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静かなる暴走
約束
しおりを挟むチク…タク…チク…タク…
時計の針が、静かに時を刻んでいく。フロストが、ふと思い出したように、医務室の壁に掛けられた大きな時計に視線をやった。
「しまった。あと5分で会議だ」
フロストは慌てつつも丁寧に身嗜みを整えると、彗星に深々とお辞儀をした。
『おお…』
フロストの身体が、緑の淡い光に包まれていく。両足、両ふくらはぎ、腰…。
異世界への移動スポットだ。
中村は、一歩遠ざかって、フロストを包みながらゆらゆらと踊るように揺れるその緑色の光を、好奇心と微量の恐怖を含んだような表情を顔に浮かべて眺めている。
「レオ。お前もだろ。新種細胞の研究成果を発表するんだろ?」
フロストは緑の光に包まれたまま、レオの手を引っ張って立たせた。
「あ…ああ、そうだった。行かないと」
ブワン…
フロストを包んでいた緑色の光は、レオの大きな身体も包んだ。レオは最後に忘れ物が無いかを確認するように、医務室の中をグルリと見渡した。
「師匠。楓くんは僕が見てます」
リオネルが、緑の光に包まれるレオに向かって、大きめの声で言った。
俺も前にエメラルドたちと一緒に異世界への移動スポットを通じて獣神国に行ったが、スポットの中は外からの音が聞こえにくいのだ。プールに潜っている時に、プールサイドでお喋りを楽しんでいる人たちの会話が、ボワボワと曇って聞こえるのと同じような感覚。
「楓くんを頼んだ」
光の中のレオは、何処か誇らしげな笑みを口元に浮かべて、リオネルの顔を見ながら小さく頷いた。
「では、皆さん。失礼致します」
緑色の光が、一瞬だけ明るく光った。緑の光が見えなくなった時には、2人の姿は既に見えなくなっていた。
中村は、跡形もなく消えた2人の名残を探すように、2人が立っていた場所を静かに見つめている。中村の口元が、ヒクヒクと痙攣するように小さく震えている。人間ではない存在がいた。その事を、中村はやっと実感しているようだった。彗星と一裕は、フロストから渡された指輪を、それぞれの手に強く握っている。
「中村さん。急で申し訳ありませんが、医務室横の部屋をお借りしても宜しいでしょうか…」
リオネルは当然のことながら、2人が目の前から姿を消しても動揺を見せることなく、今後の楓の様子を見守るために自分が泊まれる部屋を貸してほしい旨を、中村に相談し始めた。
「あの…私達も楓の近くにいたい…けど…」
彗星がリオネルの背中に向かって声を掛けたが、高校生という年齢で一裕と同じ部屋で寝泊まりするわけにはいかないと自ら気付いたのか、最後の方の言葉は、すぐ隣に立っている俺でさえ聞き取りにくいほど小さくて曖昧だった。
「大丈夫です」
リオネルが、毛先が緑色の黒いたてがみを揺らして振り向いた。中村は、リオネルのたてがみが自分の顔に当たりそうになるのを、ギリギリのところで仰け反って避けた。リオネル張本人は、避けた拍子にバランスを崩して中村が後ろに尻もちを付いたことには全く気付かなかった。
「楓くんは、私が責任を持って見守りますから」
楓は、相変わらずベットの中で縮こまるようにして背中を丸めて眠っている。レオが、フロストが帰ったことも知らずに。
俺の服がモゾモゾと動いた。
『お腹空いた』
晴馬が起きたのだ。晴馬はモゾモゾと身体を動かして、俺の服の中から袖を通って出てきて、俺の肩の上にチョコンと乗った。
『あれ?消しゴムさん、何処いった?』
「帰ったよ。お仕事だって」
俺は晴馬の火の玉を見ているうちに、どうしようもなく晴馬を触りまくりたいという衝動に駆られた。ヒヨコやハムスターのような温もりと柔らかさ…。俺は試しに晴馬の背中と思われる場所をつついてみた。マシュマロのような柔らかさと弾力性…。
「晴馬。可愛いよ、お前」
俺は肩の上に乗っている晴馬を両手で包み、晴馬の身体を親指で優しく揉んだ。プニプニとした可愛い触感が指先から伝わって、全身を駆け巡るような感覚。
『えへへ。くすぐったい』
何故だ。
どうして、晴馬の全てがこんなにも愛おしく感じるのだ。
晴馬がいれば、どんな疲れも吹き飛んでしまいそうな感覚。
生まれて初めての感覚。
『ねえねえ、ウルフ。僕…お願いがある』
晴馬が俺の両手の中から、器用に抜け出すと服をよじ登って再び肩の上に腰を降ろした。
『将来さ、僕のパパになってほしい』
晴馬の温もりが、肩に優しく伝わる。晴馬は恥ずかしそうに身体をモジモジと動かし、鎖骨の窪みのところにバランスを崩してポテッと落ちた。
俺が…晴馬の…パパ…?
俺が…パパ…?
「良いよ。良いの?」
晴馬が俺の言葉に返事をするように、肩の上で明るく輝き始めた。
『ウルフなら…死ぬのが怖くて生まれるのが怖かったけど、生まれてみようかなって…』
晴馬の声が、小さく震える。思い出したくない過去を、忘れようとするほど思い出してしまう苦しみに耐えているよう。
こういう時こそ、黒憶虫が活躍すれば良いのに。晴馬から、あの忌まわしい記憶が消えてしまえば良いのに。
俺は晴馬の火の玉を、両手で優しく包んだ。俺の両手の内側が、晴馬の淡い光に明るく照らされる。俺の両手の中で、晴馬の火の玉の光が、ゆらゆらと揺れる。
晴馬は、生きている。
晴馬は、俺と一緒に生きていくんだ。
やがて俺が死んだあと、晴馬が他の誰かとの間に子供を成し、命を繋いでいくんだ。
「俺はまだ高校生だから、あと5年は待っていてくれるか?」
晴馬が俺の両手の中で、柔らかい光を放って輝く。
もし…。
晴馬が本当に将来、俺の息子として…いや、娘になるかもしれないが、生まれてきたときは…なんて名前を付けようかな。
まあ…。まずは彼女探しだな。
『ウルフ…』
晴馬が両手の隙間から、小さな顔を覗かせた。
『手伝ってほしい宿題がある…』
「提出期限はいつだ」
『…1時間後』
「早よ言わんかい!」
俺は晴馬を両手に包んだまま、リオネルに軽く会釈すると部屋に向かって勢い良く走り出した。
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