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課金ゲーム化した社会

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やぁ。

たった3文字で通信量を6バイト消費した。
しかも外だから金がかかっている。

今こうして小説を書くだけで金がかかっている。でもそれは普段気にすることのない、目に見えないお金の流れ。こんな金のひっそりと忍び寄るような流れが、増幅し、堤防をすり抜けて日常生活を支配してしまった。

紙を一枚もらった。小テストだ。こっちにも一枚ある。小テストの答えだ。まだまだある。暗記用のプリントだ。こっちは何だ?暗記用のプリントの答えだ。塾は僕を何だと思っているのだろう。答えは出ている。金儲けの道具だ。彼らは金で情報を売るサービス業の人間なんだ。これは当たり前である。なぜなら塾を凶悪化させたのは、他ならぬ我々の社会だからだ。さらに困った問題がある。親の存在だ。親は我が子に良かれと思って塾に通わせる。もちろん、スマホが便利過ぎる社会、家で勉強することは難しいのかもしれない。でもだからと言って塾に通わせるといった行き過ぎた風潮が、教育を悪化させている気がしてならない。僕はこの風潮に歯止めが効かなくなってきていると思う。なるほど家は遊んで塾で勉強などと言う人が増えたが、これこそ典型的な受験マシーンの生産に他ならない。親は、子を愛しているふりをしている。
 
 僕は何をするにもまず疑問から始まる人間であるから、人と同じことを素直にできないというきらいがある。塾へは毎日のように重役出勤。来ると周りは真面目に勉強しているのだ。これは皮肉ではない、事実である。でもだからこそ危機を感じている。白と黒の暗い世界で彼らが手に入れた色のない知識は僕らの生活を彩りのあるものに変えてくれるとは到底思えないからだ。では、どうしたらいいか。外での学びを大切にして欲しいと思う。知識は、それ自体では何の役にも立たない。強いていえばクイズがちょっと強くなるくらいだ。知識を知恵に変えるためには、もっと世界を見る必要がある。スマホばかり見ていてはいけないのである。今日、我々は創造力を働かせ過ぎた。その弊害として、想像力を欠く人間が多くなった気がする。というのは、創造力の生み出した液晶の中の虚空が現象界との臨界点をどんどん低次なものに変えてしまい、他人の気持ちを考えられない人間が増えたからだ。

虚しいが、この文章も、1908バイトなくては書けなかった。
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