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私は酷く後悔をしていた。
どうして何もしなかったのか。
あの方は、自分を助けてくださったというのに……っ!
「どうかしたの? キュノ?」
「へ? あ、な、何でもないですっ!」
突然声をかけてきたのは、私と同じ【アルレイド帝国】の王城にて、侍女として働く先輩だった。
今は客室の清掃をしている。気づかずに動きを止めてしまっていたことから、先輩に心配をかけてしまったらしい。
「あなた、最近よくぼ~っとしているけど、何かあったの?」
「あ、いえ……その……すみません」
「別に謝らなくていいけど、何か心配事でもあるの? 聞くわよ?」
どうしようか。話すべきなのだろうか。
いいや、たとえもう話したところでもう遅いのは分かっている。
あれからすでに七日近く経っているのだ。
それに王様が直に下した判決を覆すわけがないことも知っている。
自分が知る真実を口にしたところで、結局何も変えることなどできないだろう。
「だ、大丈夫です。ご心配かけてしまってすみません」
「そう? 何かあったら言いなさい」
先輩は私の教育係でもある。まだこの王城に来て間もない私の担当になってくれた優しい人だ。
「さって、次の部屋へ行きましょうか」
「あ、はい!」
先輩について部屋を出て、次に担当している部屋へと向かう。
その時、前方からこの国の宰相を担っている方と一緒に、あの人が歩いてきた。
私たちはすぐに壁際に寄って、軽く頭を下げたまま彼らが通過するのを待つ。
コツ、コツ、コツ、と近づいてくる足音。
それと同時に私の心臓もまた早鐘を鳴らす。
あの人が私に気づけば、また何かされるかもしれないという恐怖が押し寄せてきたが、その心配は杞憂に終わり、二人はそのまま過ぎ去っていく。
私はそんな彼の背中を見てホッと息をつく。
「はぁぁ~、やっぱり男前よねぇ。『御使い』様ってば。強いらしいし、それに優しそう。あなたもそう思わない、キュノ?」
「え? そう、ですか?」
「あら? あなたってば男前に興味ないの? ブス専?」
「ち、違います! 私には気になる人が……っ」
勢いでそう返しておいて、すぐに気持ちが落ち込んでしまう。
「え? え? ど、どうしたのよ、急に静かになって?」
「ぁ……何でもありません」
ううん。何でもない事なんてない。
だって……だって……だって……。
私はみんなが尊敬して止まないあの人――『御使い』様の本性を知っているから。
再度遠目で、『御使い』様の背中を見つめる。
笑っている。宰相と歩きながら楽しそうに笑っている彼を見てゾッとしてしまう。
確かに見た目は私が今まで見てきた男性の中でも群を抜いて優れていると思う。
侍女仲間でも彼の話で持ち切りだ。一度だけでも夜を共にしたいとまで言う子もいる。
でも私は知っている。
彼が女好きで、すぐに関係を迫ってくる上、拒否すれば力づくで事を起こそうとするような危険な人だということを。
そして普段は柔らかい笑みを浮かべる人格者の姿をしているが、その奥には冷たく残酷な表情を持っていることもだ。
何せ、この短い間にもかかわらず、その被害者が二人もいるのだから。
私は先日、夜遅い時間帯に彼に声をかけられ、部屋に来いと誘われた。
他の侍女なら喜んでついていっただろう。しかし私には、彼よりも気になる人がいたので断ったのだ。
するとそれまで余裕を見せていた表情が一変して、目の色が変わり強引に私に迫ってきたのである。
このままでは純潔を奪われてしまうと思った矢先、声をかけてきてくれた人がいた。
それは――オキト・ウナバラ様。
『御使い』様と同じ異世界から召喚されてきた男の子だった。
話によると『御使い』様の召喚に巻き込まれた不幸な身の上だという。
そんな境遇のオキト様は、普通なら理不尽だと喚いたり腐ったりするだろうに、文句など一切周りに言わず、世話になる代わりだといって城の仕事を率先してこなしていた。
たまに私たち侍女の仕事も手伝ってくれて、私も何度か一緒に仕事をしたことがある。
女性にはあまり慣れていない様子で、少しぶっきらぼうな人だが、仕事は真面目に取り組むし、侍女たちが重いものを持っていたりすると、すぐに変わってくれるような優しさを持っていた。
以前私が焦って転倒した時も、笑わずに手を貸してくれ起こしてくれたのだ。
ほんの少し膝を擦りむいただけなのに、放っておくのはマズイと手当までしてくれた。
あの人こそが本当に優しいのだと思う。
そしてそんな優しい人を――――『御使い』様は陥れた。
クライド様――王女殿下の婚約者が殺された事件が先日起きたが、その犯人がオキト様だとされ、彼は流刑に処されてしまったのである。
しかし真実は違う。
私は見ていたのだ。クライド様が殺されたのを。
あの事件が起こった夜は、ちょうど私が『御使い』様に迫られた日だった。
オキト様に助けられて、慌てて自分の部屋に戻った私だったが、オキト様にお礼を言わなければと思い、彼に宛がわれている部屋へと向かったのである。
すると向かう先で、クライド様と誰かが話しているのを見た。
咄嗟に邪魔をしてはいけないと思い脇道に隠れたのだが、ちょっと好奇心が湧いて覗いてみたのだ。
月明りに照らされて、クライド様のお相手の顔が露わになり、思わず恐怖が蘇って身を固くしてしまった。
そう。クライド様を相対している人物こそ、あの『御使い』様だったのである。
「このようなところに手紙で呼び出して、何か御用かな『御使い』殿」
「いえ、実は内密にお話がございまして」
どうやら『御使い』様がクライド様を呼びつけたようだ。
話の内容が気になるものの、見つかればまた迫られてしまうと思い、音を立てずに去ろうとした次の瞬間だ。
クライド様の呻き声が聞こえた。
恐る恐る確認してみると、クライド様が床に倒れていたのである。
そしてその傍には、血に塗れた短刀を所持した『御使い』様が立っており、無感情にも見えるあの冷酷な目つきで、クライド様を見下ろしていた。
反射的に声を上げてしまいそうになるが、両手で口を塞いで必死に抑える。
見つかれば間違いなく自分も殺されると本能で分かったからだ。
そして『御使い』様は、クライド様を担いでどこかへ去って行った。
一体何故クライド様を殺害する必要があったのかまったくもって分からなかった。
お二人に何か確執があったという噂もなかったからだ。
私はもうそれ以上、城内を歩くのが怖くなり、お礼は明日にしようと自室へと帰った。
だがしばらくすると、女性の叫び声が聞こえ、何事かと調べてみると、クライド様が殺されたという報を知る。
ああ、『御使い』様が殺したのがバレたんですね。
そう思ったが、次に教えてくれた兵士の言葉に耳を疑ってしまう。
――オキト・ウナバラがクライド様を殺害した。
一体何の冗談かと思ったが、事はとんとん拍子に進んでいき、数日後――オキト様は殺害の処分を受け、この城から出て行ってしまったのである。
私は怖かった。真実を知る者として、本当なら王様に告げるべきだっただろう。
しかし相手はあの『御使い』様だ。城内のほとんどすべてが彼を信頼している。
たとえ自分が声を上げても、まず間違いなく勘違いか何かだとして処理されてしまう。
そしてそのあとは、恐らく『御使い』様に私が……。
そう思うと、怖くて誰にもこの真実を話すことができなかった。
王の決定は絶対。たとえ無実の者でも、一度判決を下したならば、王ですら覆すことはできない。それが昔から伝わってきたこの国のルールらしい。
それでも……。
もう少し自分が早く真実を告げていれば、もしかしたら何かが変わった可能性だってある。たとえそれが砂漠の中で、一本の針を探すような確率だったとしても。
今みたいに思い悩む毎日を送るようなことはなかっただろう。
でも選択の時は去ってしまった。
今更私がどう足掻いたところで結果は変わらない。
本当に…………情けないなぁ、私。
「すみません……すみません……」
「ど、どうしたのよいきなり謝りだして……?」
オキト様のことを考えると胸が締め付けられる。
あんな優しい人を、私は見捨ててしまったのだ。
改めてそう思うと、もうどうしようもなかった。これまで〝仕方がなかった〟と自分に言い訳をして仕事をしていたが、この城に居続けることはもうできそうもない。
翌日私は、退職届を机に上に置いて、【アルレイド帝国】から姿を消した。
どうして何もしなかったのか。
あの方は、自分を助けてくださったというのに……っ!
「どうかしたの? キュノ?」
「へ? あ、な、何でもないですっ!」
突然声をかけてきたのは、私と同じ【アルレイド帝国】の王城にて、侍女として働く先輩だった。
今は客室の清掃をしている。気づかずに動きを止めてしまっていたことから、先輩に心配をかけてしまったらしい。
「あなた、最近よくぼ~っとしているけど、何かあったの?」
「あ、いえ……その……すみません」
「別に謝らなくていいけど、何か心配事でもあるの? 聞くわよ?」
どうしようか。話すべきなのだろうか。
いいや、たとえもう話したところでもう遅いのは分かっている。
あれからすでに七日近く経っているのだ。
それに王様が直に下した判決を覆すわけがないことも知っている。
自分が知る真実を口にしたところで、結局何も変えることなどできないだろう。
「だ、大丈夫です。ご心配かけてしまってすみません」
「そう? 何かあったら言いなさい」
先輩は私の教育係でもある。まだこの王城に来て間もない私の担当になってくれた優しい人だ。
「さって、次の部屋へ行きましょうか」
「あ、はい!」
先輩について部屋を出て、次に担当している部屋へと向かう。
その時、前方からこの国の宰相を担っている方と一緒に、あの人が歩いてきた。
私たちはすぐに壁際に寄って、軽く頭を下げたまま彼らが通過するのを待つ。
コツ、コツ、コツ、と近づいてくる足音。
それと同時に私の心臓もまた早鐘を鳴らす。
あの人が私に気づけば、また何かされるかもしれないという恐怖が押し寄せてきたが、その心配は杞憂に終わり、二人はそのまま過ぎ去っていく。
私はそんな彼の背中を見てホッと息をつく。
「はぁぁ~、やっぱり男前よねぇ。『御使い』様ってば。強いらしいし、それに優しそう。あなたもそう思わない、キュノ?」
「え? そう、ですか?」
「あら? あなたってば男前に興味ないの? ブス専?」
「ち、違います! 私には気になる人が……っ」
勢いでそう返しておいて、すぐに気持ちが落ち込んでしまう。
「え? え? ど、どうしたのよ、急に静かになって?」
「ぁ……何でもありません」
ううん。何でもない事なんてない。
だって……だって……だって……。
私はみんなが尊敬して止まないあの人――『御使い』様の本性を知っているから。
再度遠目で、『御使い』様の背中を見つめる。
笑っている。宰相と歩きながら楽しそうに笑っている彼を見てゾッとしてしまう。
確かに見た目は私が今まで見てきた男性の中でも群を抜いて優れていると思う。
侍女仲間でも彼の話で持ち切りだ。一度だけでも夜を共にしたいとまで言う子もいる。
でも私は知っている。
彼が女好きで、すぐに関係を迫ってくる上、拒否すれば力づくで事を起こそうとするような危険な人だということを。
そして普段は柔らかい笑みを浮かべる人格者の姿をしているが、その奥には冷たく残酷な表情を持っていることもだ。
何せ、この短い間にもかかわらず、その被害者が二人もいるのだから。
私は先日、夜遅い時間帯に彼に声をかけられ、部屋に来いと誘われた。
他の侍女なら喜んでついていっただろう。しかし私には、彼よりも気になる人がいたので断ったのだ。
するとそれまで余裕を見せていた表情が一変して、目の色が変わり強引に私に迫ってきたのである。
このままでは純潔を奪われてしまうと思った矢先、声をかけてきてくれた人がいた。
それは――オキト・ウナバラ様。
『御使い』様と同じ異世界から召喚されてきた男の子だった。
話によると『御使い』様の召喚に巻き込まれた不幸な身の上だという。
そんな境遇のオキト様は、普通なら理不尽だと喚いたり腐ったりするだろうに、文句など一切周りに言わず、世話になる代わりだといって城の仕事を率先してこなしていた。
たまに私たち侍女の仕事も手伝ってくれて、私も何度か一緒に仕事をしたことがある。
女性にはあまり慣れていない様子で、少しぶっきらぼうな人だが、仕事は真面目に取り組むし、侍女たちが重いものを持っていたりすると、すぐに変わってくれるような優しさを持っていた。
以前私が焦って転倒した時も、笑わずに手を貸してくれ起こしてくれたのだ。
ほんの少し膝を擦りむいただけなのに、放っておくのはマズイと手当までしてくれた。
あの人こそが本当に優しいのだと思う。
そしてそんな優しい人を――――『御使い』様は陥れた。
クライド様――王女殿下の婚約者が殺された事件が先日起きたが、その犯人がオキト様だとされ、彼は流刑に処されてしまったのである。
しかし真実は違う。
私は見ていたのだ。クライド様が殺されたのを。
あの事件が起こった夜は、ちょうど私が『御使い』様に迫られた日だった。
オキト様に助けられて、慌てて自分の部屋に戻った私だったが、オキト様にお礼を言わなければと思い、彼に宛がわれている部屋へと向かったのである。
すると向かう先で、クライド様と誰かが話しているのを見た。
咄嗟に邪魔をしてはいけないと思い脇道に隠れたのだが、ちょっと好奇心が湧いて覗いてみたのだ。
月明りに照らされて、クライド様のお相手の顔が露わになり、思わず恐怖が蘇って身を固くしてしまった。
そう。クライド様を相対している人物こそ、あの『御使い』様だったのである。
「このようなところに手紙で呼び出して、何か御用かな『御使い』殿」
「いえ、実は内密にお話がございまして」
どうやら『御使い』様がクライド様を呼びつけたようだ。
話の内容が気になるものの、見つかればまた迫られてしまうと思い、音を立てずに去ろうとした次の瞬間だ。
クライド様の呻き声が聞こえた。
恐る恐る確認してみると、クライド様が床に倒れていたのである。
そしてその傍には、血に塗れた短刀を所持した『御使い』様が立っており、無感情にも見えるあの冷酷な目つきで、クライド様を見下ろしていた。
反射的に声を上げてしまいそうになるが、両手で口を塞いで必死に抑える。
見つかれば間違いなく自分も殺されると本能で分かったからだ。
そして『御使い』様は、クライド様を担いでどこかへ去って行った。
一体何故クライド様を殺害する必要があったのかまったくもって分からなかった。
お二人に何か確執があったという噂もなかったからだ。
私はもうそれ以上、城内を歩くのが怖くなり、お礼は明日にしようと自室へと帰った。
だがしばらくすると、女性の叫び声が聞こえ、何事かと調べてみると、クライド様が殺されたという報を知る。
ああ、『御使い』様が殺したのがバレたんですね。
そう思ったが、次に教えてくれた兵士の言葉に耳を疑ってしまう。
――オキト・ウナバラがクライド様を殺害した。
一体何の冗談かと思ったが、事はとんとん拍子に進んでいき、数日後――オキト様は殺害の処分を受け、この城から出て行ってしまったのである。
私は怖かった。真実を知る者として、本当なら王様に告げるべきだっただろう。
しかし相手はあの『御使い』様だ。城内のほとんどすべてが彼を信頼している。
たとえ自分が声を上げても、まず間違いなく勘違いか何かだとして処理されてしまう。
そしてそのあとは、恐らく『御使い』様に私が……。
そう思うと、怖くて誰にもこの真実を話すことができなかった。
王の決定は絶対。たとえ無実の者でも、一度判決を下したならば、王ですら覆すことはできない。それが昔から伝わってきたこの国のルールらしい。
それでも……。
もう少し自分が早く真実を告げていれば、もしかしたら何かが変わった可能性だってある。たとえそれが砂漠の中で、一本の針を探すような確率だったとしても。
今みたいに思い悩む毎日を送るようなことはなかっただろう。
でも選択の時は去ってしまった。
今更私がどう足掻いたところで結果は変わらない。
本当に…………情けないなぁ、私。
「すみません……すみません……」
「ど、どうしたのよいきなり謝りだして……?」
オキト様のことを考えると胸が締め付けられる。
あんな優しい人を、私は見捨ててしまったのだ。
改めてそう思うと、もうどうしようもなかった。これまで〝仕方がなかった〟と自分に言い訳をして仕事をしていたが、この城に居続けることはもうできそうもない。
翌日私は、退職届を机に上に置いて、【アルレイド帝国】から姿を消した。
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