宵闇の夏色

古井論理

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夕暮の薄色

駅の救済論

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 夕日が照りつける7月最後の一日、駅の構内で私はベンチに座る。隣にいるはずのコウくんは、そこにはいないかのような気配を出していた。私はコウくんの方を見ることなく、茜色の空をただ眺める。アミノサプリのペットボトルが私の手の中でグシャリと音を立てた。
「そんなにため息ばかりついていても始まらないよ。アヤナは負けたわけじゃない」
 コウくんが不意に存在を取り戻し、半ば独り言のように言った。
「そう……かもしれないね」
 私は泣きそうなのをこらえ、やっと言葉を発した。
「だけど……もう僕は終わりだ」
 コウくんがぽつりと不穏な言葉を零す。
「え」
 私の涙は一瞬で消えていた。
「独り言だから気にしないで」
「どういうこと?」
「僕はもう脚本が書けない。それだけ」
 私はコウくんの方を向いた。そこにはいつものようにネタ帳を持ち、背筋を伸ばしたコウくんがいる。けれど、その瞳は輝きを失っていた。
「僕は、精神安定剤を飲んでる。僕の想像を制限する薬だ。そして、長く使えば想像が思うようにできなくなる。もう2ヶ月もネタ帳すら書けてない。物語が浮かんでこないんだ」
「でも……もしかしたら」
「ああ、薬を飲むのをやめれば物語は浮かんでくるかもしれないね。でも薬がなければ僕は感情に呑まれて、どうしようもなくなるんだ」
「そうなんだ……」
 私は黙る。コウくんは何か言おうとするが、声にならないため息を三回ついてうつむき、気配を徐々に消していった。私が一人でいるかのような気まずい沈黙が流れる。
「そういえばさ」
 言葉が口をついて出てくる。コウくんがこっちを向いた。
「どうしたの」
 見えない希望には縋れない。もうこの場で全てをぶちまけた方が楽だろう。
「チヒロ……戻ってくるかな」
 コウくんは暗い表情のまま、口角を上げた。
「……戻ってくるといいね」
 そう言ったコウくんの顔からは、少しずつ作り笑いが剥がれていく。
「チヒロが入院しなければ結果も変わってたのかな」
 私の問いに、コウくんは予想通りの答を提示した。
「変わってたかもしれない。でも結果にIFはない」
 残念そうに顔をうつむけたコウくんに、私は一抹の安堵を感じた。
「まあ……そうだね」
 いつものコウくんだ。そう思った矢先、コウくんはまた不穏な話を出した。
「僕はここで終わりだから偉そうなことを言えた立場ではないけどね」
「……」
「まあ春の大会には出られるかもしれないね。春になる頃には1年生も上手くなっていると思う。だから、アヤナは新しい一歩を踏み出していかないと」
「全然励ましになってないんだけど」
「ごめんごめんって……」
「まあいいや。電車が来るのって何時だっけ」
「7時32分。あと4分ぐらい」
「なら続きは電車の中かな」
「そうだね」
 1分ほどの沈黙のあとに、コウくんは再び口を開いた。
「電車が来る前に、これだけは言っておくよ」
 コウくんは大きく息を吸い込んで、いつもよりかしこまった口調になった。
「どんなに絶望的な状況であっても、あなたが生きている限り明日は必ず待っています。明日が絶望的すぎたら逃げてもいい。でも、逃げ続けるのはおすすめしません。逃げ続ければ、明日を二度と拝めなくなりますから」
「どういうこと?」
 戸惑う私に、コウくんは静かな、そして自然な笑顔で微笑んだ。
「頑張ってくださいね」
 コウくんの声は、初めて会った頃の敬語で話す彼を思い出させた。
「電車が来ますね。乗りましょうか」
 見れば電車のヘッドライトが夕闇を切り裂いていた。
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