJBとユリの通信に割り込んできた。
「そういうこなら、話は決まりだ。JB、気が進まないと思うが、ヨアキムを航宙艦から救出して、その後に〝アイツ〟ごと航宙艦を破壊するぞ」
「ヒロ!」
JBとユリの声が見事に重なり、2重奏のように通信機から響く。
「おい、ヒロ。おまえ、いまどこに居るんだよ」
「ギョーム議長が高速輸送艦を手配してくれてね。もう少しでその宙域に到着する」
「やっぱ、ヒロがいると話が早ええや」
「おい、JB。今は長々としゃべってる時間はないだろう。ユリに協力してもらって、おまえが航宙艦に乗り込んでヨアキムを救出してくれ」
「えっ、俺1人で乗り込むのか…」
「何か問題があるか?」
ヒロがちょっと意地悪く言う。
「私がしっかりサポートするわ」
逆にユリは、今回はからかうそぶりもなく口にする。
「えっ。あっ、いや…問題はねぇな。ただヨアキムを救うって事がちょっと…な。決まったからには、おまえが到着するまでには済ませとくよ」
「頼んだぞ」
作戦が決まれば、JBは素早かった。レギュアスとの衝突を狙うもかわされ、1度停止。律儀にも向きを変えていた航宙艦に向かって、すぐにレギュアスを向かわせた。
ユリに通信を送る。
「レギュアスが作動停止状態に追い込まれないように、サポートよろしくな」
「大丈夫よ。ただし十分に気をつけてね」
そう答えたユリは、マーナガルムの操縦室ですぐに、〝アイツ〟がJBの乗るレギュアスに影響を及ぼさないように思念のバリアーのようなものを張るため意識を集中させた。
「それとおやっさん、緊急なんで格納庫の扉を吹っ飛ばして進入しようと思ってるんだ。それと救出カプセルの射出よろしく。んで、そっちのセンサーではあちらさんの船内の状況は確認できるかい?」
「いま各種センサーで試捜しとるよ、ちょっと待ってくれ…。、その船はヨアキム以外は乗っておらんようじゃ。格納庫のハッチを吹き飛ばしても大丈夫じゃろ。あとはそこからレギュアスの電源を使って、与圧室を作動させて船内に侵入するのがよかろう。センサーで探った限りの船内図はそちらに送るぞ。」
「さすが話が早い、了解だ、おやっさん」
チームJAMも面々が口を揃えて〝アイツ〟と呼ぶ存在が操る航宙艦は、まだ旋回途上にあった。JBの居る方向に船体の横腹を見せている。JBは素早く航宙艦の下部へと向かう。
彼の操縦を見たことが無い者からすれば、よもや衝突…と思うほどの速度でレギュアスは航宙艦に近づいた。ぶつかると思わせた寸前、レギュアスは飛行形態から人型形態へと変形させる。飛行形態では機首部部分にあり、人型形態では腕部分に装着されるレーザーガトリングで巧みに狙いを定め、格納庫のハッチをレーザーの出力を弱めた状態で撃ち、ハッチの縁に隙間を生じさせると、その開口部に取り付く。そしてマニピュレーターで掴むとスラスターを巧みに操作し、人が通れる隙間を作り上げる。
そうしてJBは、作戦通り素早く航宙艦に入り込む。
船体にしがみつく形になっている人型レギュアスを船内に入り込んだJBは、真っ暗闇で無重力状態の船内通路を、小型サーチライトを装着したレーザーガンとを手にし、ヘルメットのキャノピーの端に小さく映し出されるおやっさんから送られてきた船内図を確認しながら、マグネット式の誘導ワイヤーを巧みに使い艦橋へと向かった。
「何か嫌な感じだ、怖いってわけじゃないだが…」
「通信機生きてるよ、大丈夫だから、JB」
神経を張り詰めさせながら慎重に通路を進むJBに既に習慣のように耳に装着しているイヤーピース型通信機から急に声が響いた。
思わずJBは、無重力状態では回転してしまいそうなほど身体を振るわせ驚いてしまった。
「おい、急に何だ、ビックリすんだろうが、まったく…」
「航宙艦が急に動きを止めたわ。多分〝アイツ〟はいま船内に入ったJBに何かしようとしはじめてていると思う。今の〝アイツ〟は、船を動かしながらあなたに対処するほどの力が無いのよ」
「つまり、どういうことなんだい」
「そうね…。いまの〝アイツ〟の力は、あなたが素手で殴り合いができる程度ってところかしら」
「素手で殴り合いね…。俺としてはできれば会いたくもないけどな。まぁ、ちょっとはありがてぇ話…かな」
「ごめん、こんなことしか言えなくて」
「やめろよ、いつもように悪態ついてくれないと、調子が狂っちまうぜ」
「ごめん、一緒に行ければ…」
「だから、それをヤメロって…。おっと、そろそろ艦橋だ」
JBは艦橋の扉の前に到着した。扉にある直径15cmほどの小さな窓から中を覗く。
もちろん艦橋も闇の世界だった。JBは、黒大男が通常の動力を使って航宙艦を動かしたのでは無いことを改めて認識した。
「さて見たところは何も無しか…。あとは出たとこ勝負。こりゃもう、いくしかないよな」
そう言うが早いか、JBは扉を開け、艦橋へと勢いよく飛び込んだ。
多分無益だろうと思いながらレーザーガンを構える。周囲を警戒しながらヨアキムの姿を探す。
レーザーガンに取り付けられているサーチライトの光の中に、メインパイロット席と思える艦橋の中心部の椅子で倒れ込んむようにうつぶせで倒れている人影が浮かぶ。
ただし、その横にサーチライトの光さえも飲み込んでしまうような黒い靄が浮かんでいる。JBの目にはその光景も映っていた。
「アレと素手で殴り合うのかよ。勘弁してくれよ、ユリ」
「ダイ…ブヨ…アイ…カラ…ヨ…マ…ルワ」
通信機から聞こえていたユリの声は途切れがちだった。もはや何を言っているのかも分からない程に。そしていつしか声さえもまったく聞こえなくなる。
「ユリ、なんだって…」
そんな自分の言葉と重なるように、JBの頭の中にくぐもった声が響いた。
〝我はおまえを許さん〟
「クソ! こうなりゃ、死なばもろともだぜ」
そんな言葉を吐き捨てると同時に、JBは倒れ込んでいるヨアキムの側に、背後にあった操縦室の壁を手で押すようにして勢い良く近づく。
もやもやとわだかまった黒い靄がJBの目の前に迫る。
しかし黒い靄は、以前JBがソレと出会った時のように人の姿をなすことはなかった。あくまで黒くわだかまる靄のままJBの目の前に迫ってくるだけだった。
しかし、以前感じた恐怖がJBを怯ませる。腰を抜かすまでにはいたらなかったが、手足が揺れる。その揺れがわずかにJBの身体を回転させてしまう。ただし今のJBはその物体との対面が二度目であったこともあり、以前ほどの激しい恐怖に我を忘れるようなことはなかった。回転しそうになる身体を自分で意思で手足を動かし制御する。そして見事にヨアキムの傍らに向かい止まる。そしてJBは、ヨアキムを助け起こすと、ぐったりしたままの彼を巧みに担ぎ上げる。
〝我はおまえを許さん〟
恐怖を追い払うようにただひたすら目前の作業に没頭しようと努めるJBの頭の中に、再び嫌悪感を呼び覚ますような声が響いた。
思JBがわず怯み、ヨアキムを背負って操縦席のコンソールを蹴ろうとした脚をもつれさせてしまう。
JBは壁に手を付き、かろうじて身体が回転しそうになることを止める。
「クソ…コイツを素手で殴れりゃ、苦労はないぜ、まったく…」
そう言いながらJBは、今度こそ確実に操縦席のコンソールの側面を蹴って、今度は出口へと無重力空間を移動する。
すると背後から寒気を感じるように背後から何かが迫ってくる感覚が襲う。
そしてJBは、何となく…の対抗措置ではあったが、背後から迫ってくる黒い靄の気配に対し、左手で捕まえながら拳を振り下ろすような想像を巡らせた。
すると、頭の中に声が響いた。
〝貴様は我を止めるか!〟
その声は明らかに動揺の色を現していた。
まさに拳に殴られ、狼狽しているような気配をJBに感じさせた。
「マジか! 何か効果あったのか? もうこうなりゃ、何でもいい、やってみるしかねぇ」
そう言うとJBは再び黒い靄を殴っているイメージを頭の中に思い描いた。
〝貴様、いつの間にそんな力を…〟
JBの頭の中に響く声は、さらに狼狽を顕わにした。
JBは背後に迫る気配を。そうして何とか振り払いながら格納庫の方向へと急いだ。
JBが格納庫にたどり着いた時、イヤーピース型通信機からユリの声が響いた。
「大丈夫なの、JB。返事をして!」
JBは、宇宙服の腰の部分に応急用として装着されている空気を噴射させるタイプのスラスターをヨアキムを片側にかついだ状態のまま、片手でベルトのバックルの部分にあるタッチパネルを器用に操作して方向を修正しながら、格納庫ハッチの隙間から外に出ると、おやっさんの操作によってすでにそこまで飛ばされてきていた救出カプセルに乗せる。その作業に取り組みながら通信に応える。
「大丈夫だぜ、ヤツを素手で殴ってやったよ」
「えっ、どういうことなの、それ?」
「俺にもよくは分かんないんだが、頭の中でそんなイメージをしたら、ヤツが怯んだのさ。その隙にヨアキムを運び出したって寸法さ」
「すごいわ、JB。あなたも思念を操れるようになったのね」
「よく分からんけど、とりあえず現状はそんなところだ。とにかく、いまヨアキムを救出カプセルに乗せてる。もうすぐ脱出できる…と思う。ユリとおやっさんは、航宙艦破壊の準備にかかってくれ」
「分かったわ、ヒロもここに到着して、いま輸送船からマーナガルムに移乗中よ。もうちょっとでコクピットに来ると思う。3人で準備にかかるわ」
「OK、こちらも作業を急ぐ。そちらも準備よろしく」
JBとユリの通信の直後にヒロは、マーナガルムの操縦室に到着した。ユリがすぐに現状を報告する。
「JBが化け物を殴って、その隙に逃げ切った…だって!? アイツもすごい事をするようになったな。よし、こちらも負けられないな。航宙艦攻撃準備だ。JBが脱出したらすぐにでも攻撃だな。おやっさん、主砲の準備よろしく。第2波としてミサイルの準備も頼む。ユリは…」
「ヒロ、そちらは任せるわ。私はJBがまた〝アイツ〟に邪魔されないように、思念でサポートする」
「OK。ユリはJBをサポートしてやってくれ」
ヒロがユリに話しかけている間にも、おやっさんの声がスピーカーから響いた。
「もうこちらの準備はOKじゃ。メインコックピットのFCSでターゲットを捕らえとるよ。ヒロ、熱量の高いエンジンと武器庫を狙うんじゃ」
「了解、熱センサーと赤外線の画像を出してくれ。ターゲットをロックオンする」
すぐにヒロの座るメインコックピットのコンソールのモニター画面が切り替わる。
ヒロは素早くタッチパネル式モニターを操作する。
「OK、ロックオン完了。さあJB、いつでも飛び出してこい」
ヨアキムを乗せた救出カプセルをレギュアスに装着したJBは、航宙艦からの脱出準備にかかっていた。レギュアスの起動スイッチを操作する。しかしレギュアスのコックピットは明かり1つ灯らなかった。同時にユリの声が通信機から響く。
「強い…力。〝アイツ〟だけの力じゃないわ。これはベラールさんの憎悪…。〝アイツ〟が、ベラールさんを取り込んだんだわ。ダメ、今の私だけの力じゃ押さえきれない」
「クソ! 何とかならないのかよ、ユリ」
JBの通信機からユリの切羽詰まった声が響く。
「私はベラールさんの残留思念に呼びかけてみるわ。JBも、もう1度〝アイツ〟と思念で戦ってみて」
JBが恐怖心を押し殺しつつ驚きの態で言葉を漏らす。
「マジ! さっきのは偶然だと思うんだけどな。まあ、やるだけはやってみるけどさ」
そういうとJBは早速、頭の中に再び、黒い靄を左手で捕まえて右手で殴っているイメージを思い浮かべた。
「やっぱ、ダメだ。さっきと何か勝手が違うぜ、イメージが浮かばねぇ。ヤツが目の前に居ねぇと気持ちが入らねぇよ」
JBが自らの頭の中で悪戦苦闘している間、ユリも必死に思念を凝らし、ベラールの残留思念に呼びかけた。
「答えて、ベラールさん! 〝アイツ〟に取り込まれちゃ、ダメ…」
ユリの頭の中に、黒い靄に覆われるベラールの姿が浮かんだ。ユリはさらにベラールの残留思念に呼びかける。
「ベラールさん、真実から逃げちゃダメ。あなたもミックさんも、もう死んだの。そして多分ペンダントも、もう形のある物としてはこの世に残っていないわ。だけど2人の思いはいまでもつながっているはず」
その時、ユリの頭の中のイメージがはじけた。
目の前に、まるでその場に居るような映像が浮かぶ。
その中では、いまだベラールは黒い靄に包み込まれていた。
ただし立ちすくんでそれを見つめている自分の背後から、見たことのない男がベラールに優しく微笑みかける姿を見た。ユリはすぐに気付いた。
「あなたがミックさんね」
男はユリに振り向いて微笑むと、黒い靄に包まれているベラールに近づき、手を伸ばす。映像の中に優しい男の声が響く。
〝さあ、一緒に行こう、ベラ〟
その瞬間、ベラールを包んでいた黒い靄が何かに弾かれたように後退した。ベラールは顔を上げ、ミックに微笑みかけながら手を伸ばす。
〝さあ、行こう〟
再び映像の中に優しい男の声が響く。手を取り合ったミックとベラールの身体が光り輝きながら消えた。
「おい、大丈夫なのか、ユリ!」
ヒロの呼ぶ声に、ユリは現実に引き戻された。そこはもちろんマーナガルムの通信士シートだった。
「私、どれぐらいの時間気を失っていたの?」
「多分、ほんの数10秒ぐらいだと思う」
ユリの言葉に、ヒロが応える。
「そう…。いまだわ」
そう呟くと、ユリは急いで通信機のスイッチを入れた。JBとの通信回線を開く。
「JB、いまよ。急いでレギュアスを起動させて。いまなら大丈夫」
「OK、分かった」
ユリからの通信を受けたJBは、すぐにレギュアスの起動スイッチを入れた。コックピットの計器類が次々と点り、ハイパーイオンエンジンが小さな咆哮を上げて駆動を開始した。
「よし、いける」
JBはユリに向け、即座に通信を送る。
「ユリ、起動完了。すぐ脱出する。ヒロ、タイミングを合わせて、すぐに航宙艦を吹っ飛ばしてくれ。今度は絶対に〝黒男〟を逃がしやしねぇ」
「こっちは準備OKよ、ヒロがもうスタンバイしてる」
「了解。クソ、やべぇ、出てきやがった…」
JBの恐怖心を露わにした声を残し、しばらくマーナガルムの通信機が沈黙した。
ヒロもユリも、固唾を呑んで言葉に詰まる。
マーナガルムの通信機からJBの声が再び聞こえたのは、30秒の静寂の後だった。
「ちきしょう! また殴り倒してやったぜ…でも何でこんなことが俺に…。まあいい、それは後だ。マーナガルム、聞こえてるか。もうすぐ脱出する。カウントダウンするから、俺の脱出直後に航宙艦を破壊してくれ」
低い呟きの後、ヒロとユリに呼びかけるJBの声がマーナガルムの船内に響く。
「こっちはいつでもいいぞ、JB」
「よし、いくぜ! 5、4、3、2、1、0」
ヒロとJBの声が交差する。ヒロは、JBの「0」の声と共に、レーザー砲の発射ボタンを押した。
ヨアキムの航宙艦だった固まりが、熱量の高いエンジン部を打ち抜かれて火球を作る。小さな火球が瞬く間に連鎖し、瞬く間に大きな火球へと変わった。
「おやっさん、そっちでJBの脱出は確認できてるだろ」
船内スピーカーから、電子頭脳とは思えない心配げな声が響く。
「まだじゃ、爆発の余波でまだセンサーが使えん」
その時、マーナガルムの通信用スピーカーからJBの声が響いた。
「完璧なタイミングだったぜ、ヒロ。それに…助かったぜ、ユリ」
JBの言葉の後半は、大いにテレを含んでいた。
0
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