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妙な大抜擢により厨房長の助手に任命された小色は、翌日から慌ただしく動いていた。
仕事は見て覚えろというのが凛のやり方のようで、事細かい指示などはなく、場を見極めてその都度、凜が望むモノを察して提供するのが助手の仕事である。
「そっちじゃねえ! 特皿の方だ!」
「はい、すみません!」
小色が凜の調理を見て、その量から適した皿を出したつもりだが、その料理は時乃用に作られたものであり、彼女には特皿といって彼女専用の皿を使う必要があるらしい。
急いで特皿を用意すると、そこに素早く凜が料理の盛り付けをし始める。それを見た小色が、ハーブを数種類持って来て凜へと差し出す。
すると凜は少し目を見開いたが、すぐにそのうちの一種を手に取ると、最後にそれを盛り付けて料理を完成させた。そして何も言わぬまま、すぐさま次の調理に取り掛かっていく。
そんな感じで、常に凜の動きを目で追い、その手元を確認して彼女が欲するものを考察しながら動く。
そんな小色の動きを見ている他のメイドたちが啞然としているのだが、それに気づいた凜の激が飛び、メイドたちもまた即座に作業へ戻る。
まさに戦場のような環境であり、小色はその小さな身体を忙しなく動かしながら誰よりも動いていた。そうして朝食作りが終わり、一息を吐くことができる時間が訪れる。
「ふぃぃぃぃ~」
やっと休憩ができると、厨房の椅子にぐったりと座り込む小色。そこへすずねが「大丈夫?」と言いながら冷たい水を持ってきてくれたので頂く。
「んぐんぐんぐ……ふはぁ~、おいしいぃ~」
まるで乾いたスポンジのように、水が全身を潤していく。気づけば汗だくだったので、もう一時間ほどアレが続けば脱水症状になっていたかもしれない。次からはそういう体調変化にも気を使わないといけないだろう。
「先輩たち、驚いてたよ。よくあんなに動けるなって」
なるほど。他の人たちが唖然としていた理由が判明した。恐らく凜の動きについていけるわけがないと思っていたのだろう。それだけ凜の要求するレベルは高いし、それはとても新人にはこなせないと思ってもおかしくはない。
しかし小色は失敗もしたが、それでも動きを止めずに凛についていった。
「でもどうだった? やっぱり……キツイ、よね?」
「うん……でもすっごく勉強になるよ。元々料理は好きだし、ああやって野菜を炒めるんだとか、調味料の使い方に盛り付けの技術も全部新鮮で楽しい」
「わぁ……凄いね、小色ちゃんは。私はとてもじゃないけど、あの動きにはついていけないもん」
「はは、わたしだってギリギリ……というか、まだ完璧についていけてないけどね」
何となくだが凜が全力で動いたら、それこそ今の小色では手も足も出ないような気がする。恐らくは凛にとっても小色を育成しているつもりなのだろう。だから意識的に若干速度を緩めている……が、料理のクオリティは決して落としていない、
(やっぱりプロって凄いなぁ)
別に料理のプロになりたいという気持ちがあるわけではないが、一つの道を極めた者の技術というのは驚嘆ものだということは再認識させられた。
昼食作りが始まるまで、できる限り身体を休めなければいけないが、小色の仕事は調理だけではない。掃除や洗濯の手伝いもあるので、いつまでもここでのんびりしているわけにはいかないのだ。
とはいっても厨房に入り助手になったことで、ある程度は他の作業に割く時間は削ってもらえたが。
するとそこへ凜が厨房へ入ってくるなり、小色を見つけて声をかけてきた。
「小色、お嬢様がお呼びだ、急げ」
「へ? あ、はい!」
今度は屋敷の主からの呼び出しかと、軽くプチパニックになりながらも、急いで準備をすると凛とともに時乃の私室へと向かった。
ちょうど時乃は朝食を取っているところであり、何故自分が呼ばれたのか理解できずに、彼女が口を開くまでジッと待っている。
すると時乃は、持っていたフォークを置いて口元を拭うと、その視線をまずは同じように控えていた凜へと向けた。
「今日も素晴らしい美味しさで何よりよ、我が厨房長」
「そりゃ何より」
この屋敷の者たちのほとんどが、時乃相手には萎縮したり畏まったり態度を改めるものだ。しかしこと凛においては小色たちと接する時とそう変わらない。そして時乃もまたそれを咎めることはない。
きっとそれだけの信頼関係が構築されているのだろうと小色は思う。
さて、という言葉とともに、今度は時乃が小色へと意識を向けてきた。
「まずは遅くなったわね、小色。職場の異動早々にもかかわらず厨房長の助手の任命、おめでとう」
「あ、ありがとうございます!」
「まあ私も厨房長から直接聞いた時には驚いたものだけれど、ねえ?」
少し含みのあるような言い方が凜へと向けられるが、本人は涼しい顔のまま。
本来異動などの件は、当然ながら勝手に決定することはできない。まず時乃に異動の要望を出し、許可を得て初めて成せることなのだ。
しかし今回の場合、凜が伝えたのは小色を助手にしたという事後報告。この屋敷で働く者にとっては有り得ない手順である。
「まあそれだけあなたが厨房長のお眼鏡に叶ったってことかしらね。どう、この人の仕事についていくのは?」
「あ、はい! とっても勉強になります!」
「厳しいでしょう? 厨房長は自分にも他人にも厳しいからね。その求めるレベルは高く、普通はすぐに根を上げてしまう。あなたはどうかしら?」
「その……確かに大変なことばかりですけど、世の中にはもっと大変な思いをしている人がいっぱいいます。こんなことで弱音なんて吐けません!」
「あら……ふふふ。やはりあなたはいいわね。もう少ししたら私専属の秘書にでもしようかしら」
「そいつは聞き捨てならねえな、お嬢。そいつはもうアタシの部下だぜ?」
「ということは私の部下でもあるってことよね?」
互いに視線をぶつけ火花を散らせる。正直言って怖い。そんな間に挟まれている小動物のような小色は震えて見守ることしかできない。
不意に肩を竦めた時乃が「冗談よ」と言うと、場の雰囲気が若干緩んだので小色はホッとした。
「いろいろ経験した後の方が美味しくなるから、私はいつでも待っているわよ、小色」
その妖艶でかつ獣じみた眼差しを向けられ背筋にゾクッとしたものが走る。
上機嫌な時乃に最後の挨拶をして、凛と一緒に部屋から出た。
仕事は見て覚えろというのが凛のやり方のようで、事細かい指示などはなく、場を見極めてその都度、凜が望むモノを察して提供するのが助手の仕事である。
「そっちじゃねえ! 特皿の方だ!」
「はい、すみません!」
小色が凜の調理を見て、その量から適した皿を出したつもりだが、その料理は時乃用に作られたものであり、彼女には特皿といって彼女専用の皿を使う必要があるらしい。
急いで特皿を用意すると、そこに素早く凜が料理の盛り付けをし始める。それを見た小色が、ハーブを数種類持って来て凜へと差し出す。
すると凜は少し目を見開いたが、すぐにそのうちの一種を手に取ると、最後にそれを盛り付けて料理を完成させた。そして何も言わぬまま、すぐさま次の調理に取り掛かっていく。
そんな感じで、常に凜の動きを目で追い、その手元を確認して彼女が欲するものを考察しながら動く。
そんな小色の動きを見ている他のメイドたちが啞然としているのだが、それに気づいた凜の激が飛び、メイドたちもまた即座に作業へ戻る。
まさに戦場のような環境であり、小色はその小さな身体を忙しなく動かしながら誰よりも動いていた。そうして朝食作りが終わり、一息を吐くことができる時間が訪れる。
「ふぃぃぃぃ~」
やっと休憩ができると、厨房の椅子にぐったりと座り込む小色。そこへすずねが「大丈夫?」と言いながら冷たい水を持ってきてくれたので頂く。
「んぐんぐんぐ……ふはぁ~、おいしいぃ~」
まるで乾いたスポンジのように、水が全身を潤していく。気づけば汗だくだったので、もう一時間ほどアレが続けば脱水症状になっていたかもしれない。次からはそういう体調変化にも気を使わないといけないだろう。
「先輩たち、驚いてたよ。よくあんなに動けるなって」
なるほど。他の人たちが唖然としていた理由が判明した。恐らく凜の動きについていけるわけがないと思っていたのだろう。それだけ凜の要求するレベルは高いし、それはとても新人にはこなせないと思ってもおかしくはない。
しかし小色は失敗もしたが、それでも動きを止めずに凛についていった。
「でもどうだった? やっぱり……キツイ、よね?」
「うん……でもすっごく勉強になるよ。元々料理は好きだし、ああやって野菜を炒めるんだとか、調味料の使い方に盛り付けの技術も全部新鮮で楽しい」
「わぁ……凄いね、小色ちゃんは。私はとてもじゃないけど、あの動きにはついていけないもん」
「はは、わたしだってギリギリ……というか、まだ完璧についていけてないけどね」
何となくだが凜が全力で動いたら、それこそ今の小色では手も足も出ないような気がする。恐らくは凛にとっても小色を育成しているつもりなのだろう。だから意識的に若干速度を緩めている……が、料理のクオリティは決して落としていない、
(やっぱりプロって凄いなぁ)
別に料理のプロになりたいという気持ちがあるわけではないが、一つの道を極めた者の技術というのは驚嘆ものだということは再認識させられた。
昼食作りが始まるまで、できる限り身体を休めなければいけないが、小色の仕事は調理だけではない。掃除や洗濯の手伝いもあるので、いつまでもここでのんびりしているわけにはいかないのだ。
とはいっても厨房に入り助手になったことで、ある程度は他の作業に割く時間は削ってもらえたが。
するとそこへ凜が厨房へ入ってくるなり、小色を見つけて声をかけてきた。
「小色、お嬢様がお呼びだ、急げ」
「へ? あ、はい!」
今度は屋敷の主からの呼び出しかと、軽くプチパニックになりながらも、急いで準備をすると凛とともに時乃の私室へと向かった。
ちょうど時乃は朝食を取っているところであり、何故自分が呼ばれたのか理解できずに、彼女が口を開くまでジッと待っている。
すると時乃は、持っていたフォークを置いて口元を拭うと、その視線をまずは同じように控えていた凜へと向けた。
「今日も素晴らしい美味しさで何よりよ、我が厨房長」
「そりゃ何より」
この屋敷の者たちのほとんどが、時乃相手には萎縮したり畏まったり態度を改めるものだ。しかしこと凛においては小色たちと接する時とそう変わらない。そして時乃もまたそれを咎めることはない。
きっとそれだけの信頼関係が構築されているのだろうと小色は思う。
さて、という言葉とともに、今度は時乃が小色へと意識を向けてきた。
「まずは遅くなったわね、小色。職場の異動早々にもかかわらず厨房長の助手の任命、おめでとう」
「あ、ありがとうございます!」
「まあ私も厨房長から直接聞いた時には驚いたものだけれど、ねえ?」
少し含みのあるような言い方が凜へと向けられるが、本人は涼しい顔のまま。
本来異動などの件は、当然ながら勝手に決定することはできない。まず時乃に異動の要望を出し、許可を得て初めて成せることなのだ。
しかし今回の場合、凜が伝えたのは小色を助手にしたという事後報告。この屋敷で働く者にとっては有り得ない手順である。
「まあそれだけあなたが厨房長のお眼鏡に叶ったってことかしらね。どう、この人の仕事についていくのは?」
「あ、はい! とっても勉強になります!」
「厳しいでしょう? 厨房長は自分にも他人にも厳しいからね。その求めるレベルは高く、普通はすぐに根を上げてしまう。あなたはどうかしら?」
「その……確かに大変なことばかりですけど、世の中にはもっと大変な思いをしている人がいっぱいいます。こんなことで弱音なんて吐けません!」
「あら……ふふふ。やはりあなたはいいわね。もう少ししたら私専属の秘書にでもしようかしら」
「そいつは聞き捨てならねえな、お嬢。そいつはもうアタシの部下だぜ?」
「ということは私の部下でもあるってことよね?」
互いに視線をぶつけ火花を散らせる。正直言って怖い。そんな間に挟まれている小動物のような小色は震えて見守ることしかできない。
不意に肩を竦めた時乃が「冗談よ」と言うと、場の雰囲気が若干緩んだので小色はホッとした。
「いろいろ経験した後の方が美味しくなるから、私はいつでも待っているわよ、小色」
その妖艶でかつ獣じみた眼差しを向けられ背筋にゾクッとしたものが走る。
上機嫌な時乃に最後の挨拶をして、凛と一緒に部屋から出た。
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