宵闇の夏色

古井論理

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逢魔時の紫色

公園の柔和論

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「この写真なんだけどさ」
 チヒロが見せたのは、何の変哲もない丘の写真。公園とはいっても芝があるぐらいの、ただの丘だ。
「チヒロ、なんで一緒に行きたいの?」
「えー……こういう風景って疲れを癒やしてくれるじゃん」
「どういうこと?」
「アヤナ、最近疲れてない?」
「まあ……うん」
「なんとか疲れを飛ばしてもらいたいからさ、一緒に来てよ」
「……わかった。行く」
 私がそう言ってうなずくと、チヒロは笑顔で私の手を引いて、軽く土が固められている以外あぜ道と変わらないような農道を歩き始めた。
「ここって通っていいの?」
「グーグルマップにもストリートビューあるし、別にいいんじゃない?」
「逆にストリートビューあるんだ……」
 丘には10分ほどで到着してしまった。チヒロは丘の芝に寝転んだり芝をなでたりしていたが、不意に私の方を見て問うた。
「アヤナ、なんでずっと見てるだけなの?一緒に遊ぼうよ」
 私は微笑んでチヒロに返事する。
「チヒロが遊んでるのを見るだけで楽しいから」
「だめだよ、アヤナも遊ばなきゃ。アヤナが楽しくないと、私も楽しいと思えないじゃん」
 チヒロはそう言って私のもとに駆け寄ってくる。私はチヒロに促されるように、芝の上へ寝そべった。

 チクチクする芝の違和感が、徐々に消えていく。私の目の前には芝の青々とした葉と、夏の日差しを照り返す玉虫の不思議な色彩があるだけだった。
「玉虫だ」
 チヒロが言って、緑とも赤とも青とも何色ともつかない虹のような光を放つその玉虫をじっと見た。玉虫はその光り輝く身体を芝の上に這わせている。
「玉虫って構造色なんだよ」
 不意にコウくんの言葉が頭の中をよぎった。
「構造色って何?」
 そう聞いた私に、コウくんは言ったのだった。
「その表面の小さな構造だけで色を作り出すこと。あの色は表面の柔らかな構造だけでできているんだ」
 コウくんに教えてもらった知識が、なぜこんなときに出てきたのかはわからない。だが、「玉虫色」という表現がどっちつかずであることを表すという国語の先生の話を思い出したのと、それは同時だったかもしれなかった。
「帰ろっか」
 30分ほどしたとき、私は立ち上がった。玉虫は驚いたのか、綺麗な翅を広げて飛んでいく。チヒロは満足したような顔で私のあとに続いて、駅へと続く道を歩き始めた。

「じゃあチヒロ、明日もよろしくね」
 去り際、私は私たち以外人の姿はない駅の構内で言った。チヒロは少し怪訝な顔をしている。
「どうしたの、改まって言わなくてもいいじゃん」
「そうだけどさ、なんか言っておこうと思ったから」
「そう。じゃあ明日もよろしく。バイバイ」
「え?」
 私たちはホームに立つと、電車を待った。よく考えてみたら、チヒロは同じ方向の電車に乗るはずだ。なぜチヒロが「バイバイ」と言ったかはわからなかったが、2分後に電車が来たときその疑問は氷解した。電車はチヒロの最寄り駅には止らない、急行だったのだ。
「じゃ、また明日」
 私はそう言って、急行列車に乗り込む。急行列車のドアが閉まり、私は雑踏の車内に残される。そして私は、家に帰った。
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