上 下
46 / 48

第44話 雑貨屋、見つける

しおりを挟む
 それからキマドリウスは疲れも忘れて走った。
 足に絡みつく雪も、頬を冷やす冷気も関係ない。

「はあっ! はっ、はあっ! はっ!」

 白い息を何度を吐きながら、彼は走る。
 そして気が付けば、雪が降ってきた。

 それは白くも淡く、純粋にして可愛らしい。
 まるで彼の心を突き動かす少女のよう。

 だが降る雪はいくら可愛らしくとも、必ず積もるもの。
 幼く小さな命は、白き地と混ざり合い溶けてしまう。
 そして、その果てには何一つ残らない──

 だからこそスノウドラゴンとユカが彼の目にようやく入った時、彼の心は焦燥感で包まれ、喉は自然と咆えていた。

「ユカーーーッッ!!」

 彼が走りながらも咆える先。
 そこにはいるのは、結界を背に膝を震わせるユカと、彼女を追い詰める白い巨龍、スノウドラゴン。

 その頭の大きさだけでも人間の背丈以上あり、全長で言えば家屋数軒分はある。
 そしてそんなスノウドラゴンは、今まさにその大きな口を開けて、獲物の命を刈り取ろうとしていた。

「UGAAAAAAAAAAAAAA!!!!!」

「……き、キマっ!」

 キマドリウスはその状況を見て、足を止める。
 だが恐怖を感じて止めたのではない。
 魔術を行使する為だ。

「『永劫の闇、終焉の──」

 彼は腕を伸ばし、詠唱を口にする。
 しかし……彼の詠唱は間に合わない。

「UGYAAAAAAUUUU!!」

 スノウドラゴンは巨大な顎でユカに噛み付く。
 そして、

 ――グチュッッ!

 と彼女の右腕を噛み千切った。

「ゆ、ユカッ!!」

 キマドリウスは詠唱を止め、声を飛ばす。

 いつもの彼なら詠唱を最後までやり遂げ、確実に魔術を行使するだろう。
 だが、今の彼は明らかに冷静さを失っている。
 それ程までに深く、ユカの存在が彼の心に染みついているのだろう。

 ならばこの惨状に目に、怒りが芽生える。

「……ぐっ!」

 彼は顔を歪ませ、拳を固く握る。
 すると、不思議と彼の身体には暗黒の光が纏わり始める。

「UGAAAU!!」

 獲物の右腕を堪能する暇は無く、スノウドラゴンは背後を振り返る。
 長年つちかってきた野生の勘が告げたのだろう、「この悪魔を放置は出来ない」と。

「振り返りさえしなければ、楽に死ねたものを」

 気が付くと、キマドリウスは人間らしい見た目を捨てている。
 彼の頭には二本の角が生えている。

「まぁ良い。これでお前も悔いる事が出来る」

 すっ、と彼は腕を再度前に突き出す。

「さすればスノウドラゴンよ、冥府で悔いろ……この俺の大切な人を傷つけた事をなッッ!!!」

 瞬時。
 詠唱すらなく彼の腕から魔術が放たれる。

 それは一言で言うならば『暗黒の奔流』。
 闇が極限にまで凝縮され、ただ龍の命を奪おうとする様は、まさにそう言えよう。

 だが、龍はその一撃をただただ静観している訳では無い。

「UGAAUUUU!!」

 魔術によって周囲の雪を舞い上げ、自身の身に纏う。
 即席とはいえ、スノウドラゴンの雪の装甲は魔力が通され、実に鋼鉄にも近い強度を誇る。
 そして、

「関係ないッ! 砕け散れッ!」

 暗黒の奔流はそんな雪の装甲にぶつかる。

「うおおおおぉぉぉぉ!!」
「UGAAAAAAA!!」

 キマドリウスは全魔力を注ぐ。
 対してスノウドラゴンも必死になって雪の装甲を維持する。

 これでこの戦いが決まると言ってもいいだろう。
 もしキマドリウスが攻め切れなければ、魔力と共に戦う力を失い、もしスノウドラゴンが守り切れなければ、その身体は闇に飲まれ消え去る。

 まさに"必死"。
 そして、互いに一歩も譲れない攻防の末に残るのは──キマドリウスだった。

「UGAAAAAAA!!!」

 圧倒的な威力に耐え切れず、雪の装甲は瓦解する。
 そして守り切ることの出来なかったスノウドラゴンは、身体に大穴を開けられ、地を震わす咆哮と共にその場に倒れた。

「はあっ……はぁ……」

 これで終わりだ。
 だからキマドリウスは走った──ユカのもとへと。

「ユカっ! ユカっ!」

「……き、ま……」

 すると彼女はまだ、息をしていた。
 だが、失った右腕から大量に血を流し、力無く地面に倒れている様を見れば誰だって分かる。
 彼女はもう、助からない。

「……すまないユカ。俺が留守にしたばっかりに」

 キマドリウスはしゃがみ込んで、ユカの左手を握る。
 だが、その力は弱い。
 降る雪にさえ解かれかねない。

 ユカはそんな彼を見て、

「……いいんだよ。……キマは、悪くないもん」

 無理やり笑みを作る。

「……それより、今のキマ……ちょー悪魔っぽい」

「当然だ。だって俺は冷酷無比な悪魔だからな」

「ふふっ……それ、嘘でしょ」

「本当だ。だからお前を一人にしてしまった……」

 キマドリウスの瞳から涙がこぼれる。
 そしてその涙はユカの左手へと滴る。

「……泣かないで、キマ」

 ユカは彼の頭を撫でようと懸命に右肩を動かすが、その先は無い。
 それがたまらなく空しくて、悲しい。
 しかし死にかけの身体では涙すら出てこない。

 あまりにも無力。
 だからこそ、唯一動く口を開くしかない。

「……ねぇキマ」

「……うぅ……なんっ、だっ?」

「……結局『やりたい事』は見つかった?」

「……あぁ……ひっく……」

「……教えてよ」

 この頼みを断れるはずが無い。
 だから彼はゆっくりと口を開く。
 そして漏れる嗚咽を抑えながら、しっかりと言葉を紡いだ。

「俺の『やりたい事』は……いつまでもお前といる事だ、ユカ」

「……そう、ありがと」

「ひっく……」

「……じゃあ、最後に……私からもいい?」

「……当ぜっ、んだ……」

 その言葉を聞いて、ユカは安堵して瞳を閉じる。
 そして、

「……好きだよ、キマ」

 そう言い残して動かなくなった。
しおりを挟む

処理中です...