ステータスなしの元人気メンタリスト、異世界の最強ドラゴンをお手だけで服従させる~目を見ただけで思考が読めるので、魔法使いが詠唱してくれません

マーマー

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第1章第2節 賢者の正体と、暴走する噂話

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 冒険者ギルド『竜の顎(あぎと)』から三本ほど裏通りに入った、薄暗い路地裏。
 腐った野菜とドブの臭いが充満するその場所で、さきほど「最強の魔導師」として喝采を浴びた男は、壁に手をついて盛大にえずいていた。

「……おぇ、ごふっ……。し、死ぬかと思った……」

 レン・クロウリーの足は、生まれたての子鹿のようにガクガクと震えていた。
 呼吸は浅く、心臓は早鐘を打っている。
 額に浮かんでいた冷や汗が、今になって堰を切ったように流れ落ちてくる。
 胃の中身が逆流しそうな不快感を、レンは必死に唾と一緒に飲み込んだ。

(あんなの、まぐれだ。奇跡だ。二度は通用しない……!)

 レンは自身の胸を抑えながら、先ほどのボルグとの対峙を脳内で反芻(リプレイ)する。
 『金縛り』の種明かしは単純だ。催眠誘導における『カタレプシー(硬直)』現象を利用したに過ぎない。
 人間は「動かない」と強くイメージすればするほど、脳が筋肉に抑制信号を送る。特にボルグの場合、「古傷の激痛」という身体的リアリティと、「こいつは俺の秘密を知っている」という心理的動揺が重なり、被暗示性が極限まで高まっていた。
 そこに、「指を鳴らす」という聴覚的なアンカー(条件付け)と、周囲の「あれは魔法だ」という環境要因(ピア・プレッシャー)がダメ押しとなったのだ。

 理論上は説明がつく。だが、実践するのは綱渡りなんてレベルではない。
 もしボルグが話を聞かないタイプの馬鹿だったら?
 もし痛みを快楽に変えるドエムだったら?
 その時点でレンの首は胴体とおさらばしていたはずだ。

「……帰ろう。早く家に帰って、鍵をかけて引きこもろう」

 レンはフードを深く被り直し、人目を避けるようにスラム街の奥へと足を速めた。
 幸い、このスラムは迷路のように入り組んでいる。表通りの冒険者たちが追ってきても、そう簡単には見つからないはずだ。
 誰とも目を合わせないように、影に溶け込むように歩く。今の彼に、先ほどの「不敵な賢者」の面影は微塵もない。ただの、社会の隅っこで震える小市民だ。

 朽ちかけた木造長屋が密集する、スラムの最深部。
 その一角にある、今にも倒壊しそうなボロ小屋がレンの自宅だった。
 ドアノブはなく、紐で固定されただけの扉。
 レンが慣れた手つきで紐を解き、中に入ろうとしたその時――。

「――おかえり、お兄ちゃん」

 頭上から、鈴を転がしたような少女の声が降ってきた。
 ビクッとしてレンが見上げると、屋根の梁(はり)の上に、小柄な人影がちょこんと座っていた。
 ボロボロのポンチョを纏い、目元以外を布で隠した少女。
 スラムで盗賊稼業を営む孤児、ルナだ。

「……ルナか。心臓に悪いから、上から登場するのはやめてくれ」
「ごめんごめん。でも、気配を消せてたでしょ? 少しは腕が上がったかな?」

 ルナは音もなく地面に着地すると、クリクリとした大きな瞳を輝かせた。
 いや、気配を消せていたわけではない。単にレンがビビりすぎて、周囲の微細な物音(屋根の軋みや衣擦れの音)に過敏に反応していただけなのだが、彼女の崇拝フィルターを通すとそれすらも「達人の察知能力」に変換される。

「で、どうしたんだ? 今日は仕事(スリ)の日だろ」
「それどころじゃないよ! 聞いたよ、ギルドの話!」

 ルナが興奮気味にレンの鼻先に迫る。
 レンは反射的に半歩下がる。パーソナルスペースの侵害だ。近い。目がキラキラしすぎていて怖い。

「あの『岩砕き』のボルグを、指一本触れずに倒したんでしょ!? 街中その噂で持ちきりだよ!」
「……は? もう?」

 レンは顔を引きつらせた。
 ギルドを出てから、まだ三十分も経っていない。

「『情報の伝播速度』を甘く見ちゃダメだよ。特にスラムのような閉鎖的コミュニティでは、娯楽に飢えている分、衝撃的なニュースは尾ひれをつけて光の速さで広まるんだから」
「いや、君が解説しなくていいから……」

 レンは頭を抱えた。
 これこそが『流言(デマ)』のメカニズムだ。
 人は情報を伝達する際、無意識に「強調(Sharpening)」と「脱落(Leveling)」を行う。面白い部分はより大袈裟に、都合の悪い部分はカットされる。
 おそらく、今のレンの噂は「ボルグを睨み殺した」とか「指先から黒炎を出した」とか、原形を留めていない怪物譚になっているに違いない。

「お兄ちゃん、大丈夫? 顔色が悪いよ」

 ふと、ルナが心配そうに覗き込んでくる。
 彼女は、レンが魔力ゼロであり、腕力も自分より弱いことを知っている数少ない人物だ。
 しかし、彼女には致命的な「勘違い」があった。

「……もしかして、また『アレ』を使ったの? 命を削って魔力を練り上げる、禁断の秘術……」
「違う。ただの暗示だと言ってるだろ。催眠術の一種で……」
「無理しないで! わかってるよ、お兄ちゃんは強大すぎる力を制御するために、普段はわざと弱く振る舞ってるんだもんね。その封印(リミッター)を一部でも解除したら、反動で体がボロボロになっちゃうんでしょ!?」

 ルナは涙目でレンの手を握りしめた。レンの手はまだ冷たく、小刻みに震えている。それを彼女は「魔力枯渇の震え」だと解釈したようだ。
 彼女の中の設定(脳内補完)は、日に日に重厚かつ複雑になっている。
 レンがただ「疲れた」と言えば「魔力欠乏(マナ・ドレイン)」と解釈され、腹が減って腹が鳴れば「内なる獣の咆哮」と翻訳されるのだ。

(……訂正するのは諦めよう。今は、この誤解を利用して身を守るしかない)

 レンは深く息を吐き、諦めの境地でルナの頭をポンポンと撫でた。

「心配ないよ、ルナ。少し……神経を使っただけさ。水を飲んで休めば治る」
「うん……私が絶対にお兄ちゃんを守るからね。お兄ちゃんが世界を壊さないように、私が支えるから!」

 健気な妹分だが、その決意の方向性が壮大すぎて胃が痛い。
 とにかく、今は休みたい。
 レンが重い足取りで小屋に入ろうとした、その時だった。

 ――コン、コン。

 粗末な扉の枠を、誰かがノックした。
 丁寧だが、有無を言わせない確固たる意志を感じさせる音。
 スラムの住人はノックなどしない。蹴破るか、勝手に入ってくるかのどちらかだ。
 つまり、訪問者は「外」の人間。

 レンとルナの視線が交差する。
 ルナが一瞬で気配を変え、腰の短剣に手を添えて警戒態勢に入った。殺気が漂う。
 レンは(やめてくれ、短剣なんか出したら交渉が決裂する)と目で制しながら、深呼吸を一つ。

(スイッチを入れろ。ビビるな。ナメられたら終わるぞ)

 一瞬で表情筋をリセットする。
 口角を上げ、眉間の皺を消し、瞳孔の開きを意識的にコントロールして「余裕のある賢者」のマスクを被る。

「……どうぞ。鍵はかかっていない」

 レンが落ち着いたバリトンボイスで応じると、ギギーッと音を立てて扉が開かれた。
 逆光の中に立っていたのは、一人の老紳士だった。
 背筋は定規のように伸び、仕立ての良い執事服を着こなしている。白髪は一分の隙もなく撫で付けられ、その眼光は老いてなお鋭い。

 ただの執事ではない。
 レンの観察眼が、即座に相手の情報をスキャンする。

(重心が安定している。足運びが静かすぎる……武術の達人だ。それも、剣だけでなく体術も修めている。手の甲にあるタコは、長年剣を握り続けた証)

 視線を下に走らせる。

(靴底の縁に、赤い土が付着している。この王都の土は黒土だ。赤土があるのは北の国境付近の山岳地帯だけ。つまり、北から馬を飛ばして帰ってきたばかりだ。さらに、袖口のボタンが一つ取れかけている。身だしなみにうるさそうなこの老人がそれを放置しているのは、ボタンを直す暇もないほどの緊急事態が起きている証拠)

 そして、決定的なのは胸元の刺繍。
 上着の折り返し部分に、隠すように縫い込まれた紋章が見えた。
 
(剣と百合……ロムレス王国の王家紋章だ)

 スラムに最も似つかわしくない、雲の上の存在。
 王家直属の人間が、なぜこんな場所に?

「お初にお目にかかります。レン・クロウリー様で間違いございませんでしょうか」

 老紳士は流れるような動作で一礼した。
 その所作には、一切の隙がない。
 レンは心臓が口から飛び出そうになるのを必死で堪えながら、椅子に座ったまま足を組んだ。ここで立って出迎えては「格下」だと認めることになる。
 足の震えを隠すために組んでいるだけだが、傍目には「王家の使いすら見下ろす傲岸不遜な態度」に見えるだろう。

「……僕の名を知っているということは、用件も一つだろうね」
「ご慧眼、恐れ入ります」

 老紳士は顔を上げ、穏やかだが値踏みするような視線をレンに向けた。
 その目は、レンの挙動一つも見逃すまいとする観察者の目だ。

「私はガレスと申します。かつてはこの国の軍を預かっておりましたが、今は隠居の身。……単刀直入に申し上げましょう」

 ガレスは一拍置き、スラムの腐臭など気にも留めない様子で言葉を続けた。

「冒険者ギルドでの一件、耳にいたしました。無詠唱、かつ無動作での精神干渉魔法。Aランク冒険者を赤子のようにあしらったその手腕……まさしく、今のこの国が必要としている『力』です」

(やっぱり噂になってるううう! しかも元軍司令官!? 一番バレちゃいけないプロ中のプロに来られちゃったよ!)

 レンの内心はパニック状態だ。
 素人が相手ならハッタリも通じるが、歴戦の猛者相手に心理トリックがどこまで通用するか。
 もし「魔力ゼロ」がバレれば、その場で不敬罪として斬り捨てられるかもしれない。いや、機密保持のために消される可能性の方が高い。

「買い被りすぎだよ。僕はただの……」
「謙遜は不要です」

 ガレスはレンの言葉を遮り、一歩踏み出した。その目には、縋るような、それでいて燃えるような熱が宿っていた。

「観察させていただきました。貴方様、今、恐怖を感じておられますね?」

 ドキリ、とレンの心臓が跳ねた。
 バレたか? 足の震えが見えたか?
 レンの喉が渇く。唾を飲み込む音すら、この静寂では爆音に聞こえそうだ。

「……ほう? なぜそう思う?」

 レンは表情を崩さず、逆に問い返す。
 『質問返し』。答えに窮した時の基本テクニックだ。

「貴方様の視線です。私が入室してから一度も、私の喉元から視線を外されていない。それは、いざとなれば一撃で私の急所を突くための『殺意』の裏返し。……この老骨相手にそこまで警戒なさるとは、なんと慎重で、慈悲深いお方か」

 ――は?

 レンは瞬きを堪えた。
 視線を外さなかったのは、単にビビって目が泳ぐのを防ぐための「凝視法」を維持していただけだ。
 喉元を見ていたのは、視線を合わせると威圧感に負けそうだったから、あえて焦点をずらして(ソフトフォーカスにして)相手の全体像をぼんやり見ていただけだ。

「……私の気配を察し、妹君(ルナ)に護衛をさせていたのも流石です。私が敵であれば、今頃背後から首を掻き切られていたでしょう」

 ガレスは背後の梁(はり)に潜んだルナの気配すら察知していたらしい。
 ルナが殺気立っているのを、レンの指示による「布石」だと勘違いしている。

「……ふっ。よく見ているな、古強者(ふるつわもの)」

 レンはニヤリと笑った。
 笑うしかなかった。
 否定しても無駄だ。この老人は、自分に都合の良いように全ての情報を解釈する『確証バイアス』の渦中にいる。
 ならば、乗っかるしかない。

「僕の『目』を欺けるとは思わないことだ。ガレス卿、君がここに来た理由は、単なるスカウトじゃないね?」

 レンは鎌をかけた。
 情報を小出しにして、相手に勝手に答え合わせをさせる『コールドリーディング』の応用だ。

「君の靴の赤土。そして、その袖口のほつれ。……相当急いで、北から戻ってきたようだね」

 ガレスの肩がピクリと跳ねる。

「……ッ! そこまで、見えておられるのですか」
「当然だ。王家の紋章を隠し持つ君が、なりふり構わずスラムへ来る理由。……『誰か』を助けたいのだろう?」

 これは『バーナム効果』に近い。誰にでも当てはまる曖昧な推測だ。王家の人間がスラムに来るなら、人探し可、密命か、助けを求めてくるかのどれかだ。そしてガレスの必死な形相は「救済」を求めている。

 しかし、ガレスの反応は劇的だった。
 彼は震える手で膝をつき、最敬礼の姿勢をとったのだ。

「まさに、『千里眼の賢者』……! 全てお見通しとは、恐れ入りました」

 ガレスは床に頭を擦り付けんばかりに平伏した。

「どうか、そのお力をお貸しください! 北の離宮に幽閉されている、第二王女……いえ、元近衛騎士団長セシリア様が、無実の罪で処刑されようとしているのです!」

(……え? 王女? 騎士団長? なんか話がややこしいことになってないか?)

 レンの脳内データベースが高速で検索をかける。
 セシリア。かつて最強と謳われた女騎士。だが、王族だったという話は初耳だ。
 どうやらレンは、一杯の水を飲むためにギルドに行っただけで、国家転覆レベルの陰謀に片足を突っ込んでしまったらしい。

「断ると言ったら?」

 レンが試すように言うと、ガレスは顔を上げ、老獣のような決死の形相で懐から短剣を取り出した。
 ルナが反応して飛び降りようとするのを、レンは目で制する。

「その時は、この場で腹を切り、貴方様の衣を汚してでも懇願いたします。……この国にはもう、貴方様しかいないのです!」

 迷惑すぎる。
 だが、ガレスの目は本気だ。ここで断れば「腹を切る(物理的な死体処理の発生)」か、あるいは秘密を知った者として「口封じに殺される」の二択。
 どちらに転んでも、レンの平穏な生活は終了だ。

 レンに残された道は、詐欺師としての才能をフル動員して、この場を切り抜けることだけだった。

(……ああ、トイレ行きたい。マジで漏れそうだ)

 レンは内心で絶叫しながら、表面上は最高にクールな笑みを浮かべ、静かに頷いた。

「いいだろう。話を聞こうか、ガレス」

 こうして、最弱の詐欺師は、最強の参謀と、とんでもない厄介事を抱え込むことになってしまったのである。
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