となりの偽カノ、期限付き

こう

文字の大きさ
3 / 4
第1章 規約彼氏、運用開始

第3話 十秒待つ朝、雨の並走

しおりを挟む
 朝の空気は少ししめっていた。校門の前、白いタイルを三枚ぶん空けたところに立つ。ここが僕と三浦灯の「決め位置」だ。昨日の放課後に交わした小さな約束――寝ぐせの日は十秒待ってから挨拶――を思い出して、心の中でゆっくり数え始める。

 一、二、三。視線は動かさない。四、五、六。靴先をタイルの線に揃える。七、八、九、十。

 小走りの足音が吸い込まれて、灯が三枚目の手前でぴたりと止まった。前髪が少し跳ねている。深呼吸を一回。それから、目だけで「準備できたよ」と合図。

「おはよう、灯。今日は空気が軽いね。深く吸える」

「おはよう、木瀬くん。十秒、効くね。急がされないだけで、最初の一歩が穏やかになる」

 灯は胸ポケットからメモカードを取り出した。「場所・校門」「距離・タイル三枚」と書き、ペン先で僕を指す。印象の欄は僕の担当だ。少し考えてから書く。

『十秒の余白で、言葉がやわらかくなる。』

 声に出して読むと、灯はうなずき、カードをしまった。「こういう一行、迷った日に効くんだよ。毎日は書かないけど」

「僕ら、忘れっぽいしね。要所だけ残す」

 二人で昇降口へ向かう途中、角から雨宮が現れ、定規を軽く振って距離を測る真似をした。半笑いの顔はいつもどおりだ。

「タイル三枚、確認。寝ぐせフラグも確認。朝の監査、合格」

「監査書類はどこに出せば?」と灯が返し、僕は肩で笑った。こういう小さなやり取りが、朝の緊張を解かしてくれる。

     ◇

 一限は現代文の小テスト。担任の「要約は骨だけでいい、肉は給食で食べろ」という古いダジャレにクラスが半分だけ笑う。灯のノートが僕の机の端へ滑ってきて、欄外に三つの見出しが並んだ。

〈対比の言葉を先に拾う〉
〈主語と述語を先に決める〉
〈比喩は一段落あとで解く〉

「以上、予想だけ。答えは書かない約束ね」

「それで十分。骨だけもらえれば、あとは自分で肉つけられる」

 テストは短くて素直だった。返却された答案の角に小さなスマイル印。先生の採点癖らしい。僕の紙にも、灯の紙にも同じ印がついていて、机の下でこっそり親指を立てた。

     ◇

 昼休み。パンの袋を開けると、近くのテーブルから「昨日の斜め写真、キャプションが削られて回ってるらしい」という声が聞こえた。内容は「距離は健全」の一言だけ。余計な想像が生まれる前に、芽を摘んだほうが早い。

 僕はクラスのグループチャットに短い説明を投げた。
――朝は声だけで挨拶(手は振らない)。図書室は向かい合って勉強、席は離して。写真は斜め。以上、心配なし。

 すぐに既読が並び、「了解」「健全了解」「斜めは盛れる」が返ってきた。廊下で雨宮とすれ違うと、無言で親指を立てられる。火の粉は小さいうちに払うのがいちばん簡単だ、と身体で覚えていく。

 昼の終わり、灯がパンの袋をたたみながら言った。

「ねえ、もう一つ練習したい。私、頼まれごとを断るのが苦手なの。だから――『今は無理。でも放課後の十五分なら手伝える』って言えるようになりたい。段取りで断る、ってやつ」

「賛成。断るのは拒絶じゃなくて段取りだ、って一緒に覚えよう」

 その“実戦”は思ったより早かった。チャイム直前、後輩が走ってきて灯に声をかける。

「三浦先輩、掲示用のプリント並べ替え、今手伝ってもらえませんか!」

 灯は一呼吸おいて、はっきり答えた。

「今は無理。でも放課後の最初の十五分ならできる。急ぎなら、掲示の順番だけ先生に聞いておいて。そしたら早く進むよ」

 後輩はきょとんとしてから、すぐ笑顔になった。「お願いします!」
 灯は目だけで「できた」と言って、僕はうなずいた。小さな成功だけど、こういうのを積み上げる約束だった。

     ◇

 四限が終わるころ、空が暗くなった。細かい雨が斜めに落ちはじめ、窓の外の白線がにじむ。昇降口で靴を履き替えると、灯は透明のビニール傘を二本抜き取った。

「一本の傘に入ると近すぎる。今日はそれぞれ持って、肩一枚ぶん離れて歩こう。声は少し大きめで」

「了解。水たまりは――」

「交互に譲る。合図はいらない、目でいける」

 軒先でそれぞれ傘を開き、肩一枚ぶんの間隔で歩き出す。歩幅を少し短くして、信号で止まるたびに先に一歩出る側を交代。水たまりが現れると、自然に交互で避けられた。言葉を使わなくても、並び方が会話になっていくのが分かる。距離を守るための決め事は、同時に歩調を合わせる合図にもなる。

「今日の“まとめ”、どうする?」と灯。
「朝の十秒、昼の“段取りで断る”、それと今の雨。三つのうち、どれか一つを日曜に送ろう。僕は十秒推し」

「私も。始まりの練習は長持ちするからね」

 横断歩道の白が雨で柔らかく滲んで、紙の端みたいに見えた。信号が変わるのを待つあいだ、灯がぽつりと言う。

「……ありがとう。今日、いろいろ助かった。私、多分“待ってもらえる”ってことに慣れてない。十秒は、たぶんそれの練習」

「僕も同じ。待つ側の練習、続けるよ」

 校門の軒先まで戻ると、雨宮が小袋を掲げて待っていた。

「配布物。肩一枚ぶんの目印シール。傘の内側に貼ると間隔が一目でわかる。冗談半分、本気半分」

 灯は笑って受け取り、少し考えてから返した。

「今日は言葉で覚える。もし迷ったら、これに頼る。ありがと」

「シンプル運用、了解」
 雨宮は肩をすくめ、湿った空気の向こうへ消えた。

     ◇

 家の近くで別れ道。雨音の膜が薄くなっていく。数分後、スマホが震えた。灯からのいつもの短文。

『今日の候補:十秒の朝/断る練習の初成功/雨の並走。日曜、どれにするか一緒に決めよう』

『十秒に一票。文章は僕が草案作るよ』と返すと、すぐ既読がついた。
 期末までの「彼氏のフリ」は、派手さがないぶん、さぼるとすぐ雑になる。だからこそ、十秒とか肩一枚みたいに小さくて確かな単位を、毎日積む。明日の朝も数える。十まで。彼女が自分の速度で一歩目を出すのに間に合うように。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

俺は陰キャだったはずなのに……なぜか学園内でモテ期が到来した件

こうたろ
青春
友人も恋人も居ないボッチ学生だった山田拓海が何故かモテだしてしまう。 ・学園一の美人で、男女問わず憧れの的。 ・陸上部のエースで、明るく活発なスポーツ女子。 ・物静かで儚げな美術部員。 ・アメリカから来た金髪碧眼でハイテンションな留学生。 ・幼稚園から中学まで毎朝一緒に登校していた幼馴染。 拓海の生活はどうなるのか!?

至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件

こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

静かに過ごしたい冬馬君が学園のマドンナに好かれてしまった件について

おとら@ 書籍発売中
青春
この物語は、とある理由から目立ちたくないぼっちの少年の成長物語である そんなある日、少年は不良に絡まれている女子を助けてしまったが……。 なんと、彼女は学園のマドンナだった……! こうして平穏に過ごしたい少年の生活は一変することになる。 彼女を避けていたが、度々遭遇してしまう。 そんな中、少年は次第に彼女に惹かれていく……。 そして助けられた少女もまた……。 二人の青春、そして成長物語をご覧ください。 ※中盤から甘々にご注意を。 ※性描写ありは保険です。 他サイトにも掲載しております。

陰キャ幼馴染に振られた負けヒロインは俺がいる限り絶対に勝つ!

みずがめ
恋愛
★講談社ラノベ文庫新人賞佳作を受賞しました!  杉藤千夏はツンデレ少女である。  そんな彼女は誤解から好意を抱いていた幼馴染に軽蔑されてしまう。その場面を偶然目撃した佐野将隆は絶好のチャンスだと立ち上がった。  千夏に好意を寄せていた将隆だったが、彼女には生まれた頃から幼馴染の男子がいた。半ば諦めていたのに突然転がり込んできた好機。それを逃すことなく、将隆は千夏の弱った心に容赦なくつけ込んでいくのであった。  徐々に解されていく千夏の心。いつしか彼女は将隆なしではいられなくなっていく…。口うるさいツンデレ女子が優しい美少女幼馴染だと気づいても、今さらもう遅い! ※他サイトにも投稿しています。 ※表紙絵イラストはおしつじさん、ロゴはあっきコタロウさんに作っていただきました。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

**俺、東大院生の実験対象にされてた。**同居している美人家庭教師のやばい秘密

まさき
青春
 俺は今、東大院生の実験対象になっている。  ある雨の夜、アパートの前にずぶ濡れの美女が立っていた。  「家庭教師です。住まわせてください」  突然すぎる申し出に困惑しながらも、なぜか断れなかった。  桐島咲楽、東大大学院生。成績は天才、料理は壊滅的、距離感はおかしい。毎日転ぶ、焦がす、なぜか距離が近い。そのくせ授業は鬼のように丁寧で、俺のことを誰よりもよく見ていた。  偏差値42だった俺の成績は、気づけば上がっていた。でも、それより気になることがある。  咲楽さんが、研究ノートに何かを書いている。「被験者」という文字が、見えた気がした。  距離が近いのは、データのためか。褒めてくれるのは、実験のためか。でも、あの顔は。あの声は。  「データじゃなくて、私がそう思っています」  嘘をついているような顔じゃなかった。  偏差値42の俺に、東大院生の美女が押しかけてきた。ドタバタな毎日の中で、俺の心臓が休まる暇がない。これはドキドキなのか、心配なのか。それとも、もう恋なのか。  不器用な天才と、鈍感な高校生の、やばい同居生活。

貞操逆転世界で出会い系アプリをしたら

普通
恋愛
男性は弱く、女性は強い。この世界ではそれが当たり前。性被害を受けるのは男。そんな世界に生を受けた葉山優は普通に生きてきたが、ある日前世の記憶取り戻す。そこで前世ではこんな風に男女比の偏りもなく、普通に男女が一緒に生活できたことを思い出し、もう一度女性と関わってみようと決意する。 そこで会うのにまだ抵抗がある、優は出会い系アプリを見つける。まずはここでメッセージのやり取りだけでも女性としてから会うことしようと試みるのだった。

処理中です...