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第4章第9節 狂信者の反撃
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翌朝。
レンは、小鳥のさえずりではなく、エリナの甘ったるい声と、鼻腔をくすぐる紅茶の香りで目を覚ました。
「……おはようございます、レン様。……よく眠れまして?」
目を開けると、視界いっぱいにエリナの完璧な笑顔があった。彼女はベッドサイドに座り、レンの顔を覗き込んでいる。その距離、およそ十センチ。至近距離で見ても毛穴一つない陶器のような肌と、宝石のように輝く瞳が、朝の光を受けてキラキラと輝いている。
(……うわっ、近っ! ……朝っぱらから心臓に悪いっての! ……ていうか、いつからそこにいたんだよ……)
レンは内心で悲鳴を上げながらも、表面上は穏やかな「賢者の目覚め」を演じた。
「……ああ、おはよう、エリナ。……君のおかげで、ぐっすり眠れたよ」
彼はゆっくりと体を起こそうとしたが、左手に繋がれた鎖がジャラリと音を立てて、それを阻んだ。鎖の先は、エリナの左手首にしっかりと固定されている。
「……ふふっ。それは何よりですわ。……さあ、朝食になさいませ。……今日も、私が『あーん』して差し上げますからね?」
エリナは、サイドテーブルに置かれた銀の盆から、スプーンで粥をすくい上げ、レンの口元に差し出した。粥からは、昨日と同じ、あの独特なハーブの香りが漂っている。
(……またこれかよ。……美味しいけどさ、自分で食べさせてくれよ……。……完全に介護じゃん……)
レンは、屈辱と胃痛に耐えながら、差し出されたスプーンをパクりと咥えた。エリナは、まるで愛玩動物に餌を与える飼い主のような、満足げな表情でそれを見つめている。
その時だった。
離宮の静寂を破る、騒がしい足音と、怒号のような声が廊下から聞こえてきた。
「……開けろ! ……異端審問局だ! ……正式な令状がある!」
レンの心臓が、ドクリと大きく跳ねた。この声は、聞き覚えがある。
エリナの動きが止まった。スプーンを持ったまま、彼女の顔から表情が消え失せた。
バンッ!!
という乱暴な音とともに、部屋のドアが外から蹴破られた。強化された魔力錠が、物理的な衝撃で破壊されたのだ。
部屋になだれ込んできたのは、数十人の武装した異端審問官たちだった。彼らは全員、顔を覆うフードを目深にかぶり、手には魔力封じの杖や、抜き身の剣を握りしめている。その殺気立った雰囲気は、昨日の法廷での比ではなかった。
そして、その先頭に立っていたのは、包帯で頭をぐるぐる巻きにし、杖をついた男――ガイウスだった。
「……見つけたぞ、魔女め! ……そして、その協力者!」
ガイウスが、憎しみに満ちた目でレンたちを睨みつけた。彼の顔は、昨日の屈辱と、エリナの魔力で受けたダメージで、どす黒く変色し、醜く歪んでいる。その瞳孔は、興奮剤でも打ったかのように開ききっており、呼吸は荒く、肩が激しく上下している。
「……ガイウス審問官」
エリナが、スプーンを盆に戻し、ゆっくりと立ち上がった。鎖がジャラリと鳴る。
彼女の声は、昨日と同じ、氷点下の冷たさを帯びていた。
「……私の寝室に、土足で踏み込むとは。……どういうつもりかしら?」
エリナの周囲の空気が、ピリリと張り詰める。彼女の体から、黒い魔力のオーラが立ち上り始めた。
しかし、今日のガイウスは違った。彼は、エリナの威圧に怯むどころか、ニヤリと笑ったのだ。
「……フン。……聖女気取りもそこまでだ、エリナ! ……我々は、教皇猊下から直々に『全権委任状』を賜った! ……貴様が魔女を庇い立てするなら、貴様も同罪として裁く! ……それが神の意志だ!」
ガイウスが、懐から羊皮紙の束を取り出し、高々と掲げた。そこには、教皇の署名と、血のように赤い教会の公印が押されていた。
その瞬間、部屋の空気が一変した。
(……マジかよ。……教皇のジジイ、動きやがったか。……昨日のエリナの暴走を口実に、一気に潰しにかかってきたな)
レンは、事態の深刻さを瞬時に理解した。教皇の「全権委任状」は、この国において絶対的な効力を持つ。これがある限り、たとえ聖女であっても、法的に抵抗することは難しい。
「……あら、そうですの?」
エリナは、委任状を一瞥もせず、鼻で笑った。
「……それがどうしたというのかしら? ……そのような紙切れ一枚で、私のレン様を奪えると思って?」
エリナの魔力オーラが、さらに膨れ上がった。彼女は本気で、ここにいる全員を皆殺しにするつもりだ。
審問官たちが、恐怖で一歩後ずさる。だが、ガイウスだけは動じない。
「……ククク。……無駄だ、エリナ。……貴様の魔力は、もはや通用しない!」
ガイウスが合図を送ると、後ろに控えていた審問官たちが、一斉に懐から何かを取り出した。
それは、手のひらサイズの奇妙な形の金属片だった。複雑な紋様が刻まれ、微かに青白い光を放っている。
「……『対魔導結界装置(アンチ・マジック・フィールド)』だ!」
ガイウスが叫ぶと同時に、数十個の装置が起動した。
ブォォォンッ!!
という低い音とともに、部屋全体が青白い光のドームに包まれた。
「……なっ!?」
エリナが、初めて驚きの声を上げた。彼女の体から立ち上っていた黒いオーラが、霧散するように消え失せたのだ。彼女は、自分の魔力が完全に封じられたことを悟り、愕然とした表情で自分の手を見つめている。
(……うわぁ。……ガチの魔力封じじゃん。……これ、アリアの首輪の強化版ってことか? ……エリナの魔力まで封じるとか、どんだけ高性能なんだよ……)
レンは、教会の底力に戦慄した。彼らは、この日のために、秘密裏に対聖女用の兵器を開発していたのだ。
「……フハハハハ! ……どうだ、エリナ! ……魔力を失った貴様など、ただの小娘に過ぎん!」
ガイウスが、勝利を確信して高笑いした。
「……さあ、かかれ! ……魔女アリアと、その協力者レンを捕らえろ! ……抵抗するなら、殺しても構わん!」
「……おォォォッ!!」
審問官たちが、一斉に襲いかかってきた。
「……ちっ! ……レン様、下がってください!」
部屋の隅にいたセシリアが、瞬時に抜剣し、レンの前に躍り出た。彼女は、迫りくる審問官たちの剣を、目にも止まらぬ速さで弾き返し、蹴り飛ばしていく。
「……フン! ……物理攻撃なら、私に任せなさい!」
アリアも、魔力は使えないが、持ち前の身軽さで審問官たちの攻撃を回避し、テーブルの上のティーポットやクッションを投げつけて応戦している。
部屋の中は、怒号と剣戟の音が飛び交う大乱戦となった。
レンは、エリナに鎖で繋がれたまま、ベッドの上で右往左往していた。
(……ちょ、まっ! ……俺、一般人なんですけど! ……戦闘力ゼロなんですけど! ……流れ弾とか当たったら即死なんですけど!?)
レンは、恐怖で半泣きになりながら、必死に観察眼(スキャン)を発動させた。
(……落ち着け。……状況を分析しろ。……敵の数は約三十。……全員が興奮状態で、冷静さを失っている。……ガイウスは後方で指揮を執っているが、昨日のダメージで足元がおぼつかない。……セシリアとアリアは奮戦しているが、多勢に無勢だ。……エリナは魔力を封じられて呆然としている。……このままじゃ、ジリ貧だ)
レンの脳細胞が、フルスピードで回転する。
(……どうする? ……どうすれば、この状況を打破できる? ……使える手札は? ……ハッタリ? ……いや、こんな乱戦の中で、言葉が通じる相手じゃない。……暗示? ……一人一人にかけている暇はない。……ダブルバインド? ……論理が通じない相手には無意味だ)
レンは、絶望的な思考の迷路に陥りかけた。
その時、彼の視界の端に、あるものが映った。
それは、乱戦の中で床に落ちた、ガイウスの「杖」だった。
昨日のエリナの魔力放出で吹き飛ばされた際に折れたのか、先端部分が欠けており、そこから微かに魔力が漏れ出しているのが見えた。
(……ん? ……あれは……?)
レンは、目を凝らしてその杖の断面を観察した。
そこには、複雑な魔術回路のようなものが刻まれており、その中心に、小さな魔石が埋め込まれていた。そして、その魔石が、不規則に明滅している。
(……まさか。……あの杖、ただの杖じゃないな? ……もしかして、あの「結界装置」の制御キーか何かか? ……いや、違う。……あの魔石の輝き方……あれは、魔力の「逆流」を起こしかけているサインだ)
レンは、以前アリアから聞いた、魔道具の暴走に関する知識を思い出した。
魔道具は、外部から強い衝撃を受けると、内部の魔術回路が破損し、蓄積された魔力が逆流して暴走することがある。その前兆が、魔石の不規則な明滅なのだ。
(……これだ! ……これを利用すれば……!)
レンの頭の中で、一つの起死回生の作戦が組み上がった。
それは、一か八かの、危険すぎる賭けだった。もし失敗すれば、全員が魔力暴走に巻き込まれて吹き飛ぶかもしれない。
(……でも、やるしかない。……このまま捕まって拷問されるよりはマシだ!)
レンは、覚悟を決めた。
彼は、大きく深呼吸をし、腹の底から声を張り上げた。
「……全員、動くなァァァッ!!」
その声は、戦場の喧騒を切り裂き、全員の動きを一瞬だけ止めた。
審問官たちも、セシリアたちも、驚いてレンの方を向いた。
レンは、ゆっくりとベッドから立ち上がった。(足がガクガク震えているのを、必死に隠しながら)。
彼は、床に落ちているガイウスの杖を指差し、ニヤリと笑った。
「……ガイウス審問官。……貴方は、重大なミスを犯しましたね」
レンの声は、自信に満ち溢れていた。(心臓が口から飛び出しそうなほどバクバクしているのに)。
「……な、何だと? ……何を言っている?」
ガイウスが、訝しげに眉をひそめた。
「……お気づきではありませんか? ……貴方のその杖。……昨日の衝撃で、内部の魔術回路が破損していますよ」
レンは、ハッタリと事実(ファクト)を織り交ぜて語り始めた。
「……見てごらんなさい。……あの魔石の輝きを。……あれは、魔力が逆流し、今にも暴走しようとしているサインです。……あと数秒もすれば、この部屋全体を吹き飛ばすほどの大爆発が起こるでしょうね」
「……なっ!? ……ば、馬鹿な! ……そんなはずは……!」
ガイウスが、慌てて自分の杖の断面を確認した。そこには、レンの言う通り、不規則に明滅する魔石があった。
「……ひっ!? ……こ、これは……!?」
ガイウスの顔が、恐怖で引きつった。彼は、魔道具の知識があるだけに、レンの言葉が真実味を帯びて聞こえたのだ。
審問官たちの間にも、動揺が広がった。彼らは、互いに顔を見合わせ、後ずさり始めた。
(……よし! ……かかった! ……集団心理が「恐怖」に傾いた! ……今だ!)
レンは、この機を逃さなかった。彼は、さらに畳みかけるように叫んだ。
「……死にたくなければ、今すぐその『結界装置』を解除しろ! ……そうすれば、私がこの杖の暴走を食い止めてやる!」
これは、完全なハッタリだった。レンに魔道具を修理する技術などない。
だが、パニックに陥った集団には、そんなことを考える余裕はなかった。
「……くっ! ……ええい、ままよ! ……解除だ! ……結界を解除しろォォォ!」
ガイウスが、恐怖に負けて叫んだ。
審問官たちが、慌てて装置を操作した。
ブォォォンッ……プシュン。
という音とともに、部屋を覆っていた青白い光のドームが消滅した。
その瞬間。
ドォォォンッ!!
という、昨日よりもさらに強大な、圧倒的な魔力の奔流が、エリナの体から噴き出した。
「……あら。……随分と騒がしいですわね」
エリナが、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、完全に「魔女」のそれだった。漆黒の闇が渦を巻き、底知れない怒りと殺意が満ち溢れている。
「……私の安眠を妨げ、私のレン様を危険に晒し、あまつさえ、私に剣を向けた……。……その罪、万死に値しますわ」
エリナが、右手を軽く振った。
それだけで、目に見えない巨大な魔力の塊が、審問官たちを襲った。
「……ぎゃぁぁぁッ!?」
数十人の男たちが、まるで枯れ葉のようにまとめて吹き飛ばされ、壁や天井に叩きつけられた。彼らはピクリとも動かなくなった。
ガイウスは、一人だけ立っていたが、腰が抜けて動けないようだった。彼は、恐怖で歪んだ顔で、エリナを見上げていた。
「……ひっ……ひぃぃぃ……! ……ば、化け物ぉぉぉ……!」
「……誰が、化け物ですって?」
エリナが、ガイウスの目の前に瞬時に移動した。
彼女は、ガイウスの首を片手で掴み上げ、宙に吊るした。
「……貴方は、神の愛を理解できない、哀れな害虫ですわ。……浄化して差し上げますね?」
エリナの手から、黒い炎のような魔力が立ち上った。ガイウスの体が、その炎に包まれていく。
「……ぎゃぁぁぁぁッ!! ……あ、熱いッ! ……助け……!」
ガイウスの断末魔の叫びが、部屋中に響き渡った。
レンは、その光景を、ただ呆然と見つめていた。
(……あーあ。……やっちゃったよ。……完全に皆殺しコースじゃん。……これ、もう収拾つかないだろ……)
彼の胃痛は、もはや痛みを通り越して、感覚が麻痺し始めていた。
そして、彼は悟った。
この国は、もう終わりだ、と。
狂信者の反撃は、最悪の形で幕を閉じた。そして、それは、さらなる混沌の幕開けでもあった。
レンは、小鳥のさえずりではなく、エリナの甘ったるい声と、鼻腔をくすぐる紅茶の香りで目を覚ました。
「……おはようございます、レン様。……よく眠れまして?」
目を開けると、視界いっぱいにエリナの完璧な笑顔があった。彼女はベッドサイドに座り、レンの顔を覗き込んでいる。その距離、およそ十センチ。至近距離で見ても毛穴一つない陶器のような肌と、宝石のように輝く瞳が、朝の光を受けてキラキラと輝いている。
(……うわっ、近っ! ……朝っぱらから心臓に悪いっての! ……ていうか、いつからそこにいたんだよ……)
レンは内心で悲鳴を上げながらも、表面上は穏やかな「賢者の目覚め」を演じた。
「……ああ、おはよう、エリナ。……君のおかげで、ぐっすり眠れたよ」
彼はゆっくりと体を起こそうとしたが、左手に繋がれた鎖がジャラリと音を立てて、それを阻んだ。鎖の先は、エリナの左手首にしっかりと固定されている。
「……ふふっ。それは何よりですわ。……さあ、朝食になさいませ。……今日も、私が『あーん』して差し上げますからね?」
エリナは、サイドテーブルに置かれた銀の盆から、スプーンで粥をすくい上げ、レンの口元に差し出した。粥からは、昨日と同じ、あの独特なハーブの香りが漂っている。
(……またこれかよ。……美味しいけどさ、自分で食べさせてくれよ……。……完全に介護じゃん……)
レンは、屈辱と胃痛に耐えながら、差し出されたスプーンをパクりと咥えた。エリナは、まるで愛玩動物に餌を与える飼い主のような、満足げな表情でそれを見つめている。
その時だった。
離宮の静寂を破る、騒がしい足音と、怒号のような声が廊下から聞こえてきた。
「……開けろ! ……異端審問局だ! ……正式な令状がある!」
レンの心臓が、ドクリと大きく跳ねた。この声は、聞き覚えがある。
エリナの動きが止まった。スプーンを持ったまま、彼女の顔から表情が消え失せた。
バンッ!!
という乱暴な音とともに、部屋のドアが外から蹴破られた。強化された魔力錠が、物理的な衝撃で破壊されたのだ。
部屋になだれ込んできたのは、数十人の武装した異端審問官たちだった。彼らは全員、顔を覆うフードを目深にかぶり、手には魔力封じの杖や、抜き身の剣を握りしめている。その殺気立った雰囲気は、昨日の法廷での比ではなかった。
そして、その先頭に立っていたのは、包帯で頭をぐるぐる巻きにし、杖をついた男――ガイウスだった。
「……見つけたぞ、魔女め! ……そして、その協力者!」
ガイウスが、憎しみに満ちた目でレンたちを睨みつけた。彼の顔は、昨日の屈辱と、エリナの魔力で受けたダメージで、どす黒く変色し、醜く歪んでいる。その瞳孔は、興奮剤でも打ったかのように開ききっており、呼吸は荒く、肩が激しく上下している。
「……ガイウス審問官」
エリナが、スプーンを盆に戻し、ゆっくりと立ち上がった。鎖がジャラリと鳴る。
彼女の声は、昨日と同じ、氷点下の冷たさを帯びていた。
「……私の寝室に、土足で踏み込むとは。……どういうつもりかしら?」
エリナの周囲の空気が、ピリリと張り詰める。彼女の体から、黒い魔力のオーラが立ち上り始めた。
しかし、今日のガイウスは違った。彼は、エリナの威圧に怯むどころか、ニヤリと笑ったのだ。
「……フン。……聖女気取りもそこまでだ、エリナ! ……我々は、教皇猊下から直々に『全権委任状』を賜った! ……貴様が魔女を庇い立てするなら、貴様も同罪として裁く! ……それが神の意志だ!」
ガイウスが、懐から羊皮紙の束を取り出し、高々と掲げた。そこには、教皇の署名と、血のように赤い教会の公印が押されていた。
その瞬間、部屋の空気が一変した。
(……マジかよ。……教皇のジジイ、動きやがったか。……昨日のエリナの暴走を口実に、一気に潰しにかかってきたな)
レンは、事態の深刻さを瞬時に理解した。教皇の「全権委任状」は、この国において絶対的な効力を持つ。これがある限り、たとえ聖女であっても、法的に抵抗することは難しい。
「……あら、そうですの?」
エリナは、委任状を一瞥もせず、鼻で笑った。
「……それがどうしたというのかしら? ……そのような紙切れ一枚で、私のレン様を奪えると思って?」
エリナの魔力オーラが、さらに膨れ上がった。彼女は本気で、ここにいる全員を皆殺しにするつもりだ。
審問官たちが、恐怖で一歩後ずさる。だが、ガイウスだけは動じない。
「……ククク。……無駄だ、エリナ。……貴様の魔力は、もはや通用しない!」
ガイウスが合図を送ると、後ろに控えていた審問官たちが、一斉に懐から何かを取り出した。
それは、手のひらサイズの奇妙な形の金属片だった。複雑な紋様が刻まれ、微かに青白い光を放っている。
「……『対魔導結界装置(アンチ・マジック・フィールド)』だ!」
ガイウスが叫ぶと同時に、数十個の装置が起動した。
ブォォォンッ!!
という低い音とともに、部屋全体が青白い光のドームに包まれた。
「……なっ!?」
エリナが、初めて驚きの声を上げた。彼女の体から立ち上っていた黒いオーラが、霧散するように消え失せたのだ。彼女は、自分の魔力が完全に封じられたことを悟り、愕然とした表情で自分の手を見つめている。
(……うわぁ。……ガチの魔力封じじゃん。……これ、アリアの首輪の強化版ってことか? ……エリナの魔力まで封じるとか、どんだけ高性能なんだよ……)
レンは、教会の底力に戦慄した。彼らは、この日のために、秘密裏に対聖女用の兵器を開発していたのだ。
「……フハハハハ! ……どうだ、エリナ! ……魔力を失った貴様など、ただの小娘に過ぎん!」
ガイウスが、勝利を確信して高笑いした。
「……さあ、かかれ! ……魔女アリアと、その協力者レンを捕らえろ! ……抵抗するなら、殺しても構わん!」
「……おォォォッ!!」
審問官たちが、一斉に襲いかかってきた。
「……ちっ! ……レン様、下がってください!」
部屋の隅にいたセシリアが、瞬時に抜剣し、レンの前に躍り出た。彼女は、迫りくる審問官たちの剣を、目にも止まらぬ速さで弾き返し、蹴り飛ばしていく。
「……フン! ……物理攻撃なら、私に任せなさい!」
アリアも、魔力は使えないが、持ち前の身軽さで審問官たちの攻撃を回避し、テーブルの上のティーポットやクッションを投げつけて応戦している。
部屋の中は、怒号と剣戟の音が飛び交う大乱戦となった。
レンは、エリナに鎖で繋がれたまま、ベッドの上で右往左往していた。
(……ちょ、まっ! ……俺、一般人なんですけど! ……戦闘力ゼロなんですけど! ……流れ弾とか当たったら即死なんですけど!?)
レンは、恐怖で半泣きになりながら、必死に観察眼(スキャン)を発動させた。
(……落ち着け。……状況を分析しろ。……敵の数は約三十。……全員が興奮状態で、冷静さを失っている。……ガイウスは後方で指揮を執っているが、昨日のダメージで足元がおぼつかない。……セシリアとアリアは奮戦しているが、多勢に無勢だ。……エリナは魔力を封じられて呆然としている。……このままじゃ、ジリ貧だ)
レンの脳細胞が、フルスピードで回転する。
(……どうする? ……どうすれば、この状況を打破できる? ……使える手札は? ……ハッタリ? ……いや、こんな乱戦の中で、言葉が通じる相手じゃない。……暗示? ……一人一人にかけている暇はない。……ダブルバインド? ……論理が通じない相手には無意味だ)
レンは、絶望的な思考の迷路に陥りかけた。
その時、彼の視界の端に、あるものが映った。
それは、乱戦の中で床に落ちた、ガイウスの「杖」だった。
昨日のエリナの魔力放出で吹き飛ばされた際に折れたのか、先端部分が欠けており、そこから微かに魔力が漏れ出しているのが見えた。
(……ん? ……あれは……?)
レンは、目を凝らしてその杖の断面を観察した。
そこには、複雑な魔術回路のようなものが刻まれており、その中心に、小さな魔石が埋め込まれていた。そして、その魔石が、不規則に明滅している。
(……まさか。……あの杖、ただの杖じゃないな? ……もしかして、あの「結界装置」の制御キーか何かか? ……いや、違う。……あの魔石の輝き方……あれは、魔力の「逆流」を起こしかけているサインだ)
レンは、以前アリアから聞いた、魔道具の暴走に関する知識を思い出した。
魔道具は、外部から強い衝撃を受けると、内部の魔術回路が破損し、蓄積された魔力が逆流して暴走することがある。その前兆が、魔石の不規則な明滅なのだ。
(……これだ! ……これを利用すれば……!)
レンの頭の中で、一つの起死回生の作戦が組み上がった。
それは、一か八かの、危険すぎる賭けだった。もし失敗すれば、全員が魔力暴走に巻き込まれて吹き飛ぶかもしれない。
(……でも、やるしかない。……このまま捕まって拷問されるよりはマシだ!)
レンは、覚悟を決めた。
彼は、大きく深呼吸をし、腹の底から声を張り上げた。
「……全員、動くなァァァッ!!」
その声は、戦場の喧騒を切り裂き、全員の動きを一瞬だけ止めた。
審問官たちも、セシリアたちも、驚いてレンの方を向いた。
レンは、ゆっくりとベッドから立ち上がった。(足がガクガク震えているのを、必死に隠しながら)。
彼は、床に落ちているガイウスの杖を指差し、ニヤリと笑った。
「……ガイウス審問官。……貴方は、重大なミスを犯しましたね」
レンの声は、自信に満ち溢れていた。(心臓が口から飛び出しそうなほどバクバクしているのに)。
「……な、何だと? ……何を言っている?」
ガイウスが、訝しげに眉をひそめた。
「……お気づきではありませんか? ……貴方のその杖。……昨日の衝撃で、内部の魔術回路が破損していますよ」
レンは、ハッタリと事実(ファクト)を織り交ぜて語り始めた。
「……見てごらんなさい。……あの魔石の輝きを。……あれは、魔力が逆流し、今にも暴走しようとしているサインです。……あと数秒もすれば、この部屋全体を吹き飛ばすほどの大爆発が起こるでしょうね」
「……なっ!? ……ば、馬鹿な! ……そんなはずは……!」
ガイウスが、慌てて自分の杖の断面を確認した。そこには、レンの言う通り、不規則に明滅する魔石があった。
「……ひっ!? ……こ、これは……!?」
ガイウスの顔が、恐怖で引きつった。彼は、魔道具の知識があるだけに、レンの言葉が真実味を帯びて聞こえたのだ。
審問官たちの間にも、動揺が広がった。彼らは、互いに顔を見合わせ、後ずさり始めた。
(……よし! ……かかった! ……集団心理が「恐怖」に傾いた! ……今だ!)
レンは、この機を逃さなかった。彼は、さらに畳みかけるように叫んだ。
「……死にたくなければ、今すぐその『結界装置』を解除しろ! ……そうすれば、私がこの杖の暴走を食い止めてやる!」
これは、完全なハッタリだった。レンに魔道具を修理する技術などない。
だが、パニックに陥った集団には、そんなことを考える余裕はなかった。
「……くっ! ……ええい、ままよ! ……解除だ! ……結界を解除しろォォォ!」
ガイウスが、恐怖に負けて叫んだ。
審問官たちが、慌てて装置を操作した。
ブォォォンッ……プシュン。
という音とともに、部屋を覆っていた青白い光のドームが消滅した。
その瞬間。
ドォォォンッ!!
という、昨日よりもさらに強大な、圧倒的な魔力の奔流が、エリナの体から噴き出した。
「……あら。……随分と騒がしいですわね」
エリナが、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、完全に「魔女」のそれだった。漆黒の闇が渦を巻き、底知れない怒りと殺意が満ち溢れている。
「……私の安眠を妨げ、私のレン様を危険に晒し、あまつさえ、私に剣を向けた……。……その罪、万死に値しますわ」
エリナが、右手を軽く振った。
それだけで、目に見えない巨大な魔力の塊が、審問官たちを襲った。
「……ぎゃぁぁぁッ!?」
数十人の男たちが、まるで枯れ葉のようにまとめて吹き飛ばされ、壁や天井に叩きつけられた。彼らはピクリとも動かなくなった。
ガイウスは、一人だけ立っていたが、腰が抜けて動けないようだった。彼は、恐怖で歪んだ顔で、エリナを見上げていた。
「……ひっ……ひぃぃぃ……! ……ば、化け物ぉぉぉ……!」
「……誰が、化け物ですって?」
エリナが、ガイウスの目の前に瞬時に移動した。
彼女は、ガイウスの首を片手で掴み上げ、宙に吊るした。
「……貴方は、神の愛を理解できない、哀れな害虫ですわ。……浄化して差し上げますね?」
エリナの手から、黒い炎のような魔力が立ち上った。ガイウスの体が、その炎に包まれていく。
「……ぎゃぁぁぁぁッ!! ……あ、熱いッ! ……助け……!」
ガイウスの断末魔の叫びが、部屋中に響き渡った。
レンは、その光景を、ただ呆然と見つめていた。
(……あーあ。……やっちゃったよ。……完全に皆殺しコースじゃん。……これ、もう収拾つかないだろ……)
彼の胃痛は、もはや痛みを通り越して、感覚が麻痺し始めていた。
そして、彼は悟った。
この国は、もう終わりだ、と。
狂信者の反撃は、最悪の形で幕を閉じた。そして、それは、さらなる混沌の幕開けでもあった。
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家族の温かさに触れ、学園で友人を作り、世界に仇成す悪の組織に立ち向かって――――慌ただしくも、充実した日々を送っていた。
しかし逃れられたと思っていたはずの過去は長い時を経て再び彼を絶望の淵に追いやった。
だが今度こそは『己の過去』と向き合い、答えを導き出さなければならない。
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出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜
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