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静かなる暴走
その時、鍵穴が開いた。
しおりを挟む「はっ?!まさか、サファイヤ!!」
サファイヤが俺の目を見てしっかりと頷いた。
「楓はまだ子供なんだし、ましてや情緒不安定となれば、記憶奪取・改竄能力を上手く扱えなくて当然だと思う。例えば、佳奈美さんなら…」
サファイヤは佳奈美さんの席に近づいて、佳奈美さんの方に手を添えた。
「佳奈美さんは人間だ。もし仮に、佳奈美さんの身体にも記憶があるとする。そこで楓が、佳奈美さんの身体が持っている記憶を変えてしまったとする。この身体は、人間ではなく吸血鬼だってね」
身体が記憶を持つ…?
脳以外の臓器にそんなことがあるのか…?
意外にも峻兄さんは、サファイヤの言葉に何度も頷いていた。
「実はそれは、臓器提供と密接に関わってる」
峻兄さん曰く、臓器提供を受ける前後で、提供された人の好みや趣味に変化が生じることはよくあるのだそう。驚くことに、変化した後の好みや趣味は、臓器提供者のそれと面白いくらいに一致するのだそうだ。
「あの…」
え、誰?
声の主は確かに彗星なのに、俺の知らない男子の声を発した。彗星もそれに気付いて、口を両手で抑えている。
「私の…声が…」
男の声。
彗星の首に喉仏がある。
異変が進んだ。
『中村のオッサン!!楓がまた…』
火の玉たちが会議室の中に大量になだれ込んできた。
『先輩、失礼します!』
中村はそう言って、慌ただしく部屋を出ていった。彗星も中村の後についていこうとしたが、一裕が彗星の腕を掴んで止めた。
「今は…楓を刺激しないほうが良いと思う…」
彗星は暫くの間、中村の背中をじっと見送っていたが、小さく頷いて一裕に手を引かれて席に付いた。
楓が情緒不安定になるたびに
俺達の身体の記憶が塗り替えられていく。
「あの…灰色の世界って何かわかりますか?」
中村が出ていってから、一裕と彗星は席に項垂れているし、田村はその2人に気を遣っているしで、ぎこちない雰囲気が会議室に広がった。それに耐えきれなくなったのか、蓮が田村に尋ねた。
『そちらですね、中村からも伺いまして。私が推測するに、亡くなったことに気が付いていない魂の集い場ではないかと』
亡くなったことに気が付いていない。
りこも圭吾もそうだった。
桜大は、自分が亡くなったことを知っていたから、あの世界にはいなかった。
でも、そうすると…楓も亡くなっていたことになる。
『皆様、灰色の世界について詳しいことを知っているかもしれない者が同じ部署におりますので、お呼びしますね』
田村はそう言って会議室の電話で誰かを呼んだ。
『あ、かんさん。どうも~。ちょっとだけ来てくれますかね』
5分くらいして、かんさんと思われるグレーのスーツ姿の男性がやって来た。髪の毛に白髪が混ざっているから、50代くらいだろうか。
『あ、どうも、はじめまして。棺と申します』
彼はそう言って首から下げた名前カードを俺達に順番に見せていった。平仮名で「ひつぎ」と印字されている。
棺?
それが名前?
『私はですね、棺桶の物の怪会の会長を務めております。皆さんがね、棺と呼ぶのは何か嫌だからといって、かんさんと呼ばれるようになったんですよ』
棺桶の物の怪…。
「70年後か80年後にお世話になります…」
俺もいつの日かこの人にあの世に連れて行ってもらうんだろうか。
『いえいえ、そんな。焦らずにどうか』
棺は自分の胸の前で両手をヒラヒラさせた。
『かんさん』
田村が棺を自分の横に座らせると、灰色の世界について尋ね始めた。
『ああ…亡くなったことに気付いていない魂なら沢山いらっしゃるしね』
棺曰く、特に子供は亡くなったことを知らない場合が多いそうだ。だが、あの世から見守っていたご先祖が迎えに行ってその子たちをあの世に連れてくることが珍しくないのだそう。恐らく、ご先祖に気付いてもらえない魂が、灰色の世界にいるのではないかと棺は推測した。
『俺さ、連れてこようか?』
峻兄さんのポケットから桜大がぴょこんと顔を出した。
『俺の友達に、死んだことに暫く気付いていなかったって奴がいるからさ』
『あ、僕も連れてくる』
『りこも、りこも!』
3人の火の玉がアヒルの親子みたいに列に並んでチョコチョコと会議室から出ていった。3人とすれ違いで中村が会議室に戻って来た。
『お父さん、お母さん』
中村がゲッソリと痩せ細って見える。中村は2人を、自分のもとに手招きした。
『楓くんはひとまず落ち着きましたが、急ぐのは危険です。明日か明後日くらいに一度、可能であれば面会日を設けようと思いますが』
明後日?
正直、そんなに時間の余裕はない。だけど、楓の気持ちを刺激して、俺たちの異変を加速させるのはもっと駄目だ。
『お時間でしたらご心配は不要かと』
中村が言うには、死後の世界と生者の世界では時間の進む速さが全く違うのだそうだ。
『こちらで仮に1日過ごしても、生者の世界では1時間も経っておりませんので』
ということは…生者の世界では、俺達がここにやって来てから10分も経っていないということか。
「ゆっくりで良いですから…」
彗星が低い声を振り絞って、項垂れていた顔をしっかりと中村に向けて伝えた。
「楓の気持ちを何よりも優先してやって下さい。…お父さんもお母さんも、皆待ってるから、心配しないでおいで、とだけ…伝えておいてもらって良いですか」
『ヤッホ~』
『どうも~』
『こんにちは』
『呼んだ~?』
桜大たち3人が大量の火の玉を連れて戻って来た。色とりどりの火の玉が、アリの行列みたいに隊を組んで会議室に入ってくる。
「こんなこと聞いて、ごめんね。君達は…亡くなったことに気が付いてなかったって本当?」
佳奈美さんのズボンや上着のポケットに、4つの火の玉が潜り込んでいった。
『そうだよ』
そのうちの1つが、ポケットから顔を出して答えた。
「…君達は、ここに来る前、どんな所にいた?」
蓮は、自分の足元をピョンピョン飛び跳ねている5つくらいの火の玉に尋ねた。
『何かね、こんな色の空間にいた』
1つの火の玉が、棺のスーツに引っ付いた。
グレー…灰色だ。
灰色の世界は…死者の世界だった…のか。
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