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第二章
第50話 美人受付嬢、拒む
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「オデットさーん? リリスです」
ドアをノックしながら、リリスがオデットの名を呼ぶ。
「うーん、返事がありませんね」
「いないのかな?」
「クラウスさんもやってみてください。クラウスさんの声の方が聞き取りやすいかもしれません」
「そういうもんか?」
「寝ているときって、特定の高さの音に反応しやすいことってありません?」
そう言われてみれば……朝の鳥の鳴き声では起きないのに、人の足音ではすぐに起きてしまうことなどは確かにあるな。
まぁ、普通は女性の声の方が良く通るもんだと思うが。特にリリスの声は透き通っていて綺麗な声だし。
とはいえ声をかけるだけだ、とりあえずやってみるか。女子寮だからそんなに大声は出せないけど。
俺はリリスと入れ替わって前に出て、ドアに対峙した。
このドアの向こうは、女子寮の一室なんだ。
男子禁制の、女の花園。女の空間……。
って、俺は何を考えているんだ。
邪念を払うように咳払いをして、俺はドアをノックするべく手を挙げた。
「オデット、俺だ。クラウ――」
俺の拳がドアに触れるか否かという刹那、ガンッ、という音と共に俺の額に痛みが走ったかと思うと、次の瞬間、俺は廊下に仰向けに横たわっていた。
俺の視線の先には、目を丸くして俺を見下ろす二つの顔がある。
一つはリリスの顔だ。
もう一つ、ドアの陰から覗いている顔は――。
「クラウス……それに、リリスも……?」
「オデットさん、無事だったんですね……良かった」
ドアを開けて出てきたのは、少しやつれてはいるものの、紛れもなくオデットだ。
オデットの無事を確認できて、愁眉を開くリリス。
「よう、オデット……身体の具合はどうだ?」
ひりひりと痛む額をおさえ、俺は立ち上がった。
オデットは生気のない、ぼんやりした目で俺を見た。
「さっきよりは悪くない、けど……あれ? あたしどうしてここにいるの? エレナの小屋で寝てたはずじゃ……」
この様子だと、オデットは今目覚めたばかりのようだな。
小屋で寝ていたところで記憶が途切れているということは、やはりナディアさんに運ばれてこの部屋に帰されたのだ。
服装はこの前ナディアさんの薬屋へ一緒に行ったときと同じ、黒ブラウスに茶色のフレアスカートだが、ブラウスとスカートは何日も着ているせいかよれよれになっている。いつもつけている純白の綺麗な手袋にまで小さな皺があった。
「オデットさん。ひとまず、わたしたちをお部屋に入れてもらっても良いですか?」
混乱した様子のオデットの肩に手を置いてリリスが言った。
このまま廊下で話していたのではあまりに人目につくし、第一、男の俺は見られるだけでヤバいからな。早急に部屋に入りたいところだ。
「どうして、あたし……ナディアは? ナディアはどうしてるの?」
だが、オデットはリリスに返事をするどころか、うわごとのように言葉を繰り返すだけだった。
このままでは埒が明かないと判断したのか、リリスはオデットの返事を待たず、半ば強引にオデットを部屋に押し込んだ。躊躇いながらも俺も後に続いて、ドアを閉めた。
部屋は俺が泊まっている宿より少し広いくらいの、至って簡素なものだった。
右奥にベッドが設置されており、その脇に小さな箪笥と机があり、机の上には木箱が置いてある。
左側の壁にはクローゼットらしき扉が確認できる。
ほとんど余計なものがない、こざっぱりした部屋だ。
ベッド脇の壁には人が何とか通れるくらいの窓がある。フック式の鍵は解錠されたままだ。やはりナディアさんが窓からオデットを部屋に運び入れたのだろう。
リリスはオデットをベッドに座らせると、掛け布団をオデットの肩に掛けた。
そしてオデットの隣に腰掛け、オデットの肩に優しく手を置いた。
しばらくリリスがそうしていると、オデットは段々と落ち着きを取り戻しているように見えた。
「落ち着きましたか?」
「え、ええ……」
まだ困惑しているようだが、さっきよりはだいぶ冷静になったようだ。
俺はとりあえずオデットの正面の床に腰を下ろした。
「オデット。ナディアさんがお前をここまで運んでくれたんだよ」
「ナディアが?」
「ああ。昨日、ナディアさんは俺たちを巻き込まないためと言って沈黙を貫いたんだ。お前がナディアさんにそうしろと言っていたようにな。今頃町を出ているはずだ」
「そう……なのね。それが正しいと思うわ」
「オデット、お前は何か知っているのか?」
昨日のオデットは、明らかにナディアさんの何かを知っているような口ぶりだった。
俺たちが知っている以上の――俺たちが知らない何かを。
「ナディアは……あたしの親友よ。あたしが言えるのはそれだけ。あいつはあんたたちを巻き込まないって言ったんでしょ? なら、あたしも何も言わないわ」
「そうか……。お前はあくまでもそのスタンスなんだな」
「ええ。あたしはナディアの意見を尊重するわ」
「俺には――どちらかというと、お前の意見に思えたけどな」
俺の発言に棘があることに気がついたのか、オデットは眉を寄せた。
「……何が言いたいの?」
「お前は言っていたじゃないか。ナディアさんに、この町を出ろってさ。俺はナディアさんの事情は知らないが、彼女はこの町を出たくなさそうだったぞ。だから仮面を被って冒険者を襲ってまで、この町に留まっていたんじゃないのか? エレナや俺たちを頼ろうとしてくれたんじゃないのか? アルマウト族だという秘密を明かしてまで……」
「昨日も言ったけど、この問題はあんたが思っているような軽いものじゃないの。S級クエストとして手配までされたのに、町に留まるためにクエストを受注した冒険者を襲うなんて、それこそ馬鹿げている行為だと思わない? 全部、ナディアがこの町を出れば済むことなんだから」
オデットの強い意志のこもった瞳に、俺は気圧された。
いくらS級のお尋ね者になったとはいえ、その効力があるのはこのサラマンドと王都、その他いくつかの辺境都市くらいだろう。魔物の蔓延るこの大陸にはいまだ未開の地は多い。王都の目が行き届いていない集落も山ほどある。俺の故郷もその一つだ。そういう集落に潜り込めば、恐らく逃げおおせることは不可能じゃない。
そしてナディアさんは長命のアルマウト族だ。オデットの言っていたように、どこかで数十年も潜んでいれば今のクエストなど風化するだろう。あの身体能力なら生業を見つけることも容易だろう。
だが……。
「そうかもしれないが……」
そんなのはナディアさんにとって、あまりにも――。
「もう一度言うわ。ナディアもあたしも、あんたたちのために言っているのよ。あんたたちのために口を閉ざしているの。それに、あんたとリリスは他にやることがあるでしょう? この町に来たとき、魔王を討伐するって言ってくれたのは嘘だったの? こんな辺境都市の面倒事に首を突っ込んでいる場合?」
「そ、それは――」
「そんな……そんな言い方ってあんまりですよ!!」
二の句を継げずにしどろもどろになっている俺の声にかぶせるように、突然リリスが立ち上がって叫んだ。
「オデットさん、ひどいです!!」
いつの間にか、リリスは涙を浮かべていた。
頬に涙を何筋もこぼしながら訴えかけるリリスを、オデットは黙って見つめている。
「わたしたちもオデットさんのお友達なんですよ! オデットさんが言ってくれたんじゃないですか!! ぐす……そりゃあ、魔王討伐のことも大事ですよ。でも、オデットさんやナディアさんのことも大切なんです! せっかく出逢ったのに、わたしたちには何も相談してくれないなんて……そんなのって寂しいですよ!!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、リリスはオデットを見つめた。
「リリス……」
リリスの言葉が思いもよらないものだったのか、驚きを飲み込むように口を結ぶオデット。
「ぐす……うっ。本当は、二日前のクエストが出た最初の日に相談して欲しかったんです。わたしは……わたしは、オデットさんが辛い思いをしていること、知ってるんですよ? 凄く辛い思いをしてるって知ってるんです。わたしたちに相談もしないで背負い込むなんて、そんなのってないですよ! 巻き込まないなんて言わないでください! お友達ならわたしたちのことも巻き込んでくださいよ!!」
涙ながらに放たれたリリスの言葉はとても哀しみにあふれていて、ただただ切実で――。
言い終えると、リリスはその場で嗚咽を漏らし、しゃがみ込んでしまった。
オデットは居たたまれなくなったのか、リリスから目をそらしてうつむいた。
「オデット。リリスの言うとおりだよ。俺たちは友達じゃないか」
「うっ……そうでずよ……。うっ、うっ……オデットざん……わたしたちどもだぢでしょ?」
「クラウス、リリス……」
眉尻を下げて、オデットが呟いた。
「ナディアさんだっておんなじだ。お前の親友ってだけじゃない。俺やリリスや、ゼフィやエレナも――みんな力になりたいと思っているんだよ」
俺は一度、仲間だと思っていた奴らに裏切られている。
だからかもしれないが、俺はここで掴んだ新しい縁を大事にしたいのだ。
オデットは顔を上げて、俺とリリスの顔を順繰りに見た。
「……二人とも、ありがとう。二人の気持ちは嬉しいわ、とても……」
「じゃ、じゃあ、話してくれますか……?」
リリスは涙で濡れた顔を持ち上げ、充血した眼をオデットに向けた。
「……それはできないわ」
オデットの瞳には、先ほどと同じ強固な決意が宿っていた。
「ど、どうしでですか?」
「あんたたちが大事だからよ。大切なお友達だから……あんたたちに危険な目に遭って欲しくない。これがあたしとナディアの……友達としての気持ちなのよ。あたしはあんたたちの安全を優先したい」
一体、この問題の背後に何があるって言うんだ?
ナディアさんは――オデットは、一体何を恐れているんだ?
「俺たちのためなら、お前は親友のナディアさんに何があっても……ナディアさんがこの町を出て行っても良いって言うのか? 話してくれれば、俺たちで例のクエストを取り下げさせることもできるかもしれないんだぞ? まだナディアさんを連れ戻せるかもしれないんだ。この前、薬屋ではお前たちは喧嘩してたけどさ……本当は仲が良くてお互い信頼し合ってるってことくらい俺にだってわかるぞ」
「ええ。これがナディアとあたしの選択だから。きっとナディアもあたしと同じ気持ちのはずよ。あたしたちのことを友人として大切だと想ってくれるのなら、ナディアとあたしの選択も尊重して欲しいの」
これほどまでか。
これほどまでにオデットの決意は堅いというのか。
俺たちのことを案じ、親友と離ればなれになってまで――。
オデットに、俺たちはこれ以上何かを問いただすことなどできなかった。
「オデットざん……」
顔をぐしゃぐしゃにして、声にならない声を漏らすリリス。
「あいつは……ナディアは、最後に何か言ってた?」
つっけんどんに装っているが、オデットの声にはナディアさんへの断ち切れない想いが詰まっているのは明らかだった。
「ありがとう、って言ってたよ。リリスと俺にな。オデットのことをよろしくってさ」
「……そう。ろくに商売もできない薬師のくせに……生意気なのよ、あいつ」
顔を伏せるオデットの頬に涙が一筋こぼれるのを俺は見逃さなかった。
「オデット、お前……」
思わず俺が声をかけると、オデットは泣き顔を隠すように横を向き、一度だけ鼻をすすってから腕で涙を拭うとベッドから立ち上がった。
まだ体調が悪く力が入らないのか、足元が少しふらついていて心許ない。
「……あんたたち、いつまでしんみりしてるの? もうすぐ新しいクエストの募集書が貼り出される時間でしょ」
「オデットさん……?」
オデットの顔を見上げるリリス。
「魔王を倒すんでしょ? なら早く新しいクエストを受けてお金を稼がないと。あたしも無断で二日もサボっちゃったからね。始末書を書いてギルドに出さなくちゃ」
いつものギルド職員の顔に戻り、オデットはきびきびと支度を始めた。
「お前、大丈夫なのか?」
「当たり前でしょ? さぁ、ナディアの決意を無駄にしないで」
オデットが無理に気丈に振る舞っているのは明らかだった。
そんなオデットを見て、俺は思った。
彼女の言う通りなのかもしれない、と。
ナディアさんは俺たちを巻き込むまいと町を出て行った。オデットはそんな親友の意志を尊重し、袂を分かったのだ。
俺たちは友人として二人の選択を尊び、ナディアさんの決意に沿って前へ進むべきなのかもしれない――と思った。
だが、結果的に――俺のそんな考えは間違っていたんだ。
俺はもっと違和感に考えを巡らすべきだったんだ。
募集書のナディアさんの似顔絵が、現在のナディアさんの風貌と少し違っていたのは何故なのか?
薬屋で俺たちを襲った奴は本当にナディアさんだったのか?
薬屋のカウンターの裏にあった、何かが持ち去られたような形跡……あそこには何が置いてあったのか?
オデットはどうして体調を崩していたのか?
ナディアさんがあれほどまでにこの町に留まろうとしていたのは何故なのか?
昨夜リリスを襲ったのは何者だったのか?
酒場でリリスは何を誤魔化そうとしていたのか?
もしこのときナディアさんが既に町を出ていたのなら、町の出入り口に詰めていた兵士たちから起こっていたはずの騒ぎがギルドに伝播していなかったのは何故なのか?
そして、五百年前――最強の勇者であったはずのリリスが、事故とはいえ亡き者になったのは何故なのか?
俺がもっと考えを巡らせていれば――あるいはもう少し、何かが変わっていたかもしれないんだ。
ドアをノックしながら、リリスがオデットの名を呼ぶ。
「うーん、返事がありませんね」
「いないのかな?」
「クラウスさんもやってみてください。クラウスさんの声の方が聞き取りやすいかもしれません」
「そういうもんか?」
「寝ているときって、特定の高さの音に反応しやすいことってありません?」
そう言われてみれば……朝の鳥の鳴き声では起きないのに、人の足音ではすぐに起きてしまうことなどは確かにあるな。
まぁ、普通は女性の声の方が良く通るもんだと思うが。特にリリスの声は透き通っていて綺麗な声だし。
とはいえ声をかけるだけだ、とりあえずやってみるか。女子寮だからそんなに大声は出せないけど。
俺はリリスと入れ替わって前に出て、ドアに対峙した。
このドアの向こうは、女子寮の一室なんだ。
男子禁制の、女の花園。女の空間……。
って、俺は何を考えているんだ。
邪念を払うように咳払いをして、俺はドアをノックするべく手を挙げた。
「オデット、俺だ。クラウ――」
俺の拳がドアに触れるか否かという刹那、ガンッ、という音と共に俺の額に痛みが走ったかと思うと、次の瞬間、俺は廊下に仰向けに横たわっていた。
俺の視線の先には、目を丸くして俺を見下ろす二つの顔がある。
一つはリリスの顔だ。
もう一つ、ドアの陰から覗いている顔は――。
「クラウス……それに、リリスも……?」
「オデットさん、無事だったんですね……良かった」
ドアを開けて出てきたのは、少しやつれてはいるものの、紛れもなくオデットだ。
オデットの無事を確認できて、愁眉を開くリリス。
「よう、オデット……身体の具合はどうだ?」
ひりひりと痛む額をおさえ、俺は立ち上がった。
オデットは生気のない、ぼんやりした目で俺を見た。
「さっきよりは悪くない、けど……あれ? あたしどうしてここにいるの? エレナの小屋で寝てたはずじゃ……」
この様子だと、オデットは今目覚めたばかりのようだな。
小屋で寝ていたところで記憶が途切れているということは、やはりナディアさんに運ばれてこの部屋に帰されたのだ。
服装はこの前ナディアさんの薬屋へ一緒に行ったときと同じ、黒ブラウスに茶色のフレアスカートだが、ブラウスとスカートは何日も着ているせいかよれよれになっている。いつもつけている純白の綺麗な手袋にまで小さな皺があった。
「オデットさん。ひとまず、わたしたちをお部屋に入れてもらっても良いですか?」
混乱した様子のオデットの肩に手を置いてリリスが言った。
このまま廊下で話していたのではあまりに人目につくし、第一、男の俺は見られるだけでヤバいからな。早急に部屋に入りたいところだ。
「どうして、あたし……ナディアは? ナディアはどうしてるの?」
だが、オデットはリリスに返事をするどころか、うわごとのように言葉を繰り返すだけだった。
このままでは埒が明かないと判断したのか、リリスはオデットの返事を待たず、半ば強引にオデットを部屋に押し込んだ。躊躇いながらも俺も後に続いて、ドアを閉めた。
部屋は俺が泊まっている宿より少し広いくらいの、至って簡素なものだった。
右奥にベッドが設置されており、その脇に小さな箪笥と机があり、机の上には木箱が置いてある。
左側の壁にはクローゼットらしき扉が確認できる。
ほとんど余計なものがない、こざっぱりした部屋だ。
ベッド脇の壁には人が何とか通れるくらいの窓がある。フック式の鍵は解錠されたままだ。やはりナディアさんが窓からオデットを部屋に運び入れたのだろう。
リリスはオデットをベッドに座らせると、掛け布団をオデットの肩に掛けた。
そしてオデットの隣に腰掛け、オデットの肩に優しく手を置いた。
しばらくリリスがそうしていると、オデットは段々と落ち着きを取り戻しているように見えた。
「落ち着きましたか?」
「え、ええ……」
まだ困惑しているようだが、さっきよりはだいぶ冷静になったようだ。
俺はとりあえずオデットの正面の床に腰を下ろした。
「オデット。ナディアさんがお前をここまで運んでくれたんだよ」
「ナディアが?」
「ああ。昨日、ナディアさんは俺たちを巻き込まないためと言って沈黙を貫いたんだ。お前がナディアさんにそうしろと言っていたようにな。今頃町を出ているはずだ」
「そう……なのね。それが正しいと思うわ」
「オデット、お前は何か知っているのか?」
昨日のオデットは、明らかにナディアさんの何かを知っているような口ぶりだった。
俺たちが知っている以上の――俺たちが知らない何かを。
「ナディアは……あたしの親友よ。あたしが言えるのはそれだけ。あいつはあんたたちを巻き込まないって言ったんでしょ? なら、あたしも何も言わないわ」
「そうか……。お前はあくまでもそのスタンスなんだな」
「ええ。あたしはナディアの意見を尊重するわ」
「俺には――どちらかというと、お前の意見に思えたけどな」
俺の発言に棘があることに気がついたのか、オデットは眉を寄せた。
「……何が言いたいの?」
「お前は言っていたじゃないか。ナディアさんに、この町を出ろってさ。俺はナディアさんの事情は知らないが、彼女はこの町を出たくなさそうだったぞ。だから仮面を被って冒険者を襲ってまで、この町に留まっていたんじゃないのか? エレナや俺たちを頼ろうとしてくれたんじゃないのか? アルマウト族だという秘密を明かしてまで……」
「昨日も言ったけど、この問題はあんたが思っているような軽いものじゃないの。S級クエストとして手配までされたのに、町に留まるためにクエストを受注した冒険者を襲うなんて、それこそ馬鹿げている行為だと思わない? 全部、ナディアがこの町を出れば済むことなんだから」
オデットの強い意志のこもった瞳に、俺は気圧された。
いくらS級のお尋ね者になったとはいえ、その効力があるのはこのサラマンドと王都、その他いくつかの辺境都市くらいだろう。魔物の蔓延るこの大陸にはいまだ未開の地は多い。王都の目が行き届いていない集落も山ほどある。俺の故郷もその一つだ。そういう集落に潜り込めば、恐らく逃げおおせることは不可能じゃない。
そしてナディアさんは長命のアルマウト族だ。オデットの言っていたように、どこかで数十年も潜んでいれば今のクエストなど風化するだろう。あの身体能力なら生業を見つけることも容易だろう。
だが……。
「そうかもしれないが……」
そんなのはナディアさんにとって、あまりにも――。
「もう一度言うわ。ナディアもあたしも、あんたたちのために言っているのよ。あんたたちのために口を閉ざしているの。それに、あんたとリリスは他にやることがあるでしょう? この町に来たとき、魔王を討伐するって言ってくれたのは嘘だったの? こんな辺境都市の面倒事に首を突っ込んでいる場合?」
「そ、それは――」
「そんな……そんな言い方ってあんまりですよ!!」
二の句を継げずにしどろもどろになっている俺の声にかぶせるように、突然リリスが立ち上がって叫んだ。
「オデットさん、ひどいです!!」
いつの間にか、リリスは涙を浮かべていた。
頬に涙を何筋もこぼしながら訴えかけるリリスを、オデットは黙って見つめている。
「わたしたちもオデットさんのお友達なんですよ! オデットさんが言ってくれたんじゃないですか!! ぐす……そりゃあ、魔王討伐のことも大事ですよ。でも、オデットさんやナディアさんのことも大切なんです! せっかく出逢ったのに、わたしたちには何も相談してくれないなんて……そんなのって寂しいですよ!!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、リリスはオデットを見つめた。
「リリス……」
リリスの言葉が思いもよらないものだったのか、驚きを飲み込むように口を結ぶオデット。
「ぐす……うっ。本当は、二日前のクエストが出た最初の日に相談して欲しかったんです。わたしは……わたしは、オデットさんが辛い思いをしていること、知ってるんですよ? 凄く辛い思いをしてるって知ってるんです。わたしたちに相談もしないで背負い込むなんて、そんなのってないですよ! 巻き込まないなんて言わないでください! お友達ならわたしたちのことも巻き込んでくださいよ!!」
涙ながらに放たれたリリスの言葉はとても哀しみにあふれていて、ただただ切実で――。
言い終えると、リリスはその場で嗚咽を漏らし、しゃがみ込んでしまった。
オデットは居たたまれなくなったのか、リリスから目をそらしてうつむいた。
「オデット。リリスの言うとおりだよ。俺たちは友達じゃないか」
「うっ……そうでずよ……。うっ、うっ……オデットざん……わたしたちどもだぢでしょ?」
「クラウス、リリス……」
眉尻を下げて、オデットが呟いた。
「ナディアさんだっておんなじだ。お前の親友ってだけじゃない。俺やリリスや、ゼフィやエレナも――みんな力になりたいと思っているんだよ」
俺は一度、仲間だと思っていた奴らに裏切られている。
だからかもしれないが、俺はここで掴んだ新しい縁を大事にしたいのだ。
オデットは顔を上げて、俺とリリスの顔を順繰りに見た。
「……二人とも、ありがとう。二人の気持ちは嬉しいわ、とても……」
「じゃ、じゃあ、話してくれますか……?」
リリスは涙で濡れた顔を持ち上げ、充血した眼をオデットに向けた。
「……それはできないわ」
オデットの瞳には、先ほどと同じ強固な決意が宿っていた。
「ど、どうしでですか?」
「あんたたちが大事だからよ。大切なお友達だから……あんたたちに危険な目に遭って欲しくない。これがあたしとナディアの……友達としての気持ちなのよ。あたしはあんたたちの安全を優先したい」
一体、この問題の背後に何があるって言うんだ?
ナディアさんは――オデットは、一体何を恐れているんだ?
「俺たちのためなら、お前は親友のナディアさんに何があっても……ナディアさんがこの町を出て行っても良いって言うのか? 話してくれれば、俺たちで例のクエストを取り下げさせることもできるかもしれないんだぞ? まだナディアさんを連れ戻せるかもしれないんだ。この前、薬屋ではお前たちは喧嘩してたけどさ……本当は仲が良くてお互い信頼し合ってるってことくらい俺にだってわかるぞ」
「ええ。これがナディアとあたしの選択だから。きっとナディアもあたしと同じ気持ちのはずよ。あたしたちのことを友人として大切だと想ってくれるのなら、ナディアとあたしの選択も尊重して欲しいの」
これほどまでか。
これほどまでにオデットの決意は堅いというのか。
俺たちのことを案じ、親友と離ればなれになってまで――。
オデットに、俺たちはこれ以上何かを問いただすことなどできなかった。
「オデットざん……」
顔をぐしゃぐしゃにして、声にならない声を漏らすリリス。
「あいつは……ナディアは、最後に何か言ってた?」
つっけんどんに装っているが、オデットの声にはナディアさんへの断ち切れない想いが詰まっているのは明らかだった。
「ありがとう、って言ってたよ。リリスと俺にな。オデットのことをよろしくってさ」
「……そう。ろくに商売もできない薬師のくせに……生意気なのよ、あいつ」
顔を伏せるオデットの頬に涙が一筋こぼれるのを俺は見逃さなかった。
「オデット、お前……」
思わず俺が声をかけると、オデットは泣き顔を隠すように横を向き、一度だけ鼻をすすってから腕で涙を拭うとベッドから立ち上がった。
まだ体調が悪く力が入らないのか、足元が少しふらついていて心許ない。
「……あんたたち、いつまでしんみりしてるの? もうすぐ新しいクエストの募集書が貼り出される時間でしょ」
「オデットさん……?」
オデットの顔を見上げるリリス。
「魔王を倒すんでしょ? なら早く新しいクエストを受けてお金を稼がないと。あたしも無断で二日もサボっちゃったからね。始末書を書いてギルドに出さなくちゃ」
いつものギルド職員の顔に戻り、オデットはきびきびと支度を始めた。
「お前、大丈夫なのか?」
「当たり前でしょ? さぁ、ナディアの決意を無駄にしないで」
オデットが無理に気丈に振る舞っているのは明らかだった。
そんなオデットを見て、俺は思った。
彼女の言う通りなのかもしれない、と。
ナディアさんは俺たちを巻き込むまいと町を出て行った。オデットはそんな親友の意志を尊重し、袂を分かったのだ。
俺たちは友人として二人の選択を尊び、ナディアさんの決意に沿って前へ進むべきなのかもしれない――と思った。
だが、結果的に――俺のそんな考えは間違っていたんだ。
俺はもっと違和感に考えを巡らすべきだったんだ。
募集書のナディアさんの似顔絵が、現在のナディアさんの風貌と少し違っていたのは何故なのか?
薬屋で俺たちを襲った奴は本当にナディアさんだったのか?
薬屋のカウンターの裏にあった、何かが持ち去られたような形跡……あそこには何が置いてあったのか?
オデットはどうして体調を崩していたのか?
ナディアさんがあれほどまでにこの町に留まろうとしていたのは何故なのか?
昨夜リリスを襲ったのは何者だったのか?
酒場でリリスは何を誤魔化そうとしていたのか?
もしこのときナディアさんが既に町を出ていたのなら、町の出入り口に詰めていた兵士たちから起こっていたはずの騒ぎがギルドに伝播していなかったのは何故なのか?
そして、五百年前――最強の勇者であったはずのリリスが、事故とはいえ亡き者になったのは何故なのか?
俺がもっと考えを巡らせていれば――あるいはもう少し、何かが変わっていたかもしれないんだ。
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